ウクライナには”善良なウクライナ人”は、ほとんど残っていない

ファシズムに加担する主流メディアの罪

この記事はエンジニアであり、作家のケビン・ミケリッツィ氏の「ウクライナのいい人たち」という記事に対して、スコット・リッター氏が反論した記事です。ケビン・ミケリッツィ氏の「ウクライナのいい人たち」と、再反論「善良なウクライナ人、続き」は最後に訳出しました。

戦争には絶対反対だ、とか、平和が大切だということを言う人がいます。もっともなことです。それに反対する人はあまりいないでしょう。ウクライナ以前に、多くの戦争がありました。ベトナム、アフガニスタン、イラク、シリア、リビア、ボスニア、、、ほとんどアメリカとNATOが起こした戦争です。何を反省しましたか? 

では、戦争が起きたとき、どうやって終わらせるのか? どうやって平和を維持するのか? 平和だ、戦争絶対反対だという主張をする人からは感心するような返答は聞いた事がありません。アメリカやNATOの反対勢力を貶める報道や意見はうるさいほど聞きます。つまり、イラクに大量破壊兵器という嘘、リビアやシリアの独裁者という嘘、プーチンが悪という根拠のない嘘、、、メディアの嘘に受動的に従い、戦争絶対反対だと言って正しいことをしていると満足する人は、本当の犯人に加担しているようなものです。

不思議なことにこれまで、戦争を起こしたアメリカやNATOを批判する意見やメディアは、声にもならない極々少数派でした。ウクライナの現状を見ても、聞こえてくるのはアメリカやNATOを支持するメディアの主張ばかりです。これって、メディア・ファシズムではありませんか? 

聞くところによると、ウクライナではネオナチが降伏したロシア兵は言うに及ばず、戦意喪失したウクライナ兵まで処刑しているそうです。悪魔の所業です。西側世界は問題にもしません。報道もしません。これって、ファシズムではありませんか?

日本でも先の大戦中、戦争反対を主張しただけで、投獄、拷問でした。今、ウクライナで同じことが起きています。あろうことか、かつて民主主義国家を標榜していた西側諸国はウクライナのナチスを隠し、応援しています。特に西側のメディア上では、先の大戦で起きた時よりも深刻です。

今日のウクライナを巡る動きを見ていると、ゼレンスキーや英米、EU指導層は、リッター氏が記事の中で取り上げているダニエル・ゴールドハーゲンの著書の名前『死なない悪魔』そのものだと思います。”悪魔”の存在自体も問題ですが、それ以上に”悪魔”の意図に気がつかない、受動的で無抵抗な人々が大半だという現状だと思います。言うまでもなく、そのような人々を「教育」してきたのは主流メディアです。受動的で言われたことを信じ込ませ、悪魔的な政府に従わせるのが主流メディアの役割です。

「大多数のウクライナ人は、現代のステパン・バンデラ主導のウクライナ・ナショナリズムのために行われた言いようのない犯罪に直接加担しているか、あるいはこれらの犯罪に病的に無関心な人々なのである」

スコット・リッター
ウクライナには”善良なウクライナ人”はほとんど残っていない

Scott Ritter: “There are Few ‘Good Ukrainians’ Left in Ukraine”
Posted by INTERNATIONALIST 360° on DECEMBER 6, 2022
Scott Ritter

バンデラの肖像を掲げて更新するウクライナ人

この記事は、ケビン・ミケリッツィ氏 Kevin Michelizzi による「ウクライナのいい人たち The nice people in Ukraine」への反論であり、「ウクライナのいい人たち 続編 The Good Ukrainians, Continued」はこの(スコット・リッター氏の)反論に対するケビン氏の返答である。

”良いウクライナ人”はほとんどいなくなった。
彼らは今やロシア人であり、母なるロシアの一部である。
そして正義は彼らのものとなる。

最近、私はウクライナ人に対する強い批判、特にロシアが進めているSMO(特別軍事作戦)のためにウクライナに降りかかった悲劇に対する彼らの連帯責任という点で、非難を浴びることがある。

これまでにも、私が出演したポッドキャストへのコメントや、私自身のTelegramチャンネルで呼びかけられたことがある。最近、私の姿勢に異を唱えたのは、情報セキュリティの専門家であるケビン・ミケリッツィで、私のSubstackページに投稿した記事の中で、最近の「Ask the Inspector」ポッドキャストの中で私がジェフ・ノーマンに対して述べたコメントに腹を立てている。ジェフは私を「ウクライナのいい人たちを愚弄している」と非難したが、私は「ウクライナの人たちにいい人などいない」と答えた。

「スコットは何度もこのようにウクライナの人々を一般化している」とケビンは書いている。
「彼の主張は、政府が[ステパン]バンデラとOUN-B(ウクライナ民族主義者組織Organization of Ukrainian Nationalists-Bandera)を英雄として称えたので、彼らが無抵抗(従順、言いなり、受動的だったことに起因する……」と書いている。

ケヴィンは、政府の恐ろしい行動に直面したウクライナの人々の無抵抗を、単にウクライナの人々が “生き残るために必要なこと"をしていると言い訳している。

「スコットがウクライナの人々に何を期待したのかわからない」とケビンは嘆く。

善悪の区別がつくように行動してはどうだろうか? 

ケビン・ミケリッツィが、ウクライナ人が自分たちの代表として選んだ人たちが、自分たちの名の下に行っている言いようのない非人道的行為に直面して、ウクライナ人の無抵抗を弁解するのは、キャトリン・クレイ Catrine Clay がベストセラーになった『良きドイツ人 The Good Germans』で主張したことを思い起こさせる。クレイは、1933年にドイツ首相に選出されたアドルフ・ヒトラーに対して、ドイツ人の3分の2は投票しなかったと主張した。そして、その後12年間、これらの”善良なドイツ人”の多くは、ナチスの虐待や行き過ぎた行為に反対するために積極的に関与してきたという。

第二次世界大戦中のドイツ国内でのナチス支持の総動員を見れば、クレイの主張がいかに無益なものだったかは明らかだ。

ほとんどのドイツ人は、ナチス政権が大陸に恐怖を与えるために採用したメカニズムに積極的に参加した。

その他の人々は、せいぜい無抵抗な観察者だった。

しかし、積極的な反対者はほとんどおらず、いわゆる”良いドイツ人”は事実上絶滅しているほど希少な存在だった。

そう、ドイツ国民の2/3は、1933年にアドルフ・ヒトラーに投票しなかった。しかし、彼らは彼が権力を握るのを支持、あるいは容認し、その行き過ぎた行為を受け入れた。特にユダヤ人、ポーランド人、ロシア人、ジプシー、つまり、ヒトラーの定義するアーリア人種の純潔の下で”人間以下”とみなされる人々に対する犯罪に直面して、彼らは沈黙していた。

『ヒトラーの自発的な死刑執行人』の著者ダニエル・ゴールドハーゲンは、この国民性の欠陥の原因は、ゴールドハーゲンが「排斥主義者の反ユダヤ主義」と呼ぶものが、ドイツ国民の集団心理にどの程度浸透していたかにあると推測している。
──簡単に言えば、ドイツ人は何世紀にもわたる社会的行動を通して、社会のあらゆる問題をユダヤ人やその他の人間以下の人種のせいにするだけでなく、これらの好ましくない人間の寄生虫を物理的に根絶することを好ましい解決策として受け入れるようにあらかじめプログラムされていた。

排斥主義者の反ユダヤ主義
ジェノサイドまたはその他の手段を通じて、社会からユダヤ人とユダヤ教を完全に一掃しようとする反ユダヤ主義の極端な形態。この概念は、ダニエル・ゴールドハーゲンが著書『ヒトラーの自発的な死刑執行人』の中で最初に展開したものであり、その中で彼は、ドイツ人がホロコーストを実行するに至った独自の排斥主義的反ユダヤ主義を抱いていると提案した。ゴールドハーゲンは、彼の最近の著書『死なない悪魔。世界的な反ユダヤ主義の台頭と脅威』で、第二次世界大戦以降、排斥主義者の反ユダヤ主義が成長し、広がっていると主張した。
ヒトラーの自発的な死刑執行人
この本では、大多数の普通のドイツ人がホロコーストの「自発的な処刑人」であったのは、それ以前の数世紀に発展したドイツの政治文化における独特で悪質な「排斥主義者の反ユダヤ主義」によるものだと論じている。ゴールドハーゲンは、排除主義的反ユダヤ主義はドイツの国民的アイデンティティの礎であり、ドイツ独自のものであり、それゆえに、普通のドイツの徴兵は喜んでユダヤ人を殺したのだと主張している。ゴールドハーゲンは、このようなメンタリティーは、宗教に根ざした中世の態度から発展し、後に世俗化したものであると主張している。

ウクライナ人の現在の行動を理解しようとするとき、ゴールドハーゲンを理解することは不可欠である。

まず第一に、ウクライナという国家は人工的に作られたものである。ソ連崩壊後に誕生したウクライナのぎこちなさ(寄せ集め)を見れば、それは誰もが認めるところだ。近代ウクライナ・ナショナリズムの発祥地である西ウクライナと、キエフよりもモスクワに忠誠心とシンパシーを持つロシア系民族が支配する東ウクライナは、本質的に相容れない存在だ。この両極を隔てるキエフの残りかす国家 rump state(以前の大きなものが解体された名残のある政治地理的な国家)は、国家の統一というよりも国家の機能不全の原因として機能しており、この現実は、いわゆるウクライナ”国民”の体に浸透している腐敗のレベルに表れている。

現代のウクライナは文字通り、また比喩的にヨーロッパの病人であり、その産業と農業が生み出す国民所得は、ウクライナを支配する腐敗したオリガルヒ階級とその手先の政治家の懐と銀行口座を満たす一方で、ウクライナ国民は永遠に三流の地位で低迷し、目の前で国家インフラが崩壊するのをずっと眺めている国だ。

ウクライナは違法な人身売買や武器売買、国際的なマネーロンダリングなど、法の支配という概念に基づく国家の規範的影響力の基盤を欠いた社会を規定する、いわば水面下の経済活動の主要な供給源となっている。欧州や国際社会がウクライナやウクライナ人を”好き”だと言える範囲では、まず、安っぽい売春婦や街の麻薬の売人との関係に関連する”好き”の定義を修正する必要がある。

実際、ウクライナ人は「多少なりとも我々に似ている」(アドルフ・ヒトラー時代のドイツ人についてキャトリン・クレイが主張している)わけではない。また、彼らの感性は「我々の感性に近い」(ナチス・ドイツの犯罪におけるドイツ人の役割と責任を回避するためにクレイが用いた、社会病理に対するもうひとつの知的宥和策)のでもない。

「スコットがウクライナの人々に何を期待したのか、私にはわからない」とケヴィン・ミケリッツィは彼の記事で苦情を言っている。これは、指導者が犯した、あるいは指導者のために犯した犯罪に直面しているウクライナ国民の側の犯罪的無抵抗を私が批判したことに対する反論である。

ケビンには失礼だが、私がウクライナの人々に何を期待するかではなく、ウクライナの人々自身が設定した基準こそが、この議論の核心であり、魂なのだ。憲法で選ばれたヴィクトル・ヤヌコーヴィチ前大統領の政権を追い出し、米国政府が選んだ人物に置き換え、ウクライナの社会的・政治的現実の主流にステパン・バンデラの忌まわしい思想を注入した違法クーデターに対して、かなりの割合のウクライナ国民が激しく反発したことは、私たちも承知している。

ウクライナ東部の人々は、この違憲の政治権力簒奪(横領)に「ノー」と言った。ウクライナ東部の人々は、非合法なヤヌコビッチ後のウクライナ政府を支配したバンデラ主義者の憎悪に満ちたイデオロギーに反撃するために武器を手にした。

スコット・リッターや他の誰かがウクライナの人々に何をさせるかではなく、むしろウクライナの正しい考えを持つ人々がすでに行ったこと、つまり、外国に支援された白人至上主義のネオナチが、彼らの忌まわしいイデオロギーで”ウクライナ人”という概念を変質させたことに直面して、彼らの生命と生活を自由のために危険にさらすことなのだ。

”ウクライナ人”を特徴づけようとする際の問題のひとつは、この概念が単一ではなく、むしろ3つの集団のアマルガムであり、それぞれが固有の特徴を持っていることである。

ウクライナには、ステパン・バンデラとその信奉者が定義した、ウクライナ西部を中心とするウクライナというものがある。バンデラのウクライナ民族主義を支えた思想は、1934年にリヴォフ(当時はポーランド領)で行われた殺人事件の裁判での彼自身の言葉によって最もよく表現されている。
「我々の理解では、我々の思想は非常に壮大であり、その実現について語るとき、実現のために一個人でもなく、何百人もの犠牲者が犠牲にならなければならない」とバンデラは言った。

何百万人もの犠牲者

1930年代後半から1940年代初頭にかけて、バンデラの運動はナチス・ドイツから部分的に資金援助を受けていた。ヒトラーのカルト的な人格を定義するファシズムの原理と象徴学(記号論)を容易に取り入れた。

1941年4月までに、クラクフで開かれたウクライナの民族主義者の大会は「一つの国家、一つの政党、一つの指導者」の原則を全面的に支持し、黒と赤の旗(土と血を表す)を彼らの運動の象徴として採用した。

腕を上げたファシストの敬礼は「スラバ・ウクライナ」(ウクライナに栄光あれ)という言葉を伴って、1941年6月にドイツがソ連に侵攻したとき、ナチの主人に従ってソ連ウクライナに入ったバンデラ派の悪党たちの挨拶、そして後にスローガンとなった。バンデリストたちは、その後4年間にわたり、ウクライナ民族主義の曲解されたビジョンのために、人類に対する最も恐ろしい犯罪を行い、数万人のユダヤ人、数十万人のポーランド人とロシア人を殺戮した。
村を包囲し、住民に銃を突きつけて教会や納屋に押し込め、その建物に火を放ち、住人が死ぬ前に苦痛の叫び声を上げるのを見ながら囃し立てるのが彼らの得意技であった。「スラバ・ウクライナ」の叫び声が響き渡り、犠牲者は焼けながら建物から逃げ出すが、バンデリストの悪党(殺し屋)に銃殺された。

今度、アメリカの下院議長民主党のやカナダの副首相(フリーランド)がそれぞれの立法府で「スラバ・ウクライナ」と叫ぶのを聞いたら、このことを思い出してほしい。

バンデラ運動は、2014年のマイダン・クーデター以降、ウクライナの社会と政治の主流となったウクライナで、今日も健在で盛んである。ウクライナ大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーはバンデラを「ウクライナの民族主義者」と言いわけし、ウクライナ軍総司令官ヴァレリー・ザルジニ将軍はバンデラの肖像を背景に誇らしげに写真を撮っている。ウクライナ議会はバンデラをウクライナの国家的英雄に祭り上げ、バンデラにちなんだ通りが作られ、彼の銅像が建てられた。

ウクライナの国内治安と武装勢力はバンデリストに乗っ取られている。──再び、ウクライナの村や野原は「スラバ・ウクライナ」の叫び声で汚される。民族主義大隊(アゾフ、アイダー、サファリ、クラーケンなど)や通常のウクライナ軍(最近のウクライナ空挺部隊のクラスは卒業式でバンデラを賞賛する歌を歌った)に生息するネオナチの悪党たちは戦争法を完全に無視してロシア民間人や戦争捕虜を狩り出し殺害している。

ウクライナ西部の住民たちは救いようがない。ステパン・バンデラの恐ろしいイデオロギーを促進し、維持し、実行した彼らの罪は疑問の余地がない。

彼らは、一点の疑う余地もなく、"悪いウクライナ人"である。最悪だ。邪悪だ。卑劣だ(見下げ果て

彼らの病んだ国民アイデンティティのビジョンを貫くバンデリズムの根本的なイデオロギーは、それを否定することを拒む者たちとともに、完全に根絶されなければならない。

しかし、”他の”ウクライナ人はどうだろう?
カテリーヌ・クレイ(ひいてはケヴィン・ミケリジ)の言葉を借りれば、”良い”人たちである。確かに、私はあまりに大雑把な表現を用いているが、すべてのウクライナ人に”悪い”というレッテルを貼ることはできない。

一部の例外を除いては、そうである。

ダニエル・ゴールドハーゲンは、ドイツ人が文化、宗教、教育を通じて、彼が「排斥主義者の反ユダヤ主義」と呼ぶものを支持するように組織的に条件付けられたことを詳しく説明し「良いドイツ人」の集団が統計的に有意であるという概念を打ち破った。

ウクライナのロシアに関しても同じ傾向がある。私はこれを “排斥主義者のロシア恐怖症"と呼んでいる。

ウクライナのナショナリズムは早い時期から、ロシア人が文化的にも人種的にも劣っているという概念を広めてきた。

ウクライナ人は嬉々としてロシア人を”オーク”(トールキンの言葉で、知性も肉体も劣る堕落した種族を指す)と呼ぶ。

彼らは、この”オーク”たちがラップで電柱に縛られ、しばしばズボンを下ろされ、風雨と復讐に燃える人々の怒りにさらされたまま放置され、公然とこれらの無力な人々をあざけり、身体的に暴行することに歓声を上げている。

民族主義組織のネオナチの悪党がいわゆる”浄化作戦”を行い、ロシア人を逮捕し、何千人も処刑している間、彼らは沈黙を守っている。

ウクライナ兵がロシア人捕虜をカメラで撮影し、公然の戦争法違反で銃殺するのを黙って見ている。

歓声と沈黙は同じ現象の副産物である。”排斥主義者のロシア恐怖症”、つまり、ロシア人を組織的に殺害することが問題を根絶する有効な手段と見なされるまでに、あらゆるロシアを憎悪している。

ウクライナは今、ロシア語、文化、宗教、歴史など、ロシアのあらゆるものを文化的に大虐殺することを常態化させている。文化や民族のアイデンティティの抹殺が主流になれば、民族の物理的抹殺に移行することは問題ないのだ。

ロシア恐怖症の解消

それは現実であり、ウクライナ政府の公式方針として継続的に行われている。西側ウクライナ民族主義者とは認めず、ステパン・バンデラの忌まわしいイデオロギーを公然と支持しないウクライナ人たちの病的無関心や積極的参加によって可能になった。しかし、とはいえ、バンデラ主義者によるウクライナ国家の乗っ取りを可能にしている。

ちょうど、アドルフ・ヒトラーと彼のナチス・イデオロギーに対して”善良なドイツ人”が行ったように。

“善良なウクライナ人"はほとんどいない。大多数のウクライナ人は、現代のステパン・バンデラ主導のウクライナ・ナショナリズムのために行われた言いようのない犯罪に直接加担しているか、あるいはこれらの犯罪に病的に無関心な世話人(ファシリテーター)なのである。

参加者(参加国)は、1946年1月にキエフで犯罪の裁きを受けた後、大勢の犠牲者の前で大量処刑され、死ぬまで首を吊られた彼らの先人のような運命を辿る必要がある。

推進者(ファシリテーター)は、ウクライナの民族主義者の犠牲者を発掘し、ロシアではなく、ウクライナの民族主義者とその西側の同盟国によってもたらされた戦争のために、ウクライナにもたらされた損害を修復するために必要な強制労働を提供することによって、その罪を償う必要がある。

一時期、"善良なウクライナ人"が大勢いたことがあった。バンデリストとその卑怯なウクライナ人世話役の殺人的襲来から立ち上がり、力強く自分たちを守ったウクライナ東部の人々だ。

しかし、こうした”善良なウクライナ人”は、その大部分がもはや存在しない。

ヘルソン、ザポリージャ、ドネツク、ルガンスクの併合のおかげで、ほとんどがロシア人になってしまった。

そして、このまま戦争が続けば、オデッサ、ニコラエフ、ドニプロペトロフスク、ハリコフ、スミーといった地域に残る”良きウクライナ人”であるロシア系民族もロシア化する可能性がある。

そうすれば、今のキエフを支配する毒のある政権やウクライナの毒のある人々と彼らを結びつけるものは何もないから、彼らにとっては救いとなる。

私は、最初に述べたことを繰り返す。
──ウクライナの人々にはいいところが何もない。

彼らは、ステパン・バンデラの忌まわしいイデオロギーの強固な支持者であり、それゆえどんな運命になろうとも当然であるか、病的に無関心な臆病者で、バンデリストの恐ろしい犯罪を助長してきたかのどちらかだ。

”善良なウクライナ人”はほとんどいなくなった。

彼らは今やロシア人であり、母なるロシアの一部である。

そして、正義は彼らのものとなる。

──おわり

ウクライナのいい人たち

The nice people in Ukraine
Why I disagree with Scott Ritter that all Ukrainians are bad
Kevin Michelizzi
Writes Information Warfare Analysis · Subscribe
Dec 7

情報戦の分析

ウクライナのいい人たち
スコット・リッターの「ウクライナ人はみんな悪い」という意見に反対する理由
ケビン・ミケリッツィ
情報戦の分析──購読する
12月7日

私はスコットの指摘に反対することはあまりないが、これには反対せざるを得ない。スコットはウクライナについて「誰もあなたのことを好きではない」と言った。ジェフ・ノーマンが「あなたはウクライナのいい人たちを愚弄している」と答えると、スコットは「ウクライナの人たちにいい人はいないよ」と答えた。

スコットは、ウクライナの人々が自分たちの政府に全責任を負っていると一般化したことが何度もある。彼の主張は、過去8年間、政府がバンデラやOUN-Bを英雄として称え、国民を砲撃したため、国民が無抵抗(受動的)になったことに起因している。

しかし、この間の現地の現実を考えなければならない。

民族主義者が新たな街頭警察・民兵となった。低賃金と物価上昇、新しい言語と教育法、街頭での人々の言動や態度の監視、従わない場合の結果などを背景に、ウクライナの人々は生き残るために必要なことをしなければならなかった。

スコットがウクライナの人々に何を期待したのか、私にはわからない。NATOに武装・支援された政府と、その政府の政策を支持する西半分の民族主義者に対して反乱を起こすなど、正気の沙汰ではないだろう。それは、アメリカの国民が、自分たちの政治に対して反乱を起こすようなものだ。そんなことは起こらないし、もし起こったとしても、一般市民にとっては同じように悲惨なことになるだろう。

ウクライナの多くの善良な人々は、できる限りこの状況に対処してきた。しかし、残念ながら、男性であったり、お金がなかったり、高齢者や障害者であったり、家族の絆のためであったり、誰もが国を出ることができるわけではない。

スコットも知っているように、困ったときに家族を見捨てるのは、スラブ女性らしくない。例えば、私の妻は、今回の紛争でウクライナから親友を引き取ることを申し出ている。その時の返事はいつも「夫と父を一人残して帰れない」なのだ。これはスラブ女性の本性を表している。

ウクライナには、ウクライナが存在する限り、東部と西部の分断があったことを理解する必要がある。(ウクライナの)西側はヨーロッパとの密接な関係を求め、東側はロシアとのより強い関係を求めた。

ウクライナには悪い人ばかりでなく”いい人”もいるが、彼らの人生は自分たちだけでは乗り越えられない混乱に陥っている。一般的に、政府の行動を国民のせいにすることはできない。

ウクライナの罪のない人々のために祈ることを忘れないようにしよう。

ケビン・ミケリッツィとスコット・リッターは、Ask the Inspectorの第27話でこの問題について議論する予定である。

善良なウクライナ人、続き

The Good Ukrainians, Continued
Kevin Michelizzi
Writes Information Warfare Analysis · Subscribe
Dec 7
「善良なウクライナ人、続き」

私の記事に対する反論の中で、スコット・リッターはウクライナに善良な人々が残っていることに同意していることがわかった。しかし、彼はこの発言が明確でないことに私の注意を促した。

「スコットがウクライナの人々に何を期待したのか、私にはわからない。[……] そして、彼らの政府の政策を支持した国の西半分の民族主義者たち」

私は、引用の最初の文で、人々が無抵抗(受動的)であることを指していると考えることができることを受け入れる。また、私もスコットと同様、ウクライナを東部と西部に分け、それぞれに特徴を持たせている。しかし、その点が不明確であったため、そのような推測をさせてしまったことをお詫びする。

ウクライナの人々

でも、ウクライナのどの地域にもいい人がいることに変わりはない。

2014年の政権交代後の出来事は、一部の人々の対応力や行動力に影響を与えた。息子や夫、年老いた両親を残していくことを拒む女性もいる。また、病気や障害者、孤児の世話をするために残る人もいる。徴兵を避けるために当局から身を隠す男性もいる。最後に、逃げ出すことに成功した人もいれば、死という究極の代償を払って逃げ出した人もいる。私は、これらの状況のそれぞれについて、個人的に話すことができる。

スコットが書いたことに基本的には同意するが、これらは、スコットが言うところの無抵抗(受動的)で、私が言うところの生存者であることを人々が選択しうるいくつかの理由である。

しかし、私はロシアとウクライナの紛争に味方するつもりはない。私は、衝突の両側の人々と個人的に接触しており、彼らの状況から、戦争は常に最後の選択肢であるべきで、最も苦しむのは一般市民である、というスコット氏の意見に同意するものである。

ケビン・ミケリッツィとスコット・リッターは、Ask the Inspectorのエピソード27でこの問題について議論する。
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ケビン・ミケリッツィ
ケビン・ミケリッツィはエンジニアであり、作家でもある。国防総省の下請け会社で、スペースシャトルのコンピュータ、誘導兵器の画像処理、サイバー脅威の研究に従事した。現在は、企業向けのサイバーセキュリティの実践について執筆している。

このケビン・ミケリッツィという人、私には何が言いたいのかよく分かりません。多分、リッター氏が言う”良い”人なのだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
@kiyo18383090

Posted by kiyo.I