助けてもらってください(エゴのコントロールに気付く)

前回の『自分とはいったいなに?』の続きです。

エゴのコントロールを手放す

前回は「意識」と「思考、感情、体」が別々の方向を向いていたら進みたい方向に進むのにとてつもない労力が必要となること、チームワークの障害になっているのがコントロールの存在だということをお伝えしました。

今回は、ではなぜコントロールしたがるのかについてです。

体の不調は人任せ、心の悩みは自力で

わたしたちは体の具合が悪かったり怪我をしたり病気になれば、お医者さんに診てもらって治そうとします。頭=思考や心=感情の調子が思わしくないとき、問題を抱えているときにはどうでしょうか?

体のときとは違って信頼できる人や専門家の助けを借りる人は少ないのではないでしょうか。
体の調子が悪いときはすぐに病院に行って治療を受けるのが一般的です。ある意味お医者さんにお任せです。
心のこととなると途端に態度が変わります。
また自分の体なのに生活習慣や食生活などを見直すとか病気の治療法や薬について自分で調べる人は少ないようです。さらにテレビや新聞の情報が正しいと何の疑いもなく信じている人も多いです。やたらと早期発見早期治療って病院に行くことを勧めるコマーシャルが多いです。お金を出しているのはスポンサーですからね。治療法や薬はちょっと調べるとおかしなことがいっぱいあります。

心の病とはいかないまでも人間関係でのストレスや自分自身の容姿や能力といったメンタル面での悩みはお医者さん任せのような感覚で人任せにする人はあまりいません。

大雑把に言ってしまえば、体のことは人(医者)任せ、心のことは自力でという感じでしょうか。お任せモードと自力モードです。そのどちらがいいとか悪いとか言いたいのではありません。

このお任せモードと自力モードについてもっと掘り下げてみましょう。

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お任せモードと自力モード

お任せモードでは自分の力でなにかすることを放棄して最初からコントロールするのを諦めています。コントロールされることに疑問を抱きません。見方を変えれば依存するわけですから相手を自分の都合のいいように密かにコントロールしているとも言えます。

自力モードでは「自立」して「自分が」が大前提ですから相手をコントロールすることにこだわり執着しています。

お任せモードではコントロールされる側、自立モードではコントロールする側です。正反対のことを状況に合わせて自分の中でうまく使い分けているようです。ですが、どちらのモードでもコントロールというものはうまくいきません。

また、わたしたちは心のことだけに限らず体のことも、幼い頃から自立するように促されて育てられたせいか、なんでも自分ひとりの力で解決しなくてはいけないと思っているところがあります。誰かに相談したとしても助けられたとしても結局は自分ひとりの力で独力で解決しなければというのが大前提になっているような気がします。

「自立、自力で」が大前提。でも度が過ぎると

「思考」に対しては将来のこととか資格を取りたいとか価値を認めてもらいとかいろいろ理屈を考えて思考を無理矢理にでもコントロールしようとします。

「感情」に対しては辛くても苦しくても感情には蓋をしてコントロールしようとします。

「体」に対してもどんなに疲れていようが体に鞭打ってコントロールしようとします。

また頑張れとか頑張るという言葉がよく使われているように「頑張る」ことに価値がある社会です。逆に言えば頑張らない人や頑張れなくなってしまったら落伍者のように感じてしまいます。ですが絶えず自分の体と心に鞭打って頑張り続けるなんて無理な話です。どこかで限界が来て無理がたたりなにかが壊れます。

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とはいえ自分のことは自分でするできるというのは当たり前といえば当たり前かもしれません。ですが度が過ぎるとストレスや過度の負担にも気が付かず燃え尽きてしまったり過労死という痛ましい事態に発展することがあります。

これほどまでにわたしたちは簡単に人に頼ってはいけない、頑張って自分でやらなければいけない、自分でやるのが当然だ、当たり前だという観念が心の奥深く埋め込まれています。

しかもそれだけではありません。

自力はチャンスを逃す

自分ひとりの力でやろうとすると視野を狭めてしまいます。人の力を借りようとしないので自分の枠の中だけで片付けようとします。自力でやろうとすればするほど自分のやり方にこだわります。他にもっといいやり方があったとしても無視してしまいます。

ところがもっといいやり方や解決法はよそからやってきます。そんな経験ありませんか?

誰かのちょっとした一言であったり、ふと目にしたり耳にした情報であったり、気を抜いた瞬間の突然のひらめきであったりします。

そのうえ前の記事で指摘したように「意識」がこうしたいと思っていても「思考、感情、体」が協力してくれなければうまくいきません。

つまりチャンスが来たとしても逃してしまいます。これは前回の記事で書いた「外側に求めるのではなく内側に求める」という内容と矛盾しそうです。その理由は後で説明します。

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大切な事実を忘れている

自分一人で解決しようとすることが悪いと言っているわけではありません。間違っていると言いたいわけでもありません。ただ可能性を狭めチャンスを逃すことになると言いたいだけなのです。

考えてもみてください。

わたしたちの意識の中にはなんでもかんでも自分一人で解決しようとする気持ちが大前提としてあります。依存してはいけない、自立しなくてはという気持ちもあります。そうするよう育てられた背景もあります。

ですが自分ひとりで生きているわけではありません。食べるものも着るものも住むところも自分一人で作ったわけではありません。わたしたちは誰かのお世話になって生きていくことができています。衣食住をはじめあらゆることが必ず誰かの力に依存しています。これが紛れもない事実です。依存せずには生きていけません。この状態を相互依存とも表現できます。

コントロールしたがるわけ

「意識」は「自分が、自力で」と一人で問題を解決し生きていると思っていますが、それは事実としてありえない話です。無人島でひとり暮らしていたとしても地球の恵みを受けていることを忘れてはいけません。地球という大地に依存しなくては生きることができません。それが事実です。

しかしエゴにとらわれたときの「意識」はその大切なことをいとも簡単に忘れてしまいます。

わたしたちは誰しもが幸せになりたいし、なりたい自分になりたいし、生まれてきた目的を生きたいのです。愛し愛されたい、認められたい、結果を出したいのです。その欲求が切実であればあるほど成果を出したいがゆえに結果に執着してしまいコントロールを手放せません。ですが皮肉なことにコントロールすればするほど得たい結果から遠ざかります。

コントロールしたがってしまうのはコントロールしたつもりになっていても実はできていないからです。結果が付いてこないのでコントロールがまだ足りないのかなと考え、延々とコントロールにはまり込んで、何も変わらない現実に自信を失くしてしまうのです。

これが、自分が、自分一人の力で、の落とし穴です。

自力(自分が)を手放す

「自力=自分がの意識」を手放してください。すると地球という環境も、あなたの中の「思考、感情、体」が、まわりの誰か、まだ出会ってもいない見知らぬ誰かが手助けしてくれます。向こうから助けがやってきます。

お任せモードも自力モードもともにエゴのコントロール下にある意識に囚われている証拠です。
本当のあなた本来の「意識」はエゴのコントロールで曇らされています。それに気づいたとき本来の「意識」が輝きはじめます。
この宇宙から自分だけ切り離して自力でやろうとしてもうまくいきません。すべては依存しあってつながっているという事実を認めてください。そうすれば宇宙全体があなたを応援してくれます。

お任せする

先ほど『チャンスが来たとしても逃してしまいます。これは前回の記事で書いた「外側に求めるのではなく内側に求める」という内容と矛盾しそうです。その理由は後で説明します』と書きました。

その理由はコントロールの有無です。コントロールを手放した状態であれば内側だろうと外側だろうと関係ありません。

自分で、自分が、というコントロールしている状態と手放している状態をそれぞれイメージしてみてください。

コントロールしている状態はきつくありませんか? 辛くありませんか? 自分一人で背負い込んでなにごとも一人で片付けようとして緊張しているより、手放してリラックスしている方が何事もうまくいきます。

助けてもらってください。この世界は全てが依存しあって助け助けられているのですから。

まわりの人を味方につけてください。あなたの中の思考、感情、体を味方につけてください。自力を手放してお任せしてください。全宇宙を味方につけてください。そうすれば楽に思い通りに流れに乗れます。

リラックス

コントロールを手放すのは怖いですか?

とはいえコントロールを手放そうとするとき、なにかしら不安や怖れが出てくるかもしれません。それは次回でふれます。

最後までお読みいただきありがとうございました。
次回に続く

Posted by kiyo.I