地球は火星の水を”盗んだ”のか?──ヤンガードリアス寒冷期の水面上昇と火星隕石
全大陸500の文化の約90%が"大洪水"の記述を含んでいる
火星からの隕石が地球に届いていることは以前から知られています。ウィキによると「火星隕石は火星起源で地球に落下した隕石である。火星に他の天体が衝突した結果、放出されたとされている隕石である」とされています。では、どうやって放出されたのかというと、ナショナル ジオグラフィックの「110万年前の火星隕石、火星の出所を推定する驚きの方法が発表」によると「地球に降り注ぐ隕石のなかには、火星から飛んできたものがある。小惑星などの天体が火星に衝突したときに宇宙に飛び出した火星の欠片で、"火星隕石"と呼ばれている」と断定的に書かれています。この記事には「ある種の火星隕石が、太陽系最大の火山領域"タルシス"にあるひとつのクレーターから来たと推定した」と火山噴火で飛び出したものが隕石として地球に届いた可能性もあるという新しい推測について書かれています。
今回紹介する記事の中で著者のピエール・レスコードロン氏は「マンモスが絶滅した時期は、12,900年前から11,700年前まで続いた世界的な寒冷期で、地表の気温が約7℃低下したヤンガードリアス期とも呼ばれている。理論的には、このような激しい冷却は極地の氷の量を増やし、結果として海面を下げるはずである。しかし、下のグラフが示すように、ヤンガードリアス期の間、海面は1,000年以上にわたって17メートルも上昇した……」
これはなぜだろう?という疑問から始めています。
◉ ヤンガードリアス期は地球の歴史の中で寒冷期として知られている。なぜ下がったのか?
◉ 火星にあったとされる水が失われた原因は?
◉ なぜ北極に比べて南極にはこれほど多くの氷があるのか?
◉ 南極大陸の氷床の一部は火星起源?
◉ 金星の彗星的性質に関するヴェリコフスキーの予測
◉ 南極大陸が氷のない大陸だった時代
◉ 約1万年前に放棄されたというギョベクリ・テペで何があったのか?
このほかにも様々な疑問に対して主流の宇宙物理学や歴史学はそれぞれ別々の原因、解釈をします。対して、電気的宇宙論による解釈では、ひとつの筋の通った解釈を提供します。ただ、聞きなれた馴染みのある知識の枠の中で理解しようとしたらトンデモ説で切り捨てることになるでしょう。
たしか、ソーンヒル氏だったと思いますが、主流の宇宙物理学は相変わらず、こうした原因は"衝突"と"火山噴火"しか思いつかないようです。ちなみに、火星や月の"火山"とされているものですが、火山が造り出す地形ではないことを論証した記事を紹介しておきます。
地球の水の起源について
さらに、主流の宇宙物理学は太陽系の惑星について過去間違った予測をしてきました。宇宙物理学の歴史は間違った予測、予想外の驚きの歴史といってもいいくらいです。
「彼ら(主流の宇宙物理学者)は、太陽系がX億年前に形成された後、何も起こらなかったと仮定した。残念ながら、データはその考えを支持しない。その説が主流だった1950年以降に遭遇したものは、ほぼすべて驚きの結果に終わっている」
なお、この記事は以前紹介した同じ著者による「金星彗星の7回の破壊的な地球通過」の前に書かれた記事です。
2001年の火星探査機マーズ・オデッセイによって収集されたデータから作成された火星の熱外中性子(中間エネルギー)の全球マップ。オデッセイは、入射した宇宙線によって火星表面から打ち落とされた熱外中性子の位置と濃度をマッピングした。高緯度にある深い青色の領域は、中性子のレベルが最も低いことを示し、科学者たちはこれを高レベルの水素が存在することを示していると解釈している。水素が濃縮されていることは、地表下に水の氷が大量に蓄えられていることを示唆している。
地球は火星の水を"盗んだ"のか?
Did Earth 'Steal’ Martian Water?
Pierre Lescaudron
地球は火星の水を"盗んだ"のか?
ピエール・レスコードロン
2019年9月14日
「急速冷凍されたマンモスと宇宙の大惨事」と題した記事の最終的な執筆中、私は思いがけない例外に遭遇した。
マンモスが絶滅した時期は、12,900年前から11,700年前(紀元前10,900年から紀元前9,700年)まで続いた世界的な寒冷期で、地表の気温が約7℃低下したヤンガードリアス期 Younger Dryas とも呼ばれている。
理論的には、このような激しい冷却は極地の氷の量を増やし、結果として海面を下げるはずである。しかし、下のグラフが示すように、ヤンガードリアス期の間、海面は1,000年以上にわたって17メートルも上昇した。
海面と地球の気温の関係(20000BP – 現在)※縦軸は相対海面高度 (m)
氷冠が形成されている間に海面が上昇したとすれば、その水源は外部にあった可能性がある。しかし、その水はどこから来たのだろうか?
偶然かどうか、火星の北半球の大部分はかつて水で覆われていた。この海は不思議なことに消滅してしまった。では、火星の水はどこへ行ったのだろうか?
地球の海水面
ヤンガードリアス期、凍ったマンモスの記事にあるように、ローレンタイド氷床への大規模な隕石衝突(12,900BP頃)が引き金となった。この衝撃によって大量の氷が溶け、海面が上昇した可能性が高い。しかし、その後1,200年間続いた寒冷化によって、少なくとも海水は凍結し、海水面は低下したはずであるが、その1,200年間を通して海面は劇的に上昇した。
いずれにせよ、ローレンタイド氷床への隕石衝突は、ヤンガードリアス期に観測された17メートルの上昇のごく一部しか説明できない。
※ BP=before present
氷河の融解履歴を復元してみると、ヤンガードリアス期の始め、13,100~12,500年前に大規模な融解水の北方流出があった。この流出はマッケンジー川、フラム海峡を経て北極海に入り、最終的には北大西洋東部に到達した。
一方、地形学的データは、ヤンガードリアス期の終わりまで、氷がセントローレンス海峡に向かう北と東へのルートを遮断していたことを示唆している。タヒチ、ニューギニア、バルバドスの海水準曲線は、ヤンガードリアス期の始まりに近い13,000年前頃に小さな段差(6メートル以下)を示しているが、これはこの大洪水に由来する可能性がある。
─ ヴィヴィアン・ゴルニッツ著『上昇する海:過去、現在、未来』p.127
レヴァーマンらによれば、気温が7℃下がれば、海面は約28m下がるはずである(〜4m/℃)。しかし、上の図に示すように、ヤンガードリアス期には海面が約17メートル上昇し、ローレンタイド氷床の融解によって海面が6メートル上昇したはずである。
つまり、約39メートル(17+28-6)の水が地表に追加されたことになる。この三つの数字はあくまでも概算であり、いくつかの仮説に基づいた推定値であることに留意してほしい。それにもかかわらず、私たちに桁違いの情報を提供してくれる。
火星に水?
ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ(1625-1712)
1666年、有名な天文学者カッシーニは、簡単な望遠鏡による観測で、火星の氷のような極冠と雲を観察し、火星には明らかに水があると結論づけた。
カッシーニの見解は数世紀にわたって優勢だったが、近代科学はカッシーニの主張を否定し、火星には水はまったく存在しないというのが新しい学説となった。火星の探査機やローバーから大量のデータがもたらされ、火星には過去のある時点で確かに水があったという圧倒的な証拠が得られたのは、ごく最近のことである。
2015年にサイエンス誌に発表された論文によると、火星はかつて、深さ約140メートルの液体層で全表面を覆うほどの水を保有していた。しかし、この水の約85%は"消滅"してしまった(残りの15%は極地の氷の下に蓄えられている)。
どうやら、火星の水は一様に地表に広がっていたわけではないようだ。最近の地形学的研究によると、火星の水の大部分は、地球の北極海と同じような体積を持つ、ひとつの海に蓄えられていた。
この水が何らかの形で地球に移動した場合、およそ34メートルの海面上昇をもたらすことになる。この数字は、前述の39メートルという試算に匹敵する大きさである。
海のある火星の地形図
火星の水はどのようにして失われたのか?
前述のように、火星のほとんどの水は"消滅"している。現代科学は、地下への漏出と宇宙への漏出という二つの説明をしている。
火星には地殻変動プレートが存在せず、地表の水が地下にもたらされる主な現象であるプレートの沈み込みが起こらないため、地中漏出は非常に考えにくい。
火星のクレーター分布
宇宙への漏出は、約42億年前に火星が磁場を失い、この保護がなくなったため、太陽風が数億年以内に火星の大気と水のほとんどを奪ってしまったと仮定している。
しかし、これは単純な理由でおそらく真実ではない。火星の北半球の上半分(かつて火星の海があった場所)は、この惑星の他の部分よりもクレーターの数がはるかに少なく、クレーターの大きさもはるかに小さいからである。
2011年、ロビンスらは40万近くのクレーターをリストアップしたデータベースを発表した。上の図はこの論文からの抜粋で、火星のクレーター(直径30~50km)の地理的分布を示している。明らかに、火星の北半球の大部分は、火星の他の地域よりもクレーターの集中度がはるかに低い。
もし火星の海が約40億年前に消滅したとしたら、火星の海底には小惑星衝突の痕跡がほとんどないのに、他の部分はクレーターで覆われていることをどう説明できるだろうか?
ひとつの可能性のある説明は、火星上のほとんどの衝突は、海がまだそこにあり、火星の表面にクレーターの形成を妨げ、ダンパーとして作用していた40億年以上前に起こったということだろう。
火星における最近のクレーターの地理的集中度
しかし、この説明は成り立たないようだ。大気がほとんど存在しないにもかかわらず、火星では激しい砂嵐が発生し、クレーターを浸食する。ロビンスらが火星で “よく保存された"クレーターを特定したことを考えると、これらのクレーターは比較的最近のものであるに違いない。
このタイプのクレーターの地理的分布から、同じパターンが明らかになった:火星の海があった場所には、火星の他の場所に比べて最近のクレーターが少ない。
以上のことから、火星が水を失ったのは、主流科学が主張するよりもずっと最近のことであることが強く示唆される。
惑星間放電
我々の著書『地球の変化と人類の宇宙的つながり』で述べられている電気的宇宙論は、天体(惑星、恒星、月、彗星など)がいかに電気を帯びているかを示している。さらに、そのような天体は一種の"絶縁バブル"(二重層)に囲まれている。
二つの惑星など二つの天体が十分に近づくと、二つの惑星の電荷を再び均衡させるために、最もマイナスの惑星から最もプラスの惑星へと放電が形成される。天体間の放電は何度か観測されている。以下にいくつかの例を挙げる:
─ シューメーカー・レヴィー彗星の破片Gと木星の間:
ハッブル宇宙望遠鏡は、木星から230万マイル離れた地点で、シューメーカー・レヴィー彗星の破片 “G"のフレアアップを衝突のかなり前に検出した。電気理論家にとっては、この閃光は破片が木星のプラズマシース、つまり磁気圏の境界を横切ったときに起こる。
サンダーボルト、ディープ・インパクトとシューメーカー・レヴィ第9彗星
木星とシューメーカー・レビー彗星の間の放電
─ 木星の衛星のひとつであるイオと木星の間:
1979年11月、著名な天体物理学者トーマス・ゴールドは、イオの巨大なプルーム(噴煙)は火山性ではなく、放電の証拠であると提唱した。数年後、ペラットとアレックス・デスラーによる論文は、ゴールドの提案を追認し、放電が放物線状のプルームの形、プルーム内の物質のフィラメント化、薄い環状リング上へのプルームの終端を作り出す“プラズマガン効果"の形を取ったことを示した。
W. ソーンヒル『エレクトリック・ユニバース』p.112
大規模な放電を示すイオ
─ ハービッグ・ハロー天体34。ここでは、原始星と原始惑星の間で、星間ビルケランド電流の形の放電が起こっている:
ハービッグ・ハロー天体34に沿った放電
天体間の放電はアーク溶接によく似ている。マイナスに帯電した電極をプラスに帯電した部分に十分に近づけると、電気アーク、電離した空気(プラズマ)が現れ、電子がプラズマ中を("ビルケランド電流"と呼ばれるものに沿って)電極(棒)から溶接部分へと移動し、電荷のバランスを取り戻す。
アーク溶接中、電極から被溶接部へ移動するのは電子だけではないことに注意してほしい。電極の先端から(負に帯電した)溶融金属が、正に帯電した被溶接部に向かって運ばれる。
このような放電のもうひとつの典型的な特徴は、"電気痕"である。これらのフラクタル・パターンは"リヒテンベルク図形"として知られている。リヒテンベルクは1777年にこの現象を発見した物理学者である。瘢痕化した材料の極性が、リヒテンベルグ図形の形態に顕著な影響を与えることに注目されたい:
[……]また、プレートに加えられた電荷の極性によって、図の形にも著しい違いがある。電荷の極性が正であれば、プレート上に広く伸びる斑点が見られ、これは密集した核からなり、そこから四方八方に枝が放射状に伸びている。
負に帯電した領域はかなり小さく、鋭い円形または扇状の境界を持ち、分岐は全くない。ハインリッヒ・ルドルフ・ヘルツは、マクスウェルの電磁波理論を証明した彼の代表的な研究で、リヒテンベルクのダスト図形(絶縁材料の表面または内部に時々現れる分岐放電)を採用した。
火星と地球の相対的極性
『地球の変化と人間の宇宙的つながり』の第8章で述べられているように、太陽系では太陽が最もポジティブな天体である。したがって、惑星が太陽から遠ざかれば遠ざかるほど、その電位はマイナスになる。地球よりも太陽から遠い火星の電位は、地球よりも低い。
太陽、地球、太陽圏:相対的な電荷
その結果、火星と地球の間で放電が起こった場合、最もマイナスに帯電した天体(火星)から始まり、最もプラスに帯電した天体(地球)に向かって広がっていく。
火星は陰極(負に帯電)であり、物質(気体、岩石、水)を剥ぎ取られ、電気の傷跡はクレーターを示し、高所に衝突し、クレーターと急勾配の溝を形成するはずである。
表面が陰極(負に帯電)の場合、アークは表面を横切る傾向がある。打撃後、通常、高い地点で衝突し、クレーターを侵食した後、アークは新しい高い地点にジャンプすることがある。─ 新しいクレーターの縁が最も可能性の高いターゲットである。
大きなクレーターの縁を中心とした小さなクレーターの多さは、この予測可能な行動を証明している。アークが移動すると、一連のクレーターが一直線に浸食され、クレーターの連鎖として現れることがある。
これらの連鎖のクレーターが重なり合うと、その効果はホタテガイの縁のように波を打った縁を持つ急勾配の溝となる。アークは、ある距離の溝を浸食し、その後、別の溝を浸食する前に、少し離れた場所にジャンプすることがある。このような"破線"の溝は通常、両端が円形で幅は一定である。これらのパターンはすべて、火星の表面に大量に存在する。
W. ソーンヒル、エレクトリック・ユニバース:第2部 放電と傷跡
※アークは、気体放電現象の一種であり、高温で強い光を発するのが特徴。炭素やタングステンなどの電極を接触させ、電流を流している状態で電極を引き離すと電極間にアークが発生する。身近なアークとして、通電中のプラグをコンセントから引き抜いたときに発生するスパークが挙げられる(下図参照)。
火星上の放電の痕跡
ヴァレス・マリネリスの地形図
もし火星と地球の間で大規模な放電が起こったとしたら、火星に上記のような大規模な(負の)リヒテンベルグ図形の痕跡はあるのだろうか?
火星の主な地質学的特徴のひとつにマリネリス渓谷がある。長さ4,000km(2,500マイル)以上、幅200km(120マイル)、深さ7km(4.5マイル)にも及ぶこの峡谷は、太陽系全体で二番目に大きな峡谷であり、火星の全周のほぼ4分の1にわたって広がっている。
主流の科学では、マリネリス峡谷は数十億年前に水の浸食によって形成されたと理論化されている。しかし、この説明はヴァレス・マリネリスのいくつかの特徴と一致しないようだ:
ヴァレス・マリネリスの探査写真
● ヴァレス・マリネリスでは、"流出"は"流入"と同じくらい狭く、コースの中央部が最も広い部分を占める。河川がその流路の幅を広げる傾向があるのとは異なり、全体的な幅は非常に一定している。
● ヴァレス・マリネリスの"コース"は、下り坂に沿っているわけではない。地形的な変化が後の地形の垂直移動によるものであった場合に予想されるような損傷 ─ 例えば裂け目 ─ が見られないにもかかわらず、それは時々上り坂を"走る"。
● ヴァレス・マリネリスには支流の"川"の痕跡は見られない。推測されうる二つの大きな"川"は互いに平行に流れている。派生的な"川"は、本流に合流する支流が通常示す収束の道とは異なり、直角に近い角度で本流に合流する。
● ヴァレス・マリネリスの床面は、川の流れによって縦長の地形になりがちな川底とは異なり、横長の地形になっている。
● “支流"はV字型の断面を示すが、水の浸食は通常U字型の川床を形成する。
● ヴァレス・マリネリスの斜面(土手)は非常に深く(7km)、非常に急である。斜面には、水食とその典型的な水平方向の痕跡は見られない。それどころか、垂直のシェブロンパターン(山形模様)が見られる。
ヴァレス・マリネリスの斜面
ヴァレス・マリネリスの特徴は水食説と矛盾するように見える。しかし(負の)電気的瘢痕独特の特徴と非常に一致している:
惑星が接近すると、とてつもない惑星間雷が発生する。微弱な重力に逆らって惑星から岩石やガスを剥ぎ取ることができる。それは特徴的な傷跡を残す。[……]
峡谷の平行性は、電流フィラメントの長距離磁気引力と短距離の強い静電斥力によるものである。
特に重要なのは、本質的にクレーターの連鎖からなる小さな平行リル(裂溝、月面上の長く狭い低地を指して使われる用語)である。走行する地下爆発が雷のストリーマーを追いかけ、V字型の支流峡谷をきれいに形成している。
水流の基礎地盤侵食に伴う崩壊瓦礫はない。同様に、地下核爆発によって形成されたクレーターでは、"V"字型の断面が普通である。爆発が始まった支流の円形の端は、まさにその形をしている。
これに比べ、地下水による掘り崩しによる逆流浸食は断面がU字型になり、円形のアルコーブ(くぼ地)で終わるとは限らない。
ヴァレス・マリネリス南縁の支流峡谷のいくつかは、ほぼ直角に交差している。これは、イウス・カズマ(マリネリス峡谷の大部分を占めている)に沿って移動する主ストロークを追って、同じ地域から繰り返し放電したためかもしれない。どのような水の浸食でも、このようなクロスカッティング(横断路)溝を作り出すことはできない。
主要な渓谷の壁が縦溝彫りの外観に見えるのは、おそらく同じような移動する爆発作用によるものだろう。
W. ソーンヒル「火星とグランドキャニオン」
※イウス・カズマは、南緯7度、西経85.8度に位置する火星のコプラテス四角形にある大きな峡谷である。長さは約938kmで、古典的なアルベドの特徴にちなんで名付けられた。
赤い惑星には、太陽系最大の峡谷、ヴァレス・マリネリスがある。この峡谷の中にイウス・カズマがある。この画像は、マーズ・リコネッサンス・オービターが撮影したもので、南側の海溝の底に広がっている。この峡谷は、風と水によって変化した(!)細かい地層でよく知られている。@NASA
興味深いことに、ヴァレス・マリネリスは、かつて火星の海の大部分を覆っていた海と隣接している。もしヴァレス・マリネリスが火星と地球の間で放電が起こった場所であれば、隣接する火星の海は確実に影響を受け、おそらく移動しただろう。
火星から地球への物質移動の証拠
上の引用で述べたように、火星から地球への大規模な放電は、ヴァレス・マリネリスから大量の岩石を剥ぎ取った可能性がある。そこで、地球上で大規模な(プラスの)放電の兆候を探す前に、地球上に火星の岩石の証拠があるかどうか見てみよう。
隕石学会によると、2019年現在、237個の火星隕石が地球上で発見されている。つまり、火星からの物質の移動が起きている。
この現象は非常に古く、惑星が形成された数十億年前、小惑星が暴れて軌道が不安定だった時代に起こったと考える人もいるかもしれない。しかし、データはそうではないことを示唆している。
ほとんどの火星隕石の着陸時期は不明であるが、いくつかの隕石は年代が特定されており、特にALH84001と略称される火星隕石は1984年に発見された。その地球到達時刻は13,000年前(紀元前11,000年)と推定されている。
ハミルトンらによると、ALH84001の起源は、その地質学的性質(斜方輝石岩)からヴァレス・マリネリスであり、(スペクトル分析によって)斜方輝石岩が発見された唯一の場所である。実際、ALH84001 は唯一の斜方輝石岩の火星隕石である。この種の隕石は地球上では他に見つかっていない。
火星隕石 ALH84001
興味深いことに、ALH84001はその炭酸塩の含有量から、火星が液体の水を保持していたと疑われる時代に由来する唯一の隕石である。ALH84001はALlan Hills 84001の略称である。アラン・ヒルズは南極大陸の南海岸沿いに位置する。
では、ALH84001の主な特徴をまとめてみよう:
● ヴァレス・マリネリスからやってきた。
● 地球に到着した当時、火星は湿った惑星であった。
● 地球に着陸したのは13,000年前である。
● 南極大陸で発見された
火星の隕石が火星の海洋性岩盤から来たものであるかどうかを知ることは興味深い。残念ながら、火星の海洋岩盤は厚い堆積物で覆われているため、その地質学的組成は不明である。しかし、火星の乾燥した海の沿岸の鉱物組成は知られており、地球上で発見されたいくつかの火星隕石と直接関係している。
実際、火星隕石には"ナクライト"と呼ばれる珍しいタイプがある。地球上で発見された標本はこれまでに21個しかない。ナクライトはオージャイト(普通輝石、珪素を主成分とする鉱物)に富み、約13億年前の玄武岩質マグマから形成された。
ナクライトの地理的起源説(理論づけられた地理的起源)
ナクライトの組成と年代から、これらは火星の三つの火山地域のいずれかに由来すると考えられている:タルシス、エリシウム、大シルティス平原のいずれかである。
興味深いことに、上の地図に示されているように、これら三つの火山構成物はそれぞれ、かつて火星の海であった海岸近くに位置している。
地球に到達した21個のナクライト隕石のうち、7個が南極大陸で発見された。つまり33%である。地球に到達した隕石のうち、南極大陸で発見されたものは全体の約12%に過ぎないことを考えると、これは高い割合である。質量で見ると、16.9kgのナクライト隕石が南極大陸で見つかっており、これはナクライト隕石全体の質量の54%にあたる。
最後に、ナクライト隕石は1万年前までに地球に落下したと考えられている。この数字は、ALH84001の到着日(13,000年前)にかなり近い。
地球に放電の兆候は?
もしヴァレス・マリネリスから大規模な放電が始まり、地球に衝突したとしたら、その衝突はどこで起こったのだろうか?
地球上には、グランドキャニオンを含むいくつかの峡谷があり、そこには電気痕の特徴がある。しかし、上記の火星隕石に関するデータから、火星隕石が南極大陸に強い類似性を持っていることが明らかになった。
プリンセス・エリザベスランドのスペクトロラジオメトリー(分光放射測定)
南極大陸の岩盤は、正の電気的傷跡、すなわち巨大な峡谷のような地質学的特徴を示しているのだろうか?
その通りである。上の衛星写真にあるように、2016年の地質調査によると、南極大陸には地球上で最大の峡谷があると考えられている:
[……]氷の大陸で最大の未調査地域は、プリンセス・エリザベス・ランドと呼ばれる地域である。現在、地質学者のチームがその地域を調査し、巨大な氷河下湖と一連の峡谷を発見した。そのうちのひとつはグランド・キャニオンの2倍以上の長さがあり、地球最大の渓谷である。
現時点では、火星の隕石と電気痕の痕跡から、火星 ─ 地球間の移動の場所として南極大陸が有力視される。しかし、この一連のプロセスの主要な構成要素である水についてはどうだろうか?
もし火星がその水のほとんどを地球へと失ったのであれば、私たちの惑星全般、そして特に南極大陸に、この大規模な移動の証拠があるはずだ。
南極大陸の氷床の一部は火星起源なのだろうか?
この疑問に答えるために、まず南極の氷床を観察し、北極の氷床と比較してみよう。
南極大陸の地形図
南極の氷床は巨大だ。約3,000万km³(720万立方マイル)の氷を含んでいる。これは地球上の淡水の70%以上に相当する。これに対し、グリーンランドにある北極圏の氷床はわずか290万km³(68万立方マイル)である。
体積でいえば、北極の氷床は南極の氷床の10%にも満たない。また、南極大陸はひとつの固い大陸を形成しているわけではない。上の地図に描かれているように、南極大陸は深い海域に隔てられた巨大な島々からなる群島のようなものだ。
南極の氷床に覆われた島々の間には、海面から2,500メートルも低い岩盤がある。つまり、氷床は海抜1.5km、海面下2.5km、厚さ4kmを超える場所もある(下の南極大陸断面図を参照)。
南極大陸断面図(南極大陸のAからBまでの断面図)
比較のために、北極海の海氷は最大で4メートル、海嶺は20メートルに達する。北極海の平均水深は1,038メートルで、南極の"海"の水深に匹敵する。
そこで疑問が生じる。なぜ北極に比べて南極にはこれほど多くの氷があるのか?
北極の氷は海に浮かぶ厚さわずか4メートルの層でしかないのに、なぜ南極の氷は海面下2,500メートルにまで達し、岩盤にまで達しているのだろうか?
主流の科学によれば、南極とグリーンランドの氷床は、毎年毎年、少しずつ雪が積もっていったために形成されたという。このことは、南極がより多くの雪を降らせていたことを示唆している。しかし、データはその逆を示している。実際、南極は地球上で最も乾燥した場所のひとつであり、年間降水量はわずか18cmしかない。一方、北極圏の降水量はこの2倍近い年間32cmである。
もし南極大陸の降雪量が北極より少ないとすれば、氷の量が10倍も多いのは、融解が少ないからだとしか説明がつかない。南極は北極に比べて気温が低いのだろうか?
しかし、データはその逆を示唆している。
下のグラフにあるように、長い間、北極圏は南極よりもずっと寒かった。過去11,000年間、南極は北極よりもわずかに寒かった。
北極と南極の気温比較
グリーンランドと南極の氷床コアの気温記録の比較
青い線/ボストーク(ボストーク基地)─ 南極
赤い線/GISP2(グリーンランド氷床プロジェクト)─ グリーンランド
水色の帯/ヤンガードリアス期
また、この同じグラフで、グリーンランド(GISP2)とボストーク(南極大陸)の氷床コアを使った気温再現が、今日からヤンガードリアス期まで密接に相関していることに注目してほしい。11,000BPのあたりで、突然、顕著な非相関が起こったことがわかる。11,000 BPから現在までの間、二つの温度曲線は非常によく似た形をしており、値も非常に近い。それ以前(50kY BPから11kY BP)は、二つの曲線は完全に乖離している。
※ ky=kiloyear キロ年、千年(天文学・物理学・地質学などにおいて、長い期間を表す単位として用いられる)
この二つの曲線は、二つの異なる惑星の環境条件を物語っているのだろうか?
いずれにせよ、南極の氷床と北極の氷床の深さと体積の際立った差は、内因性の原因(降雪量の差、気温の差)では説明できない。しかし、南極に大量の外部に発生源のある水(氷の形)が突然流入したのであれば、これらの不整合を説明できるだろう。
火星はいかにして地球に近づくことができたのか?
火星は太陽系の惑星の中で二番目に大きな離心率を示している。大きな離心率は、通常、最近の過去に軌道が乱れたことを示唆している。この著しい離心率のために、下の図のように、火星は地球から5,600万キロまで近づくことができる。
火星と地球の軌道
比較のために、地球の磁気圏尾部は600万km以上広がっている(上の図の青と紫の楕円)。
つまり、電気的に言えば、火星は地球から1桁しか離れていない。とはいえ、地球と火星の間の通常の距離は、二つの惑星間で放電を起こすには大きすぎる。しかし、何らかの宇宙的な混乱が二つの惑星を異常に近づけたのだろうか?
このような大規模な軌道の混乱を引き起こすのは、明らかに彗星だろう。しかし、月の10倍も重い火星を最初の軌道から遠ざけるのに十分な大きさのものでなければならない。
このシナリオは、エマニュエル・ヴェリコフスキーが1950年に出版したベストセラー『衝突する宇宙(原題:Worlds in Collision)』の中で展開した主要な理論である。
イマニュエル・ヴェリコフスキー(1895-1979)
ヴェリコフスキーは、主に比較神話を用いて、金星は当初、火星の軌道を乱した彗星であり、それからその後、地球に接近したと提唱した。
科学界の指導者たちは、ヴェリコフスキーの破局主義理論を容赦なくこき下ろした。なぜなら、それは彼らの基本的なパラダイムである斉一主義を直接脅かすものであり、それがなければ唯物論的進歩の教会とそのダーウィン的無神論的信条は不可避的に崩壊してしまうからである。さらに追い打ちをかけるように、ヴェリコフスキーは宗教的なテキストを基に研究を進め、そのテキストには以前信じられていたよりも多くの科学的データが含まれている可能性があることを示した。
ヴェリコフスキーは、もし彼のシナリオが真実であれば、関係する天体についていくつかの予測ができることに気づいた。どのみち、理論の利点はその予測能力に基づいている。ヴェリコフスキーが行った予測は、当時の一般的な見解とはまったく矛盾していた。
10年ごとに、宇宙計画はヴェリコフスキーの主張を検証するための追加データを提供した。予想外なことに、そのほとんどが真実であることが判明した。最も顕著な予測は、木星の電波信号、太陽の正味電荷、月を越えて広がる地球の磁気圏などだった。
しかし、ヴェリコスフスキーが行ったすべての真の予測を分析することは、この記事の範囲を超えている。
火星と地球の遭遇の可能性についてはすでに情報を集めているので、ここではパズルの最後のピースに焦点を当てることにする。金星は彗星なのか? そして特に、金星の彗星的性質に関するヴェリコフスキーの予測について。
金星の性質は『衝突する宇宙』をめぐる論争の極めて重要なポイントだった。もし金星が彗星でなければ、一連の出来事は不可能だった。逆に、もし金星が本当に彗星であったなら、ヴェリコフスキーが描いた地球と火星の接近遭遇シナリオは、より真実である可能性が高くなる。
金星は彗星だったのか?
主流科学によれば、金星は地球と火星の姉妹惑星である。金星は地球と火星の姉妹惑星であり、同じ時期に同じ地域で同じ物質から同じように(降着によって)形成された。このモデルに反して、ヴェリコフスキーは金星とその彗星性について次のような予測をした:
●金星が高温の惑星なのは、つい最近まで彗星だったからである。
@NASA
Planet Venus惑星金星
1950年代、金星は地球や火星と同じような古い惑星であり、その軌道が地球や火星と似ていることから、温度も似ているはずだというのが科学的なコンセンサスだった。当時、金星の温度は-25℃(-13°F)であることが “知られて“おり、金星は居住可能かもしれないと考える科学者さえいた。
しかし、1963年に探査機マリナー2号がデータを送り返したとき、科学界は驚愕した(あっけにとられた)。金星の平均表面温度は桁外れに高い(べらぼうな)462℃。この"居住可能な"惑星は、溶けた鉛のような温度だった!
金星が高温であることは、1991年にキーファーらが金星の重力変動を測定したことで確認された。金星の地殻は、地球や火星のような"姉妹"惑星の地殻(50~100km)に比べて非常に薄い(10~20km)ことが推測された。
この薄い岩石圏は、金星の内部が高温で活動的であり、地殻がかなりの厚さにわたって冷えて固まるのを防いでいることを示している。
結論として、ヴェリコフスキーが予言したように、金星は表面も内部も高温の惑星である。このことは、少し前まで金星はまだ灼熱の彗星であり、彗星の状態からまだ完全に冷めていないことを強く示唆している。
●金星が若いのは、つい最近まで彗星だったからだ。
1950年代には、金星は何十億年も前に降着してできた古い惑星だという説が有力だった。その結果、何十億年もの間、小惑星にさらされていたため、クレーターが多いと考えられていた。
しかし、当時の金星は大気が非常に濃く、地表を直接観測することができなかったため、これは仮説に過ぎなかった。1970年代、最初の金星探査機によって金星表面の直接観測が可能になり、金星には驚くほどクレーターが少ないことが明らかになった。
こうした度重なる観測は、ヴェリコフスキーが予言したように、金星が若い惑星であることを強く示唆している。最近まで金星はまだ彗星であったため、"惑星の一生"の中で多くの衝撃を受けるほどの時間は経過していない。
© NASA/JPL
金星の比較的初期(原生)の表面
●金星は変則的な自転をしているはずである。
ヴェリコフスキーによれば、金星は彗星として誕生して日が浅く、火星や地球とのカオス的な相互作用があるため、太陽系の他の惑星に比べて自転が変則的であるべきだという。
この予測は、他の予測同様、異端視された。しかし1962年、ワシントンの米海軍研究所が、金星はゆっくりと逆行していると発表した。金星は太陽系内惑星で唯一逆行自転を示す惑星である。
© Imgur
金星の地球に対する共振パターン
金星の特異な天体の動きを確認するため、ゴールドライヒらは1966年に発表した論文で、金星の自転が地球の公転軌道と共振していることを実証した。─ 金星は太陽と地球の間を通過するたびに、地球に対して同じ面を見せる。
このような共振は、地球と金星が比較的最近接近し、小さい方の惑星のスピンが大きい方の惑星の軌道に"ロック"されたことを強く示唆している。さらに、ヴェリコフスキーの理論に反論しようとした主な論点のひとつは、ケプラー軌道は互いに交差することができないので、衝突や衝突に近い現象は起こらないというものだった。
「ヴェリコフスキーと惑星軌道の順序」と題された論文の中で、L.E.ローズらは、ケプラー軌道が互いに交差する可能性があるだけでなく、金星が最近の過去に、非常に楕円(彗星の)軌道を持っていた可能性があること、太陽系が金星が到着する前に安定した惑星軌道を示していた可能性があること、そして金星が太陽系に統合されて間もなく円軌道を獲得した可能性があることを実証した。
●金星の電気的活動
金星の彗星的性質と火星との過去の相互作用から、ヴェリコフスキーは金星が何らかの電気的活動を示すはずだと予測した。1950年代、この予測は、金星を電気的に不活性な惑星と考える科学的コンセンサスに反していた。この見解は数十年間続いた。しかし2006年、人工衛星"ビーナス・エクスプレス"が金星大気中の稲妻を観測し、金星の電気的活動が証明された。
これは、金星の電気的性質についての驚くべきこと(意外な新事実)の始まりに過ぎなかった。ペッツォルトらは、2007年にネイチャー誌に発表した論文で、金星もまた広範囲に及ぶ電離層(惑星大気の正電荷を帯びた層)に囲まれていることを明らかにした。
数年後の2013年、欧州宇宙機関は、金星には通常の球状の電離層ではなく、涙滴型の電離層、つまり下の画像のように彗星の尾があると発表した。
© ESA
金星の涙形の電離層
金星の彗星の尾は非常に長く、4,500万kmもある。実際、太陽、金星、地球が一直線に並ぶと、イオンの尾が地球に届くほど長い。
金星のイオンテール(尾部)
人工衛星が金星の尻尾を捕らえる
金星はもともと彗星で、最終的に太陽系の安定した軌道に沿って落ち着いたが、孤立したケースではないことに注意しよう。『地球の変化と人類の宇宙的つながり』の第21章では、太陽系のいくつかの惑星が、以前は彗星だった多くの衛星を新たに獲得したことを詳しく説明した:
惑星の衛星の数(1975年と2013年の比較)
注:2013年以降、木星は12個の衛星を新たに獲得した。2019年現在、木星には合計79個の衛星がある。そして土星には82の衛星がある。
水の移動はいつ起こったのか?
私たちはこの記事を"異常現象"から始めた。ヤンガードリアス期という劇的な冷却の時期に、海水面は低下する代わりに著しく上昇した(氷の量が増加したため)。火星の氷が大量に捨てられたという仮説は、この異常現象を説明することができるので、火星との接近遭遇は、12,900BPとされるヤンガードリアス期の始まりの直後に起こったはずである。
しかし、この一連の出来事を確認し、ヤンガードリアス期の始まり(彗星からの衝撃)と火星との遭遇(氷と水の投棄)の間に経過した時間を明らかにする他の証拠はあるのだろうか?
後述するように、古代の地図、過去の海面や気温の復元、モレーン(氷堆石)分析など、いくつかの情報源から、火星から地球への水の移動が起こったと思われる時期をかなり明確に知ることができる。
古代の地図
ルネサンス時代にさかのぼるいくつかの地図には、氷のない南極大陸が描かれている。
ここでは、ピリ・レイス地図(1513年)、オロンテウス・フィナエウス地図(1532年)、ビュアッシュ地図(1737年)を取り上げる。
※参照:ピリ・レイス地図
※参照:
ピリ・レイス地図:http://www.badarchaeology.com/old-maps/the-piri-reis-map/
オロンテウス・フィナエウス地図:http://www.badarchaeology.com/old-maps/the-orontius-finaeus-map/
ビュアッシュ地図:http://www.badarchaeology.com/old-maps/philippe-buaches-map/
これらの地図の信憑性は徹底的に検証されている。チャールズ・ハプグッド著の『古代海王類の地図』(Maps of the Ancient Sea Kings)は、これらの地図が本物であるだけでなく、それらを描いた人々が経度、緯度、球面三角法(19世紀末に初めて完全な形になった幾何学の一分野)について優れた知識を持っていたことを示している。また、これらの地図の最初の設計者が全世界を探検し、測量し、地球の正確な大きさと円周を知っていたことも明らかである。
ビュアッシュ地図(1737年)
これらの地図は16世紀にさかのぼるが、南極大陸が(再)発見されたのは3世紀後の1820年のことである。このことから、これらの三つの地図は、南極大陸が本当に氷のない大陸だった時代に描かれた古代の原図を中世にコピーしたものだと考えられる。また、ビュアッシュの地図(上)は、氷のない南極大陸が二つの主要な島で構成されていることに注目してほしい。
20世紀の南極大陸の岩盤のレーダー・マッピングによって、南極大陸はひとつの切れ目のない島ではなく、むしろ二つの主要な島からなる群島であることが確認されている。
オロンテウス・フィナエウスの地図(下)をよく見ると、南極大陸の海岸沿いに川の入り江や島がいくつもあることがわかる。これらの地形は現在水面下にある。このことは、オリジナルのオロンテウス・フィナエウスの地図が描かれた当時、海面が現在よりも明らかに低かったことを示唆している。
オロンテウス・フィナエウス地図と氷のない南極大陸
場合によっては、現在120メートル以上水面下にある地形もある。下の画像に示されているように、過去125,000年間で、これほど水位が低かったのは約15,000年前だけである。
過去14万年間の海面
これらの地図の原本は、現在水没している陸地が露出するほど水位が低かった15,000年前に描かれたものなのだろうか?
氷のない南極大陸を表すこれらの古代地図が約15,000年前に描かれたものだとすれば、火星との接近遭遇とそれに伴う氷の投棄は、その後に起こったことになる。
南極大陸の堆積物分析により、オリジナルの地図は少なくとも6,000年前のものであることが確認された。ロス海の堆積物コアの分析から、細かい河川の堆積物、すなわち当時ロス海に接続していた非凍結/活動的な河川が発見されたからである。
ということは、火星遭遇の年代は6,000年から15,000年前ということになる。この範囲を狭めることはできるだろうか?
海面と気温
ヤンガードリアス期の冷却(12,900年前から11,700年前)によって引き起こされるはずの海面低下(約30メートル)は起こらず、火星の水の取り込みによって相殺されたという仮説が成り立つ。しかし、この取水がいつ起こったかをより正確に知るためには、サンゴベースの海水準分析を詳しく見る必要がある。下に示した海面グラフは、サンゴ礁の分析に基づく平均海面であるため、非常に滑らかな曲線を描いている。
しかし、このサンゴ礁のデータを個別に見てみると、どうやらばらつきがあるようだ。下のグラフが示すように、それぞれのサンゴ礁にはそれぞれの経歴がある:
サンゴ礁のデータから見た海面
上のグラフでは、バルバドスのサンゴ礁の記録(菱形の記号に続く青い線)は、急な上昇(青い矢印)の後、突然の谷(緑の矢印)があり、すぐに二度目の急な上昇(黄色い矢印)が続いている。この二つの急上昇の間には約500年しかない。
ヤンガードリアス期(酸素18同位体の分析に基づく)の間の温度履歴の再構成は、非常によく似た事態を示している:
ヤンガードリアス期の気温
上のグラフは、ヤンガードリアス期の始まりが、まず急激な冷却(青い矢印)によって示され、その後約4世紀後に二度目の急激な冷却(緑の矢印)が起こったことを示している。気温低下と海面上昇の二つの連続したスパイクは、二つの連続した大規模な冷却イベントを示唆しているのだろうか?
前回の記事で述べた彗星衝突(12,900 BP頃)と、その数世紀後にこの記事で述べた火星と地球の相互作用(12,500 BP頃)のようなものだろうか?
モレーン(氷堆石)分析
ヤンガードリアス期の始まりに二つの大きな冷却現象が急速に続いたことは、アンソニー・ワッツが以下の抜粋で説明しているように、モレーン分析によって確認されているようだ(モレーンとは、氷の広がりの限界を示す地層である):
ヤンガードリアス期は単一の気候現象ではない。後期更新世の気候の温暖化と寒冷化は、ヤンガードリアス期の前後だけでなく、ヤンガードリアス期の中でも起こった。スカンジナビア氷床、ローレンタイド氷床(カナダ)、コルディエラ氷床(北アメリカ大陸西部)の三つの主要な更新世氷床はすべて二重のモレーン形成エピソードを経験し、多くの高山氷河も同様だった。スカンジナビア氷床における複数のヤンガードリアス期モレーンは長い間記録されており、膨大な文献が存在する。スカンジナビア氷床はヤンガードリアス期の間に再進出し、フィンランド南部に二つの広範な末端モレーン、スウェーデン中央部のモレーン、ノルウェー南西部のRaモレーンを形成した。14C年代は、それらが約500年離れていたことを示している。
アンソニー・ワッツ『ヤンガードリアス期の興味深い問題』
スカンジナビア氷床のダブル・ヤンガードリアス・モレーン
スカンジナビアの氷床のケースにとどまらず、スコットランドのローモンド湖にもよく似た証拠がある:
最初に認識された複数のヤンガードリアス期モレーンは、スコットランドのハイランド地方にあるローモンド湖のモレーンである。ローモンド湖のモレーンは複数のモレーンから構成されている。放射性炭素年代測定により、ローモンド湖のモレーンの年代は、129,000~115,000年前と推定されている。
古地図、気温と海水準の復元、モレーンの分析、これらすべてが矛盾のない結果を示している。ヤンガードリアス期の始まりは、連続して起こった二つの異なる壊滅的な冷却現象によって特徴づけられたようだ:
① 12,900BP頃 ─「急速冷凍マンモス」に書かれているように、現代科学でも一般的に受け入れられている大規模な彗星衝突。
② 12,500BP頃 ─ 数世紀後、地球と火星の接近遭遇とそれに伴う水・氷の投棄(現代科学では一般に認められていない)
結論(大洪水)
以上集められた情報から、二番目の出来事(12,500 BP頃)については、以下のようなシナリオが考えられる:
① 彗星である金星が太陽系に入り、太陽と木星を回る典型的な偏心彗星軌道を描く。
② 金星彗星が火星を通過し、火星の軌道を乱す。
③ 火星の軌道が乱れて地球に大接近する。
④ 火星と地球の大接近が大規模な放電を引き起こし、火星の海の大部分を含む火星の物質が地球に移動する。
この二つの出来事の間の経過時間が非常に短い(約4世紀、天体のタイムスケールでは瞬きするほど)ことから、この二つの出来事には何らかの関連があるのではないかと疑わざるを得ない。もしかしたら、金星彗星は彗星の大群の一部で、金星彗星はその中心天体だったのかもしれない。太陽系に突入した後、金星彗星群は周期約52年の典型的な木星 – 太陽軌道をたどった(これはヴェリコフスキーが示唆した金星彗星の軌道期間である)。
この偏心軌道は地球軌道の近くを通過し、最初の交差の際に、大群に含まれる天体の一部が地球の重力に引き寄せられ、直径10kmを超える五つ以上の主要な流星が地球に到達するという、相当な彗星による衝突を引き起こした。これは、ヤンガードリアス期を開始した破滅的なイベント(12,900BP頃)である可能性がある。
金星は運動量が大きいため、その後、太陽と木星を回る軌道をたどった。7~10回転(350~500年)の後、金星は火星に大接近し、火星を軌道からはずし、地球に危険なほど接近させ、前述の放電を引き起こした。
このシナリオは、70年前にヴェリコフスキーが提唱したものに近い。実質的な違いは、水の移動と、もちろん年代測定だけである。実際、年代測定はヴェリコフスキー(彼はおよそ3500~2800BPという時間枠を示唆した)に対する主な反論だった。ヴェリコフスキーの著書に関するウィキペディアのページからの抜粋が示すように、これは今日でも主要な論点である:
これまでのところ、地質学的証拠の中で破局的な起源を示す唯一のものは、ハワイ諸島の海抜1,200フィートで発見されたサンゴを含む礫岩を含む"隆起海岸"である。
“隆起海岸"と誤認されたこの堆積物は、現在では、島の側面が周期的に崩壊することによって生じる大規模な地滑りによって発生したメガ津波によるものとされている。加えて『激変の地球』で彼の考えの証拠として引用されたものの多くがそうであるように、これらの礫岩は『衝突する宇宙』で提示された仮説を支持する有効な証拠として用いるには、あまりにも古すぎる。
© Eddinger
世界の神話における大洪水の記述(青い列)※縦軸は災害の種類、横軸は地域名
ヴェリコフスキーが示唆した、より新しい年代は、地球全体に影響を及ぼした大災害という形で、多くの証拠によって裏付けられているわけではない(青銅器時代の終わりを示した中東での局地的な大災害については十分な根拠があるが)。
一方、ヤンガードリアス期(12,900-12,500BP頃)の開始は、地球全体にわたる突然の大きな変化を示す十分な証拠を提供している。
ヴェリコフスキーは、火星と地球の接近遭遇とそれに伴う水・氷の放出という二つ目の出来事は、神話の中で大洪水として言及されていると考えた。ヴェリコフスキーは、旧約聖書(2,800年BP頃)に記されている年代をもとに年代を決定した。しかし、旧約聖書に記されているヘブライ神話は、大洪水に言及している数多くの神話のひとつに過ぎない。
研究者ダグラス・エディンジャーは、全大陸にわたる500の文化において、その約90%が"大洪水"の記述を含んでいることを発見した。地球上のほとんどの文化圏でこの神話が広まっていることは、大洪水が本当に世界的な大災害であったことを示唆している。
旧約聖書は大洪水に関する最古の記述ではない。約5,000年前の古代メソポタミアのギルガメシュ叙事詩(ウトナピシュティムの物語、タブレットXI)の方が古い。
『ギルガメッシュ叙事詩と旧約聖書の類似点 The Gilgamesh Epic and the Old Testament Parallels』の著者であるシカゴ大学の A.ハイデル教授によれば、メソポタミア神話とヘブライ神話は、さらに古い共通の原典に由来する可能性があるという。いずれにせよ、叙事詩の文字版は口承版に先行していた。文字による歴史の時代を超えても、考古学的な新石器時代の最古の遺跡の中にさえ、ヤンガードリアス期を引き起こした大災害の痕跡が残っている。
ギョベクリ・テペはトルコ南部に位置する遺跡である。その最深部の地層は10,000BP頃にさかのぼる。その主要な考古学的特徴は、ハゲワシ石、別名43番柱とも呼ばれる巨大な彫刻柱である(下の画像)。
ハゲワシ石
エジンバラ大学の主任研究者マーティン・スウェットマンによれば、このハゲワシ石は天文学的に表現されたもので、現在のように動物が星座を表し、その光景全体が宇宙の破局を表しているという。ハゲタカ石に描かれた星のパターンと一致させるために行われたコンピューターモデル分析では、ある特定の年代が指摘されている。それは12,950BPで、まさにヤンガードリアス期が始まった年代である。
ニコラ・プッサン「冬または大洪水」
ピエール・レスコードロン(プロフィール)
ピエール・レスコードロン(理学修士、経営学修士)はハイテク分野で経営管理、コンサルティング、大学院教育のキャリアを積む。その後、SOTT.netの編集者兼ライターとなり、科学、テクノロジー、歴史を研究するという夢をかなえた。
著書に『地球の変化と人類の宇宙的つながり』(2014年)、『彗星との遭遇』(2021年)、『大量絶滅、進化の飛躍とウイルス情報』(TBP)などがある。
残念なことに、2023年10月20日付けの記事「追悼:ピエール・レスコードロン」で著者が最近亡くなられたことを知りました。
──おわり
最後までお読みいただき、ありがとうございました。