自分を責める理由はありません。戦いは終わりにしませんか

しあわせを選んでください。

でもなぜか責めてしまいます。
・またドジをやっちゃった
・こんなに努力してるのに変われない
・同じことばかり考えてる
責めてしがいがちな人は真面目すぎるのかもしれません。

しあわせや愛は居心地が悪いですか?
似合っていませんか? 

だったら、今まで通り自分を責め続けてください。
・・・・・・もしそう言われたら、、、

本当は責めるなんてことは止めたいでしょう? 
もう意地を張るのはお終いにして「詫びる=降伏」しませんか? 
許してしまうと負けたような気がするかもしれません。

でも、いったい何に負けたというのでしょうか?

戦いは終わりにしませんか

小さい頃、父や母にしてもらえなかったことや聞いてもらえなかった時のことを思い出してください。いっぱいありすぎて忘れたかもしれません。忘れたかもしれませんが、実はいまだに根に持っているのです。だから責めることを止めてしまうと、負けたような気がします。でも今あなたが大人になってその情景を思い返したとき、今のあなたは小さな子供にどう接しますか? あなたの父や母と同じようにしているかもしれません。父も母もあなたもその時はそういう風にしかできなかったのです。だから許してあげて詫(わび)て手放しませんか。戦いは終わりにしませんか。

沈黙 静かな表情

あらゆる問題の根っこには自分を責めてしまうこと=自己攻撃があるようです。
自分を好きになれず嫌いになってしまって自ら罰してしまう人もいます。なんとか改善したいために自ら罰してしまう人もいます。罪悪感で責めたり、自分の容姿や能力を疑い価値がないと信じてしまう人もいます。虐待してしまうことすらあります。
攻撃する対象は自分だけにとどまりません。まわりの人も攻撃してしまいます。その結果、人間関係でトラブルを引き起こし破壊してしまいます。自分の中に引きこもることさえあります。

なぜわざわざ自分で自分のことを責めたり、罰するのでしょうか? 辛いだけなのに。

もうこれ以上自分を追い詰めないでください。

辛い気持ちにさせてしまうもの
罪悪感
犠牲
無価値感
無意味感
惨めさ
悲しみ
認めてもらえない
あげればきりがありません。
その挙句、生きる価値がないと思い、死にたいとさえ感じてしまう。

どうしてここまで自分を追いつめてしまうのでしょう?

生真面目すぎるのかもしれません。生真面目な人は自分のことをけっこういい加減だと思っているものです。だからその生真面目さが自分を追い詰めていることに気が付きません。

あなたはもう十分に自分に対して厳しいのです。もうこれ以上自分を追い詰めないでください。

その根っこには、父や母にしてもらえなかったことや聞いてもらえなかった時のことを許していないのかもしれません。それと同時に父や母からちゃんと相手にされなかった自分は価値がないと決めてしまったのかもしれません。ですがその時の情景を振り返ってみると、父も母も余裕がなかっただけなのかもしれません。それを見て幼かったあなたは誤解しただけなのかもしれません。あなたに原因があったのではなく両親の個人的な事情だったのです。だとしたら、自分は価値がないと決めてしまったこと自体間違いだったのです。

降伏(わびる)と幸福(しあわせ)

降伏と幸福。読み方は同じです。父や母やまわりの人に振り上げた手を下ろして「わびて=降伏」してください。
それは負ける事ではありません。
誤解だったことに気づき「わびて=降伏」して幸福を選び直してください。

しあわせを選ぶ

あの時はあのようにしかできなかったのです。子ども心にあのように思うしかなかったのです。そのせいで間違って根に持ってしまったのです。自分を責めるという無益な試みはもう終わりにしてください。自分を愛していれば自然にまわりの人も愛しています。

Posted by kiyo.I