女性記者が見たウクライナ─ロシア軍が来た。被害なし、死者なし、負傷者なし
ひねくれた見方を強要するテレビ報道
ロシア軍がウクライナに入った時、起きたことは「被害なし、死者なし、負傷者なし」でした。
シンプルな三つの言葉。ロシア軍はこの戦いが始まった当初から、人道援助をしています。ゼレンスキーは最後まで戦え、武器をくれというだけで、住民はほったらかしです。ネオナチが民間人を弾除けにして、民間人を殺していることは隠しようがありません。
現地の報道で、破壊されたビル、崩壊したアパート、燃えてしまった民家の様子が映し出されます。どうもすべて、ロシア軍のせいにされているようです。今回翻訳した記事を読んでいただければわかるように、廃墟にしているのはネオナチ・ウクライナ軍です。ロシア系住民が住んでいる地区を破壊してロシアに何の得があるのでしょうか? これも”残虐性”を際立たせるための印象報道だと思います。つまり印象操作なのです。こんな簡単にわかることが、メディアにかかると正反対の事実として描かれています。ちなみに現地を住民を含めて廃墟にするのはNATOとCIA系米軍の伝統です。
人道援助は、チラッとしか見ませんが、テレビなどの報道では、誘拐してロシアに連れて行く甘言だそうです。よくここまでひねくれた見方が出来るものだと思います。こういう下品な解釈を視聴者に伝えるわけです。つくづく思います。メディアは人の品性を壊してしまうと。
いうまでもなく、私たちが普段接しているウクライナの報道は現地に特派員や記者がいて直接取材しているわけではありません。いわゆる"大本営発表"です。ネオナチに支配されたウクライナ政府の広報を垂れ流しているにすぎません。報道という名のネオナチ応援団のコマーシャルです。
日本と欧米の政府、メディアはナチスとウクライナのネオナチを応援してしまうという"不思議"な現象が起きています。ナチスを肯定するまでに至った”西洋文明”はどこまでこの嘘を続けるつもりなのでしょうか? 滑稽と言えます。
これとは正反対に、数少ないですが、真実を伝えてくれるジャーナリストがいます。例えば、パトリック・ランカスター氏はウクライナで起きていることをユーチューブで毎日のように伝えてくれています。どこから弾が飛んでくるか分からないような場所で命がけの取材をされています。
一方、現地で取材されている女性記者の視点からは、どのように見えるのでしょうか。それが今回の三つの記事です。数少ないウクライナで取材されている記者の中にオランダ人ジャーナリストのソニア・ファン・デン・エンデという方がいらっしゃいます。血なまぐさい報道からちょっと離れてウクライナの別の面を知ることができます。
脱線しますが、ソニアさんの属しているCAMというサイト、面白い記事が結構あります。
・「”ハリウッドはCIAエージェントでいっぱいです”とベン・アフレックは言います」
・「カンパニー・ファミリー:オバマとCIAの知られざる歴史」
これは、お願いと言えばお願いなのですが、パトリック・ランカスター氏のユーチューブは英語やロシア語の出来る人は別として、設定から自動翻訳することができます。ロシア語の部分は自動翻訳にならないので、右下の「…」から「文字起こしを表示」で英語訳が出てきます。それをDeepLという翻訳ソフトを使って翻訳すれば簡単にできます。
やることはいたって単純な作業です。そして、緊迫した現地の様子を知ることができます。こんなことをしているだけでも、自分から調べるという好奇心が湧いてくるかもしれません。もしかしたら、自分自身で考える、発信するという一番面白い世界が開けてくるかもしれません。
▼パトリック・ランカスター氏の記事
もうひとつ、おすすめのサイトがあります。
ロシアのニュースサイト「イズベスチア」です。ソ連時代のことを未だに持ち出す方がいますが、今や一番、きちんとした報道が出来るのはロシアの報道だと思います。
また、第二次世界大戦中のナチスの実態を抉り出した「コリーニ事件 DEL FALL COLLINI」という映画をアマゾンでたまたま見ました。お勧めです。
プロパガンダに惑わされた西洋人を目覚めさせるためにここにいる
Dutch Journalist: ‘We are Here, in Donbass, to Awaken Westerners Deluded by Propaganda’
Posted by INTERNATIONALIST 360° on APRIL 8, 2022
Ekaterina Blinova
オランダ人ジャーナリスト:「私たちはここで、ドンバスで、プロパガンダに惑わされた西洋人を目覚めさせるためにいる」
エカテリーナ・ブリノバ
オランダの独立ジャーナリスト、ソニア・ファン・デン・エンデは、ドンバスにいる欧米のジャーナリストはほんの一握りであり、欧米の主要メディアは、イラク、リビア、シリアで利用したのと同じテンプレートを使ってウクライナの危機に関する偽ニュースを捏造していると語っている。
オランダのロッテルダム出身の独立系ジャーナリスト、ソニアは、ロシア軍の従軍記者としてドネツクとルガンスク人民共和国に行き、特別作戦がどのように展開されているかを自分の目で確かめた。
砲撃音や爆発音に怯えることはない。もう慣れたから。7年前、バシャール・アル・アサド大統領の要請でロシア軍が介入し、流れが変わる数カ月前に、ソニアはシリアで仕事をしていた。
欧米の主要メディアのシリアとウクライナの紛争に関する報道は、驚くほど似ていると彼女は言う。
「彼らは自分たちの意図を実現するために、あらゆることについて嘘をつき続けています」とソニアは言う。
「シリアのように、アサド大統領は “殺人者"であり、プーチン大統領は “虐殺者"です。彼らは、イラク、ベネズエラ、そして自分たちのアジェンダに従わない(他の)国々で、長年この脚本を使用してきました。しかし、彼ら(メディア)は現場にいるわけでもなく、評価することもできません。欧米のジャーナリストはほんの一握りしかここにいません。グラハム・フィリップス Graham Philips、パトリック・ランカスター Patrick Lancaster、アンヌ=ロール・ボネル Anne-Laure Bonnel、そして私です」
しかし、このオランダ人ジャーナリストによれば、これだけが似ているというわけでもない。スネークアイランドのデマ、ザポロジエ原子力発電所をロシアが”襲撃”したとする誇大宣伝、マリウポリの病院をロシアが”空爆”したという、今では否定されている話、最近のブチャの挑発など、キエフの偽報道と”偽旗”作戦に注意を向けている。
ソニアは、ジハード主義者の偽旗やホワイトヘルメットの演出した”ガス攻撃”に酷似していると言う。彼女は特に、ピューリッツァー賞受賞ジャーナリスト、シーモア・ハーシュを含む調査記者によって論破された、イドリブのカン・シェイクンにおける2017年4月4日の化学薬品を使った挑発を思い起こさせる。
「ブチャでも同じことが起こりました」と、オランダ人ジャーナリストは言う。
「多くの目撃者が、ロシア軍は3月30日に撤退したと言っています。4月1日に入ったウクライナ軍も、路上に死体があることは報告しませんでした。西側メディアによると、これは4月3日に起こったことです。また、死体にはロシア軍の証である白い腕章がついていました、兵士がそれをつけている、というのが証拠です。では、兵士がロシア系ウクライナ人を殺しているのか? まさか」
ウクライナのネオ・ナチズムは神話ではない
ソニアはドンバスを旅しながら、多くのウクライナの市民と話をした。彼女によると、ほぼ全員、ロシア語を禁止し、多くの文化的・国内的人権を奪ったキエフ政府を非難していた。
「私が話した人々の大半は(ロシアの)特別作戦が始まったことをとても喜んでいました」と、このオランダ人ジャーナリストは言う。
「もちろん、暴力や戦争を望む人はいませんが、彼らはすでに8年間、ウクライナ軍による戦争、殺戮、破壊に苦しめられてきたのです。一番ひどかったのは、正規軍と一緒に戦っていたナチスの大隊です」
ウクライナのネオ・ナチズムは神話ではないと、ソニアは強調する。
2016年と2017年にウクライナの港町オデッサを訪れたとき、彼女はかなり前から国中に広がっているファシスト感情に気づいた。実は、ウクライナのナチズムは第二次世界大戦中からあったと、オランダ人ジャーナリストは言う。
ステパン・バンデラの思想的後継者であるウクライナ民族主義者組織(OUN)、第14SS義勇軍師団”ガリツィア(もともとウクライナ南西部を指す)”、ナハティガル大隊はソ連時代に地下に潜伏した。しかし、長い年月を経て、これらの勢力は、米国、英国、EUがウクライナを不安定にするために利用し、生き返っている、と彼女は言う。以前は、西側の地政学的(パワー・オブ・バランス)アクターが、アサドを失脚させるためにイスラム教徒を利用したのと同じようなものだと、このジャーナリストは付け加えている。
ソニアによれば、2014年にウクライナでクーデターを起こした後、少数派のネオナチが権力を握り、8年間、主に東部をナチス式の非常に悪質で残酷な手法で恐怖に陥れてきたという。
ようやく(やっと)守られた感覚
西側諸国は、ウクライナの村や町に与えたすべての被害をロシアのせいにしようとし続けている。しかし、東ウクライナの目撃者によると、民間地域の破壊のほとんどは、撤退するウクライナ軍と悪名高いアゾフ大隊を含むネオナチの編成によって引き起こされたと、オランダのジャーナリストは言っている。民間施設を盾にしたことに加え、ウクライナ軍は撤退してロシア軍に譲り渡した陣地を無差別に砲撃した。
ソニアは、ドネツク人民共和国のヴォルノヴァハにある病院が砲撃されたことを説明する。空からの爆撃ではなく、手榴弾やロケット弾で攻撃されたのだと、ヴォルノヴァハの住民の話を引用しながら彼女は言う。
「西側はロシア軍によって爆撃されたと主張していますが、ある女性が私に語ったように、彼女はずっとそこで働き、病院に陣取ったウクライナ(軍)が施設と病院の隣にあった彼女の家を砲撃し破壊したと言っています」
オランダ人ジャーナリストによると、東ウクライナ人はロシア軍から非常に良い扱いを受けており、ほとんどの場所で定期的に人道的援助を受けている。しかも、現地の人たちは、ようやく守られていると感じているという。
ウクライナ軍とネオナチの大隊、ロシアに支援されたDPRとLPRの民兵との激しい戦闘で、多くの家屋が破壊された。しかし、ドンバスの人々はあきらめてはいない、とジャーナリストは強調する。
「ある婦人が言ったように『私たちは強いから、子供や孫のために、平和のために、再建することができるんです』」と、その言葉をソニアは強調した。
ロシアは情報戦争に負けているのか?
ロシアは西側との情報戦に負けているのではないか、という指摘もある。西側のビッグメディアマシーンはビッグテックの支援を受けて日夜活動しているが、西側諸国ではロシアのほとんどの報道機関が検閲されるか、完全に沈黙している。
「ロシアは情報戦に完全に負けているわけではない」とソニアは主張する。
「まだ眠っていて、日々フェイクニュースや作り話に振り回されている大多数の西洋人を目覚めさせるのは、一握りの西洋人である私たち次第だと思います」
そもそも、この紛争は欧米の政治家によって煽られていることを念頭に置くべきだと、オランダのジャーナリストは言う。彼女によれば、西側諸国はシリアでも同じことをしたが、その戦争にはほとんど負けたのだという。
世界は変化しており、西側の体制は、出現しつつある多極化した世界秩序とまだ折り合いをつけていない、とソニアは言う。ロシアのプーチン大統領は、2007年のミュンヘン演説で、この変化の始まりについて概説している、と彼女は指摘する。
その時、彼らは彼の言葉を無視することを選んだが、一極集中の世界が永久になくなることは明白になりつつある、とジャーナリストは結論づける。
ウクライナ南部の都市では、ロシア人が解放者として歓迎された
Russians Were Welcomed as Liberators in the Southern Ukrainian City of Henichesk Along the Sea of Azov
Sonja Van den Ende
アゾフ海沿いのウクライナ南部の都市ヘニチェスクでは、ロシア人が解放者として歓迎された
ソニア・ファン・デン・エンデ
[ウクライナ南東部のロシア軍に潜入したオランダ人ジャーナリスト、ソニア・ファン・デン・エンデのレポート。以前、ソニアはCAMのためにシリアの現場をレポートした。彼女の報告は、ロシア語を話す米海軍退役軍人パトリック・ランカスターの、ドンバスでの8年にわたる戦争に関する報告が調査ジャーナリストから尊敬されていることを立証している。CAMの使命は、たとえそれが親ロシア派と誤解されようとも、目撃者の証言によって得られた別のシナリオに注目していただくことです]
※CAM:CovertAction MagazineとCovertAction Quarterlyは、ニューヨーク州に設立された非営利団体、CovertAction Institute, Inc.のプロジェクトです。
先週、私はロシア軍に組み込まれ、ウクライナ南東部の2つの町を訪れた。最初の町はヘニチェスクという町で、ウクライナ南部のケルソン州(県)にあるアゾフ海沿いの港町で、クリミアと国境を接しています。
この町をパトロールしていたロシア軍が、私たち記者を守るために同行してくれました。ヘニチェスクの人々、少なくとも私が話をした大多数は、ロシア軍が来てくれたことをとても喜んでいました。
ナチスのイデオロギーを持った犯罪集団が町を荒らしているので、守られていると感じたのです。そして、ウクライナが再び繁栄することを望んでいました。
2014年のクーデター以降、ウクライナの経済は非常に悪くなっていると、ヘニチェスクの多くの市民は言っています。
銀行の外にあるATM機から、かろうじてあるお金を手に入れるために、人々が列をなしているのが見て取れました。
市場では、食料が不足している。ロシア軍は、このような犯罪組織から解放されたすべての村や町で、人道的支援を行っている。多くのウクライナ人は、このように大声で言っています。
ヘニチェスクの数多くの村人が、ロシア軍が自分たちの町に入ったとき、彼らはすべてをそのままにしていったと教えてくれた。私はこの言葉を何度も耳にしました。
被害なし、死者なし、負傷者なし。
ほとんどの人は、ロシア人がそこにいたことを喜んでいる、と彼らは言った。
ヘニチェスクの町は、ロシア軍が来た後、何の被害もありませんでした。人々は買い物をするために通りに急ぎ、あるいはただ通りで話し、交流していました。人々は非常に多様です。その中にはロシア人、ウクライナ人、タタール人などが含まれています。教会やモスクもあります。
住民によると、2014年のクーデター以前は[1]、人々は調和して暮らしていたそうです。ヘニチェスクには、クリミア出身のタタール人が多く住んでいます。ウラジーミル・プーチンがロシアの大統領になってから、彼らはクリミアに戻ることが許されました。
ヘニチェスクのウィキペディアのページには、次のようなプロパガンダが流布されています。
「2022年2月24日、2022年のロシアのウクライナ侵攻でヘニチェスクはロシア軍に占領された。ロシア兵と対峙した老婆が『死んだらウクライナの土に生えるようにポケットにひまわりの種を入れておけ』と言った有名な事件や、ヴィタリイ・シャクンが橋を爆破して進軍を阻止して死亡した事件が起こった場所である」
確かに、シャクンはクリミアとウクライナ南部を結ぶ橋を爆破しようとした。しかし、彼が南ウクライナではなく、ウクライナ西部のリヴィウの出身であることを伝えるのを怠っている。彼はウクライナ軍の工兵でもあった。彼の爆発物が橋に与えた被害は実際小さく、橋はまだ通行可能です。少年たち(シャクンは1996年生まれ)が、誤ったイデオロギーのために、成功しないまま橋を爆破して死んでしまうのは、ほとんどの場合、残念なことです。
事実と作り話
西側のプロパガンダは、ロシア軍が町を包囲し、住民が飢餓に苦しんでいると言っています。私が見たところ、ヘニチェスクでも、隣のメリトポリという町でも、飢餓に苦しんでいるというのは事実ではありませんでした(今後の記事で取り上げる予定)[2]。
欧米諸国は、”邪悪なロシア人”を撃つために、ウクライナに武器、それも旧ソ連の武器を大量に投入し、制裁を加えています。長い間苦しんでいるウクライナの人々を助けるために、何も前向きなことは行われていません。
ゼレンスキー政権は、西側諸国では道義をわきまえた導き手として紹介されていますが、野党を禁止し、国民の苦しみを終わらせることができる戦争の交渉による解決を妨げている。戦争前、ゼレンスキーは経済発展や汚職の抑制に失敗していて、パンドラ文書によれば、ゼレンスキー自身がその一端を担っていたようです。
パンドラ文書:調査結果によると、ゼレンスキーのパートナーが所有するオフショア会社のうち2社は、ロンドン中心部にある3つの豪華な不動産の購入に使用されていたことが判明した。
過去数年間、多くのウクライナ人がロシアに渡りました。クリミアは近くにあり、そこで避難所や助けを得ています。ロシアには難民キャンプはありませんが、シェルター、食料、医療を提供しています。
ウクライナは自動的に血を流すように放置されています。
欧米諸国はウクライナの経済や国民に関心を持ちません。なぜなら、ウクライナ人は”兄弟国”であるロシアやベラルーシと多くの共通点を持ち、自然に彼らと同盟を結ぶことになるからです。
文化、言語、そして第二次世界大戦でナチスに侵略された歴史も同じです。
欧米は自国の経済的な利益にしか興味がありません。
多くの建物や工場が”朽ち果てる”まま放置され、インフラのための資金もなかったことになります。ウクライナは2014年から”血の出る思い”をしていますが、西側諸国は誰も気にしていません。
ウクライナはヨーロッパの穀倉地帯であり、ヒマワリ油の最大の生産国であり、ロシアは作物を育てるのに必要な肥料の最大の生産国です。しかし、戦争が起きれば生産に影響が出、世界経済全体が苦しくなる可能性があります。ウクライナの人々は、彼らにとっては、全人類に災いをもたらす大きな地政学的(バランス・オブ・パワー)ゲームの人質なのです。
[1]2014年2月、米国政府は、合法的に選出されたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ政権に対する暴動を支援した。ヴィクトルは親ロシア派の指導者で、ウクライナにとって最悪となるであろうIMF構造調整プログラムを拒否した。ビクトリア・ヌーランドは、第二次世界大戦のナチス協力者ステパン・バンデラを崇拝するデモ隊にクッキーを配っているところを写真に撮られたことで有名である。これらの出来事の詳細については、クリス・カスパー・デ・プローグ『十字砲火の中のウクライナ』(Atlanta: Clarity Press, 2019)を参照のこと。
[2]これらの観察は、他の目撃者の証言と関係している。Grayzone Project(アメリカのジャーナリスト、マックス・ブルーメンタールによって設立されたニュースウェブサイト)は最近、マリウポリ劇場の破壊に関する誤報を指摘する重要な記事を掲載し、アゾフ大隊が破壊に関与している可能性が高いことを示した。
ドンバスから目撃者のレポート
Eye-Witness Report from Donbass: How the War Looks From the Russian Side
Posted by INTERNATIONALIST 360° on APRIL 8, 2022
Sonja Van den Ende
ドンバスから目撃者のレポート:ロシア側から見た戦争の様子
[朝鮮戦争やベトナム戦争を共産圏側から取材したオーストラリア人の故ウィルフレッド・バーチェット氏(1911-1983)にならい、CAMがウクライナ戦争の”裏側”(西側メディアでは紹介されない側)を取材した記事を紹介する。読者は、日々流されるウクライナ政府寄りの記事とバランスを取りながら、自分自身で真実を見極めることができるだろう──CAM編集部]
ウクライナ戦争が激化する中、私はロシア軍への潜入記者としてドネツク共和国とルハンスク共和国を訪れました。
両共和国は、現在の紛争の引き金となっています。
ロシアのプーチン大統領は2022年2月24日に両共和国の独立を宣言したが、これは2014年2月にCIAが支援したウクライナのクーデター以来、多くの人が待ち望んでいたことです。そのクーデターにより、ウクライナのヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領が失脚し、ロシア語を話す住民にウクライナ語を強制する新法が制定された。その結果、ルハンスクとドネツクは独立投票を行い、ウクライナは両共和国を攻撃し、戦争を引き起こした。
いわゆるマイダンのクーデターに対するヨーロッパの支持は相当なものでした。例えば、オランダの与党VVD党のハンス・ファン・バーレン議員(マーク・ルッテ)は、クーデターのきっかけとなった抗議デモに参加していたし、ベルギーのガイ・フェルホフスタット元首相も同様でした。両者とも、壇上で右翼過激派に囲まれながら、"民主主義"を叫んで群衆を応援している姿が目撃されています。
東ウクライナからの視線
私自身の旅の最初の訪問地はドネツクで、デニス・プシリン共和国首長の歓迎を受けました。
歓迎されたのは、その数日前の3月15日、ウクライナ軍(アゾフなど各大隊と連携)によるロケット攻撃があった場所です。この攻撃で子供を含む23人が死亡し、18人以上が負傷しました。人々はATMからお金を引き出すために列に並んでいました。
「人々はATMの近くに並んで待っており、バス停に立っていた」そして「死者の中には子供もいた」とデニス・プシリンは語りました。プシリンは「ロケットが撃墜されなかったら、犠牲者の数はもっと多かっただろう」と付け加えた。
このロケット弾攻撃は、8年にわたる長い紛争の間、ドンバスの人々に対する他の多くの攻撃とともに、西側メディアではほとんど無視されていた。
マイダンの”カラー革命”は、西側諸国の利益のために行われた。私の母国であるオランダは、クーデター直後にいくつかの養鶏会社を閉鎖し、ウクライナにある大きな養鶏会社のスポンサーになった。
ロシアの侵攻前、EU市民はウクライナから”安い”鶏肉と卵を買うことができ、ウクライナの会社の従業員は非常に低い賃金を受け取っていた。ウクライナにあるオランダの養鶏会社は、紛争の影響もあり、現在倒産しています。
モスクワとDPR共和国は、ウクライナ軍がドネツクの住宅地にトーチカ-Uミサイルを発射し、それが破壊の原因となったと発表しました。
トーチカ-Uミサイルは、ソ連の実用弾道ミサイルです。ミサイル自体は、統制所、橋、貯蔵施設、部隊の集中地、飛行場など、敵の戦術的目標への精密な攻撃に使用できます。
破片弾頭は、核、生物、化学弾頭と交換することができます。固体推進剤を使用しているため、整備や配備が容易です。
各省庁は、ユニセフ、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アムネスティなど、さまざまな人権団体に殺害された子どもの数の多さを報告してきました。しかし、今日に至るまで、公表されていません。
これらの人権団体は、自分たちの利益になる場合、つまり、欧米の寄付者から報道するように指示された場合のみ、報道しています。モニュメントはドネツクの都市公園にあり、マリウポリはドネツクからそれほど遠くないので、そこからウクライナ軍かロシア軍の空爆の音が聞こえてきました。
天使のモニュメントを見学した後、ホルリウフカ(ゴルロフカ)という街に移動しました。
数日前にウクライナ軍に襲撃された学校を訪れました。学校は一部破壊され、2人の先生が即死、またもやロケット弾の攻撃によるものでした。
市当局によると、ウクライナ軍はホルリフカ(ゴルロフカ)の住宅地も攻撃した。家屋2棟が破壊された。同市は、ナチス大隊に協力するウクライナ軍による砲撃がたびたび行われています。車と徒歩で移動すると、この街が激しい戦いの場であったことがわかります。2014年以降、最前線です。
西側諸国の戦術は、シリア内戦でテロリスト集団を支援したように、これらの大隊のスポンサーになることです── 彼らはシリアのテロリスト集団を “穏健な反乱軍"として見せている。
CIAは第二次世界大戦以来、ウクライナの右翼準軍事組織を後援してきた。その時代のこれらのナチグループのリーダーは、ステパン・バンデラで、彼は死ぬまでドイツ連邦情報局と協力してCIAによって保護され、ドイツのミュンヘンに住んでいた。
校長は、ドネツク全域の学校が、アゾフ連隊と密接に連携しているウクライナ軍によって狙われていると語っています。
ウクライナによる、さらなる惨状
旅の最後は、解放されたばかりの街、ヴォルノヴァカへ。
途中、激戦地マリウポリが間近に迫り、煙が立ち上っているのを何度も目にしました。前線に向かうロシア兵、戦車、武器、物資の大軍が、バスを追い越していきます。
私が見たところ、兵士たちはドネツクの人々の”祝福”を聞き、励まされ、祝福され、拍手喝采を受けながら前線へと向かっているようでした。西側諸国がそうではないと主張しても、それは戦争プロパガンダの一部であり、士気は非常に高いです。
町に入ると激しい戦闘があったことがわかり、数日前に解放されたばかりと聞きました。撤退中にウクライナ軍がナチスの大隊と協同して、町に大惨事をもたらした。ほぼすべての建物が、ロケット弾の攻撃でつぶされたり、破壊されたりしていました。
住民が言うには、彼女はずっと病院で働き、ここ数ヶ月はウクライナ軍がそこに駐屯していたそうです。彼女は兵士たちに食べ物や飲み物を与えていたが、ロシア軍が進駐してきたため撤退することになり、病院に隣接していた彼女の家も含め、病院全体が破壊されてしまったという。
彼女は、東ウクライナの多数派であるロシア語圏に属しているにもかかわらず、ウクライナ人が他のウクライナ人にこんなことをするとは信じられませんでした。
ロシア人は、まだそこに住んでいて何も持っていない人たちに人道的な援助を届けたのです。もちろん、西側メディアの報道では、人道支援物資の配送については触れられていません。しかし、私が行ったすべての解放された町や村では、ロシア軍が非常に苦しんでいる人々に援助を届けていました。
ソニアはオランダ出身のフリーランス・ジャーナリストで、シリア、中東、ロシアなどに関する記事を執筆している。
連絡先: sonjavandenende@gmail.com.
最後までお読みいただき、ありがとうございました。