許せないとなぜかその人に似てくる。許しが解毒剤です
許せない人がいますか? それは親ですか? それとも”天敵”のような”あの人”ですか? 許せないままでいると次第にその人に「似てきた」と思ったことはありませんでしたか?
皮肉なことに、その人のことをどうしても許せないとか嫌いで嫌いで考えるだけでも嫌だと思っていると、許せない人や嫌いな人に似てきます。不思議ですね。
謝れない、どうしても許せない人に似てくる
わたしもそういう経験がありました。若い頃、父親が嫌いでたまらない一時期がありました。ああいうふうにはなりたくない。絶対に嫌だ! と思っていました。ところが40代になった頃、自分がその父親に似てきたことに気が付きました。口癖とか仕草が似てきた自分を”発見”しました。そこに気がついたときの気まずさは今でもよく覚えています。似てきた自分を見てますます嫌気が差したのは言うまでもありません。
親に言われたことされたこと、それが不快なものであればあるほど、わたしたちは恨みつらみの気持ちを抱きます。それが虐待のような言葉や肉体的な暴力であればなおさらです。許せない気持ちを心に秘めて大きくなります。
似てくるか正反対か
大人になってもそのまま親や誰かを嫌っていたり批判していると、その人に似てくるか正反対の行動を取るようになるかのどちらかです。あなたはどちらですか? 今度は自分が親になって子供に同じようなことをしていますか? それとも親のとった行動を償うような生き方をしていますか? 外に表す仕草が似てきたとしても正反対だったとしても内心では似たところが嫌でたまりません。自分を許せないという点ではどちらも同じです。あのようにだけはなりたくなかった親の嫌な言動をいつしか自分もする羽目になるか償いの人生になるかどちらかです。
相手を非難し許せない気持ちを持ち続けていると同じところをぐるぐると回り続けている感覚がしませんか? 批判したり嫌うということは親や誰かのとった行動が許せない気持ちは当然だし、許せるわけがない、絶対に「自分は正しい」って自らの行いを正当化しています。もし許しでもしたら相手を無罪放免にして馬鹿を見るのは自分の方だって感じてしまいます。許してしまうとこれまで苦しんできた自分は何だったんだと思います。一度でも許してしまうと傷つけられた痛みに一生付きまとわれてしまい、そこから抜け出せないような気がします。
相手が謝るまでは許せない
相手から謝罪の言葉が欲しい。「悪かった」って一言が聞きたい。それまでは絶対に許さないぞってますます自分を正当化していきます。自分は絶対に間違ってないと思えば思うほど相手の行動が気になり怒りさえ湧いてきます。しかしいつまで経っても「ごめんなさい」の言葉は相手から聞くことができません。
こうなってしまうともはや出口はないように思えてきます。そのうえますますお互いが意固地になってきます。親には親の子には子の痛みや罪悪感があります。それを隠してお互いに一歩も譲ろうとしません。歩み寄ることはできないのでしょうか? 出口はないのでしょうか?
人は自分の内面にあるものを外に投影します。自分の何かが原因だとは思わず自分以外の何かが悪いのだと感じています。だから外に問題を見つけます。親をはじめ相手を許してないという事は自分の中の何かを許してないという事です。ですから相手を許すという事は実は自分自身を許すという事にもなります。自分を許すと親との膠着状態から解放されあなたも親も自由になれます。
試してください。あなたの方から許そうって
でも「これまでの苦しみは何だったんだ」という恨みつらみで「許す」なんてとんでもないという気持ちが湧き起こってきます。でもこれからもずっと親への非難や恨みつらみを持ち続けたいですか? 苦しむのはあなた一人だけですか? 一人を許してないとその他大勢の人も許せていないのではないですか? 一人だけの問題ではありません。あなたのまわりの人も巻き込んでしまいます。
試しに「許してみよう」って思ってみませんか?
あなたの方から「私はあなたを許します」と言ってみてください。
直接言えなければ心の中でその人をイメージして言ってください。試してください。そのとき、あなたの心の中で何かが起きます。いろいろな感情が出てきます。それを感じてください。
あなたの方から許すことで、相手の本当の姿が見えてきます。自分が何を感じていたのか、恨みつらみの気持ちではなく、もっと大切な何かが見えてくるはずです。
許すという事は、まず何よりも自分を許すことです。許すことで無力感、怒り、憎悪、疲れ切った状態、引きこもり、誰かの犠牲になっている感覚、頑張りすぎ、人に対する不信などから解放されます。人を憎むよりあなたの幸せを追求してください。