ウクライナ、ブチャの虐殺、メディアの誤報は続く
ネオナチの蛮行をロシアのせいにするメディア
ふと、思ったのですが、確か、アメリカは、外国にいるアメリカ人の生命が危険にさらされたら、どこであろうと助けると言っていました。愛国心の鏡のような姿勢です。ほめそやしていた人もいたはずです。ウクライナでロシア人の命が危険にさらされたらロシアが助けるというのと、どこが違うのでしょうか?
ウクライナのブチャでロシア軍による虐殺があったと報じられています。また、いつもの”誤報”です。ロシアはウクライナと戦っているわけではありません。ウクライナの土地を暴力で支配しているナチス、すなわちネオナチ、その背後にいるディープステートと呼ばれる戦争屋と戦っています。ここを押さえておかないと、何が起きているのか、大きな勘違いをしてしまいます。
さらに、ナチス思想はウクライナだけではなく、欧米でネオナチを支持する勢力が根を張っています。これまで欧米支配層は、シリア、リビア、イラク、アフガニスタンではイスラムとタグをつけたテロリストを使って、ウクライナではネオナチを使って国と民族を破壊してきました。メディアは彼らの道具ですから、こうした殺人、破壊を正当化しています。正しいことであるかのように。それが今、再びウクライナで繰り返されています。ですから日本や欧米のメディアは事実とは異なることを報道します。テレビに出てくる専門家を名乗る人も同様です。
ウクライナのネオナチ集団が何をしているか、何もご存知でない方は、知れば卒倒するかもしれません。とても人間がすることとは思えない残虐なことを少なくとも8年以上続けています。それは以前の記事で紹介しました。ナチスが警察であり、軍隊であり、政府ですから、ウクライナに住んでいる人々はどこに訴えればいいのでしょうか? 今回のパンデミックも同じ構造です。
日本政府はバイデンに続いてロシアの行為を戦争犯罪だときめつけたようです。ベトナム、南米、ユーゴスラビア、イラク、シリア、リビア、、、これまで、幾多のアメリカやNATOの戦争犯罪を訴えたことがありましたか? 残念ながら、そういう事実を知らない人の方が多いのかもしれません。メディアが嘘をつき続けてきたから。
さて、ここで、なにが起きていたのか振り返ってみたいと思います。ユーチューブで及川幸久さんがウクライナで起きていることを客観的に報告されています。3月12日の「ウクライナ元首相の告発! プーチンはウクライナ東部の数十万の命を救った !!」で取り上げられている「ウクライナの元首相、プーチンが数十万人の命を救ったと主張」という記事を本題に入る前に紹介します。今回のネオナチ退治を始めざるを得なかった状況が見えてくると思います。
Former Ukrainian Prime Minister Claims Putin Saved Hundreds of Thousands of Lives
March 8, 2022
「ウクライナの元首相、プーチンが数十万人の命を救ったと主張」
「第三次世界大戦と核兵器によるロシアへの攻撃を防ぐため、ロシア政府は脅威を無力化し、ウクライナの秩序を回復することにした」─アザロフ元ウクライナ大統領
ウクライナの元首相ニコライ・アザロフ氏が、北大西洋条約機構(NATO)がロシアへの核攻撃を計画していると主張するメッセージをFacebookで公開した。彼らの攻撃の可能性に対し、ロシアは事態を収拾し、ウクライナの秩序を回復することを決定した。
「NATOはロシアに対して核兵器を使用し、第三次世界大戦を引き起こしたいと考えていた」とアザロフ氏は述べた。
「2021年12月以来、ロシアはNATOがウクライナの領土に4つの軍事旅団(陸軍2、海軍1、空軍1)を配備する計画について情報を受け取っている」
そのうちの1旅団は核弾頭を搭載することができる。第三次世界大戦
NATOは2022年の夏に部隊を配備したいと考えていた。2004年、2005年、2010年に首相を務めたアザロフ氏は、「第三次世界大戦と核兵器を使用したロシアへの攻撃を防ぐため、ロシア政府はこの状況を止め、ウクライナの秩序を回復することを決定した」と書いている。
https://twitter.com/telesurenglish/status/1499920566333153280?s=20&t=EOj0hyg4m3ZiFg4GbTkebg
ウクライナの元首相ニコライ・アザロフは、#NATOが#ウクライナとの地政学的問題の存在を利用して、#ロシアに対する第三次世界大戦を計画したと主張した。
彼は、ウクライナ軍はドンバスで軍事作戦を展開し、ロシア語を話す住民を一掃することも計画していたと述べている。この攻撃は米国と連携しており、2022年2月25日に開始される予定であった。
海外向けの偽情報を流すことに長い伝統を持つロシアは(アメリカのメディアの記事ですから)、ウクライナ軍が8年前からドンバス地方のロシア人を攻撃しているとするドンバス地方出身者のインタビューを複数公開した。その結果、数千人が死亡し、さらに多くの負傷者が出ている。
ドンバス地域の住民のインタビューをご覧ください。
https://rumble.com/vwt0d0-interviews-with-residents-of-donbas-ukrainian-military-has-been-attacking-i.html
救われた命
ロシアのプーチン大統領は、ウクライナでの特別軍事作戦の命令により、ドネツクとルハンスク(ドンバス地域と総称)の数十万人の命を救ったと、元首相は述べている。また、アザロフ氏は、ロシアがウクライナで軍事作戦を開始する1週間前に、ドネツク人民共和国軍がドンバス地域への大規模な攻撃が詳細に記されたウクライナ軍の地図を押収したと発言している。
プーチンが先手を打ったということです。NATOという組織はソ連が崩壊した時に、その役割は終わったはずなんですけれど、一体何のためにいまだに存在しているのでしょうか? 西欧社会を守ると称してどれだけの数の国を壊してきたのでしょうか?
そういうNATOがウクライナに核兵器を配備するという計画はありそうなことです。ウクライナのゼレンスキーも欲しがっていました。その核兵器配備(ロシアはすぐ鼻の先です)とウクライナ東部のドンバス地方のロシア系住民をネオナチを使って虐殺して消滅させる作戦を未然に防いだのが今回のロシアの決断です。
▼アメリカは慎重な意見、反対意見を表明するメディアがあるから、まだマシですね。日本のメディアは、まともなところがひとつもありません。ワクチンの危険性すら知らせません。メディア報道は人道に対する罪を毎日積み重ねているといえます。
※ツイッターやテレグラムのコメントにロシア語がいっぱい出てきます。今回も「ウクライナで起きていたこと②」でご教授頂いたロシアに住まわれたことがあり、ポーランド在住の方に翻訳を助けていただきました。この場を借りて感謝申し上げます。
ウクライナ──ブチャの大虐殺、ウクライナのティミショアラ
UKRAINE – THE MASSACRE OF BUCHA, A UKRAINIAN TIMISOARA
04/04/2022
2022年4月3日、ウクライナ当局と欧米人は、ロシアがキエフ郊外の町ブチャで市民を大虐殺したと非難した。しかし、いくつかの矛盾点から、ブチャの虐殺はティミショアラの集団墓地事件(偽情報のお手本のような事例)に値するエピソードであることがわかる。
何が本当に起こったのかを理解するためには、出来事が起こった順序に立ち戻る必要がある。
2022年3月30日、ロシア軍は主要な作戦地域であるドンバスへの部隊再配置の一環として、ブチャから撤退した。ブチャでロシア軍と一緒にいたジャーナリストのアレクサンダー・コッツは、ロシア軍はすでに数日前にこの地域から撤退を始めており、3月30日は最後の兵士が去った日に過ぎないとさえ言っている。ウクライナ軍はロシア軍が撤退したことにすぐには気づかず、数日間砲撃を続け、民間人に犠牲が出た可能性がある。
2022年3月31日、ブチャのアナトリ・フェドルーク市長は、ロシア軍が自分の町から去ったことを喜ぶビデオを録画した。このビデオの中で、彼は民間人の虐殺について一切触れていない。市長は満面の笑みを浮かべ、勝利などを語っている。
ブチャでの虐殺の可能性については一言も触れず、民間人の犠牲者についても一言も触れていない。民間人の犠牲者については一言もない。何もない。控えめに言っても、奇妙だ。(下の動画)
同時に、ブチャの様子を伝えるテレグラムチャンネル「ブチャライブ」でも、2022年3月29日、30日、31日の民間人虐殺については一切触れていない。公開スキャンダル発覚前のこのチャンネルには何もない。現地で何が起きているかを把握しているはずのチャンネルとしては、むしろ奇妙なことだ。
(上のテレグラムのコメントの訳)
ブチャでの市民への”銃撃”は、どういうわけか大きな都市共同体や地元住民には気づかれなかった。ロシア軍が街を離れてから2日後まで、”死体の山”が出現したという報告もなかった。
これは、テレグラムチャンネル「Bucha Live」の投稿に起因するもので、同チャンネルでは市内の状況を毎日、詳細に取材している。”撮影”とされる日付のコミュニティの書き込みを見れば、死体の山が横たわっているという報告はない。
人口3万人弱の小さな都市で、これだけの遺体が路上に散乱しているのを隠すのは不可能であり、地元の人たちは必ず気づいて、すぐに通報したと考えるのが自然である。
4月3日の記事に戻ると、イルペン(ブチャ近郊)の破壊されたBMD(ソビエト連邦の歩兵戦闘車。BMDとはロシア語で空挺戦闘車を意味し、空中投下が可能なように設計された装甲車両)の前でポーズをとるアレクセイ・アレストヴィッチの姿がある。まさにこの日、街頭で遺体を撮影したスキャンダラスなビデオが公開された。同時に、第三者機関のデータでも確認されているロシア国防省の声明によると、ロシア軍は3月30日にはブチャを出発している。
特に、ゼレンスキーのオフィスアドバイザーがその2日前にメディア空間から姿を消し、中佐に昇進して戻ってきたことと関連づけると、このバイラル(広告などを見た人が他人にも見せたくなること)ビデオの直接の演出家はアレストヴィッチだった可能性があることが確認される。
https://t.me/readovkanews/30021
2022年4月1日、兄から受け取ったというウクライナ人女性のアカウントによって、動画がTwitterに投稿された。そこには、路上に横たわる遺体がはっきりと映っているが、8秒後には道路の右側に迫撃砲弾によるものと思われる新たな爆弾穴がはっきりと映っている。このクレーターから数メートルしか離れていないところに複数の遺体があり、これらの民間人が頭に銃弾を受けたのではなく(他の遺体と違って縛られていない)、最近の砲撃(つまりウクライナ軍による砲撃)のために死亡したことを明確に示しているようだ。
昨日動画でツイートした通りの別の風景。
キエフ周辺での別のビデオ、通りの至る所に死体がある。ロシアがこの地域から撤退した後、犯罪の本当の規模が明らかになった…
2022年4月2日、ウクライナ警察はブチャを巡る長い動画を公開したが、そこでは訪れたすべての通りで一体しか確認できない(動画の冒頭─そして遺体の状態から、爆弾による死であることは明らかである)。
このビデオは、ウクライナの何人かの人々が公然とそう言うほど、物語に汚点を残している。
(本文は記事の中で訳されており、下の文の訳)
ウクライナの宣伝マンでさえ、ブチャの件は計画通りにはいかなかったと認めている。
この人食いたちは、スマートな演出をしたかったのだが、彼らには協同作戦の能力がたりなかった。自分で自分の姿をさらけ出した訳だ。
@epoddubny
t.me/epoddubny/9396
「大統領府の情報筋によると、バンコバでは、アントン・ゲラシチェンコの指示でブチャのクリーンアップ(ゴミ拾い)に関する国家警察のビデオをネットに掲載したことで、大きなスキャンダルが起きている。
昨日拡散された、殺害された住民の映像との強い矛盾を示すこの映像こそ、クリーンアップの2日後に作成され、州警察の報告書には記載されていなかったため、現在疑問視されている。
アレストヴィッチは、このビデオによって、なぜ街中に死者が出ていないのか、市長はクリーンアップ(ゴミ拾い)作業についてしか報告していないのか、多くの疑問が生じたため、ゲラシチェンコの行動は意図的な挑発だと考えている」と投稿されている。
同じ2022年4月2日、キエフの領土防衛のトップであるセルゲイ・コロトキク、あだ名はボーツマン(ネオナチ・アゾフ連隊で戦った)は、”彼の部下”の仕事の様子を撮影したビデオをいくつか公開している。
彼の投稿の2番目のビデオでは、6秒のところで、一人の隊員が「青い腕章(ウクライナ軍の腕章)をつけていない男たち」を撃っていいかと尋ねる声がはっきりと聞こえる。それに対して、彼の指揮官(ボーツマン)は肯定的な返答をしている。
ボーツマン達のブチャでしたこと
実は、もうあそこには何もない。焼けた機械や家屋の山があるだけ。ロシア人はこの映像を見て、自分たちがいかに周りのものを破壊しているかを確認するべきだ。そして、我々の街も、我々自身も。我々は必ずブチャを再建する。しかし、今日、このかつて居心地の良いまともな町は、ゴミ捨て場と廃墟と化している。我々の家は廃墟となり、プーチンの兵器と腐った人食い鬼の死体のゴミ捨て場と化す。
追伸:ところで、ブチャで”人民の奉仕者”のむさくるしい副官、有名な格闘家、ジャン・ベレニークに会った。偶然だった。まあ、逃げも隠れもせず、よくやったと思う。簡単にできたことだが。他の国会議員の姿は見えなかった。
t.me/botsmanua/16178
しかし、有名な「拷問部屋」を含む多くの遺体は、ロシア支配地域に住む民間人らしい白い腕章をしており(この腕章は敵対していないことを示すために用いられる)、ウクライナのロシア軍と呼応している。
梅毒病みの矛先(ウクライナのシンボルマーク)さんよ、あんたらは”占領軍”のエージェントと思われる人たちを殺すために、ブチャで自ら演出した火災劇で焼け死んだのだよ。自撮りの動画の中で焼け死んだのだよ。
この映像は、ロシア人がブチャの建物のひとつに拷問室を設置し、人々を射殺したと主張するもので、現在ウクライナ軍側の地区で流布されている。
以前の記事で書いたように、ロシア軍がいるときは、地元の人たちは(全員ではないが)念のために白い布やリボンを袖に縫い込んでいた。これは私たちの識別サインである ” friendly, don’t shoot(友好的、撃つな)”。ウクライナ軍にとって、この記号は”敵”を意味する。
そして、今度は画面に注目してください。22秒、左の遺体の上に、同じロシアの識別記号がある。ブチャに立ち寄るとすぐに、戦域大隊戦闘員たちは人々をつかまえて地下室に引きずり込み、情報を得るために拷問し、ロシア軍に”協力した”という理由で射殺した。
そして今、彼らは彼らに殺された人々を、ロシアの侵略の犠牲者として言いくるめている。そして、世界はそれを信じている。信じているふりをする。なんという壮大な嘘だ。
@sashakots
t.me/sashakots/30761
さらに、ボーツマンのテレグラム・チャンネルを見ると、死んだ人や縛られた人の最初の写真は、4月2日、つまり、ボーツマンと彼の部下がウクライナ警察とともに「ロシア軍の妨害者と共犯者から」街を掃除するために(ウクライナメディア LB.ua の2022年4月2日の記事を引用)すでに現場にいたときからだとはっきりわかる!!!
ここはブチャの町。ロシア軍が退却するとき、これが残ったものだ。市民の死体、破壊と悲しみ。そしてこれはプーチンの護衛兵がやったことではない、いいえ。これは”普通の”ロシア兵の冷酷な仕事である。このように、現代ロシアは、これ以上の死と悲しみをもたらす前に、テロ国家として破壊されなければならない。
Russia delenda est
t.me/botsmanua/16166
これを、ボーツマンチームからの「青い腕章をつけていない男性を射殺してもいいのか」という質問と合わせると、シナリオが見えてくる。
その他の矛盾点にも目を向けてみよう。数字だけでは、誰も納得しない。
ベネディクトワ検事総長は410体と発表し、ブチャ市長はAFP(フランス通信社)に電話で280体の集団墓地が見つかったと話し、AFP自身は24体しか見ていないと話し、AP通信は路上で20人死んだと発表している。
それぞれの遺体を見ると、4つの異なる場所が浮かび上がってくる。
──ヤブルンスカヤ通り。ロシア兵が去った後、ウクライナ軍のブチャへの砲撃により、約20人の市民が殺されたと推定される。2022年4月3日まで取り残されていた。
BBCの報道がこれに光を当てる。16秒、カメラマンがアスファルトに埋め込まれた迫撃砲弾を撮影している。この砲弾は南から、つまりウクライナ軍がいたところから来たものであることがわかる。
──聖アンドレイ教会の近くにある集団墓地。
ロシア軍とウクライナ軍の交戦中に死亡した市民を埋葬するために、市当局がロシア軍と協議して掘った溝(塹壕)である。そしてこの溝は3月30日や31日のものではなく、3月13日のビデオにあるように3月中旬のもので、遺体はきちんと埋められた。また、このビデオには、埋められた人々が爆撃の結果死亡したことがはっきりと書かれている。だから、ロシア軍によって処刑された民間人とは何の関係もない。ビデオによると、この集団墓地には67体の遺体がある。
──ロシア軍を収容していたであろう建物の近く、そしてその中に9体の遺体がある。
死者の一人は両手をテープと食品を包むためのラップで後ろ手に縛られている(典型的なウクライナ(ネオナチ)の方法で、数週間前からインターネット上で活発に出回っている、殴られる前に電柱に縛られる人々のすべてのビデオで見ることができる)。
また、遺体のひとつには膝に銃弾を受けた跡があり、これはウクライナ人が捕虜となったロシア兵に対して行った拷問方法(彼ら自身が撮影している)であることが明白にわかる。
これは、NATO諸国が支援するウクライナとロシアの戦争ではなく、善と悪の戦争であることを理解するために、全世界がこの映像を見る必要があります。
この映像では、ウクライナ兵がロシア人捕虜の足を撃ち、その後、激しく殴打しています。ビデオの冒頭で、脚に銃弾を受けたロシア人捕虜が地面に横たわっており、中には脚の骨を折っている者もいます。これでは、ロシア軍が傷を負った後に捕虜になったような印象を与えるかもしれません。しかし、そうではありません。映像の最後には、ウクライナ兵が新しく到着した捕虜を全員、脚から撃ち抜いているのが確認できます。彼らの多くは、カメラのすぐそばで痛みのためにショック死している。そして、このすべてをウクライナ兵が自ら撮影しているのです。彼らはこの8年間、捕らえられたドンバス守備隊員をずっと同じように扱ってきました。
t.me/neoficialniybezsonov/9922
──ジトーミル高速道路での民間人の死体写真。
実はこの場所は、3月7日にいわゆる領土防衛大隊の隊員が銃撃戦を繰り広げる様子を撮影したビデオと同じ場所である。
最後に、ブチャに住む女性で領土防衛隊員(だから親ロシア派ではない)は、メディア「メドゥザ」(ロシアでは外国人工作員に分類される)のインタビューで「ヤブルンスカヤに倒れている人が死んだのは、混乱した銃撃のせいだ」と自ら語り、ロシア兵がこの街を支配した時期に市民を銃撃したケースは報告していない。むしろ奇妙。
これらの情報を総合的に判断し、そこから見えてくるものを分析すると、こんなシナリオが浮かび上がってくる。
──2022年3月30日、ロシア軍はブチャから最後の兵士を引き揚げた。
しかし、ウクライナ軍はそのことにすぐには気づかず、ロシア軍が占拠している建物があるヤブルンスカヤ通りを含め、数日間、町への銃撃を続けた。
──2022年3月31日、ブチャ市長は街の解放を祝うビデオを作ったが、ロシア軍によって市民が虐殺されたことや、街中で遺体が目撃されたことについては一切触れなかった。
──2022年4月1日、ヤブルンスカヤ通りの遺体を車から撮影し、その映像を深夜にツイッターで公開する。
つまり、この人たちは確実に3月31日(市長の動画の時間より後)か4月1日(遺体を映した動画の時間より前)に死亡したことになる。
──2022年4月2日、ウクライナ警察がブチャの街を撮影したところ、明らかに砲撃で死亡した遺体が1体だけビデオの冒頭に出てきた。大虐殺はおろか、ヤブルンスカヤ通りでの死者についても言及されていない。しかし、前日から動画が出回っているため、情報は知れている。
私の仮説では、これらの市民はロシア軍ではなく、ウクライナ軍の爆撃によって殺されたので、ウクライナ警察は遺体を見せたくなかったのだと思う。つまり、ウクライナ軍が自国民に対して行ったこの犯罪を強調することを避けようとしたのだろう。ウクライナの警察には、この死者を利用してロシアを非難しようという発想はなかったようだ。そのため、叱責を受けることになった。
──また、2022年4月2日、ボーツマンのウクライナ人戦闘員チームは、ロシア軍の考えられるサボタージュをする人あるいは仲間の可能性を洗い出すため、ウクライナ警察とともにブチャに到着した。ボーツマン隊は、青い腕章(ウクライナ軍の腕章)を着けていない男性に発砲する許可を得た。その後、ウクライナ軍はロシア軍に協力したと見なした複数の民間人を捕らえ、拷問し、殺害したと伝えられている。
このとき、両手を後ろに縛られた状態で拷問され、殺された民間人の写真が掲載され、その死因がロシア側にあるとされた。3月中旬に教会近くの集団墓地に埋葬された市民も同様で、彼らは爆撃中に死亡し、ロシア兵による処刑は一切行われていないにもかかわらず、である。
集団墓地に埋葬された67人の民間人、ヤブルンスカヤ通りの20人の遺体、ロシア兵が駐屯していた建物の近くや中にあった9人を合わせると、ウクライナ当局が発表した410人の遺体には遠く及ばない。ブチャでは民間人が亡くなっているが、その多くはウクライナ軍による砲撃などで亡くなっており、9人はロシア軍に協力したとしてウクライナ軍に拷問され殺害されたことは明らかだ。
このように、ブチャの虐殺事件はティミショアラの虐殺事件※と酷似しているが、ウクライナ的なアレンジが加えられている。ブチャ事件に対する公平かつ迅速な国際的調査が必要であることは明らかである。
しかし、ロシアがブチャ事件に関する国連安全保障理事会の緊急開催を要求しても、西側諸国はこれを拒否しているため、この問題は議題になっていないようである。
クリステル・ネアン
この記事には続編があります。
「ブチャの虐殺─衛星画像や動画を操作して誤った話をするとき」
ティミショアラの虐殺事件
題名に使われているので、ティミショアラの虐殺事件について調べましたが、よく分かりませんでした。説明が実にごちゃごちゃしているという印象を受けました。次の記事が参考になるかもしれません。真偽もよく分からない報道を真に受けて、真に受けさせて、民衆を誤った方向に導く偽情報のお手本のような事例だということでしょうか。
「ティミショアラの大虐殺」という記事から引用します。
1989年12月16日、ルーマニアのティミショアラで、食糧不足、ハンガリー民族の反体制派司祭ラズロ・トケスへの嫌がらせ、ニコライ・チャウシェスクの独裁体制全般に抗議するため、数千人の人々が街頭に立った。その多くは10代の若者や学生であり、これらの抗議行動に対する残忍な弾圧は、チャウシェスク政権にとって終わりの始まりとなった。ティミショアラでの虐殺の数日後、チャウシェスクはブカレストで10万人を前に演説を行い、人々は “ティミショアラ!""殺人者を倒せ!"と叫び、風変わりな暴君を追い詰めたのである。チャウシェスクは10億ドルを持って国外に脱出しようとしたが、捕らえられて処刑された。この年、東欧で起きた共産党支配に対する民衆の反乱のうち、唯一暴力的になったのがこの事件だった。
チャウシェスクがいなくなり、欧米のジャーナリストはチャウシェスク政権の惨状を見るために招かれる。ティミショアラでは、チャウシェスクが倒されたその日からすでに、治安部隊によってわずか3日間で4,500人もの遺体が埋められたとされる集団墓地が地元住民によって発掘されていた。ルーマニア暫定政府は、浅い墓から発見された19体の遺体を独裁政権の犠牲者として示した。そこでロバート・マースは、母親と幼児の遺体の上で泣き叫ぶ無名の男の悪名高い写真を撮った。
当時はそうではないと思われていたが、後に、泣いている男も死んだ女性も、死んだ幼児の両親ではないことが判明した。母親は肝硬変で、乳児は乳幼児突然死症候群で死亡していたのである。地元の人々は、主に国際的なメディアのために、この陰惨な出来事を効果的に演出(陰で操る)した。その後、論争が起こり、ティミショアラはメディア操作とセンセーショナリズムの象徴となった(短期間ではあったが)。それは、このサイトで何度も取り上げてきたテーマを端的に示すフォト・イベントである。写真に、ひいては写真家に、私たちは頼ることができるのだろうか。写真家、そして報道関係者は、写真操作の企てから逃れることができるのか?今では、ティミショアラでの死者は100人を下回るだろうと言われている。10年後、BBCは、革命の重要な出来事は民主主義の敵(つまり支配層の中の反チャイシェスク勢力)によって演出されたのではないか、ルーマニア革命は革命ではなく、むしろクーデターだったのではないか、と考察している。この事件から約20年後、ルーマニアが欧州連合に加盟した今日、我々は共産主義者の同盟国が1996年までルーマニアの政治と経済を支配し、歴代のルーマニア政府が1989年の流血の責任者を告発する試みを阻止したことを忘れがちである。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。