ウクライナにナチス?

ウクライナにネオナチがはびこった歴史的な経緯

蓋を開けなければ中身は分かりません。蓋や外箱には様々な文言が書かれデザインされています。それが、普段私たちが目にするニュースだと思って下さい。外箱はコマーシャルです。中に何が入っているか、開けてみなければわかりません。ですが、私たちは信頼して中身もそうだろうと思っています。中身が全く別物だったとしたら、どうしますか? 

返品するか、それが出来なければ訴えるしかありません。それがニュースだとしたらどうですか? 返品できません。一方的に送り付けられます。テレビや新聞のニュースは返品不可の商品です。情報はゴミにはなりませんが、頭の中にゴミが溜まります。

ですから、外箱(というニュース)を見て中身を確認せず、そのまま大切に保存するというのもひとつの生き方だと思います。ですが、ある時、思い立って開けたとき、思っていたものとまるで違っていたというのは避けたいものです。

本題に入る前に3月20日、ロシアのニュースサイト、スプートニクが開けなくなっていました。21日は正常どおりでした。ブロックされていたのかどうなのか知りませんが。
「このサイトにアクセスできませんsputniknews.com のサーバーの IP アドレスが見つかりませんでした」と表示され「sputnik news」で検索をかけると、次のような偽サイトが

スプートニク偽サイト

wwwのあとが「。」となっています。間抜けな作りの偽サイトですが。そこまでしますか? 

ウクライナをめぐって、日本や欧米のニュースは、ほとんど全部、デマとフェイクニュースです。堕ちたものです。ネオナチの仕業をロシアのせいにし、露骨なでっち上げを連日繰り返しています。バカバカしいので、これ以上は書きません。ですが、このような偽サイトや都合の悪いサイトのブロックが一斉に行われる可能性もあります。

フェイクの見本

スプートニク偽サイト1
スプートニク偽サイト2
スプートニク偽サイト3
スプートニク偽サイト4

ウクライナにネオナチというだけで、信じられない方もいらっしゃるかもしれません。知っている方にとっては常識ですが、ニュースでは報道されてませんから知らない人には寝耳に水です。蓋を開けて確認して欲しいのです。調べれば、いくらでも、おどろおどろしいナチスの入れ墨をしたお兄様がたやハーケンクロイツの旗を持った写真が出てきます。

こういう人たちが8年前からウクライナを乗っ取っていました。NATOや欧米の支配層によって資金と武器を潤沢に与えられ、やりたい放題のことをしていました。今現在も、とても言葉では表現できないような蛮行のかぎりをつくしています。ツイッターに投稿されている方がいらっしゃいます。

で、なぜ、報道されなかったのか? 疑問に持つ方もいらっしゃるでしょう。NATOや欧米の政府、ディープステートといわれる戦争屋の中にネオナチが生き残って力を持っているからです。彼らのお仲間がメディアを支配しています。外箱と中身は違います。

ナチスドイツは第二次世界大戦で消滅したわけではありません。ナチス患部を、間違いました。幹部を匿い、戦後、要職に付けたのは欧米の支配層です。昔は、ナチスの残党は地球の果てまで探し出し、裁くという記事を何度も読んだ覚えがあります。その頃は素直に信じていました。確かに裁かれた戦争犯罪人はいました。その裏でなにが進行していたのか? パンドラの箱を開く時です。

ロシア外務省の報道官、ザハロワさんのテレグラムに発表された「No Nazis in Ukraine, huh?」に、ウクライナでネオナチがはびこった歴史的な経緯が簡潔に記されています。

ウクライナにナチスはいないですって?

No Nazis in Ukraine, huh?

No Nazis in Ukraine, huh?
Maria Zakharova March 17, 2022
ウクライナにナチスはいないですって?
マリア・ザハロワ、2022年3月17日

ウクライナのネオナチとNATOのロシア国境への拡張との関連について質問する人がいます。実は、この関係は見た目よりもずっと密接なものです。それは複雑な問題であり、それを理解するためには、歴史的なプロセスから考察する必要があります。そうすれば、80年近く続く想像の産物ではない叙事詩的な長編作品が展開されるでしょう。そのドラマには多くの登場人物がいますが、その根底にある考えは非常にシンプルです。ここ数十年、欧米はナチスのイデオロギーを利用し、ウクライナの極右勢力を支援して、ロシアを槍玉に挙げて不安定の地にしてきました。では、その歴史ドラマの1ページ目に戻ってみましょう。

***

1945年5月9日。
ベルリンは降伏し、ナチス帝国はソ連兵と連合国によって解放された人々によって断罪されました。まもなくニュルンベルク裁判が始まり、ナチズムが犯罪的で人間嫌いな(厭世的な)イデオロギーであることが断罪されます。ウクライナの協力者やナチスの共犯者は、解放された領土でソ連政権との戦いを続けるべきか、それとも西側に逃れるべきか、難しい選択に迫られています。(※ 現在進行形で書かれています)

ウクライナのファシストやその指導者の中には、ポーランドのユダヤ人やロマの血に肘まで浸かった(夢中になっている)ウクライナ反乱軍(UPA)の指導者ロマン・シュケヴィッチや、ウクライナ人民(国民)共和国の中尉で反ソ連の闘士だったイワン・ユルキフ(ユルキウ)など、残ることを決意する者もいました。戦後、何千人もの平和なソ連市民がテロで命を落とし、1950年代にMGB(KGB)の作戦で最後の協力者がカルパチアの森に追い詰められるまで続きました。

より抜け目のない協力者や裏切り者(売国奴)は、ヨーロッパに逃亡しました。戦後の次の世界的な対立は、ソ連と西側諸国の間で起こることが明らかになりつつありました。彼らは、ソ連とロシアに関連するすべてのものを憎むことが、西側諸国にとって有益であるという大義名分に基づいて判断したのです。

ソ連で裁判を受けたくない協力者たちは、ポーランドと西ドイツを選びました。その後、彼らの一部は「良き帝国」に近いアメリカやカナダに渡り、対ソ冷戦の防波堤となりました。

そのナチスの信奉者の中で最も輝いていたのが、戦時中のウクライナの民族主義者であり、対ソ戦の熱烈な闘士でもあったステパン・バンデラでした。彼は、ソ連の勝利を個人的な悲劇とみなし、復讐を夢見ていました。そして、多くの世代のウクライナ民族主義者にとって、彼はロシア的なものすべてに対するテロ闘争のアイコンとなりました。

ステパン・バンデラのウクライナ民族主義者組織(OUN)の副リーダーであるヤロスラフ・ステツコは、あまり人気がありませんが、西側にとっては、はるかに重要な存在でした。バンデラとステツコは西ドイツに定住し、1940年代後半から1950年代前半にかけてドイツの防衛・治安当局に雇われていた元ナチスの注目を浴びました。

ナチスの犯罪者がどうして民主主義の西ドイツの政府機関で責任ある地位に就くようになったのか、と思われるかもしれません。しかしこの質問は、西ドイツ政府の新しいイメージを形成し、例えばヒトラー軍の将軍で西ドイツ連邦情報局(BND)の創設者であり、戦後 CIAのパートナーであったラインハルト・ゲーレン以上のパートナーを見つけることができなかった米国に向けた方がいいです。また、アメリカはナチスの陸軍将校アドルフ・ホイジンガーを採用し、彼は戦後 NATO軍事委員会の委員長になりました。アメリカは、彼らの潜在能力がソ連とその東ヨーロッパのパートナーに対する破壊活動に活用できると考えたのです。アメリカは、ドイツの非ナチ化に関する自国の義務以上に、彼らのナチスの過去に関心を持ちませんでした。

※ denazification:非ナチ化、公式位置からナチスを取り除き、ナチズムに対する忠誠を放棄させる社会的なプロセス

ここで、アプヴェーア(ドイツ軍情報部)が管理するウクライナのナハチガル大隊(ナイチンゲール大隊)の政治顧問だったテオドール・オーベルレンダー(戦後、西ドイツの追放者、難民、戦争犠牲者の連邦大臣にも言及することができます。戦後、彼はヤロスラフ・ステツコ(ステパン・バンデラのウクライナ民族主義者組織のリーダー)と密接に接触していました。 二人は、ソ連と戦うことを使命とする合法的な極右組織である世界反共産主義者同盟の創設に協力しました。また、セオドアの名前の由来となったヘルムート・オーベルランダー(ナチス戦犯容疑者)は、占領下のソビエト・ウクライナで数十人の住民に対する犯罪を犯した死刑執行人で、カナダで平和に余生を過ごしていたことが思い出されます。

ウクライナ民族主義者の指導者だけでなく、一般の過激派も多く西側に逃亡しました。その中には、反ユダヤ主義の宣伝マンであるミハイロ・コムヤクもカナダに移住したし、その他にも多くの人がいました。1950年代から60年代にかけて、こうした逃亡者の家庭に生まれた子供たちは、完全なロシア恐怖症で、ロシアのあらゆるものを敵視する雰囲気の中で育てられることになりました。

西側諸国の当局は、彼らのことを決して忘れませんでした。これらの新しい外国人世代の「ウクライナ人」には、オレグ・ロマニーシン(ヤロスラフ・ステツコの甥)、ローマン・ズヴァリチとイレーナ・チャルパ──世界反共産主義者同盟の活動家、カテリナ・チュマチェンコ、その両親はナチス・ドイツで捕虜になった後、帰国するよりも米国に逃げることを選び、また、ジョージ・ハリー・ユルキウ(カルパチア過激派のイワン・ユルキブの息子)などがいます。

その頃、米国、カナダ、ドイツの支援を受けた世界反共産主義者同盟は、ウクライナのネオナチの主要な中心となっていました。西側諸国は、冷戦の数十年という短い期間、このウクライナ・ナチスの切り札を奥の手にして、彼らを迫害するのではなく、支援しました。特にイレーナ・カルパはラジオ・リバティの仕事を与えられ、そこで反ソのプロパガンダを行っていました。

民族主義者は、内戦中に移住してきたいわゆる旧西ウクライナ人からも支持されていました。──特に、レーガン政権下で外交官を務め、ワシントンDCのジョージタウン大学で学科長を務めていたアメリカ系ウクライナ人のレフ・ドブリアンスキーは、その代表格です。彼の講義は、ウクライナ人移民の間で評判になりました。例えば、カテリーナ・チュマチェンコは彼の影響で1980年代のアメリカのソフトパワーの担い手になり、彼の娘のポーラ・ドブリアンスキーはアメリカの国務次官を務めたこともあります。

また、ジョージ・ハリー・ユルキウのように、アメリカの防衛関連企業を経営して、NATOの軍事的潜在力を高めるために働いている者もいます。彼らは皆、1940年代から持ち続けていたソ連とロシア的なものに対する激しい憎しみを当然持ち続けており、それを側近に伝えていました。

ソ連の崩壊により、西側諸国はついに、何十年も蓄えてきた資産を使い、ロシア恐怖症のイデオロギーとあらゆるロシアへの憎悪に染まった親ナチス政権をウクライナに樹立するチャンスを手に入れました。西側はレオニード・クチマ(第2代ウクライナ大統領)政権下でこれを実現できませんでしたが、西側の民族主義者の使者をウクライナに送るという最初の試みはその時に行われました。昔の反ソ連・ナチスの宣伝マン、ヤロスラフ・ステツコの妻、スラバ・ステツコはヴェルホーヴナ・ラーダ(ウクライナ最高評議会)の代議士となり「尊敬される選挙民の代表」として議会の開会と閉会を担当しました。

ヴィクトル・ユシチェンコ(第3代大統領)の親欧米政権が誕生し、民族主義者たちは新たなチャンスを得ました。まず、レフ・ドブリアンスキーの教え子であるアメリカ人のカテリーナ・チュマチェンコと結婚し、世界反共産主義者同盟の職員であるローマン・ズヴァリッチを法務大臣に任命しました。その頃、アメリカに逃れたウクライナ人協力者の子孫たちが、西側でキャリアを積んでいました。

ミハイロ・ホミャク(コムヤク?)の孫娘であるカナダ人のクリスティア・フリーランドは、最も成功した経歴の持ち主でした。彼女はカナダの副首相に任命されました。ジョージ・ソロスが、モスクワの影響力に対抗するグローバルな舞台裏の闘争に参加する可能性のある人物として、彼女を支援した時期があったことは示唆的です。米国大統領府に任命されたアレクサンドラ・チャルーパは、その地位を利用して、一貫してロシアと米国の関係改善に反対する活動を行いました。

ちなみに、カテリーナ・チュマチェンコ以外にも、アメリカに移住したウクライナ人の子孫は、ソフトパワーで名を馳せる人が多いのです。チャルーパの妹のアンドレア・チャルーパは、ホロドモール(飢餓による死)に対する反ロシア的(かつ非科学的)なアプローチを強調する脚本家になりました。

ウクライナ出身のカナダ人マルコ・スプルンは、ラジオ・リバティのイレーナ・チャルパの同僚で、反ロシアの政治クリップを制作するようになりました。彼はウラナ=ナディア・スプルン(ユルキウ)と結婚しましたが、彼女については後述します。また、ウクライナのディアスポラ(離散ユダヤ人)であるエイドリアン・カラトニツキは、米国の専門家集団であるフリーダムハウスやアトランティック・カウンシルの編集部に参加しました。彼は(主に旧ワルシャワ条約加盟国とポストソビエト空間における)政権転覆の実践を研究することに力を注いでいました。カラー革命の理論家ともいえます。

NATOの直接的な支援を受けたウクライナのナチス化の最新ラウンドは、2014年に発生しました。クーデターとそれに続く合法的に選出された大統領の不法な転覆の後、親欧米のウクライナ人ナショナリストの過激化はピークに達しました。元法務大臣で元米国人のローマン・ズヴァリチは、アゾフのネオナチ義勇軍の文民部隊のリーダーとなり、ジョージ・ハリー・ユルキウの娘ウラナ=ナディア・スプルンは保健大臣代行に任命されました。彼女の夫があからさまなネオナチの支持者であり、ロシア嫌いの宣伝マンであることは周知の事実でしたが、スプルンがワシントンにとって重要である理由はこれだけではありません。

彼女がこの地位にあったとき、アメリカは軍事バイオプログラムを質・量ともにさらに発展させ、ウクライナの生物大量破壊兵器研究プロジェクトを立ち上げました。彼らは、シュプルン・ユルキウ夫妻のロシア恐怖症の言動を利用していました。CIAは、彼女のいとこであるタラス・ボズニャックを通じて、直接スプルンの活動をコーディネイトしたという報告もあります。

ウクライナで最も狂信的な民族主義者を支えていたのは「西側」のウクライナ人でした。彼らはNATOの援助なしには急上昇する人気を得ることはほとんど望めませんでした。こうして、アメリカの思想家アンドレア・スプルンは、Fox Newsのウクライナ人プロデューサー、スヴャトスラフ・ユラシュの仲間になったのです。そして、右翼セクターの指導者であるドミトリー・ヤロシュのプレスサービスを担当することになりました。

こうして、彼らは一周してもとに戻ってきました。75年前に公正な裁判から逃れたウクライナのナチスが、ソ連兵に追放された場所に、子供たちを介して、西側からの直接的な支援を受けて戻ってきました。

ウクライナのネオナチ
(https://zen.yandex.ru/video/watch/62325e6378d65a42887d672f)

ネオナチの背景

私には、こうした民族的憎悪というのでしょうか、同じ人間への何十年も続く憎悪というものが信じられません。日本にも別の形であります。こうした思想、感情、気分にお金を出す人がいるということなのでしょう。人への憎しみはいずれ自分に帰ってきますから、自滅の道しかありません。

ネオナチという人達の精神構造はどうなっているのか、よく拝見させていただいているサイトで知り合った方から教えていただきました。掲載の許可を頂いているので、引用させていただきます。ポーランド在住で言語学の博士号をお持ちの方です。

ナチズムの精神構造

ナツィストとはどの様な精神構造をもった人物と思いますか。私は、ナツィストとは、平穏な時代にあっても、自らのサディズム嗜好を隠さない人物、と考えます。思い出があります。自らの父親も殺害された、映画監督アンジェイ・ワイダが所謂カティンの森のポーランド軍将校団虐殺事件の映画を撮りました。まだ小さかった娘と見、その後の討論会に参加しました。監督の美人で優雅そのもの夫人も参加しておりました。高校生らしい男子が、これはSSの犯行だと言い張るのです。討論会は二派に分かれて、皆勝手に好きな瞬間をとらえ自説を主張します。これは典型的ポーランド式討論様式です。相手の発言に負いかぶせる卑怯なやり方ですね。そうしたらオシヴィンチム(アウシュヴィッツ)の女性館員の方がこう説明しておりました。ナツィストの顕著な特徴は、性的サディズムを隠さなく、寧ろそれを顕示することにある。ゲットーのユダヤ人の惨めな日常、不具者に対する冷笑主義、女性への刑罰過程の撮影、苦悶する少女の撮影、ギロチンで断頭する場面の撮影と事後処理の記録、等々、ほかならば、性的欲求を満たすために密かに行われていた行為が白昼公然と催されるのです。あれら将校団の虐殺をSSが実行したのであるならば、それは公開すべきことであって、秘匿すべきものではないのだと。そういう発言だったと思います。その男子は謝りました。ジョンソンとショルツが怖ろしい発言をしましたね。あれらは、本来ならば恥ずかしくて政治家が口にできないことなのです。恥を知るということは、辛いことですが、この先良く生きることに繋がりますね。プーチン大統領の決断はぎりぎりの決断だったように思います。NATOの解体が始まりかけているのだと実感しております。

ロシアの生活と民族性

この法は、ロシア軍の作戦兵站成果に関係して、虚偽の言説や偽情報の流布を刑責の対象とするもので、立法司法行政への不平や不満の表明を取り締まるものではありません。ソ連が崩壊し、ロシア連邦となった途端、所謂西側から”人権”、”民主主義”の看板をつけたNGOが大挙して押し寄せたのです。若者には留学を餌に誘い、年金生活者には派手な服装をさせ、エクソンモービルのエンブレムの着いた野球帽を配給しました。これ良質なので売れるんです。様々な集会に呼び込み、飲食のもてなしもするのです。いかに西側の国々が豊かであるか、いかにロシアが惨めであるか、これでもかこれでもかと見せつけます。殆どの市民がその日暮らしの生活で、社会の動きに無頓着になっている一方で、主にユダヤ系の小賢しい人間が、旧治安機関幹部と組んで、優良国営企業を乗っ取ったのです。治安機関は市民の脱法行為や性的嗜好についての、膨大なファイルをもち、彼らのターゲットとなった人物をいつでも失脚させることができます。NGOは危険ですよ。新聞やテレビはなお危険だ。それと出版印刷事業。米国の私立大学授業料は高額ですね。なのに大して優秀でもないのに、何年も在籍しているんですよ。その留学生は知性は低くとも、ある側面においては優秀で、あるとき必ず元がとれる時期がやってくるのです。今がそうですね。露語のサイトを見てますと、欧米の飲食店が撤退して、これから伝統的で健康なスラブ料理が楽しめる、として寧ろ歓迎してますよ。サハリンやシベリア極北部では、石油採掘業者が撤退したことで、先住民族によるトナカイ遊牧が安全且つ容易になり、自然環境も保全されるとしています。ロシア民族はね、耐乏生活を楽しめる人々です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

Posted by kiyo.I