急速冷凍マンモスと宇宙の大災害 ── 特筆すべきことは、死因は窒息死

マンモスの絶滅の数々の説は、この大量絶滅を完全に説明するには不十分

以前に紹介した記事「金星彗星の7回の破壊的な地球通過」と「地球は火星の水を"盗んだ"のか?」より先に公開された記事です。三部作だとしたら一番最初に当たるものです。著者はピエール・レスコードロン氏。

マンモスについては多くの方がご存知でしょうし、日本語の記事も多いので、ここでは触れません。ただ、シベリアなどで多くの冷凍状態のマンモスは発見されていますが、著者のレスコードロン氏の読者からのコメント返答にあるように、当時の人間が一体も出てこないのは不思議です。

興味深いのは、マンモスを調査した検死官が多くのマンモスに同じ特徴を発見したことです。
マンモスには、数本の肋骨、肩甲骨、骨盤を含む多数の骨折があったことや、特筆すべきこととして、死因が窒息死だったことです。一体何があったのでしょうか?

さらに「科学的に合理的な仮説と多くの文化の伝説のすべてを理解し、ひとつにまとめる」という副題がついた「大洪水:事実か虚構か?」も併せて紹介します。

急速冷凍マンモスと宇宙の大災害について

Of Flash Frozen Mammoths and Cosmic Catastrophes
Pierre Lescaudron
ピエール・レスコードロン
2017年7月28日

私は何年もの間、この地球上で最大の謎のひとつともいえる、ウーリー(ケナガ)マンモスの絶滅に魅了されてきた。何百万頭もの巨大なマンモスが、一夜にして不可解にも急速冷凍された。

これはいくつかの理由から興味深い出来事である。第一に、急速冷凍はこの地球上では実際には起こらない非常に特殊なプロセスである。また、死の状況を考えると、事実上マンモス属全体を絶滅させるに至った大きさと力は、本当に驚くべきものだ。

しかし、この出来事の最も魅力的な点は、人類がすでに地球上に広く定着していたわずか13,000年前に起こったということだろう。ちなみに、南フランスで発見された後期旧石器時代の洞窟壁画(ラスコー、ニオー、ルフィニャックなど)は、17,000年から13,000年前に描かれたものである。

ルフィニャック洞窟(フランス、ドルドーニュ渓谷)のマンモスの絵

ルフィニャック洞窟(フランス、ドルドーニュ渓谷)のマンモスの絵

この出来事は、私たちの地球上の生命の進歩は直線的なプロセスであり、日々繁殖し、外部からの大きな挫折に邪魔されることはないという、斉一説(自然において、過去に作用した過程は現在観察されている過程と同じだろう、と想定する考え方)の歴史観に疑問を投げかけるものである。したがって、このような出来事は、私たち人間の状況や、人間は大災害を支配する自然法則を含む、ある種のオールマイティな生き物であるという蔓延する妄想に、異なる光を投げかけているのである。

ウーリーマンモスの絶滅を説明するために、過去2世紀にわたって提案されてきた数々の説 ── 凍った川に巻き込まれた、乱獲の犠牲になった、雹の嵐に覆われた、土砂崩れに埋もれた、氷のクレバスに落ちた、氷河期に巻き込まれたなど ── は、この大量絶滅を完全に説明するには不十分だからだ。

そこで以下の記事では、何百万頭ものウーリーマンモスが一夜にして急速冷凍されてしまった方法と理由について、説明を試みてみたい。

ウーリーマンモス

ウーリー・マンモスは、現代のゾウの近縁種である。その大きさはアフリカゾウに似ており、オスの肩の高さは約3メートル(10フィート)に達し、体重は6トンにもなった。

マンモスは植物を主食としており、成長したオスは1日に約180kg(400ポンド)の食物を食べる必要があった。

当時、ウーリーマンモスは地球上に非常に多く生息していた。この点を説明するために、1750年から1917年の間に、マンモスの象牙の取引が広い地域で盛んになり、推定 96,000本のマンモスの牙が産出された。シベリア北部のほんの一部に、約500万頭のマンモスが生息していたと推定されている。

絶滅する前、ウーリー・マンモスは地球の広い範囲に生息していた。遺骸は北ヨーロッパ、北アジア、北アメリカの至る所で発見されている。

後期更新世におけるウーリーマンモスの最大伸長期

後期更新世におけるウーリーマンモスの最大伸長期

ウーリー・マンモスも新参者ではなかった。現代のゾウとウーリー・マンモスが別々の種に分かれる600万年前から、彼らは地球を歩き回っていた。

毛むくじゃらで脂肪が多いという性質に対する偏見に満ちた解釈と、気候条件が不変であるという信念によって、科学者たちはウーリーマンモスを地球上の寒い地域の生き物とみなした。しかし、毛皮で覆われた動物が必ずしも寒冷地に住んでいるとは限らない。── 例えば、ラクダ、カンガルー、フェネックなどの砂漠の動物を見てみよう。砂漠の動物は毛むくじゃらで、暑い気候や温帯気候に生息している。実際、ほとんどの毛皮で覆われた動物は、極寒の気候には耐えられなかった。

寒さへの適応を成功させるのは、毛皮そのものではなく、寒さに対する断熱のために空気の層を閉じ込める立毛性である。例えばオットセイと違って、マンモスには起立性の毛皮 erectile fur がない。

動物が湿気や寒さから身を守るもうひとつの要因は、皮脂腺の存在である。皮脂腺は皮膚や毛皮に油分を分泌し湿気から身を守る。

ウーリーマンモスには皮脂腺がなく、毛が乾燥していたため、多くの雪が皮膚に触れ、溶けて、熱損失が劇的に増加しただろう(水の熱伝導率は雪の熱伝導率の約12倍)。

ウーリーマンモスの"ウール"、ウィーン自然史博物館蔵

ウーリーマンモスの"ウール"、ウィーン自然史博物館蔵

上の写真が示唆するように、マンモスの毛皮はそれほど密ではなかった。比較のため、ヤク(ヒマラヤの寒冷適応哺乳類)の毛皮は約10倍も厚い

加えて、マンモスにはつま先まで毛が垂れ下がっていたが、北極圏の動物はみな、足先に毛が生えているのではなく、毛皮を持っている。毛があると足首に雪が積もって歩行の妨げになる。

以上のことから、毛皮は寒冷適応の証明にはならないし、脂肪も証明にはならない。脂肪は食べ物が豊富であることを証明するだけである。太って餌を食べ過ぎた犬は、北極の吹雪とマイナス80℉(摂氏マイナス62度)の気温に耐えることはできない。逆に、北極ウサギやカリブスのような生き物は、体脂肪率が相対的に低いにもかかわらず、耐えることができる。

マンモスの遺体は通常、トラ、カモシカ、ラクダ、ウマ、トナカイ、巨大ビーバー、巨大ウシ、ジャコウヒツジ、ジャコウウシ、ロバ、アナグマ、アイベックス(野生のヤギ)、毛サイ、キツネ、巨大バイソン、オオヤマネコ、ヒョウ、クズリ(イタチ科の動物)、野ウサギ、ライオン、ヘラジカ、巨大オオカミ、ジリス(昼は地上で生活し、夜は地中の巣穴で過ごすリス科の動物)、ホラアナハイエナ、クマ、そして多くの種類の鳥のような他の動物と一緒に積み上げられて発見される。これらの動物のほとんどは、北極圏の気候には耐えられなかった。これは、ウーリーマンモスが極地の生き物ではなかったことを示す追加の指標である。

フランスの先史学者アンリ・ヌーヴィルは、マンモスの皮膚と毛について最も詳細な研究を行った。綿密な分析の最後に、彼は次のように書いている:

「皮膚と(毛髪の)解剖学的検査において、寒冷への適応を支持する論拠を見出すことは不可能である」

── H. ヌーヴィル「マンモスの絶滅について」スミソニアン協会年報、1919年、p. 332

前述のすべてに加えて、マンモスの食生活は、この生物が極地の気候に生息していたことを否定している。一年のほとんどを植物が生育していない北極圏で、ウーリー・マンモスが一日に何百ポンドも摂取する菜食主義的な食生活をどうやって維持できたのだろうか?
ウーリー・マンモスは、毎日何ガロンもの水を飲まなければならなかったが、どうやってそれを見つけることができたのだろうか?

さらに悪いことに、ウーリー・マンモスは現在よりも気温が低かった氷河期に生きていた。マンモスは、今日のシベリア北部の厳しい気候には耐えられなかっただろう。シベリアの気候がもっと寒かったはずの13,000年前ならなおさらだ。

以上の証拠から、ウーリーマンモスは極地の生物ではなく、温帯の生物であったことが強く示唆される。その結果、13,000年前のヤンガードリアスの始まりには、シベリアは北極ではなく、温帯地域だった。

ヤンガードリアス(最終氷期から現在の温暖期[完新世]へ移行する時期に、一時的に気候が寒冷化した時期)

ヤンガー・ドリアスは、紀元前10,900年頃(つまり12,900年前)から約1,000年間続いたこの時代にヨーロッパで一般的になった、寒冷地で育つ花(キョクチチョウノスケソウ Dryas octopetalaにちなんで名づけられた。ヤンガードリアスは、更新世と完新世と呼ばれる現在の時代との移行期にあたる。

ヤンガードリアスの花

ヤンガードリアスの花

ヤンガードリアスは、北半球の大部分で気温が急激に低下した。これは、地球の気候の緩やかな温暖化に対する最も最近の、そして最も長い中断だった。冷え込みの大きさを知るには、グリーンランドの氷床コアGISP2を見ればわかる。グリーンランドの氷床コアGISP2は、その真っ最中に、ヤンガードリアスの間、現在よりも約15℃(27℉)寒かったことを示している。しかし、ヤンガードリアスに起こった全体的な冷却は均一ではなかったことに注意しよう。ある地域(シベリア、ヨーロッパ、グリーンランド、アラスカ)が顕著な寒冷化を経験する一方で、他の地域(アラスカを除く北アメリカ、南極大陸の"アジア"側)は相対的に温暖化を経験した。これは重要なポイントであり、すぐに検討することにしよう。

年間平均気温(22,000~8,000BP)

年間平均気温(22,000~8,000BP)

気温の急激な低下とともに、ヤンガードリアスの大きな特徴のひとつは、大規模な死滅である:35種の哺乳類(マストドン、ジャイアントビーバー、サーベルタイガー(剣歯虎)、巨大ナマケモノ、毛サイなど)と19種の鳥類が短期間に絶滅した。

ヒベンの推定によれば、北米だけで4,000万頭もの動物が死んだという。合計で数億頭のマンモスが殺されたことになる。遺骸はウラル山脈からベーリング海峡までの北ロシア全域で発見され、アメリカ大陸(アラスカとユーコン)でも発見された。マンモスの小さなポケット(周囲から孤立した異質の小地区)が二つだけ残った。セントポール島は5,600年前まで、ランゲル島は4,000年前までである。

当時、すでに人類の集団はかなり広範囲に広がっていたが(ユロック族、ホピ族、カトー族、アラワク族、トルテカ族、インカ族……)、そのうちの少なくともひとつ、北アメリカに居住していたクローヴィス族は、この混乱期に地球上から姿を消した。クローヴィス族は、決して局地的な小さな部族ではなかった。彼らの遺物、特に溝先 fluted points(下の地図参照)の地理的範囲が示すように、彼らの移住地は北アメリカの大部分をカバーしている。

クローヴィスの溝先の発見現場

クローヴィスの溝先の発見現場

アルバータ州南部のウォリーズ・ビーチ遺跡で発見されたクロービスポイント。写真出典:Western Canadian Fluted Point Database。

アルバータ州南部のウォリーズ・ビーチ遺跡で発見されたクロービスポイント。
写真出典:Western Canadian Fluted Point Database。

※ fluted points:溝先:クローヴィス文化:北アメリカ最古の石器文化 (約前1万~8000年) のひとつ。ニューメキシコ州西部のクロービス,ブラックウォーター地方を中心に,北アメリカの東部,南部の高原地帯に広く分布する。フォルサム文化型に似た有溝尖頭石器を指標とするが,粗雑大型で溝の部分は浅く短い。グアテマラ,エクアドルからも同系統の石器が発見されている。

事件現場

絶滅の地理的規模が広く、発生が比較的最近であったため、多くの科学的資料が得られた。北半球のほとんどの地域で行われた数多くの発掘調査で、ウーリーマンモスの埋葬地は、まったく同じ特徴を何度も明らかにしている。

3つの異なるクローヴィス遺跡で発見されたカーボン・ガラス

3つの異なるクローヴィス遺跡で発見されたカーボン・ガラス

煤煙木炭と煤煙の濃度ピークは、いくつかのクロヴィス遺跡とヤンガードリアスの地層で見つかった。
フラーレン:グラファイトやダイヤモンドのような純粋な炭素。これは、60個以上の炭素原子の中空ケージからなる大きな球状分子である。12,900BPの地層から高濃度のフラーレンが発見された。
カリウム40:カリウム40は13億年の半減期を持つ天然の放射性同位元素で、地球上の全カリウムのごく一部に相当する。この量は、隕石や彗星、あるいは超新星爆発を除けば、太陽系全体で非常に均一である。この同位体のピーク濃度はクローヴィス地層で発見された。
ヘリウム-3:典型的な地球外衝突マーカー。ヘリウム-3は地球上では希少だが、地球外物質では一般的である。小惑星の衝突とヘリウム-3との関係は、ベッカーらによって証明された。彼らは、2億5千万年前のペルム紀の絶滅にさかのぼる、ベッドアウト・クレーター(オーストラリア北西部沖合)と呼ばれる幅25マイルの衝突場所を発見し、高レベルのヘリウム-3を明らかにした。 同様に、ヤンガードリアス境界にはヘリウム-3のピーク濃度がある。
トリウム、チタン、コバルト、ニッケル、ウラン、その他の希土類元素:これらの元素の高濃度は、ヤンガー・ドリアス期の地層、クローヴィス遺跡、いくつかの隕石クレーターで発見された。これらの希少元素は地球上ではめったに見られないが、隕石中では非常によく見られる。
カーボン・ガラス:12,900 BPの地層は、炭素を豊富に含むこの種の黒色ガラスが多く含まれているのが特徴である。検査の結果、カーボン・ガラスのサンプルは内部に多数のガス気泡を含んでいた。これは、非常に高い温度で急激に冷却されたことを示している。炭素が純粋であれば、華氏6,400度で溶ける。このような高温を作り出すことができるのは、特別な出来事だけである。カーボン・ガラスはクロービス時代の層にしか見られない。
イリジウム:地球の地殻では極めて希少な元素だが、隕石や彗星物質には通常含まれる元素。注目すべき彗星衝突(白亜紀-第三紀(K-T)絶滅と一般に呼ばれる6500万年前の恐竜絶滅、および約2億年前の三畳紀-ジュラ紀絶滅)に関連する地層は、イリジウムの濃度が異常に高い。
ナノダイヤモンド:クローヴィス遺跡から数百万個の微細なダイヤモンドが発見された。六角形のナノダイヤモンドは、200万psi(170,000バール)の圧力と1,000~1,700℃の温度、それに続く急速な急冷を必要とする。
スフェリュール(小球体):高濃度の炭素を示す中空の磁性浮遊球が、ほとんどのクローヴィス時代の遺跡で発見された。この形態の炭素が形成されるには、非常に高い温度と圧力が必要である。これらの球は直径10~50マイクロメートルの小さなものであるが、ヤンガー・ドリアス境界では非常に頻繁に見られ、1キログラムの土の中から数千個の微小球が発見された。

ヤンガー・ドリアス境界で発見された磁性微小球。

ヤンガー・ドリアス境界で発見された磁性微小球

ヘリウム3やカリウム40のような変則的な同位体や、イリジウム、トリウム、ウランのような希少元素など、この物質の長いリストは、何度も同じパターンを明らかにしている。これらの元素は私たちの自然環境にはほとんど存在しないが、彗星にはよく含まれ、クローヴィス時代の地層や衝突クレーター沿いで高濃度で発見された。

カーボン・ガラス、球状物質、微小なダイヤモンド、フラーレンなどの外来物質も、同様のことを物語っている。これらの物質は、小惑星衝突のような極端な出来事の時以外には、地球上では発生しない非常に高い温度と圧力を示している。これらの物質はすべて、衝突地点やクローヴィス地層で高濃度で発見された。

以下、ファイアストーンはヨーロッパとアメリカの数多くの地質学的場所で行われた長年の研究の結果を要約している。

「カリフォルニア州からベルギー(アメリカ合衆国ウィスコンシン州オザウキー郡の町?)、マニトバ州(カナダ)からアリゾナ州まで、10ヶ所の[ヤンガー・ドリアス]地点の成層断面において、約12.9キロ年の年代を示す厚さ5cm未満の堆積物層が発見され、そこには14のマーカーの大部分が含まれ、バックグラウンド以上の濃度で明確な層序的(地層の配置)ピークを形成していた。

これらのマーカーには、磁性微小球(最大2144/kg)、イリジウム(117ppb、地球上の値の6,000倍)に富む磁性粒(16g/kg)、小胞状炭素球(1,458/kg)、ガラス状炭素(16g/kg)、ナノダイヤモンド、地球外濃度の3Heを含むフラーレン(84×大気)、すすと木炭(2g/kg)などが含まれる。

少量の磁性粒と木炭を除いて、マーカーは衝突層の上でも下でも堆積物からは検出されず、55キロ年を超える層序列を表していた。このことは、ピンターとイシュマンが主張した隕石の"絶えず続く"雨とは矛盾しており、地球外(ET)マーカーが濃縮された層が約12.9キロ年に堆積したことを示している」

ヤンガー・ドリアス境界と並んで、地球外衝突物質が同じように高濃度に含まれる二つ目の境界がある。それは、白亜紀-古第三紀遷移としても知られる K-T境界であり、恐竜を絶滅させた大量絶滅の原因となったチクシュルブ衝突と関連している。

クローヴィス地層、KT地層、そして彗星/隕石クレーターから彗星物質や衝突物質が多数発見されたことは、約1万3,000年前に大規模な彗星衝突が起こったことを強く示唆している。

“イベント"

もしヤンガー・ドリアスとそれに伴う大量絶滅が彗星からの衝撃によって引き起こされたのであれば、次のステップは、原因となった地球外天体の特徴を特定することである。その性質、大きさ、衝突の角度、そしてもちろん衝突の場所である。

ファイアストーンはその著書『宇宙大災害のサイクル』の中で、ヤンガー・ドリアスの始まりの引き金となった小惑星衝突についての証拠を集めるという、とてつもない仕事をした。このテーマについて、単なる記事で伝えられる以上の詳細を知りたければ、この本は必読である。

ミシガン湖に衝突した天体に関する二次衝突の方位

ミシガン湖に衝突した天体に関する二次衝突の方位

最初の仕事は、彗星の破片が地球に衝突した場所を特定することだった。そのためにファイアストーンは"二次クレーター"、つまり一次衝突からの放出物によってできたクレーターを調査した。興味深いことに、二次クレーターの向きは同じ場所を指していた。

噴出物がたどった軌道を三角測量することによって(ハドソン衝突に適用された方法の図は下の写真を参照)、ファイアストーンは五つの一次衝突の可能性とその直径を特定した。

衝突の可能性のある場所:ミシガン湖のチペワ盆地

衝突の可能性のある場所:ミシガン湖のチペワ盆地

・ハドソン湾(カナダ):直径300マイル(480km)
・アムンゼン湾(カナダ):直径150マイル(241km)
・バフィン島(カナダ):直径75マイル(120km)
・ミシガン湖(アメリカ):直径65マイル(105 km)
・サイマー湖(フィンランド):直径180マイル(290km)

次のステップは、これら五つの場所に一次クレーターの痕跡があるかどうかを確認することだった。そして実際にあった。

しかし、一次クレーターは予想よりも明らかに浅かった。クレーターの幅と長さに対する浅さは、衝突物が固い岩石(隕石)ではなく、"汚れた雪玉"(彗星物質)だった可能性が高く、衝突角度が低かったことを示唆している。

実際、爆発流星の角度と性質はクレーターの形状に直接影響する。垂直軌道をたどった岩石質の隕石は丸く深いクレーターを作るが、低い角度で地球に衝突した"ふわふわした"彗星片は浅く細長い(楕円形の)クレーターを作る。

ファイアストンの仮説は地質調査によって確認された。例えば、ミシガン湖では、チペワ盆地が典型的なクレーターのサブ盆地(大きな盆地の中の地理的な盆地)のように見え、"テラス断層“と呼ばれる、衝突後に大きな岩板が割れて下に滑り落ちるときにできる階段状のパターンがあることが明らかになった(下の写真参照)。

テラス断層を示すチペワ盆地の地震断層図

テラス断層を示すチペワ盆地の地震断層図

チペワ盆地では、通常、地球外の影響に伴う放射状の割れ目も見られる。

要約すると、ファイアストンの衝撃シナリオは次のようなものである。巨大な彗星が地球に接近し、様々な大きさの衝突片に分裂した。五つの彗星の破片は特に巨大で、地球の表面に到達した。

この五つの衝突はほぼ同時に起こったことから、それらはすべて同じ彗星群の一部だったと考えられる。上のリストの四つの最初の衝突が非常に狭い場所(北アメリカ)を直撃したという事実は、彗星が衝突の直前に四つの破片に分裂したことを示唆している。

五つの主クレーターを分析したところ、それらは同じような方角を向いていたことから、おそらく同じ場所から飛来し、同じ彗星集団に属していたと考えられる(下の写真参照)。

ヤンガードリアスを引き起こした5つの彗星片の向き

ヤンガードリアスを引き起こした5つの彗星片の向き

ファイアストーンが確認できたのは、地上か比較的浅い水中のクレーター跡だけだった。他の巨大な彗星片が海洋、特にリストアップされた五つの衝突の近辺(北極海、大西洋北部、バルト海など)に衝突した可能性は十分にある。そのような衝突は痕跡を残さないだろうが、それにもかかわらず非常に破壊的で、特に大規模な潮のうねりを引き起こすだろう。

ファイアストーンはまた、クレーターの形状を分析することによって、彗星片の角度を推定することに成功した。クレーターの底にあるリングは同じ楕円形をしている。このような細長い楕円形のクレーターを作るには、衝突体は水平線から5度から15度の間の低い角度から入ってこなければならなかった。

ウーリーマンモスが彗星の衝突によって死んだことはわかった。しかし、主な疑問はまだ解決されていない。どのようにしてマンモスは急速冷凍されたのか?
まず、急速冷凍とは何かをより正確に定義してみよう。

急速(瞬間)冷凍とは何か?

液体窒素で急速冷凍されたコメットコーン(人工香料や着色料不使用のポップコーン店、品名)

液体窒素で急速冷凍されたコメットコーン(人工香料や着色料不使用のポップコーン店、品名)

急速冷凍とは、ある物(食品や生物学的サンプル)を保存するために、急激に低温にさらすことである。アメリカの発明家クラレンス・バードアイが20世紀に食品保存の急速冷凍プロセスを開発した。

この急速凍結は通常、液体窒素またはドライアイスとエタノールの混合液に試料を浸すことで行われる。熱伝導率が空気の約40倍であるため、通常は液体が使用される。

急速冷凍には、穏やかなものから急激なものまで、さまざまな形態がある。では、ウーリーマンモスはどのような急速冷凍を経験したのだろうか?

「通常の体温であれば、胃酸と酵素は1時間以内に野菜を分解する。─ 何がこのプロセスを阻害したのだろうか? 唯一もっともらしい説明は、胃が10時間以内に約40℉(4℃)まで冷えることである。しかし、胃は温かい体(ゾウの場合96.6℉=36℃)の中で保護されているため、胃の温度を40℉まで下げるには、外気がどれほど冷たくなければならないのだろうか? 実験によれば、皮膚の外層は少なくとも−175℉(−115℃)まで急激に低下しなければならなかったはずだ

── マーク・A・クルゾス『フローズン・マンモス』

マンモスの胃や消化管から発見された未消化の食物(ロシアの科学者ウラジミール・ニコラエヴィチ・スカチェフ V.N.Sukachev によれば、草、コケ、低木、木の葉)は、急速冷凍の唯一の証拠ではない。

いくつかの報告によると、凍ったマンモスの口からは食物も見つかっている。この食べ物は主にキンポウゲで、刈り取られたものの、噛んだり飲み込んだりはしていなかった。キンポウゲは急速に凍ったため、マンモスの臼歯の跡が残っていた。その弾力性にもかかわらず、マンモスが死んだ後、キンポウゲが最初の形に戻る時間はなかった。

生物学的な用途では、急速冷凍の重要なアイデアは、大きな氷の結晶が形成されないように十分に速く温度を下げることであり、そうでなければ、形成された鋭いエッジの氷の結晶によって破裂したり、穴を開けられたりする細胞を損傷させないことである。

ウーリーマンモスから抽出した細胞サンプルを詳細に分析した結果、まさにこのことが明らかになった。

泥の中から発見された多くの動物の肉は、細胞が破裂しなかったことから、非常に急速に深く凍結したに違いない。冷凍食品の専門家は、健康で生きている標本から凍らせるには、その標本を取り囲む空気の温度を華氏マイナス150度(−101℃)以下にまで下げなければならないと指摘している」

── アイヴァン・T・サンダーソン「冷凍巨人の謎」『サタデー・イブニング・ポスト』1960年1月16日号、p. 82

リャーホフスキーで発見された冷凍マンモス

リャーホフスキーで発見された冷凍マンモス

2013年、シベリアのリャーホフスキー諸島(北極海にあるノヴォシビルスク諸島の南方を構成する島嶼群)で自然のままの状態の雌のマンモスが発見された。興味深いことに、科学者たちが凍ったマンモスの遺体をアイスピックでつつくと、血が流れ始めた。

血液が凝固し始めるのは死後わずか数分後であることを考えると、ウーリー・マンモスは血液が凝固する暇もないほど急速に凍結したことになる。

専門家によれば、厚い脂肪と毛の層を持つウーリーマンモスの温かい体内(ゾウは96.6℉)でこのような急激な凍結が起こるには、極度の低温、−175℉(−115℃)にさらされる必要があったという。

当時の温帯気候下にあったシベリアの気温が60℉前後だったと仮定すると、+60℉から−175℉まで、つまり数時間で235℉(113℃)も気温が下がったことになる。

このような激しい気温の低下は、記録された歴史の中で起こったことがあるのだろうか?

私たちの惑星で起こった急激な冷却の記録

まず、最近の歴史にこのような激しい冷却が起こったことがあるかどうか、過去の記録を調べてみよう。

2011年11月11日、アメリカ中西部で例外的な雷雨が発生し、14時間で華氏69度(27℃から−12℃)の降下を記録した。これは記録的な急降下である。しかし、この記録的な気温の低下は、その範囲と気温の大きさの両方において、マンモスに起こったことに比べれば微々たるものである。

ボストーク(南極大陸)の位置

ボストーク(南極大陸)の位置

現在の記録的な最低気温は、南極のボストーク観測所で測定された−89℃(−128℉)である。加えて、ボストークは南極大陸の中心に近く、6ヶ月に及ぶ冬の夜とそれに続く氷点下の気温を経験する。マンモスが生息していたような温暖な地域ではない。マンモスを急速冷凍するには−150℉(-101℃)が必要だが、十分な風が吹けばもっと高い温度でも同じ結果が得られる。

この現象は"風速冷却(風冷え)"と呼ばれる。例えば、気温−60℃に時速110kmの風が加わると、−100℃に相当する熱損失が生じ、これはマンモスやその他の動物を急速冷凍するのに必要な温度である(下の風速冷却表参照)。

風速冷却表

風速冷却表

地球の表面、特に温帯地域では−100℃や−60℃はありえないが、私たちの頭上数マイル上空ではこのようなことはよくある。高度7マイル(11,265m)では、平均気温は−50℃から−80℃の間で変化する。高度7マイルは、対流圏の上限と成層圏の下限が交わる領域である。この境界は"対流圏界面"と呼ばれている。

対流圏界面と標高による大気温度

対流圏界面と標高による大気温度

問題は対流圏界面がほとんど到達不可能な境界を形成していることである。対流圏界面が破られる可能性があるのは、記録に残っているごく少数の出来事だけである。スーパーデレチョ(超最大級の暴風雨)、大規模な火災によって引き起こされる巨大な煙雲(火災積乱雲)、大規模な火山噴火などである。

しかし、このような現象は局所的なものであり、シベリア一帯とアラスカ、ユーコンの一部の急速冷凍を説明することはできない。

では、凍てつくような上層大気を地球の広大な地域に運んだものは何だったのだろうか?

彗星と小惑星である。小惑星の衝突が地球の表面に大規模な冷却をもたらすというのは直感に反するように思えるが、結局のところ、大気圏に突入すると岩石は熱を持ち、地球の表面に到達すると火と熱を撒き散らすことになる。それは事実だが、それがすべてなのだろうか?

彗星衝突による大気アブレーション

※ アブレーション気化、削り取り、侵食プロセス、またはその他の手段によって、対象物から何かを除去または破壊すること

小惑星の斜め衝突の解析。密度分布を示す。斜め衝突ではプルームが航跡の外側に広がる。

小惑星の斜め衝突の解析。密度分布を示す。斜め衝突ではプルームが航跡の外側に広がる

つい最近まで、小惑星は火や焼け付くような熱さ(猛暑)の前触れとしてのみ考えられていた。しかし1983年、ある研究者が小惑星による大気浸食という概念を思いついた。

十分な大きさと速度があれば、小惑星は地球の大気の一部を消滅させることができる。衝突の際、小惑星は気化し(熱と圧力で小惑星は気体に変化する)、衝突が起こった地表の同程度の質量も気化する。

後に続いて起きる高温のガス・プルームは、地球での脱出速度(秒速約11.2km)よりも速く膨張する可能性がある。ちなみに、宇宙空間における小惑星の一般的な速度は秒速約30kmである。脱出するプルームは、その上にある空気を宇宙空間に押し流す。

特に、高温のガス・プルームと一緒に宇宙空間に運ばれる大気の部分は、円錐のような形をしている。これは、大気浸食の"コーン cone“として知られている。

地球大気の衝撃エロージョン(浸食)

地球大気の衝撃エロージョン(浸食)

図:惑星大気の衝突による浸食では、衝突のエネルギーが大きくなると、大気の浸食の円錐(オレンジ色のゾーン)が広がり、惑星に接する面の上の大気全体が除去される。

このコーンの形は、小惑星の大きさ、密度、速度、地球の表面に対する角度に依存する。

大気浸食をよりよく理解するために、私たちがよく知っている類似の現象、"水の背景"を見てみよう。

水柱の上の水の背景

水柱の上の水の背景

水中に物体を落とすと、その物体が衝突した場所から水が上方に移動するのを目撃することがある。水が湧き水のように働き、反動で上に上がっていく。この反動は、水煙や水滴の形をとることがある。

同様に、小惑星が衝突した後、物質やガスは上昇する周囲の熱による反跳効果で上方に移動する。

しかし、水滴とは異なり、上昇する物質の速度が脱出速度(例えば宇宙ロケットのように惑星の重力から逃れるために必要な速度)を超えるため、下に落ちることはない。

下の図は、ロシアの火山学者 V.シュヴァロフの研究にヒントを得たもので、彼は彗星や小惑星の衝突の影響を大気浸食の観点から計算した。

しかし、シュヴァロフが研究したケースは、1万2,900年前にハドソン湾に衝突した彗星片よりも小さく、大きな衝突角度を示す天体に限られている。私はシュヴァロフの分析をファイアストーンが仮定したハドソン天体に適用してみた。

直径50マイルの彗星片が15度の角度で衝突した場合

直径50マイルの彗星片が15度の角度で衝突した場合

彗星の破片(オレンジ色の球)は直径50マイル(80km)と推定され、オレンジ色の線で描かれているように、低い角度(約15度)で北から大気圏に突入した。

衝突の際、彗星片は直径300マイル(約1.6km)の浅いが大きな一次クレーター(黒いクレーター)と、巨大な噴煙(図では赤)を作り、それが破片に誘発された二次クレーター(例えばカロライナ湾)を作る。

青い破線(アブレーション前の大気の上部境界線)の下にある、ターコイズブルーの領域である大気のアブレーション(融除)の円錐に注目してほしい。地上レベルでの円錐の直径は約700マイル(1,000km)。大気の非アブレーション部分は、図面の左と右に見える紺色の部分である。

もちろん、一枚の図面では、このような衝突時に存在すると思われる力と力学の大きさを伝えることはできないので、さらに説明させてほしい。

◆ まず、彗星の周りの大気は摩擦によって加速される(オレンジ色の航跡に沿った青い矢印を参照)。これは、近くを通った車のそばに立っているときに感じる風に似ている。
◆ 衝突時、航跡に沿って発生した強力な風は、超高温ガスや気化した物質の巨大な流れと結合し、その一部は脱出速度に達し、地球の大気の大きな塊(赤い噴出物)を伴って巨大な上昇気流となって宇宙空間に飛び出す(図面の赤い矢印を参照)。一方、最も低速の噴出物は地球表面に落下する(黒と赤の噴出物)。
◆ 衝突後しばらくの間、アブレーションゾーンは宇宙空間の空虚な空隙となる(ターコイズ色の部分)。参考までに、宇宙空間の温度は-270.5℃または-455℉であり、地球近傍の宇宙空間の温度は10.17℃または50.3℉である。
◆ 真空の後には、その前の上昇気流と同じくらい強力な下降気流が続く。過冷却された空気が激しく空隙を満たす。

この下降気流は、主に上層大気のさまざまな層にある空気で構成されている。高層大気は密度が低いため、分子の動きが速い。

大気層の温度

大気層の温度

高層大気の温度は、平均で約-50℃(-58℉)(上図の縦の青線を参照)だが、中層界面直上では-90℃(-130℉)まで下がることがある。

真空に空気を充填する際、周囲の空気は圧力低下に見舞われるため、充填プロセス全体には過冷却空気が含まれる。

加えて、大気の一部が破壊されたことで、大気は全体として体積を失い、薄くなり、全体的な大気圧の低下(大気柱の高さの減少)につながる。

気圧の低下は気体を冷却する。例えば、キーボードの掃除にエアスプレーを使うと、缶の中の圧力が下がる一方で、空気はどんどん冷たくなっていく。

竜巻のような速度の風、上層大気からの冷たい空気の流入、そして減圧による過冷却という、上に挙げた三つの大気の特徴が組み合わさると、ウーリーマンモスやその他多くの動物を簡単に急速冷凍してしまうような、本当に底知れぬ寒さの要因になる可能性がある。

永久凍土の分布(北半球)

永久凍土の分布(北半球)※分布は上から 隔絶、散在的、非連続性、継続的

さて、ウーリーマンモスたちがどのようにして急速冷凍されたのかがわかったところで、次の疑問は、彼らがどのようにして冷凍されたままだったのか、ということだ。

凍ったままであるためには、気温が0℃(-32℉)以下の環境にいなければならない。氷床を除けば、このような環境は地球上では永久凍土の中にしか存在しない。永久凍土は標高の高い山々や高緯度(60度以上)の山々に見られる。

しかしシベリア北部には高い山はなく、当時の緯度は北緯40度ほどだった。つまり、シベリアは一年中、凍結温度以上の気温が続いていた。

マンモスが約13,000年間も凍ったままだったことを説明するには、さまよえる(人間のようなものではなく)地理学的極点(地理極、北極点と南極点)という概念を導入しなければならない。

さまよえる地理極

一般に、地理極は常に同じ現在地にあると信じられている。しかし、データはそうではないことを証明している。地理極の位置は、最近でもかなり変わっている。

地理極の位置が変化したことを示す最も有力な証拠に、サンゴがある。サンゴ礁は最低水温68℉(20℃)を必要とする。しかし、地質学的分析によると、今日の最も寒い地域にもサンゴが生息していることが明らかになっている。

「石炭紀の地層では、北極圏で再び植物の残骸や石炭層に出会うことができる。スピッツベルゲンや東シベリアの極北にあるベア島では、大型のシダ植物とともにレピドデンドロン(鱗木)やカラマツが見つかっており、同じ年代の海洋堆積物には、大きな石サンゴが豊富に含まれている」

── C. ハプグッド『極地への道』p.159

何十年もの間、中国の海洋学者、馬廷英(ティン・イン・マ)はサンゴを研究し、赤道線とほぼ一致する古代のサンゴ礁線の位置を確定することに成功した。の珊瑚線/赤道線はあらゆる方向に走っており、そのうちの一本は北極海を横断している。古いサンゴの中には、現在の赤道域からかなり離れた場所で発見されたものもある。古代のサンゴのコロニーは、北極圏内のエルズミア島でも発見されている。

シルル紀(約4億3,000万年前)のサンゴライン

シルル紀(約4億3,000万年前)のサンゴライン

地理的な極の過去の位置を知るもう一つの方法は、古地磁気学と呼ばれるものである。これは、磁鉄鉱やヘマタイトのような岩石中の鉄粒子の方向を分析することに基づいている。

これらの岩石が液相から凝固して形成されるとき(たとえば火山の噴火)、溶けた岩石中の磁化された鉄がコンパスの役割を果たし、地球の磁場と一致する位置に凝固する。

これらの鉄粒子は、過去のある時期における北の方角を示すだけでなく、垂直に傾いているため、極がどれだけ遠いか(すなわち緯度)も示している。鉄粒子が極に近ければ近いほど、垂直方向の傾きは小さくなる。

先カンブリア時代以降の地理極の位置

先カンブリア時代以降の地理極の位置

この方法のひとつの問題点は、磁極も彷徨うという事実である。しかし、数千年の間に磁極は元の位置に戻り、全期間の磁極の平均位置は地球の自転軸と一致する。そのため、古地磁気学で地理的な極の位置を確実に明らかにするには、十分に長い期間の試料を採取する必要がある。溶岩流が貴重なのはそのためだ。噴火に次ぐ噴火で、溶岩流は互いに積み重なり、それぞれの溶岩流が噴火時の極の位置を示している。

チャールズ・ハプグッドは、年代を追って地理的な極の位置をまとめたが、その結果は予想外のものだった。例えば、更新世(約258万8,000年前からヤンガー・ドリアスまで続いた時代)の間、地理的極点は15の異なる場所を占めていた。

先カンブリア時代から現在(約1億年)まで、ハプグッドは合計229の異なる地理極の位置を特定した

地理極の位置は、かつて信じられていたほど固定されていないことがわかったので、問題の衝突の前に地理極がどこに位置していたかを調べてみよう。

衝突前の地理的北極の位置

地質学は、氷冠の過去の位置と、その結果として地理極(極点は氷冠のほぼ中心に位置する)の過去の位置を決定する確実な方法を提供する。

実際、氷冠の縁は、その背後にある氷の圧力によって動き出し、氷冠が拡大した大陸の岩盤を削っていく。

地質学的研究によると、更新世の最終段階(17,000~13,000BP)には、ローレンタイド氷床はハドソン湾を中心としていた(下の地図参照)。

北(半球)の氷床(13,000BP頃)

北(半球)の氷床(13,000BP頃)

ローレンタイド氷床は、カナダ全土とグリーンランド(その沿岸部を除く)、そして北ヨーロッパのごく一部を覆っていた北氷冠の大部分を占めていた。北極海、アラスカ、シベリア、ユーコンの一部を含む北半球の残りの地域には氷がなかった。

ハプグッドが気づいたように、ローレンタイド氷床は現在の北極圏の氷床と大きさも形も似ていた。

「最後の北アメリカの氷冠が極地の氷冠であったことを示す最初の証拠は、氷床の形、大きさ、特異な地理的位置に基づいている。ケリーとダチーユという二人の地質学者は、氷が占めていた領域が現在の北極圏と形も大きさも似ていると指摘した。他にも多くの人が、その不自然な位置について指摘している。氷冠は大陸の北半分ではなく北東部を占めていたようだ。オハイオ州まで南下した氷冠が、ハドソン湾と極地の間に横たわる島々、カナダ北極群島の北部の島々を覆っていなかった理由や、カナダのユーコン地区やグリーンランドの北部を覆っていなかった理由を、誰も説明していない。後ほど、氷河期には北極海自体が温暖であったことを示す多くの証拠を検証することにしよう」

── C.ハプグッド『極点への道』P.216

以上のことから、ヤンガー・ドリアス以前には、北緯60度、つまり現在の北極点から緯度にして30度離れたハドソン湾のあたりに北極点があったことが強く示唆される。

しかし、ローレンタイド氷床だけが証拠ではない。化石の研究からは、ヤンガー・ドリアスの直前に地球上のさまざまな場所でどのような動植物が生息していたかを知ることができる。この研究によって、更新世の終わりには北極がハドソン湾にあったことが確認される傾向にある。

実際、ヤンガー・ドリアス期以前は、北極海は温帯の海だった(海のコアに有孔虫[深海に生息する単細胞の原生動物]が存在することからわかる)、シベリアは温帯地域であり(人骨、森林全体、温帯植物が示すように)、日本は現在よりも温暖だった(温帯気候で生育する植物や沖縄のサンゴが示すように)。

もうひとつの証拠は南極大陸からのものだ。ハドソン湾周辺に地理的な北極があるとすると、地理的な南極点は南極大陸のロス海から現在より7倍ほど離れていることになる。したがって、更新世の終わり(13,000BP頃)には、ロス海は氷河に覆われていなかったはずである。

ロス海の位置。緑の点はハドソン湾の対蹠地(地球の中心を挟んで正反対の位置にある二つの場所)を示す。

ロス海の位置。緑の点はハドソン湾の対蹠地(地球の中心を挟んで正反対の位置にある二つの場所)を示す

海底コアから、温帯気候に典型的な細かい堆積物の層が発見された。この細かい堆積物は、氷のない大陸から川によって運ばれてくる。興味深いことに、もし北極がヤンガー・ドリアスより前のハドソンに位置していたとすれば、多くの専門家を困惑させてきた二つの謎が説明できる。

第一に、ストーンヘンジとテオティワカンの決まりの悪い方角である。この二つの遺跡の主軸はほぼ北を向いているが、正確ではない(テオティワカンは15度ずれているが、ストーンヘンジは約40度ずれている)。

テオティワカンの死者の通りとハドソン湾の位置関係

テオティワカンの死者の通りとハドソン湾の位置関係

しかし、どちらもハドソン湾を直接指している。ストーンヘンジとテオティワカンは、ヤンガードリアス以前に建設され、当時の南北軸と一致したのだろうか。

第二に、氷のない南極大陸を表現した古地図である。1531年にフランスの地理学者オロンス・フィネによって「古代海王地図」と呼ばれる古地図群が出版されたが、その地図は1531年よりもはるかに古いものだった。どうやら、それらはかなり古代の人々によって描かれ、過去の文明(ギリシャ人、フェニキア人など)によって保存され、最終的にフィネによって発見されたようだ。

これらの地図の本当に驚くべき特徴は、まったく氷河作用を受けていない南極大陸が描かれていることだ。発見当時(1531年)のことを思い出してほしい、南極大陸はまだ知られていなかったのだ。

氷のない南極大陸を描いたオロンス・フィネの地図の一枚

氷のない南極大陸を描いたオロンス・フィネの地図の一枚

当初、この地図は否定されたが、科学者たちが南極大陸の地図を作成し始めると、古代の地図が偶然の産物にしてはあまりに正確であることがわかった。

「数年にわたる調査で、この古地図の投影図が解明された。この地図は、球面三角法を用いた高度な地図投影法で描かれたもので、19世紀まで近代的な地図科学が到達できなかった精度で、南極大陸の50以上の地点がこの地図上に位置することが判明したほど科学的なものであることが判明した」

── C. ハプグッド『極点への道』p. 258

以上の証拠から、約1万3,000年前の地理的北極は、現在の北極から北緯60度、つまり30度離れたハドソン湾のあたりにあったことが強く示唆される。

このため、北シベリアは北緯40度に位置していたことになる(現在の北シベリアの緯度は70度で、これに30度を引くと北緯40度になる)。

北緯40度は現在のスペイン、ギリシャ、イタリア、カリフォルニア、ネバダの緯度である。温帯気候の典型的な緯度である。毛長マンモスが生息していたのはこの温帯緯度の下だが、彼らの死体が冷凍保存されていたのはこの緯度の下ではない。

彗星の衝突は、地球の極の位置を含め、私たちの惑星に劇的な影響を与えた。では、どのようにしてそれが起こったのかを見てみよう。

地殻のズレ(滑り量)

地球の内部構造

地球の内部構造

私たちが目にするのは固い岩でできた表面(山、砂漠、海底など)だけなので、私たちの惑星は固い岩の塊だと考えている。しかし、固い岩石は地球のごく一部であり、厚さ100km(60マイル)にも満たない薄い層("地殻"または"岩石圏“と呼ばれる)にすぎない。

地殻の向こう側にはマントルがあり、平均厚さ2,886kmのマグマの厚い層である。マントルの下部は、溶融した物質を結合させる大きな圧力のために固体のように振る舞うが、上部マントルは岩流圏(アセノスィア)とも呼ばれ、高温で比較的圧力が低いため、粘性が低く、半流動体のような力学的性質を持っている。

これらの流体特性は、特にアセノスィアの特定の層に存在する。

「このような層は、アセノスィアの深さ100マイルほどのところで発見されたようだ。ソビエトの地球物理学者ウラジミール・ウラジミロヴィチ・ベロウソフ Vladimir Vladimirovich E. Beloussov によれば、この深さでは相変化(物質の状態が気体、液体、固体の間を変化する過程)によって化学的プロセスが起こり、重い岩石が軽い岩石に変化し、軽い岩石が地表に上昇しようとして重力不安定を引き起こしているという。ベロウソフはこれを “導波路層 wave-guide layer “と名付けた。アメリカの地球物理学者フランク・プレスの観測もおおむね一致している。プレスは(衛星観測から)この層がまさに液体の層であることを発見した。もし地球の外殻が内部の上を一体となって滑るのであれば、この層がその動きを起こす最も可能性の高いレベルだと思われる。

── チャールズ・ハプグッド『極点への道』p.119

つまり、力学的な観点から見ると、地殻は海に浮かぶ氷山(低粘性アセノスフィア)に比較的似ている。マントルの粘性が低いということは、大陸が漂流し続ける理由を説明する。また、地殻をマントルと相対的に移動させるのに必要な力学的力は、惑星全体を移動させるのに必要な力よりもはるかに小さいことも示唆している。

惑星全体(地殻、マントル、コア)を移動させるには、莫大な力が必要になる。ファイアストーンが仮定した小惑星(直径約50マイル)との相対的なデータを小惑星衝突シミュレーターに入力すると、ファイアストーンの彗星片のエネルギーは、惑星全体の軌道、自転率、傾きの変化を誘発するには低すぎる。そのような物体は、比較的に運動量が大きすぎる我々の惑星を動かすことはできない。

小惑星が引き起こす地殻すべりの機械的シミュレーション

小惑星が引き起こす地殻すべりの機械的シミュレーション

比較のために、地球の推定質量は約6X1024kgであり、直径100マイルの小惑星の質量は約1.2X1018kgである。したがって、地球は彗星片の約500万倍重い。

しかし、上部マントルの粘性が低いため、このような衝突によって地殻をマントルに相対的に滑らせることができたかもしれない。特に、衝突してきた小惑星が低い角度(地球の表面に対して接線に近い角度)を示していた場合、ファイアストーンが仮定した彗星片のケースと思われる。上の図は、小惑星が誘発した地殻のすべりに関する物理学を示している。全体の推論はここにある。

チャールズ・ハプグッドによれば、彗星からの衝撃によって地殻が約30度傾き、地理的極点が現在の位置に移動したという。イタリア人エンジニアのフラヴィオ・バルビエロ Flavio Barbiero によれば、地殻は約20度傾いたという。

※フラヴィオ・バルビエロ:彼は数冊の本を書き、その最初の本は1974 年に出版された『氷の下の文明』 (ノース出版社) で、その中で南極大陸のアトランティスの位置を理論化した。科学的分析を通じて、11,000年前に起こった惑星大災害の様子を説明しようとしている。彼は最終的に、たとえ小さな天体であっても、地球の自転軸に及ぼす天体の影響についての論文を作成することになる。この重大な変化は実際の気候変動を引き起こし、季節現象を引き起こした。実際、衝突前、地軸は黄道面にほぼ垂直であったため、季節の変化は回避された。ここで、さまざまな気候条件の下で、南極大陸には部分的に氷がなく、したがっておそらく人類も居住していることが明らかになった。※『秘密のない聖書』La Bibbia senza segreti

ハプグッドとバルビエロは真実に近いかもしれない。いずれにせよ、シベリアを永久凍土地域(北緯60度以上)に移動させ、マンモスを凍らせたままにするためには、20度以上のずれがあったに違いない。

この時点で私たちは、マンモスがどのように急速冷凍されたのか、そしてどのように冷凍されたままだったのか(地殻変動によって北極がシベリアに近づいた)については、だいたいの見当がついている。しかし、マンモスの死体からは、他にも不可解な証拠がいくつか見つかった。

検視官の裁定

1800年以降、少なくとも11の科学探検隊が冷凍マンモスを発掘した。そのほとんどは、ウシ、クズリ、ハタネズミ、リス、バイソン、ウサギ、オオヤマネコといった他の哺乳類とともに北シベリアで発見された。

ベレゾフカ・マンモスはおそらく最も有名なものだろう。ベレゾフカ川沿い(これが名前の由来である)で凍結した状態で発見され、ほぼ完璧な状態で保存されていた。

ベレゾフカのマンモス

ベレゾフカのマンモス

体幹の一部と頭部だけは氷に埋もれておらず、肉食動物に食べられてしまったため、復元する必要があった。

ロシアのサンクトペテルブルクにある動物学博物館には、北極圏のすぐ内側にあるベレゾフカ川の近くで発見されたときの姿勢で展示されている。

冷凍マンモスの原始状態によって、科学者たちはマンモスそのものや死因について多くの情報を引き出すことができた。

実際、マンモスの保存状態は非常に良好であるため、マンモスのDNAをアジアゾウと接合し、絶滅したウーリーマンモスを復活しようとしている科学者もいる。

多くのマンモスを調査した検死官は、多くのマンモスに同じ特徴を発見した。

骨折:ベレゾフカのマンモスには、数本の肋骨、肩甲骨、骨盤を含む多数の骨折があった。
:冷凍マンモスの肺や消化管から発見された。特筆すべきは、死因が窒息死であることだ。少なくとも三頭のマンモスと二頭のサイが窒息死した。残りのウーリー・マンモスについては、それ以外の死因は確認されていない。ヴォロソヴィッチは、ボリショイ・リヤホフ島で陰茎が勃起した状態で発見された二頭目の埋まっているマンモスを窒息死と結論づけた。ディマと名づけられたマンモスの一頭には肺水腫が見られ、死の直前の激しい運動後の窒息死が示唆された。パラスサイにも窒息の症状が見られた。
イェドマ(体積で 50~90% の氷を含む有機物が豊富な─炭素質量で約2%─更新世の永久凍土):厚い氷脈が混じった土でできた山(高さ30~260フィート)。イェドマはシベリアに広く分布しており、その総面積は約100万km²に及ぶ。イェドマは炭素が非常に豊富で、文字通り枯れ木や動物の死骸で埋め尽くされている。たとえば “マンモス墓地"は、156頭以上のマンモスの死体を含むイェドマである。イェドマを構成する土壌は"黄土“と呼ばれるもので、基本的には風で飛ばされたシルト(沈泥、すなわち風成堆積物)である。
直立姿勢:ベレヴォスカを含む112頭のマンモスが直立姿勢で発見された。

川の浸食によって露出したイェドマの断面図

川の浸食によって露出したイェドマの断面図

彗星衝突の特徴とマンモスの検死官が発見した証拠がわかった今、私たちはそれらを組み合わせて、これらの生物の悲劇的な運命を決定づけた破滅的な時間軸を再構築することを試みることができる。

それぞれの場所で、災害のテーマに独自のバリエーションが生じた。世界各地で経験した災害の組み合わせについて説明するのはあまりに冗漫であるし、どのみち、我々の主要なテーマはウーリーマンモスなのだから。そこで以下の年表では、シベリアで発生し、ウーリーマンモスの絶滅につながった一連の出来事に焦点を当てることにする。

ウーリーマンモスの悲劇的な運命

マンモスの胃の中からスゲやイネ科植物などの熟した果実が発見されたことからもわかるように、舞台は約1万2,900年前の真夏、温暖で植物が繁茂した北シベリアの森である。

チェリャビンスク流星の閃光

チェリャビンスク流星の閃光

まず夜空に新しい星が現れ、やがてその大きさが増していった。昼間に見えるようになり、やがて明るさも大きさも太陽をしのぐようになった。

衝撃の数分前、"第二の太陽"は少なくとも五つの主要な部分と多くの小さな部分に分離し、シベリアの上空を横切り、北に向かう軌道をたどった後、地平線の彼方に消えた(時速約35kmで移動)。

空は、大気圏で崩壊した何千もの小さな破片の燃えるような航跡で縞模様になった。主要な彗星の破片の航跡によって引き起こされた突然の風が、地面の土を吹き上げ、周囲の木々を揺らし始めた。

航跡によって形成された低気圧によって、風は勢いを増し、空気は塵で満たされ、マンモスは頭を上げて口を開け、塵のない空気を求めてあえぎながら、風に対して身構えた。

衝突そのものが北の地平線を照らし、長時間の閃光はまばゆいばかりだった。上昇気流の柱は、熱せられた大気の塊を宇宙空間に投げ出した。気圧が急激に下がり、大気の温度が下がったため、マンモスたちは数秒間、氷河のような宇宙空間にさらされ、急速冷凍が始まった。この時点で窒息死したマンモスもいた。

この真空状態での凍結は、凍ったマンモスの下から発見された非常に特異な"酸素を含まない"氷の説明になるかもしれない。

「崖の奥深くでは、氷はより固く透明になり、場所によっては完全に白くもろくなる。短時間でも空気に触れると、この氷は再び黄褐色になり、古い氷のようになる。

明らかに、空気中の何か(おそらく酸素)が氷の中の何かと化学反応を起こしたのだ。なぜ空気(主に酸素と窒素)が氷に溶け込んでいなかったのだろうか? 液体の水が食卓塩や砂糖、その他多くの固体を溶かすように、水もまた接触した気体を溶かす。例えば、地球上のほぼすべての水と氷は、空気でほぼ飽和している。突然黄褐色に変色する前に、ヘルツの岩氷に空気が溶けていたら、化学反応はすでに起こっていただろう」

── マーク・A・クルゾス『フローズン・マンモス』

その後、ハリケーン並みの強風が、真空を再び満たすために過冷却された空気を衝突地点に向けて吹き始めた。この信じられないほどの凍るような風は何時間も続いた。もしアブレーションのコーンが半径400kmだとすると、ハリケーン級の強風(時速200km)が2時間吹き続けて真空空間を再び満たしたことになる。マンモスをはじめ、多くの生き物を芯から凍らせた。

一部のマンモスは直立したまま地面に凍りついたが、他のマンモスは吹き飛ばされたり、飛散/漂流物(木や岩)を浴びたりした。このことは、検死中に発見された多数の骨折を説明するかもしれない。

この凍てつくうねりとともに、シベリアは空前の大雨に見舞われた。降水の二大要素は冷却と塵である。冷却は凝結(大気中の水蒸気が液体の水に変わる)を引き起こし、大気中の塵は雨滴を形成する核となる。

冷却の巨大さと大気中の塵に飽和した空気の量が集中豪雨をもたらした。冷却が最も激しかったシベリアでは、雹と雪の大洪水となっただろう。

大気中の塵、煤煙、土、堆積物の量のために、降る雹と雪は非常に汚れ、シベリアに例外的に大量の凍った水、煤煙、堆積物を投棄した。汚れた雨、あられ、雪のシートは、大気中の塵と水蒸気が降水によって大気中から取り除かれれば、数日後には止むはずだったが、衝突と地殻変動によって引き起こされた継続中の地上と海底の火山噴火によって大気中の塵と水が供給され続けたため、それは続いた。

その上、冷却は “アルベド(太陽の光を地球が反射する割合)ループ" によって維持され、さらに悪化した。このループでは、惑星の表面のますます多くの部分が雪と氷で覆われ、埃っぽい大気を透過することができたわずかな太陽光をより多く反射するようになった。そしてさらに冷却が進み、氷と雪が増えた。

アルベド・ループと火山活動

アルベド・ループと火山活動

上の図は、アルベド・ループと、持続的な火山活動がどのようにこのダイナミックな現象を促進し、悪化させたかを示している。

上記では、主流概念(塵、雨の凝縮、冷却)を使って、衝撃の気象効果を説明した。しかし、特に大気中の塵が関係する場合は、電気も大きな役割を果たす。

気象現象において電気が果たす役割については、私たちの著書『地球の変化と人間と宇宙のつながり』で徹底的に取り上げている。以下は、電荷と大気中の塵が降水に及ぼす影響について、ごく簡単にまとめたものである。

水滴の大きさに対する電場の影響

水滴の大きさに対する電場の影響

天候が良い場合、地表の電子はプラスに帯電した電離層に引き寄せられる。大気中に塵があると、電子の自由な循環が妨げられ、電子は大気中の塵に捕獲され、大気中に負に帯電した領域ができる。

このような局所的な大気の電荷が、ハリケーンやそれに伴う降水、稲妻の最終的な力となる。これは、電子を地表に戻す荷電平衡現象である。さらに、電荷は水滴の増加を促進する。

この現象は、多数の大規模な大気粉塵(衝突、火山噴火、噴煙と噴出物によって引き起こされた巨大森林火災、トルネード速度の風)を発生させた。さらに、彗星の破片から飛散した大気中の塵は非常に正電荷を帯びていた。

プラスに帯電した彗星片そのものが大気の電場(地表と電離層の間)を乱し、これが混沌とした気象の原動力となっている。

比較的正常な条件下では、降水量は24時間で70インチ(約2メートル)以上にもなる。従って、上に挙げた要因(塵で飽和した大気、帯電した塵、乱された大気の電場)の独特の組み合わせによって誘発される降水量の種類を想像することができる。

降水は何トンもの大気中の塵を地上に運び、基本的に風で飛ばされた土砂と凍った水の蓄積であるイェドマ(氷が豊富な永久凍土)の原因かもしれない。

イェドマの地理的分布

イェドマの地理的分布

この風に吹かれた堆積物の層は、北半球の多くの地域を覆っていたに違いない。しかし、今日ではシベリアとアラスカの一部でしか見られない。なぜなら、これらの地域は永久凍土に覆われており、氷の複合体/イェドマをつなぎとめ、水の浸食(雨や川)によって海に流されるのを防いでいたからである。

それは窺い知ることのできない黙示録的なシナリオだった。おそらく最も近い比較対象は、数ヶ月に及ぶ氷河期の巨大ハリケーンが、驚異的な風、汚れたあられや雪の山、飛び交う木々や動物、転がる巨石を発生させ、その背景には絶えることのない火山の噴火や地震があるようなものだろう。

もちろん、津波もその一部だった。しかし、当時の海水面は現在より80メートルも低かった。だから津波の証拠は乏しい。

ハドソン衝突は津波の大きな原因だったに違いない。厚さ2マイルの氷冠に直接衝突し、数千立方マイルの氷が大西洋に放出された。この大量の氷が海に放出されたことは、海面が6メートル上昇したことで説明できる。

「氷河期の融解履歴を復元すると、13,100~12,500年前、ヤンガー・ドリアスの始まりに、大規模な北向きの融解水の流出が見られた。流出はマッケンジー川、フラム海峡を経て北極海に入り、最終的には北大西洋東部に到達した。

一方、地形学的データは、ヤンガー・ドリアスの終わりまで、セント・ローレンス海峡に向かう北と東へのルートがまだ遮断されていたことを示唆している。タヒチ、ニューギニア、バルバドスの海水準曲線は、13,000年前のヤンガー・ドリアスの始まりの頃に小さな段差(6メートル以下)を示しているが、これはこの大洪水に由来するものであろう」

── ヴィヴィアン・ゴルニッツ著『上昇する海:過去、現在、未来』p.127

上記のような大災害をじっくり考えるとき、聖書によれば、"神話上の"大洪水、つまりノアが直面し、人類のほとんどを絶滅させた40日間の雨を思い出さずにはいられない。

実際、大洪水を伝える伝承は聖書だけとは言い難い。研究者のダグラス・エディンジャーは、全大陸にわたる500の文化において、その約90%が大洪水の記述を含んでいることを発見した。

世界の神話における大洪水の記述(青い列)

世界の神話における大洪水の記述(青い欄)
アランとデレアによる、ヨーロッパとアジアにおける特定の壊滅的影響を特定する伝承※)

結論

凍ったマンモスについて調べているうちに、思いがけない異変を発見した。ヤンガー・ドリアスは1,400年にわたる世界的な冷却期間であり(下図の赤い曲線を参照)、氷床面積の増加をもたらした。しかし、同時期(13,000BP-11,500BP)に海面は約20メートル上昇した(下のグラフのように-70メートルから−50メートルへ)。

海水面 vs.地球の気温(20000BP-現在)

海水面 vs.地球の気温(20000BP-現在)

通常、冷却は氷床面積の増加を意味し、海水面の低下をもたらす(海水が氷に変わる)。しかし、ヤンガー・ドリアスには、まったく逆のことが起こった。

この余分な水はどこから来たのだろうか?

可能性のひとつは、地球外からの流入である。当時、火星は通常よりも地球に接近しており、電気的重力によって、今日火星から"消えた"と言われている水を地球が"盗んだ"のかもしれない。

そうであれば、地球で海面が急激に上昇し(ヤンガー・ドリアス期の冷却にもかかわらず)、火星には過去に広大な水系があったことを示す証拠がたくさんあるにもかかわらず、現在の火星が乾燥した惑星であるという事実も説明できるだろう。しかし、この記事にはすでに十分突飛な(著しく型破りまたは普通でない)主張があり(彗星からの衝撃、大気のアブレーション、急速冷凍、地殻変動)、別のかなり物議を醸しそうなトピックを掘り下げるまでもない。

地球が火星と相互作用したかどうかは別として、ヤンガー・ドリアス期が深刻な大災害に見舞われたことは明らかである。ウーリーマンモスやクローヴィス(約11,500-11,000年前と考えられている中米・北米の古代先住民文化)人は、約1万3千年前に地球を深く変容させた宇宙的大事件の悲劇的な目撃者だった。

この出来事は、膨大な証拠にもかかわらず、いまだに目の前の事実を否定する斉一論者にとっては重大なトゲである。正しくないことが証明された斉一論的ドグマに固執する姿勢は『地球の変化と人間と宇宙のつながり』で述べたように、政治と権力の根幹に見出すことができる。

「支配階級の正統性(合法性)は、それがどのような政治形態をとるにせよ、戦争や飢饉、経済的苦境、あるいは日常の生活や生計を乱すあらゆる種類の災害から、国民を守ることができるという幻想に基づいている。……

宇宙が引き起こしたこれらの出来事の原因を人間に帰することで、エリートたちは、少なくともある程度は自分たちがコントロールしているという幻想を維持する。自分たちが引き起こしているのであれば、建前としては、少なくとも自分たちはそれを止めることができる」

── P. P.レスコードロン& L.ナイト・ジャジーク『地球の変化と人間と宇宙のつながり』


もし私たちの時代に、ヤンガー・ドリアス期の彗星衝突の縮小版が起こったとしたら、エリートたちがどのように反応するのか、もし本当に生き残ることができたとしたら、興味津々である。宇宙的な力の前では、人間はもろい存在であり、無力であることを認めるのだろうか? それとも、現在、地球温暖化や気候変動でやっているように、宇宙が引き起こした出来事を人為的な大災害にすり替えようとするのだろうか?

「ロシアがやった」というミームは最近、西側の(政界の)黒幕にとって非常に効果的である。このような批判的な文脈でこのミームを使おうという誘惑は、欧米の権力者たちにとってあまりに大きい。CNNの見出しが目に浮かぶようだ。

「狂気の、悪しきウラジミールは、すでに地球上のあらゆるトラブルの元凶であり、ボタンを押し、爆発させた」

プーチンがやった! 彼がボタンを押した!

プーチンがやった! 彼がボタンを押した!

──おわり

大洪水:事実か虚構か?
科学的に合理的な仮説と多くの文化の伝説のすべてを理解し、ひとつにまとめる

The Great Deluge: Fact or Fiction?
Making Sense of and Bringing Together All the Reasonable Scientific Hypotheses and Legends of Many Cultures

「大洪水:事実か虚構か?」から一部引用します。PDFファイルになっています。一部翻訳しただけですが、とても興味深い内容です。

A. 何百世代にもわたる目撃証言の口頭および書面による伝播

p.98~
有名な言語学者チャールズ・ベルリッツは、イエズス会の初期の宣教師たちが中国で「勅令によって編纂され、"すべての知識 “を記した4,320巻の書物を発見したと報告している。そこにはこう書かれている。
地球は根底から揺さぶられた。
空は北に向かって低く沈んだ。
太陽も月も星もその動きを変えた。
地球は粉々に砕け散り、その懐の水は激しく上方に押し寄せ、地球を溢れさせた。
人間は崇高な神々に反抗し、宇宙のシステムは無秩序になった
』」(129頁、ブラウン)

文字通り、中国の観測者から見れば、中国で地殻/マントルが移動して北上したとき、空は沈む代わりに持ち上がるか、地平線が沈むはずだった。おそらくありのままの意味は翻訳中に失われたのだろう。とはいえ、地球上の観測者に関する空の見解(特定の事象判断の基準となる関連事実などの関連体系)は、それに伴う災害とともに、記録されるほど劇的に変化した。

ヴェリコフスキーによれば、ヘブライ語の伝承では「通過の日の間、太陽は進路を進まなかった」とされている。もちろん、ヘブライ語の旧約聖書には、ノアの洪水や、ヘブライ人が追放されたときにバビロニア人から与えられた40昼夜降り続く雨についても記されている。

創世記とノアの物語は、紀元前4000年頃に栄えたシュメール人によって伝えられた同じ物語の要約である。シュメール人の物語は、ゼカリア・シッチンによって翻訳された『天地創造叙事詩』に記されている。彼の翻訳によって、天変地異と南極大陸の氷床の海への移動が組み合わさって起こったとされる大洪水について、より詳細な説明が明らかになった。これらの翻訳は、硬い石で作られたバビロニアの円筒印章と、メソポタミアの楔形文字が刻まれた粘土板から取られた。円筒印章は、メソポタミアの埋もれた都市の図書館に保存されていたシュメールの粘土板と結びついていた。この時代のシュメール人の著述家たちは、大洪水の物語はもっと古い時代から伝えられてきたもので、彼らの神や神々の産物ではないと主張していた。

アランとデレアの神話、伝説、伝統の編集と分析は、おそらく現在入手可能な最高の研究である。全大陸のすべての地理的、文化的地域を網羅している。顕著な観察のひとつは、大洪水後の初期の諸国と新興文明諸国を区別していることである。
アメリカ・インディアンは過去の出来事について非常に近い、あるいは類似した考えを維持していたのに対し、いわゆる文明人はより一貫性のない、不明瞭な考えを示している。アランとデレアの149ページからそのまま引用する。

伝説の永続には、文明という大きな敵がいる。文明は、理解できないものすべてを軽蔑する。懐疑主義は知性の代名詞となる。人はもはや繰り返さず、疑い、解剖し、嘲笑し、拒絶し、発明する。
神話がこのような扱いを受けても生き延びれば、詩人たちはそれを取り上げ、自分たちの商売道具にする。仮装舞踏会のために着飾ったピエロのように、羽や毛皮で飾り立てるのだ。そして、哀れな蛮族の伝説は、生き残ったとしても、オヴィッドにおける『火祭り』やテニスンにおける『アーサー王』のように、花と宝石とレースにまみれたカバのようなものである……」

伝承の編纂者や伝承の提供者が、しばしば非常に精巧な独自の概念や武勇伝を、基本的に読み書きのできない大勢の聴衆に明瞭かつ明確な言葉で伝えるためには、これらの伝承を簡略化した、あるいは一般的な形で提示する必要があった。従って、その結果としての記述は、唐突であったり、簡潔であったりすることが多く、技術的に複雑な原因よりも、より理解しやすい結果を強調する傾向があった……」

これらの大災害伝説の多くは、大火災と世界的な洪水に分けられる。そして、このグループ分けの中では、大洪水に先行して大火災が起こり、その後に大洪水が火を消したと主張するものが多い。北シベリアの埋もれた木々やその他の植物相の鑑識で証明された事例がそれである。

大洪水には、可燃物や樹脂の空中(大気の)落下が含まれている。植生の大量燃焼、沸騰する川・湖・海、雷、周期的な風、雷鳴、そして大音響。このような災難の原因は、宇宙天体が地球上空を通過し、あるいは地球に衝突したことに起因することが非常に多かった。これらの天体は、雹、砂利、石、塵の空中落下、褐鉄鉱の空中落下、彗星天体の分裂、地球の軸方向/回転方向の変化、汚染された大気と崩壊した空(太陽を遮る塵とガスの残存)、恒星の再配置をもたらした。

多くの伝統では、地形の変化も起こっている。地球の軸線/回転の変化、山脈の隆起、台地の陥没や隆起、失われた土地や湖、火山活動などである。地殻のこれらの世界的な変化は、地球のジオイド(海面の平均の高さを地表面とした仮想の地球表面)を急速に変化させた地殻-マントル・ユニット・シフトの軸方向の変化と関連している。

アランとデレアは、次のページでコピーされ集計された伝承と伝説の世界的なコレクションを再検討した後の最終的な結論として、次のように述べている。

「真に独立した再収集だけが、このような表面的には矛盾しながらも地理的には正しい詳細を含んでいる」

地質学/古生物学、植物学/動物学、そして伝統/伝説の三段組みの一覧表は、大洪水は実際に起こったという事実上同じ物語を語っている。アランとデレアは「大洪水と大災害に関する伝承の地理的分布」の表の序文で、生存者たちは大災害が間近に迫っていることを予告されていたと主張している。どうしてそのようなことが言えるのか、私にはよくわからない。生存者は、偶然にも雷雨や大火災の危険から逃れられる場所に住んでいた幸運な人たちであり、隆起する海から離れた高所に住んでいた人たちである。もちろん、ノアは警告を受けただけでなく、生き残る方法について具体的な指示を与えられた。この驚くべきノアの物語については、後で詳しく説明する。

アランとデレアの「特定の大災害の影響を示す伝承(様々な大陸地域について)」の表をコピーし、あなたの便宜のために提供する。これらの表には、アランとデレアが使用した文献が含まれている。大洪水に関する伝承には劣るものの、"大火災/暴風雨"という災厄には、世界の主要地域ごとに数多くの事例があることが示されている。

もう一つの興味深い観察は、伝承されているさまざまな"大気の落下aerial fall“の話は、北ヨーロッパとアメリカ大陸からもたらされたものだということである。シベリアの文化圏では、おそらくすべて滅んでしまったため、語るべき話がなかったのである。

アーク放電がカナダ北部で地球に衝突し、ヨーロッパ、シベリア、カナダ、グリーンランド、アラスカに円周方向に破片を放出したため、"大気の落下"は北極地域とアメリカ大陸で目撃されると予想されている。アーク放電によって地殻から噴出した他の破片は、米国と南米を通る75度子午線に沿った南向きの衝突方向に向かった。あられ、砂利、石、可燃性物質、褐鉄質の物質のうち、ほとんどの大気の落下物は、主に北米と南米に落下すると予想され、実際に落下した。ハイドロプレートは主に北極で引き離されたので、同様の大気の落下物の放出は、アランとデレアの大災害の伝統の表によって示されるように、北極圏周辺の地域で予想される。

この表はまた、アフリカ、オーストラリア、オセアニアではこの種の伝承が少ないか、全くないことを裏付けている。世界のこれらの地域は、確かに塵の多い大気と崩壊した空を目撃するだろうが、ハドソン湾地域のアーク放電や北極のハイドロプレートの高圧放水からの放出物質と"大気の落下"の提案された軌道の直接の視線上にはないだろう。

コメント欄から

かつて象牙は、狩猟で捕獲された動物から切り出されたものではなく、シベリアの地中から掘り出されたものだったと聞いている。象牙は、他の種を含む骨でできた島々のような、大きな山になって現れた。これは、この種の絶滅の原因が大津波であったことを示す証拠である。
すべての象牙がそうでないにしても、かつてはシベリアの地中から掘り出されたもので、狩猟動物から淘汰されたものではなかったと私は理解している。象牙は、他の種を含む骨で作られた島々のような、大きな山になって現れた。これは、この種の絶滅の原因が大津波であったことを示す証拠である。

また、この時代のメガファウナがなぜ徹底的に絶滅したのかも興味深い推測である。環境条件(重力)が変わり、このような大きな体を支えきれなくなったのだろうか? 恐竜についても同じ疑問がある。

彗星からの衝撃もあり得るし、現在の軌道にないローグ惑星もあり得る。私たちは、過去13,000年間の不安定な太陽系を否定する科学パラダイムに縛られているが、異文化の神話は全く異なる現実を指し示している。互いに、そして地球と争った天の神々とは何者だったのか? なぜ私たちは天を畏れ、審判の日を待っていたのか? 人類最大の物語は、記憶の中に最も埋もれ、主流派によって最も激しく否定されているものなのだろうか? イマニュエル・ヴェリコフスキーが指摘したように、私たちは文化的健忘症に陥っているのだろうか?

これらすべてのテーマについては、来月フェニックスで開催される2017年エレクトリック・ユニバース/サンダーボルツ・カンファレンス(8月17~20日)で詳しく説明する。ピエールは来る? 私はヴェリコフスキーの “Mankind in Amnesia “について講演する予定だ。

しかし、『衝突する宇宙』の中でも、ヴェリコフスキーはマンモスの絶滅と、この大災害に伴う気候の変化について論じている。
「マンモスの突然の絶滅は大災害によるもので、おそらく窒息か感電死によるものであろう。その直後にシベリア大陸が極地へ移動したことが、おそらく死体の保存の原因であろう」「マンモスは、他の動物とともに、大気圏の高い位置で猛威を振るった火災による自然発生的な酸素不足を伴うガスの嵐によって殺されたようだ。数日後、マンモスの瀕死の死体が極圏に移動した。アメリカ北東部は数時間で、極圏の極寒地帯から中庸地帯に移動し、シベリア北東部は逆に中庸地帯から極圏に移動した。現在のシベリア北部の寒冷な気候は、ヨーロッパとアメリカの氷河期が突然終わったときに始まった」

コメント欄をチェックしていたら、著者のレスコードロン氏の投稿があったので引用します。

ブルトンさん、私も急速冷凍された人間がいないことを不思議に思っていました。北シベリアは温暖で食料も豊富で、ウーリーマンモスと一緒に十数種類の属が瞬間冷凍されていた。

もしかしたら、北シベリアには当時あまり人が住んでいなかったか、あるいはそこに住んでいた人たちが、その後浸水した海岸の近くにいたのかもしれない(当時の海水面は80メートルも低かった)。

あなたの記事を読んで、私がどれほどほくほくし、幸せで、大喜びしているか、想像できないでしょう! 私は12歳のとき(現在78歳)、地理の授業で初めて凍ったマンモスの話を聞き、温帯地域でキンポウゲや草をむしゃむしゃ食べている間に凍ったに違いないと感じたが、そんなはずはない、そんな本や記事はすべてデマだ、ナンセンスだ、などと繰り返し言われた。その後、私は"急速冷凍"について学んだが、そのためにどれほどの寒さが必要だったのか、いまだに調べることができなかった。そして、おそらく隕石や小惑星の衝突によって氷河期が短期間で終了したことを知った後でも、その例外的な寒さがどのようにしてあんなに広い地域を短期間で襲ったり、極地を指一本で別の地域に押しやったりしたのか、正確に解明することはできなかった。ハプグッドの『極の道』という本でさえ、そのような極の移動には何千年もかかっただろうと示唆しているように思えた。
でも、あなたが説明してくれた! 私はずっと正しかったのだ! 15歳で学校を辞めた小さな私!
本当にありがとう!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

Posted by kiyo.I