あなたは悩みさえも大切にしている
大切にしているものはなんですか?
誰にでも大切にしているものがあります。
夢? 仕事? 友人関係? 家族? 宝物? それとも内緒のなにか?
大切だと思っている限り、そのあるものはあなたから離れていきません。ずっと持っていられるものです。もうこれは自分にとっては大切ではないと思ったら、それはあなたの視界から消えていきます。
大切だと考えている対象は普通は「いいもの」です。言い換えれば肯定的に評価している何かのはずです。反対に「悪いこと」まで大切にしていたとしたら、それはちょっとマズイかもしれません。
悩みを大切にしている?
悩みや不安も「大切」にしているからこそ消えないのだと言ったら驚きますか?
あの事があったから、あれさえなければ、あの人さえいなければ、こんな悩みは持たなかったのに、、、って私たちは考えがちです。だとしても「あれ」がなくなってくれるわけではありません。それはいつまでも悩みのタネとして居座り続けます。仮に悩みの原因となった「ある人」が亡くなったり、いなくなったとしても心の中にいつまでも残り続けます。忘れたと思っていてもひょっとしたきっかけで思い出すものです。
あのせいでこのせいであの人のせいでと考え続けている限り、それはしつこく追いかけてきます。追い払おうとしても逆に飲み込まれ食べられちゃうかもしれません。
ではどうすればいいのでしょうか?
あなたが大切な人や物を大事にしているように、悩みや不安も心の何処かで大事にしているのかもしれません。
誰かや何かのせいではなく、あなたが持っていたいのです。そうかもしれないって想像を膨らませてみてください。その悩みを持っている自分こそがまるで自分本来の姿であるかのよう
に錯覚しているのかもしれません。
悩みのタネになっている出来事や人にこだわってしまうのは人や出来事のせいではありません。悩んでいる当人が執着しているのです。
執着が手放せないのは手放すと自分だけが損をしたりバカを見るような気になるせいかもしれません。どうしても許せない何かがあるのかもしれません。
でも真実は逆です。執着を手放さないでいると実際は自分だけが損をしたりバカを見る羽目になります。また許していないとまわりの同じような行為が気になって仕方なくなり、逆に縛られてしまいます。そこには仕返しを未だに果たしていないという思いが隠れているのかもしれません。ですが実際は自分自身に仕返しをしていたのです。
大切なのはモノ=対象ではなく自分です
大切にするという心の中の動作と執着するという心の中での動作はどこか似ていませんか? その対象をずっとつかんでいるという点では似ていませんか?
別れた彼、彼女に執着する、失くしてしまった人、モノに執着する、執着するという事はその中にある何かを捨てきれないで大切にしているという事です。何を大切にしているのでしょうか? 大切にしているものがわかったらそれは人でなくてもモノでなくてもいいのかもしれません。悩みや不安を心のどこかで「大切」にしているとしたら、それを持ち続けることになります。
持ち続けるという事は持っているもので自分を証明したいのかもしれません。マニアというか集めるのがとても好きな人がいますが、蒐集した品物で自分という存在を証明しようとしているのかもしれませんね。
持ち続けていたい何か=悩みや思い出、過去の出来事=対象より今の自分自身のほうが大切ではありませんか? 持ち続けるよりも自分はどういう存在でいたいのか? どう在りたいのかが大切ではありませんか? そこに焦点を定めると、自然と未来に目が向きませんか? 過去に執着することから解き放たれ、過去から学び未来に向かうことが簡単になるのではありませんか?
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