嫌われることが怖い。嫌われないための努力は報われない

[balloon_right img="https://quietsphere.info/wp-content/uploads/angel-60pur.png" caption=""]嫌われないためにしている行為で嫌いになるのは自分本人です[/balloon_right]

「わたしは嫌われている」って、どこかで決めつけていませんか? こんな私を好きになってくれるはずがない、嫌われるに決まっているって思い込んでいませんか? その"信念"が現実になっているだけだとしたら。

以前『嫌われる勇気』という本が話題になりました。
嫌われる勇気。嫌われても平気! へっちゃら!
そう思い切れれば世話はないのかもしれません。わたしたちは嫌われることにとても敏感です。誰にも嫌われたくはありません。

こちらを見つめる女性の顔のアップ

嫌われることに敏感すぎると、人間関係そのものから自分を切り離したり、嫌われまいとして人に媚びへつらいます。好かれようとして他人の要望に応え過ぎてしまうと自分を見失います。
進んで奉仕しているわけではないので、我慢が必要です。したくもないのにしているとストレスが溜まります。度が過ぎると文句が出てきます。そのうちイヤイヤしている自分を責めたくなります。
結局、嫌われないためにしている行為で嫌いになるのは自分本人です。これではなんのためにしているのかわからなくなります。

嫌われないための努力は報われない

嫌われるのは嫌ですから何かしら努力します。自分を印象良く見せ、まわりの人には気を使います。していることは人の役に立っているかもしれません。けれど動機が間違っています。動機が間違っているので人からお礼をされても、ちっとも喜べません。疲れます。

嫌われないためにしている努力や行為自体、別の新たな問題を引き起こすことに気づいて、嫌われる勇気を持ってやめることができればそれに越したことはありません。
ですが、どうしても嫌われても平気って思い切れないとしたら、それはなぜなのでしょうか?

そこには、嫌われて傷ついた痛みがあるのかもしれません。過去の痛みと現在の人間関係での怖れが心のなかで"共鳴"するのです。

嫌われるのが怖い。それが始まったのはいつですか?

その最初の始まりは両親との間で父と母は私のことを嫌いなのかもしれないと思ったのかもしれません。
父と母は私のことを本当に好きなのだろうかという疑いです。子供ごころに誰でも一度は抱く疑問かもしれません。こうした怖れは深いところに埋め込まれているので、普段は気にならないかもしれません。
でもその時の解決していない疑問や痛みが今のあなたに嫌われることへの怖れを引き起こしている一因かもしれません。

嫌われるのが怖いのは自己評価が間違っているから

人から嫌われるのが怖い一方で、どこかであなたはあなた自身のことを嫌っていませんか?

あなたがあなたのことを嫌っていなければ、嫌われることが怖いとは思いません。

例えば、あなたは誰に対しても優しくて落ち着いた人だとします。誰かに『あなたはすごく乱暴ね』と言われたとしても傷ついたりしません。何のこと?って感じで終わります。
ところが気にしているところを指摘されたら、とたんに嫌な感じになります。そのうち言われる前から同じようなことを言われないだろうかって不安になり、それがもっと進めば怖さになります。

その怖さの根っこにあるのは、あなたがあなたのことを嫌っていて、こんな自分ではダメだという思いです。それは誤解から始まった自己イメージです。ですからその根っこにあるネガティブな自己イメージ(判断=誤解)を手放せば、怖さはなくなります。

後姿 白に線画のイラスト

Posted by kiyo.I