ルパート・シェルドレイク──自分が見られていることをどうやって知るのか?
分かっているというふりをやめる
いわゆる超常現象、サイキックな現象を調査・研究している生物学者、超心理学者として、ルパート・シェルドレイク博士ほど名前の知られた人はいないかもしれません。ですから、今回紹介する3本の記事の中で主張されている内容もご存知の方が多いと思います。
●自分が見られていることをどうやって知るのか?(2023年)
●なぜ私たちはみな超能力を持っているのか?(2012年)
●動物のテレパシー能力をどう活用するか?(2012年)
その中で様々な興味深い事例が紹介されていますが、いずれも現代科学では未解決であり、無視されています。しかし、電気的宇宙論で言うように、宇宙は共鳴接続されているのであれば、当たり前のことなのです。具体的にいかにしてなのかは今後の研究を待たなければならない側面もあります。ですが、マクロからミクロまで、宇宙から太陽、地球、自然、動植物、人間の意識まで共鳴接続されているという前提から始めれば、難しい科学の世界でさえも面白くなるのだと思います。シェルドレイク博士が主張するように「重要な第一歩は……動物と人間の心が、まだ説明のつかない方法で相互作用していることを認めること」です。
電気的宇宙論の、今春惜しくも亡くなられたウォル・ソーンヒル氏は「It’s Time for Change」という記事の中で、
「科学教育では"事実(の羅列)“ではなく、明確な思考と懐疑主義に重点を置くべきであり、重要な科学論争の歴史や科学哲学も併せて学ぶべきである。しかし、最も重要な教訓は、基本的な謎が残っているということである。そして、多くの謎があるからこそ、学生や一般の人々が再び科学に積極的な関心を持つ動機付けができるのである。生物学者のルパート・シェルドレイクが言ったように『究極の答えがすでに分かっているというふりをするのをやめれば、科学はもっと自由になり、もっと楽しくなる』」といいます。
私たちは人間関係の中で、知らないことが恥であるかのように"分かっているというふり"をなにげなくすることが多いのでなおさらです。
「すでに分かっている」というのは、やたら妄想をふくらませる量子論を持ち出すまでもなく、”それ知ってる"と分かったつもりになることでもありません。"基本的な謎"は残ったままです。それでいいのだと思います。
別の記事でソーンヒル氏は「"科学"がストーリーに合うようにでっち上げられたという事実は忘れよう」とも言っています。
それにしても、主流の科学界というのは料簡が狭いですね。疑似科学というレッテルを張る前に徹底的に調査し研究すればいいじゃないですか。
心霊現象などの目に見えない現象を無視する現代科学が、目に見えない物質=ダークマターや奇妙な力=量子論を頼りにしているのは奇妙なことです。
第一線の生物学者が、背を向けていても相手が自分を見ていることを感じ取ることができる理由を説明する。
Leading biologist explains why you can so often sense when someone is looking at you even if your back is turned
By DR. RUPERT SHELDRAKE
ルパート・シェルドレイク博士
2023年12月9日
誰かに見られていると感じたことはあるだろうか?
ほとんどの人が経験しているはずだ。
これは世界共通の科学的現象である。
イギリス、アメリカ、スカンジナビアでの調査では、女性の80%以上、男性の4分の3近くが、振り向いたら誰かに見つめられていた、あるいは振り向いた人を後ろから見ていたという経験があると答えている。
実験室の厳しい条件下で、この感覚を再現できることは、数多くの研究で証明されている。私立探偵や有名カメラマンなど、人を観察することを生業としている人たちは、それが現実であることを信じて疑わない。パパラッチやスナイパーなど、遠距離レンズを使うプロは、ターゲットが自分の視線を感じ取り、まっすぐ自分を見つめる瞬間を知っている。
それは文献にもよく記されている。シャーロック・ホームズの生みの親、サー・アーサー・コナン・ドイルがそれをこう表現している:
「今朝の朝食時、私は突然、人によってはじっと見つめられると不安になるような漠然とした感覚を覚えた。すぐに顔を上げると、その人の目が獰猛ともいえる強さで私を見つめていた」
私は、この視線に命を救われたと信じている人々にインタビューしたこともある。1951年、マレーでの対テロ作戦でグルカ(旅団)のパトロール隊を率いていたウィリアム・カーターはこう語った:
「誰かに見られているような不気味な感じがした……首の後ろを何かが掴んでいるような感覚だった」
「振り返ると、20ヤードほど離れたところに、帽子に赤い星のついた制服を着た男がいて、私をじっと見ていた。彼はライフルを構えていたので、どちらかが殺されると思った。彼が私を撃つ前に、私が彼を撃った」
イギリス、アメリカ、スカンジナビアでの調査では、女性の80%以上、男性の4分の3近くが、振り向いたら誰かに見つめられていたという経験があると答えている。
能力は練習次第で向上する。武術の先生の中には、生徒が後ろからの視線に敏感になり、その方向を見分けられるように訓練する人もいる。
多くの科学者は、何が起こっているのか説明できず、このような証拠を迷信的あるいは魔術的思考として片付けてしまう。"超常現象"という言葉で括られ、無視されたり嘲笑されたりする。
私は生物学者である。そして、この現象は真剣に研究する価値があるだけでなく、脳の働きに関する驚くべき基本的な秘密を解き明かすのに役立つかもしれないと確信している。
この現象を研究している研究者は、私一人ではない。1980年代後半から、"直視 direct looking“の実験が数多く行われてきた。これは通常、二人一組で行うもので、一人は目隠しをし、もう一人に背を向けて座る。
被験者は、自分が見られているかどうかを10秒以内に素早く推測しなければならない。"見続ける"と"見てない"テストの順序は無作為に決められ、1セッションは約10分間で20回のトライアルが行われる。
これは学校での実験に最適で、ニューサイエンテイスト誌やBBC、ディスカバリー・チャンネルでの報道によって広まった。結果は科学雑誌にも掲載されている。
何万回もの実験を通じて、あるパターンが浮かび上がってきた。人は約55%の確率で正しい。── 偶然の当てずっぽうよりもはるかに優れている。アムステルダムの科学センターで行われたある実験では、約4万人が参加した。
数々の研究により、この感覚は実験室の厳しい条件下でも再現できることが証明されている。写真:ルパート・シェルドレイク博士
子供たちは特に良い被験者である。ドイツのある学校では、テストが繰り返し行われ、8歳や9歳の子どもたちが90%の成功率を記録した。
大きな疑問がある。どうしてなのか?
自分が監視されていることを、どのような感覚で知ることができるのだろうか?
科学は確実な答えを出すことはできないが、20年以上にわたる実験とケーススタディの結果、私は、その謎を解くのに役立つかもしれない一面を発見したと思っている。
今まで誰も指摘しなかったのは、見られているという感覚には"方向性"があるということだ。つまり、誰かに見られていると感じるとき、その人は自分の後ろ、片側、上など、どこにいるのかを強く直感する。言ってしまえば当たり前のことだが、これまで明言されたことはなかった。これは、凝視がむしろ音に似ていることを意味している。一度それを意識すれば、それがどこから来るのかも意識できる。
音は空気中を波状に伝わり、耳を通して脳で知覚される。では、見られているという感覚は体のどの部分で感知されるのだろうか?
まず、私たちの皮膚がセンサーであるというのが最も明白な考えだ。私たちは、首の後ろの毛が逆立つことについて話すし、私はアーティストのモデルにインタビューしたことがあるが、彼らは自分の体のどの部分が見られているか、後ろに座っている学生でさえ感じることができるという。
しかし、ほとんどの人は人前では服を着ているし、首の後ろをすっぽり覆う髪の人も多い。いずれにせよ、スカーフを巻いていようが襟を立てていようが、腕を出していようがコートを着て手袋をしていようが違いはないようだ。
どのような方法で探知されるにせよ、着ているものに左右されることはない。これは私の主要な仮説につながる ── 私たちの身体の周りにある微弱な電磁場と関係がある。
私たちの体、特に脳は電気を発生する。心電図スキャンや脳波計がそうであるように、頭蓋骨の電極は脳の活動によって設定された電界を拾う。私の最良の仮説は、これはまだ推測の域を出ないが、人が私たちを見るときに、私たち自身の電磁場が乱れを記録するというものだ。私たちはそれを積極的に意識しているわけではない。── その現象は潜在意識や無意識のレベルで起こっているのだが、"バイオフィールド“がそれを拾い上げているのだ。
そこでもうひとつ疑問が生じる。身体はいったい何を感知しているのだろうか?
従来の視覚の理論では、それは受動的なものであり、内部で処理されるものだと考えられてきた。光は物体から跳ね返って目の瞳孔に入り、網膜に到達する。
この信号は脳によって変換され、私たちはそれを自分の外、周囲にあるものとして知覚しているが、実際には頭蓋骨の中に閉じ込められている画像を生成する。
神経科学者たちは、私たちの神経細胞がどのようにしてこのような現象を起こしているのかを完全に説明することはできないが、基本的な理論は科学界で広く受け入れられている。それは、私たち一人ひとりが、常に変化する世界のイメージを頭の中に持っているというものだが、もちろん目を閉じればすぐに消えてしまう。
これは"内送 Intromission“の理論であり、光の内側への移動に続いて、頭の中に仮想現実ディスプレイのような"表象(描写)“が作られるというものだ。
このプロセスは不完全に理解されているだけでなく、直感に反している。私たちの知覚の働きはとても鮮明で具体的であり、脳内で視覚的現実を再構築するのではなく、あたかも私たちを取り巻く実際の世界を体験しているかのように感じられる。
こんなことを考えたことがない人は、こう言っているのではないだろうか:
「なんだって? 全部私の頭の中にあるの? もう一回読み直さなきゃ……」
あなただけではない。大学生の大多数もこの発想(考え)に取り組んでいる。
オハイオ州立大学のジェラルド・ワイナー教授率いる心理学者チームは、イントロミッション(内送)を説明したときの学生の反応に興味をそそられ、評価を実施した。まず、受け入れられている科学的理論を可能な限り完全に説明した。そして、それ以外の説明は視覚の仕組みに対する"根本的な誤解"であると学生たちに断言した。
数カ月後、生徒たちは再評価を受けた。彼らの多くは"根本的な誤解"に逆戻りしていた。彼らは直感的に、どういうわけか、私たちが見ているものは私たちの周りに投影されているのだと感じた。視覚は脳の中だけでなく、私たちの外でも起こっているように感じる。
“外送 extramission“と呼ばれる、私たちが映像を外に投射しているという理論は、本能的に真実だと感じる。鏡に映ったものを見るとき、私たちが見ているのは私たちの投影であり、それはそのまま鏡を通り抜けて、鏡の後ろに"仮想イメージ"を形成している。
※外送理論
もしこれが本当に視覚の仕組みだとしたら、私たちが観察されていることを感じることができるのはなぜなのか、説明するのはずっと簡単になる。私たちは、自分を見ている人の視覚的投影を感じている。
視力の仕組みについては、古代ギリシャの時代までさかのぼれば、"外送"が標準的な科学的説明だった。紀元前300年ごろの偉大な幾何学者ユークリッドが、視覚光線の外部投影によって鏡の中に仮想の像が形成される仕組みを初めて提唱した。
プリンストン大学の心理学者アルヴィッド・グーテルスタムとその同僚たちは、一連の独創的な実験の中で、人は視線をどこに向けても「空間を目に見えない形で移動する流れ」を作り出すという根強い信念を持っていることを発見した。それが外送(エクストラミッション)である。しかし、エクストラミッション(外送)が眼球からどこまで広がっているのかについては何も示されていない。
子供たちはじっと見てはいけないと教えられる。人を不快にさせるので、失礼な行為とみなされる。たいていの大人はこのことを実感し、相手がそれを感じ取ることを恐れて、誰かを見つめることを避けるようになる。見知らぬ人をじっと見ているのがバレるのは恥ずかしいことであり、あらゆる文化において社会的失態(へま、しくじり)である。
そこで根本的な疑問に戻る。自分が見られていることをどうやって知るのか?
そして今、バイオフィールドと視覚の外送理論という2つの理論が、互いに補完し合うようになった。説明の糸口は見えてきた。
適切にも、"見られている"という感覚を表すこの言葉は、古代ギリシャ語の2つの言葉に由来している:スコパシージア(scopesthesia)とは、"見る"("顕微鏡"のように)を意味する"scop"と、"感じる"("麻酔(感覚消失、無関心)“のように)を意味する"aesthesia"に由来する。
※「Psychic staring effect」:サイキック凝視効果(ピーピング・トム・エフェクト)
※「スコパシージア感覚の研究: 反復テストにおける注意の遷移、コントロール、エラー率」
そして、スコパシージア scopesthesia に関する科学的証拠は、人間だけでなく動物においても、常に増え続けている。1996年、私はローマの公園で学生たちとガチョウを使った実験を行った。5人の実験者が双眼鏡を持って茂みに隠れ、そこから湖のほとりで休んでいる鳥を観察した。
彼らは繰り返しガチョウを見つめ、10回ほど鳥は気が付いた。同じような時間内、ガチョウは無視され、3回しか気が付かなかった。
ペットを飼っている人たちは、同じような実験を非公式に、犬や猫が気が付くかどうか、あるいはじっと見つめたときに辺りを見回すかどうか、について話してくれた。多くの場合、まさにそれが起こっている。
私は、凝視の方向効果についてもっと研究したいと思っている、特に観察者が上から観察している場合に顕著だからだ。理由もなく顔を上げる人はまれだが、見られていると感じると顔を上げる人は多い。
シュトゥットガルトに住むドイツ人女性は、
「私の住んでいる地域では、団地は5階から6階建てです。通りを歩いていて、ふと上を見上げると、上の階からこちらを見ている人と目が合うことがあります。これは視界の隅に何かが見えるということでは説明できないし、あまりに頻繁に起こるので驚きました」
また、4階建てのビルの庭の屋上から中庭を見下ろしていた若い男性は、
「私が見覚えのある好みの女性を見ると、彼女はすぐに私のほうを見上げてきた」と言った。
これは興味深い。というのも、なぜこの能力が進化したのかについて、2つの可能性が考えられるからだ。ひとつは自己防衛である。上空から何かが私たちを見ているとしたら、それは捕食者かもしれないし、罠にはまるかもしれない。
もうひとつは性的なもので、というのも、配偶者になるかもしれない人がいつ見ているかを知ることは、魅力的なシグナルかもしれないからだ。
多くのカメラマンが経験的に知っているように、野生の動物はしばしば視線に敏感である。動物が見ていることを自分自身が感じることができることに気づいた人もいる。
スコットランドの渓谷を歩いていたある写真家はこう語った:
「何かが私を左上に振り向かせた。稜線の上に、3、4頭の鹿が私を見ていた。稜線を見渡していて、鹿に気づいたわけではない。まっすぐ彼らを見上げたんだ」
興味をそそる疑問のひとつは、CCTVでも同じ効果があるのかということだ。私たちはカメラが私たちを見ていることを感じることができるのだろうか? ── そして、その映像を監視している人間がいるかどうかで、違いが生じるのだろうか?
ロンドンのある大型店のセキュリティ・マネージャーは、CCTVを通して万引き犯が棚から靴を取り出し、袋に入れるのを一度ならず目撃したと話してくれた。彼は同僚を呼び、容疑者を指差したが、その瞬間、万引き犯は監視員の気配を察知したようで、ちらりと顔を上げ、カメラをまっすぐ見つめ、靴を棚に戻したそうだ。
これは言外の意味を持つ。これほど多くのCCTVカメラが私たちの一挙手一投足を監視しているのだから、今日、多くの人々が不安の増大を訴えている理由の一端を説明できるのではないだろうか?
人間や動物が監視されていることをどうやって知るのか、その謎が解明されるまで、この謎は続くだろう。
ルパート・シェルドレイク博士は生物学者であり、科学雑誌に100以上の専門論文と9冊の著作がある。詳細はsheldrake.orgまで。
あなた自身のじっと見詰められた体験談を共有したい方は、シェルドレイク博士までEメール(sheldrake@sheldrake.org)でご連絡ください。シェルドレイク博士は、CCTVや鏡を通して見られているときの指向性反応について、特に興味を持っている。
なぜ私たちはみな超能力を持っているのか? 思考による予知やテレパシーは、私たちが考えている以上に一般的である
Why we ALL have psychic powers: How thought premonitions and telepathy are more common than we think
ルパート・シェルドレイク博士
2012年1月6日
第二次世界大戦中、家族の安全を心配した多くの母親と同じように、モナ・ミラーもロンドンからデヴォン州のババコム(イングランド南西部)というのどかな海辺の町に疎開した。
それは賢明な予防措置のように思われたが、幼い子供たちを連れてそこに到着して間もなく、ミラー夫人は次第に不安になっていった。
「デボンを離れて故郷に帰らなければならないような気がしたんです」と彼女は言った。
「最初はその考えを否定しました。周囲で戦争が起こっていたにもかかわらず、私はとても幸せで満足していたのに、なぜここを離れるのだろう? しかし、その感覚は増していきました。部屋の壁が私に語りかけてくるようでした:
『ロンドンに帰れ』
私は4ヵ月ほどその呼びかけに抵抗していましたが、ある日、閃光のように、私たちはここを去らなければならないと悟りました。
1942年末の土曜日、私たちはロンドンに戻り、数日後、デヴォンの友人から手紙を受け取りました。
『土曜日に子供たちを連れて行ってくれてありがとう』と彼女は書いていました。
『日曜日の早朝、ドイツ人が3発の爆弾を落とし、そのうちの1発があなたの住んでいた家に落ちて、家を破壊し、両隣の隣人を皆殺しにしたのよ』」
私は以前から、予感や予知、テレパシーのような心霊現象は、科学者の同僚からもっと真剣に受け止められるべきだと考えてきた。
戦争中にこのような虫の知らせを経験したのは、ミラー夫人だけではなかった。
3年後の1945年春、アメリカ軍人のチャールズ・ベルヌースはドイツ侵攻作戦に参加し、ライン川を渡った直後のある夜、2人の将校とアウトバーンを走っていた。
彼は、自分の中の"静かで小さな声"が、この先の道に何か問題があると告げたと語った。
「他の2人のブーブー言う声とやじの中で、私は止まった。私は道に沿って歩き始めた。
ジープから50ヤード(約46メートル)ほど離れたところで、何がマズイのかわかった。
私たちは橋を渡ろうとしていた。── 橋はそこにはなかった。橋は爆破され、約75フィート(約23メートル)の切り立つ急斜面だった」
ミラー夫人もチャールズ・ベルヌースも、虫の知らせ、つまり何が起こるかわからないのに何かが起こりそうだという感覚を体験していた。
これらは予感(虫の知らせ)とは異なり、16歳のキャロル・デイヴィスが70年代にロンドンのゲームセンターを訪れたときのように、巻き込まれた人が行く手に控えているものを見抜いたことだ。
「夜ふけまで外を眺めながら立っていると、危険な予感がしたの」と彼女は回想した。
「そして目の前に、タイルや金属製のけた(大梁)が敷かれた床に人がいる絵のようなものが見えたの。私は、これはここで起こることだと悟ったわ。私は人々に逃げろと叫び始めたの。誰も耳を貸さなかったわ」
キャロルは友人たちと急いで外に出て、近くのカフェに行った。
店内に座っていると、外の通りからサイレンの音が聞こえてきた。アーケードの建物の構造が弱くなり、屋根と壁が崩れ落ちたのだ。
「私たちは皆、何が起こったのか見るために道路を走ったわ」キャロルは思い起こした。
「私が見たとおりだったわ。私が怒鳴った男が瓦礫の下から引きずり出されていたの」
私たちは、人間の心も含め、すべてのものは本質的に物質的あるいは物理的であるという伝統的な科学的見解をはるかに超えて見る必要がある。
モナ・ミラーやチャールズ・ベルヌースのように、キャロルは自分の人生が神秘的な第六感、(言いかえれば)私のような経歴を持つ科学者が、即座に否定すると思われるかもしれない考えのおかげだと確信していた。
私は生物学者で、ケンブリッジ大学とハーバード大学の両方で学び、研究し、教えてきた。そして大西洋の両岸で上級研究職を務めてきた。
しかし私は、予感や予知、テレパシーのような心霊現象は、科学者の同僚からもっと真剣に受け止められるべきだと長い間考えてきた。
私がこのテーマに魅了されたのは、ケンブリッジ大学の生化学専攻の大学院生だった60年代のことだ。
南アフリカの作家、ローレンス・ヴァン・デル・ポストがカラハリ砂漠のブッシュマンとの生活についての記録を発表して間もない頃である。
多くの伝統的な社会がそうであるように、彼らの社会もテレパシーが当たり前だと思われているだけでなく、活用されていた。ローレンス・ヴァン・デル・ポストが見たように、彼のホストがキャンプ地から何マイルも離れた場所でエランドアンテロープを狩り、仕留めたときのことだ。
肉を積んだランドローバーで戻る途中、彼はブッシュマンのひとりに、この成功を知ったらキャンプに戻った人たちはどう反応するだろうかと尋ねた。
「彼らはもう知っていますよ。私たちブッシュマンはここにワイヤー(電線、電信、電報、電話)を持っているんです」と彼は胸を叩きながら答えた。
「それがニュースを運んできます」
彼は自分たちの通信手段を白人の電報や"ワイヤー"に例えていた。
本当に、彼らがキャンプに近づくと、人々は"エランド(オオカモシカ)の歌"を歌い、ハンターたちを大歓迎する準備をしていた。
アフリカを旅した他の多くの旅行者たちが、愛する人がいつ帰ってくるかを人々が知っているようだと報告している。
ノルウェーの農村部でも同じことがあり、住民たちは到着の予感を表す特別な言葉、ヴァルドガー vardoger(人が到着する前に予感される音や光景、前触れ)を発達させた。
同様に、スコットランドのハイランド地方に住む人たちの"予知能力(千里眼)“についても、本人が姿を現す前に到着するビジョンを見たという話を読んだことがある。
しかし、19世紀後半から今日に至るまで、科学的思考を支配してきた"唯物論"の教義に改宗していた私には、このようなことは何ひとつ納得できなかった。
唯物論者によれば、科学は最終的に物理学と化学の観点からすべてを説明する。
そして、そうして説明できないものはすべて幻影(偽物だが本物のように見える、錯覚)として片付けられる。
この伝統の中で教育を受けた私は、ある日研究室の喫茶室でテレパシーの話題が出たとき、標準的な否定的態度をとった。
私は、英国生化学界の重鎮の一人であるルドルフ・ピータース卿に優しく注意された。ルドルフ・ピータース卿は、きらきらした目をした親切な人で、好奇心は彼の半分の年齢の人よりも旺盛だった。
彼は眼科医の友人で、重度の障害を持つ知的障害のある少年を患者として抱えていたことを教えてくれた。
彼はほとんど目が見えなかった。彼は眼鏡店のカルテの文字を読むことができたが、それは母親が見ているときだけだった。
唯一の説明は、二人の間の何らかのテレパシー通信だった。1968年、ルドルフ卿が行った実験では、視覚的・聴覚的な合図を感じ取れないスクリーンの両側に座っていたにもかかわらず、少年は母親に示された数字や単語の多くを正確に言い当てた。
ルドルフ卿は、このテレパシーが異常なまでに発達したのは、少年が非常に必要としていたことと、彼を助けたいという母親の願望があったからだと結論づけた。
しかし、私が発見したように、赤の他人を使った実験室での実験でも、それほど顕著ではないにせよ、説得力のある結果が得られていた。
例えば、1880年から1939年にかけて、初期の心霊研究においてある種のブームが起きており、被験者が無作為に選ばれた"送り主"の見ているカードを当てるという実験を含む186以上の研究が発表された。
メタ分析と呼ばれる統計的手法で400万件の個々の結果を統合したところ、ランダムな偶然から予想されるよりもかなり正確だったため、総合的な結果は非常に有意なものとなった。
その後70年代に行われた実験では、被験者が防音された実験室で寝ている間に、別の部屋、場合によっては別の建物にいる"送り主"が、無作為に選んだ絵が入った密封された包みを開け、その絵に集中し、被験者の夢に影響を与えようとした。
思考の伝達が非常に明確なこともあった。ある被験者は、送り手がボクシングの試合の写真を見ているときに、賞金のためのプロボクサーのボクシング試合のチケットを買う夢を見たと語った。
もっと象徴的な場合もあった。たとえば、送り手が棺桶に入ったギャングの死体の写真を見ているときに、被験者がシガーボックスの中でネズミの死体の夢を見たような場合である。しかし、このような450の実験では、全体の結果は偶然のレベルを非常に大きく上回っていた。
私の研究には、心霊現象に関する4,000件以上の事例が含まれている。モナ・ミラーのロンドン大空襲での至近弾のように、その多くは母親が関係している。
何百人もの母親が、母乳を与えている数ヶ月の間、母乳が分泌されるようになったので、赤ちゃんが自分を必要とするとき、たとえ何マイルも離れていてもわかるようになったと私に言った。
私は助産婦の助けを借りて、ノース・ロンドンで2ヶ月間9人の授乳中の母親を調査したところ、赤ちゃんと離れているときに予期せず母乳が"出る let-down“のは、赤ちゃんが不快なストレスを感じているときと一致することが非常に多いことがわかった。
このようなことが偶然に起こる確率は10億分の1であり、このテレパシー的なつながりは進化論的にも理にかなっている。
赤ちゃんが不仕合わせなことを遠くからでも察知できる母親は、感受性のない(思いやりのない)母親の赤ちゃんよりも生存率が高い傾向がある。
このようなつながりは、子供が大きくなっても続くことが多いようで、私のデータベースには、子供が困っていることを通常の手段では知ることができなかったときに、子供と連絡を取りたいという衝動に駆られた母親の話がたくさんある。
多くの場合、テレパシー体験の報告で最もよく言及される通信手段である電話で連絡を取っている。
多くの人が、何の理由もなく誰かのことを思い浮かべると、その人が不思議なことに電話をかけてきたと言う。あるいは、電話が鳴ったとき、受話器を取る前から誰からの電話かわかったという。
私はこれをテストするために実験を計画した。その簡易版を私のウェブサイトで試すことができる。
この実験では、4人の友人や家族の名前と電話番号を聞いてから、発信者番号通知のない固定電話のある部屋に被験者を一人きりにした。
そして、4人の中から無作為に1人を選び、対象者に電話をかけてもらった。被験者には、誰が電話に出ているかを言ってから答えてもらった。
無作為に推測すると、被験者は4回に1回、つまり25%の確率で当たったことになる。
実際、平均的な的中率は45%で、偶然のレベルを非常に大きく上回った。この結果は、ドイツとオランダの大学で独自に再現されている。
このような現象を説明しようとする場合、人間の心も含め、すべてのものは本質的に物質的あるいは物理的であるという従来の科学的な見方をはるかに超えたところに目を向ける必要がある。
この唯物論的アプローチは、1962年にDNAの構造の発見でノーベル賞を受賞したフランシス・クリック(ロザリンド・フランクリンという女性科学者の研究から奪った技術でノーベル賞を受賞した)によって要約された。
「あなたも、喜びも悲しみも、記憶も野心も、個人的なアイデンティティや自由意志の感覚も、実は膨大な神経細胞とそれに関連する分子の集合体の振る舞いに過ぎない」と彼は書いている。
クリックは科学の主流を代弁し、影響力のある神経科学者スーザン・グリーンフィールドが、手術室で露出した脳を見たときのことを語った。
2000年に発表された論文の中で、彼女は「これが(患者である)サラのすべてであり、私たちの誰にとってもすべてでした」と述べている。
「私たちはドロドロの脳みそにすぎず、どういうわけか、このスープのような中から人格と心が生み出される」
しかし、私たちの心は物理的に頭の中に固定されており、意識は脳の活動の副産物に過ぎないというこの考えは、私たちの日常的な経験に反するものである。
私たちが周囲を見渡したとき、目に映るもののイメージは頭の中ではなく、私たちの外にある。指先の感覚は指の中にあるのであって、頭の中にあるのではない。
私が説明した人間の直感は、心の"場の理論 field theory“の方がしっくりくる。
私たちは、磁石や携帯電話のような物質的な物体の中にも外にも場が存在するという事実に慣れ親しんでいる。そして、私たちの心にも同じような場があり、それは私たちの脳の中に根を下ろしているが、脳の外にも広がっていると信じるに足る理由がある。
これは非日常的な話に聞こえるが、もうひとつの驚くべき心霊現象 psychic phenomenonである"見つめられている感覚"の研究によって裏付けられている。
ほとんどの人は、誰かが後ろから自分を見ていると感じ、振り返ってその人の目を見たことがある。
また、ほとんどの人がその逆も経験している。つまり、じっと見つめることで相手を振り向かせるのだ。
ヨーロッパと北米で行われた大規模な調査では、大人と子供の70%から97%がそのような経験をしたと報告している。
警察官、監視員、兵士への一連のインタビューでは、監視者がうまく隠れているにもかかわらず、観察されていることに気づいているように見える人がいると、ほとんどの人が感じていることがわかった。
「多くの場合、犯罪者はただ物事が正しくないという感覚を得るだけだ」ある麻薬取締官はそう言った。
「我々の姿が見えないのに、誰かが我々の方を見ていることがよくある。車内にいることも多いしね」
私たちの感情反応は汗腺の活動によって測定することができ、CCTVで監視されている多くの被験者では、自分の反応に気づいていないにもかかわらず、汗腺の活動が増加する。
このことは、直接見つめるか CCTVを見るかにかかわらず、私たちは視覚で互いに"触れ合う"ことができることを示唆している。── 私たちの心が脳の中に閉じ込められて(制限されて)いるのではないことのさらなる証拠である。
テレパシー・コミュニケーションでは、これらのフィールドが何らかの形で離れた場所で相互作用し、空間を超えて感情やニーズ、思考を拾い上げているようだ。
予感や予知については、私たちが未来の精神状態に同調することで、時間を超えたつながりを意味する。
このようなリンクが実在することは、過去20年間にアメリカとオランダで行われた一連の実験によって示唆されている。
これらの実験では、一連の不快な匂い、軽い電気ショック、感情的な言葉、挑発的な写真に対する反応が測定され、その間に、被験者に生理的な影響をまったく与えない鎮静刺激も織り交ぜてある。
実験者でさえも、コンピューターが次にどのような刺激を出すかは誰も知らなかったが、かなりのケースで、被験者は不快な刺激に対して3、4秒前に反応し、その刺激を実際に体験する未来の自分と何らかの形でつながっていた。
これらの発見はそれ自体興味深いものであるが、月曜日のメール(※次の記事)でも説明するように、心霊現象は人間に限ったことではない。
テレパシーや災害の予知に関する驚くべき話は、ペットの犬を含む他の多くの種にもある。
このような現象がどのように作用しているのか、私たちが理解するまでにはまだ何年もかかるかもしれないが、重要な第一歩は、科学者がその存在を認めること、そして動物と人間の心がまだ説明のつかない方法で相互作用していることを認めることである。
『科学の妄想』より引用:ルパート・シェルドレイク著『探究心の解放』(コロネット刊、19.99ポンド)より。
© Rupert Sheldrake 2012. To order a copy at £16 (p&p free), call 0843 382 0000. Visit www.sheldrake.org
あなたのペットは超能力者ですか?
ケンブリッジ大学の科学者は、私たちは動物のテレパシー能力の始まりを見たに過ぎないと考えている。
Is your pet psychic?
ルパート・シェルドレイク博士
2012年1月9日
・動物の災害予知能力は、欧米の科学者には無視されている。
・しかし、彼らの行動をモニタリングすることは、人命救助に役立つのだろうか?
私の故郷であるノッティンガムシャーのニューアーク・オン・トレントの隣に住んでいた人に、商船隊の水兵だった息子を持つ未亡人がいた。
その息子は、自分がいつ休暇で帰ってくるかを母親に話すのを嫌がった。途中で帰りが遅れたら心配されるだろうと思ったからだ。しかし、母親はいつも知っていた。── 飼い猫のおかげで。
このペットはこの青年にとてもなついていて、彼が到着する1、2時間前になると、玄関のマットの上に座り、まるで彼が向かっていることを知らせる第六感でも備えているかのように、大きな声で鳴き始めた。
神秘的な雑種犬:飼い主が事故にあったり、遠い場所で死んだりすると、それを察知する動物がいるようだ。
その猫は決して間違うことはなかったし、この早期警告システムのおかげで、隣人は息子の部屋を準備し、その後すぐに彼が現れることを確信して食事を用意する時間を得ることができた。
これは、動物が、人間の相手役に見られるような超能力的傾向を示す多くの例のひとつに過ぎない。
例えば、多くの猫は自分がいつ獣医に行くかを知っているようだ。飼い主が自分を探すのに飽きて、その考えをあきらめることを期待して隠れているのだ。
もっと劇的なのは、飼い主が事故に遭ったり、遠い場所で死んだりしたことを察知する動物もいるようだ。── 私のデータベースには、動物の心霊現象に関する5,000以上の症例が記録されている。
その中には、留守の主人や女性の飼い主の死や苦しみに犬が反応したと思われる事例が177件含まれており、そのほとんどが遠吠え、鼻を鳴らす声(すすり泣き)、クンクン鳴く声である。また、同様の悲嘆の徴候を示した猫の62の記録もある。
逆に、32の例では、ペットが死んだり、切迫した状況に陥ったりしたとき、たとえそのとき何マイルも離れていたとしても、人々はそれを知っていた。
後述するように、地震や津波などの自然災害を予知する上で、これらの超常的な力は人間にとって大きな価値を持つ可能性がある。
しかし、成人してからも生物学者として働き、米国と英国の両方でアカデミックな要職に就いてきた者として、私は科学界の同僚たちが超常現象を真剣に受け止めようとしないことに常に驚き、苛立ちを感じている。
犬を飼っている家庭の50%、猫を飼っている家庭の30%で、動物たちは家族の一員の到着を予期しているという。
このような現象を認めることなしに、猫や犬だけでなく、オオカミなどの野生動物の行動を完全に理解することは難しい。
オオカミについては、1919年に博物学者のウィリアム・ロングがカナダで追跡した群れの行動について記した本がある。彼は、何マイルも離れていても、オオカミの群れの分離したメンバーが互いに連絡を取り合い、互いの行動に反応していることを発見した。
あるとき、足を引きずったメスがロングの追跡していた群れとはぐれてしまい、巣穴の中で回復していた。その間、他のオオカミたちは移動していた。数日後、突然メスが群れの中に再び現れた。
オオカミの反応には、単に習慣的な道をたどったり、匂いの痕跡をたどったり、遠吠えやその他の音を聞いたりする以上のものがあるようで、ロングは同じような能力がペットにもあるのではないかと考えた。
彼は主人の帰宅を予測する才覚を示した友人の犬を使った簡単な実験を紹介した。その犬は、飼い主が職場から帰り始めた後すぐにドアの前に立っていた。
ロングに続いてこれを研究する者はいなかった。科学者の間では、テレパシーの話題は常にタブー視されていたからだ。しかし90年代に入ると、私は友人や近所の人たちに、自分の飼っている動物がいつ誰かが帰ってくるかを予知していることに気づいたことがあるかどうか尋ね始めた。すぐに何十件もの報告を受け、2011年までに私のデータベースには、犬が1,000件以上、猫が600件以上、このような行動をとったという報告があった。
イギリスとアメリカでの電話調査では、犬を飼っている家庭の約50%、猫を飼っている家庭の約30%で、動物が家族の誰かが来るのを予期していることがわかった。また、犬や猫だけではなかった。特にオウムや馬、フェレット、ペットとして飼育されている哺乳瓶で育てられた子羊数頭、ペットのガチョウなどである。
例えば、多くの猫は自分がいつ獣医に行くかを知っているようだ。飼い主が自分を探すのに飽きてしまうかもしれないと思い、隠れている。
私が話をした人たちの多くは、動物たちの反応は、単に聞き慣れた車の音や通りの足音に反応するものではなかったと明言している。動物たちの反応は、その人が到着するずっと前から、そしてしばしばバスや電車で帰宅するときでさえも起こっていた。単なる型にはまった行動ではなかった。配管工、弁護士、タクシー運転手など、勤務時間が不規則な人もいたが、それでも帰宅するとペットが出迎えてくれた。
私はこのことに興味を持ち、実験を行った。最も大規模な実験は、マンチェスター近郊で飼い主のパム・スマートと暮らしていたジェイティーというテリアだった。最初の観察によると、パムが帰宅したとき、ジェイティーは85%の確率で窓際にいた。
私は、ジェイティーがパムの日課を覚えたり、他の手がかりをつかんだりしたことが原因ではないことを確かめたかったので、より正式な一連のテストでは、各テスト中にパムが家から少なくとも5マイル離れるように手配した。
そして、ジェイティーの行動を撮影するカメラを設置し、毎日パムが帰宅する時間をランダムに決め、慣れ親しんだ車のエンジン音から来る手がかりを避けるため、タクシーで移動するように頼んだ。彼女はいつ帰宅するか事前に知らなかったが、ポケベルで帰宅時間を知らされた。
ジェイティが窓際にいたのは、パムが不在だった主な期間の平均で4パーセント、帰宅途中では55パーセントだった。
マンチェスター出身のケインというローデシアン・リッジバックを含め、他の犬たちにも同様の実験を行った。
ケインは飼い主が帰宅すると、前足をテーブルの上に置いて窓から外を眺めていた。── しかし、ジェイティーが飼い主が出発する少し前から見張りを始めたのに対して、ケインは飼い主がすで帰宅途中のときに初めて自分の持ち場についた。これらの事例も、私が調査した他の多くの事例も、これらの動物が飼い主と何らかのテレパシーの絆で結ばれていることを示唆している。
テレパシーと並んで、動物には差し迫った破滅の感覚もあるようだ。古典時代から、地震の前に動物が異常な行動をとることは報告されてきたし、私は多くの現代的な証拠を集めてきた。
これらすべてのケースで、野生動物や飼いならされた動物が恐怖や不安、異常な行動をとったという記述がある。考えられる説明としては、動物が地表の振動を感知したり、地中のガスを感知したりするというものがある。
動物が災害を予知する能力は、西洋の科学者には無視されてきた……しかし、他の場所ではまったく違う。
あるいは、私が示唆しているように、動物たちは現在の科学的理解を覆す何かに頼っているのかもしれない。2004年12月26日のアジア大津波の場合、動物たちは30分前に何かが起こっていることに気づいていたようだ。
タイのバーン・クン・コーイに住む村人によると、水牛の群れが海岸で草を食んでいると、突然頭を持ち上げて海を見上げ、耳を垂直に立てたという。水牛は向きを変えて丘を駆け上がり、戸惑う村人たちがそれに続いた。その結果、村人たちは命を救われた。
動物たちの中には、雪崩などの自然災害や人災を予知するものもいる。第二次世界大戦中、多くの家族が、公式の警報が出る前にペットの行動を頼りに空襲を知らせた。
動物たちの反応は、敵の飛行機がまだ何百マイルも離れていて、動物たちがその音を聞くことができるずっと前に起こっていた。そして、ロンドンでは、これらのミサイルは超音速であり、事前に音を聞くことはできなかったにもかかわらず、ドイツのV2ロケットの爆発を予知していた犬がいた。
ごく少数の例外を除いて、動物が災害を予知する能力は、西洋の科学者たちによって無視されてきた。しかし、他の国では事情が大きく異なる。
70年代以降、中国の地震多発地帯では、当局は人々に動物の異常行動を報告するよう奨励してきた。いくつかのケースでは、地震が発生する数時間前に避難することができ、何万人もの命を救うことができた。
動物の異常な行動に注意を払うことで、これらの災害の危険にさらされている世界の地域で、地震や津波の警告システムを実現できるかもしれない。何百万人もの人々がこのプロジェクトに参加することになるだろう。
災害が切迫している場合、動物たちがどのような行動をとるかを知ることができる。そのような行動に気づいた人は、ホットラインに電話をかける。コンピューターシステムが、メッセージの発信地を分析する。その数が異常に多ければ、警報が発せられ、発信地が地図上に表示される。
動物を使った警告システムの可能性を探るには、比較的わずかなコストしかかからないだろう。もし動物たちが本当に微妙な物理的変化に反応していることが判明すれば、地震学者たちはそれを検知する機器を使い、より良い予測を立てることができるようになるはずだ。
一方、私たちが"予感(虫の知らせ)“と呼んでいるものが一役買っていることが判明すれば、それを理解できるかどうかにかかわらず、私たちはそれを受け入れるべきである。それを無視したり、説明しようとしたりすれば、予期せぬ自然の猛威から私たちを守ることができなくなる。
科学の妄想:ルパート・シェルドレイク著『探究心の解放』(コロネット刊、19.99ポンド)より引用。© Rupert Sheldrake 2012.
16ポンド(送料無料)でのご注文は、0843 382 0000までお電話ください。www.sheldrake.org。
──おわり
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