プラズマ宇宙論㉑ ── マインド(マクギルクリストによると左脳偏重思考が世界の不幸の原因)

世界は左脳に偏っている、そのために現代の不幸がある(イアン・マクギルクリスト)

なぜ、この世界はこんなにも問題が多いのか? 賢いはずの人類はますます破局を目指して驀進しているように見えます。

世界のリーダー国とされてきた日本や欧米諸国の指導者は押し並べて支持率が低く、支持率の低さを競っているようにさえ見えます。さらに支持率が低くなればなるほど、とんでもない政策を次々と打ち出しています。バイデンや岸田、ショルツ、マクロンなどの言行には、滲み出るような軽薄さと無能さを見せつけられています。ご意見番だったはずのメディアは滲みわたる不正直と厚顔無恥、それに輪をかけ調子を合わせ1日24時間けたたましく騒いでいます。メディアが事実を定義する時代ですから迷惑な話です。

さて、今回のテーマは"マインド"です。元の記事を読んでいると、様々な問題の根っこには何があるのだろうかと考えたとき、"左脳思考"にあるのではないかと思えてきました。一般的に左脳は理性的で言語的、右脳は創造的で感情的なものとして認知されています。しかし、この記事の中で紹介されているイアン・マクギルクリスト博士は違うことをしているのではなく、それぞれのやり方が違うのだと言います。

◎ 左半球は、自分の考え方に合わないものをすべて遮断してしまう
◎ 左半球は怒り、不寛容、嫌悪感と関連している。特にソーシャルメディアや一般的な社会的言説が、今日ではすぐにそのようになりがちだ。怒りは左側が受け持ち、物事を白か黒かで見る
◎ 左脳はより想像力に欠けて、純粋に機械的で断片的な言葉で世界を見る傾向がある
◎ 右脳は断片をつなぎ合わせる
◎ 右脳はまた、全体像を把握するために前後関係を提供する。パターンや関連を認識する
そして、
◎ 私(マクギルクリスト)には、唯一確かなことは、自分たちが間違いなく正しいと信じている人は、間違いなく間違っていると思える
と言います。
ほとんどの人が、質問されれば否定するかもしれませんが、内心、どこかで、または無意識に「自分は間違いなく正しいと信じている」のではないでしょうか? 「自分は確かに正しいと信じている」が故に、否定されるとムキになるか、内心穏やかではなくなります。

マクギルクリストという人を初めて知ったのは、電気的宇宙論の創始者ともいえるソーンヒルの「エレクトリック・ユニバースのエレガントなシンプルさ」という動画でした。

「そして、彼(マクギルクリスト)はニワトリの例えを挙げています。彼は言いました。
ニワトリの左半球は土の中の種を探していますが、右半球はニワトリが誰かの昼食にならないように確認しています。これは、良い見方だと思います。つまり、左半球はサバイバル、右半球は自分の周りで起きていることを大まかに把握することができます」
「左半球は、私が言ったように焦点が狭く、期待したものしか見ておらず、自動機械のような反応をします。それは、生き残りのためです」
「科学の教育では、全体像ではなく、小さな細片を強化します。そのため、トレーニングには左半球が関与しています。期待している側面に焦点を当ててしまうので、悪循環になってしまいます。ある種の考え方に囚われてしまいます。また、左半球をコントロールする必要があります。そして、左半球脳の人たち、つまり左半球を支配している人たちは、否定を示します」
「右半球は、全体を理解することから来ています。言い換えれば、全体を把握しようとすることです。そして、ここが重要なのですが、すべてを把握できなくても構わないということです。宇宙の誕生を理解する必要はありません。それよりも、世界とのつながりや関わりを理解することで、幸せになれるのだと」

ソーンヒル氏は「ここが重要なのですが、すべてを把握できなくても構わない」と言います。ですが、X(ツイッター)のスペースなどを聞いていると、隠された歴史やこの社会の裏面などを調べ、多くのことを知り、情報収集のやり方にも、全てを把握しなければ気が済まないという方が多いように感じます。そこにさらに「自分が確実に正しいと信じている人」どうしの論争?、言い争いが加わって、、、、、、
いずれも左脳思考の結果だと思われます。争いを生みます。終わりはありません。これは支配する側支配される側、あらゆる階層、レベル、個人、集団で起きています。つまり、敵どうしに見えても、同じ方向を向いていても、対立しているようでいて、同じパターン、左脳優位の思考をお互い使っているのだと思います。お互いに突っつきあいますから、キリがなく、しかも痛いです。

見当違いの地球温暖化政策も、コロナ・グローバル詐欺も、移民政策、LGBTも、自国の福利厚生を捨ててウクライナ支援に走る日本や西側諸国の政治家、官僚も「不寛容、嫌悪感と関連している」「自分の考え方に合わないものをすべて遮断してしまう」「断片的な言葉で世界を見る傾向がある」「自分が間違いなく正しいと信じている」左脳偏重思考が原因なのかもしれません。考え方そのものが原因ですから自らの原因を特定しづらいです。しかし、そういった彼らを批判する側も同じようなことをしているように見えます。

では、「すべてを把握できなくても構わない」という感覚はどこから生まれてくるのでしょうか?
わたしは、「だから、それこそが、右脳思考です」と言う気は全くありません。断定した瞬間、左脳に移る気がするからです。

「イアン・マクギルクリストは長年にわたり、私たちの世界の捉え方に根本的な問題があり、それが私たちを窮地に陥れようとしていると説いてきました」

planet_lightning

左は標準的な望遠鏡、右は電子望遠鏡で撮影した天の川銀河で、フィラメント構造(星と銀河をつなぐプラズマの糸)が見える。シャーロック・ホームズが宇宙論者だったら、こう言ったかもしれない:「親愛なるワトソンよ、それはフィラメント状だ」。(画像は「文脈を失う – 分断された脳と西欧世界の形成」より)

マインド

The Mind

物質に勝る精神 Mind over Matter

※ Mind over Matter:肉体的な困難などを気力[精神力]で乗り越えること、物体に勝る精神(力)、気力、念力 精神力で乗り切ること

意識の本質というものは、いまだとらえどころがない。多くの人がそれを言葉で説明しようと試みてきたが、突き止めるのは難しく、決定的な説明には欠けている。AI(人工知能)はかなりの進歩を遂げているが、それが自己認識や、人間的な意味での欲求や感情を示すかどうかはまだわからない。

人間の脳(灰白質)は、一般的に意識の根源であると考えられている。結局のところ、損傷すれば正しく機能しなくなり、その結果人間は悪戦苦闘するか死ぬことになる。しかし、この見方は単純すぎるのではないだろうか?
例えば、テレビが損傷すれば、動作が悪くなったり故障したりするかもしれないが、それは実際の送信信号には影響しない。もちろん、それは放送電波に残る。
これと同様に、人間の意識はトランシーバーである脳から離れた場所に存在するのではないかという意見もある。言うまでもないが、これは他でもない、論争の的となりうるテーマである。というのも、この主題はある意味で"スピリチュアル"だからである。しかし、厳密に言えば、スピリチュアルとは非物理的なものだけを意味する。

このような心の哲学は、心身二元論と呼ばれることもある。精神現象は非物理的に見え、心と身体は区別され分離可能だからだ。とはいうものの、このジレンマには別の見方もある。
コメディアンの故ビル・ヒックスが彼の引用で示唆したように、物質と意識は同じ究極の物質の異なる波動なのかもしれない。この重いテーマにも楽しみがあるようだ。

※上記の「トム・ウィズ・ザ・ウェザーです」原文は「Heres Tom with the Weather」の意味がよくわかりません。copilot に聞くと「この一節は、量子物理学についての考え方を表しています。宇宙のすべての原子が元々はひとつの原子であったと考えると、私たちはみな同じものから生まれているため、私たちはひとつの意識であると言えるのです。この言葉は、ビッグバン理論にも関連しています。宇宙が誕生した瞬間、すべての原子がひとつのものから分かれて生まれたとされています」という答えが返ってきました。?です。

また、電気や重力に関しても同様の不確実性が存在すると言える。電気は波なのか粒子なのか、同様に重力もそうなのか?
アイザック・ニュートンは、重力の背後にある実際のメカニズムを理解していなかったことを認めている。重力は時空の曲率と表現されることもあるが、これもまた、説明的というよりは描写的であり抽象的であることは言うまでもない。

興味深いことに、当時の一流の科学者の多くが、現在ではオカルトとみなされている学問に関心を寄せていた。例えばニュートンは、スピリチュアリズム、錬金術、神聖幾何学などに取り憑かれていた。それゆえ、一部の人々がそうしてきたように、彼を厳格な唯物論者として切り捨てるのは間違っている。

ジュリアン・ジェインズ(1920-1997)『二分心の崩壊における意識の起源』

※(邦訳:神々の沈黙;意識の誕生と文明の興亡)二分心 Bicameral Mind:古代人の脳の状態。現代人のような"意識"を持たず、右脳は"神の言葉"を聞く役割をしていたとする説 参考:松岡正剛の千夜千冊

ジュリアン・ジェインズ

ジュリアン・ジェインズ

プリンストン大学の心理学者、ジュリアン・ジェインズは、現在の主観的意識(内省的な自己認識という意味で)の状態は、紀元前2千年ごろに出現し始めたという仮説を立てた。文字通りにも比喩的にも、今日の私たちはより利己的(自己中心的)であると言えるかもしれない。

それ以前は、人間の行動は、ある種の集団意識に突き動かされているかのように、ほとんどの部分で集団心理に従っていたと彼は提唱した。興味深いことに、ジェインズが提唱した二分心な状態の崩壊の時間軸は、カタストロフィズム(天変地異説)に関連する多くの思想が示唆する時間軸とほぼ一致している。
ジェインズは従来の意味での激変説論者ではなかったが、それでも興味深い類似点がいくつか存在する。おそらく、過去のある時点で、異なる電気的・重力的環境が、異なる精神状態を促進したのではないだろうか?
ジェインズによれば、二分心(大脳半球の分離)が崩壊したとき、左半球が突然右半球にアクセスできるようになり、自分の直感的な思考(それまで無意識だった)を神々(あるいは神)の声と勘違いするようになったという。ジェインズは、このことが催眠や精神分裂病(総合失調症)のような障害に何らかの洞察を与えると考えていた。精神分裂病患者は声を聞く、それゆえに精神分裂病は以前の精神状態への回帰である。

声といえば、駄洒落を許して頂ければ、例えば、スペインやポルトガルの征服者が南米に上陸したとき、彼らは原住民の多くが自分たちの彫像が自分たちに語りかけているのを見たり聞いたりしているのを発見して驚いた……文字通りの意味で。さらに、彫像はしばしば彼らの共同体の中心的な役割を果たしたようだ。同様に、イーリアスや旧約聖書の英雄たちが命令や助言を与える声を聞いたとき、ジェインズはこれは比喩的な表現ではないと主張した。彼らは文字通り声を聞いたのである。

ジェインズの仕事と精神科医イアン・マクギルクリスト博士の仕事との間には、重要な点で相違はあるものの、以下のように重なる部分がある。
マクギルクリストは、左半球が突然、右半球にアクセスできるようになったのとは対照的に、どちらかといえば、人類は特定の時間枠の間に脳の右半球との接触を失い始めたと主張し、また、いくつかの一般的な意見に反して、被験者が催眠下にあるときや精神分裂病症状の発現時は左脳が優位であることも指摘している。もちろん、マクギルクリストの研究は何十年にもわたる更なる研究の恩恵を受けている。また、18世紀以前に精神分裂病が存在したという証拠はほとんどない。

イアン・マクギルクリスト『マスターとその使者』

2009年に出版された『マスターとその使者 分断された脳と西欧世界の形成(邦訳はされていません)の中で、元精神科医のイアン・マクギルクリスト博士は、意識の本質と今日の私たちの考え方について、挑戦的な問いを投げかけている。
例えば、視野の狭い左半球のトレーニングは、生徒を問題の別の見方に対して機能的に盲目にする。左半球は、自分の考え方に合わないものをすべて遮断してしまう。科学者の多くは、狭い範囲での専門的な訓練を受けているため、専門家でない人間にとって明白なことがわからないのかもしれない。パラダイムシフトが起こりつつあることに気づくのは、おそらく彼らが最後になるだろうと彼は主張する。

イアン・マクギルクリスト

イアン・マクギルクリスト博士

概して、大衆文化では、左脳は理性的で言語的、右脳は創造的で感情的なものとして描かれている。同じようなナラティブを啓発するために、さまざまな比喩も用いられてきた。左脳は絵の具入れ、右脳は画家と表現される。
(ここで)知っていると思っていたことはすべて忘れよう! 多少の真実を含んでいるとはいえ、このような一般化は誤解を招きかねない。
マクギルクリストは、脳の両側は、異なるアプローチ、あるいは「世界に対する確実な異なる見方」を持ってはいるが、ほとんどの活動に携わっていると強調する。彼が言うように、ふたつの半球は「異なる方法で注意を払う」と考えた方がいい。
「違うことをするのではなく、やり方が違うのだ」

さらに、左半球は退屈だが信頼できる古い会計士の友人のようなものだという考え方は間違っている。
右半球は実際に結論を急ぐ傾向が弱いことが判明した。右半球は問題の両面を見ることができる。著名な神経科学者である VSラマチャンドラン教授は、右脳はこの点で有効な反論役(あえて異を唱える)であると述べている。

マクギルクリストはまた、左半球には感情があると指摘する。
左半球は怒り、不寛容、嫌悪感と関連している。特にソーシャルメディアや一般的な社会的言説が、今日ではすぐにそのような音色になりがちだ。怒りは左側が受け持ち、物事を白か黒かで見る左半球の傾向から生じる。
以下の Rebel Wisdomとのインタビュー WE NEED TO ACTの中で、マクギルクリストは、皮肉にも自らをリベラルと称する人々の狭量な非リベラル illiberal(非自由主義的)傾向について論じている。

イアン・マクギルクリスト、私たちは行動する必要がある
イアン・マクギルクリストは長年にわたり、私たちの世界の捉え方に根本的な問題があり、それが私たちを窮地に陥れようとしていると説いてきた。そして2022年、状況は重大な転換点を迎えており、私たちは緊急に目を覚ます必要があると考えている。
Rebel Wisdom(反逆者の知恵)のデビッド・フラーとの対談で彼は、"左脳的"、還元主義的、唯物論的、文字通りの視点による現在の文化の支配が、いかに危機的状況に達しているかについて語った。
彼は、それが"現実との戦い"や言論の自由に対する一連の攻撃として現れていることを説明する。

コメントから
@mmnuances
私は長年、マクギルクリスト博士の研究者であり、『マスターとその使者』を深く研究し、読み直し、そして今、『物事の問題点』を何ヶ月もかけて研究している。惑星の居住可能性が壊滅的に失われ、政治的な領域で全体主義的な衝動が高まり、経済的な領域で大きな格差が生じるなど、現在の世界的な状況は、私たちの問題のほんのいくつかを挙げるだけでも、これらの問いを緊急に投げかけている;「我々は何者なのか、なぜこのような地球規模の自滅的な行動をとるのか?」
私の考えでは、マクギルクリスト博士は、これらの問いに対する必要不可欠な答えに関して、現代において最も適切で偉大な教師である可能性が高い。
この1時間、このビデオを見ただけで、私の意識は、人間が自分たちの世界に生息する方法に関する最も有益な洞察の多くがつながり、自己破壊的な無知の深淵への世界的な自由落下を緩和するために可能な変革、あるいは人間の潜在能力のリバランスを指し示す、広大な領域へとシフトした。

数十年にわたる研究に基づき、マクギルクリストは、西洋の人々は一般的に左脳的で還元的な性質を持っているのに対し、東洋の人々は一般的に右半球と左半球の両方を使って問題にアプローチする能力に長けていると指摘している。それぞれ"主人 master “と"使者 Emissary “である。
左脳はより逐語的(事実に即した、想像力に欠けた、融通が利かない)で、純粋に機械的で断片的な言葉で世界を見る傾向がある。右脳は断片をつなぎ合わせる。さらに、その話の教訓を理解したり、ジョークの趣旨を理解したりするのも右脳である。しばしば物言わぬ側と表現されるが、右脳はまた、全体像を把握するために文脈(前後関係)を提供する。パターンや関連を認識する。

※master:親方、名人、指導者、マスター。Emissary:ある人の利益を代表する任務のために送られた人、使者、スパイ
※還元主義:複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方

左脳は、定義上、文脈から切り離された抽象化を扱う。この事実は、このウェブサイトを通して議論されているように、今日、私たちは数学的な推測と抽象化によって支配された"科学"の多くを目にする宇宙論に特に当てはまる。具象化(抽象的な何かを具体的なものと考えること)が肝腎かなめである。人間の努力の多くの分野が、現実から切り離され、解体されているように見える。

科学における偉大な発見のほとんどは、パターン認識によって、つまりゲシュタルト(形態、部分の寄せ集まりではない、全体としての構造)を見ることによって直感的になされた。それらは必ずしも直線的な順序に従ってなされたものではない。右脳は、科学、直感、想像力、理性の間に矛盾はないと考えている。優れた科学においては、それらはすべて一緒に機能する。言い換えれば、これらのものが互いに対立するかのように設定されたり語られたりする理由はない。

要するに、マクギルクリストは、右脳はより堅実で信頼できる(頼りになる)と主張するのだが、私たちはますます左脳的な世界に生きている。半球はバランスよく働く必要があり、基本的にバランスをもたらすのは右半球である。
この興味深い議論の中で、ジョーダン・ピーターソンは、社会的な意味でのマクギルクリストの仕事のより広い意味あい(引き起こされるであろう結果)を探求している。
『物事の問題』:ピーターソンとマクギルクリスト

以下は、アレックス・ゴメス=マリンとの別の対談「'物事の問題’を理解する 対話エピソード9:第9章 統合失調症と自閉症」(46分のところ)からの引用である。

マクギルクリストの仕事に関する私の2023年のサンダーブログは、こちらか「論説:文脈の喪失 — 分裂した脳と西洋世界の形成」で見ることができる。

ルパート・シェルドレイク 科学の妄想

ルパート・シェルドレイクは素晴らしい経歴の持ち主である。生物学者であり、85以上の科学論文と9冊の著書、6冊の共著がある。スイスを代表するシンクタンク、チューリッヒのダットワイラー研究所が2013年に発表した「世界の思想家トップ100」にも選ばれている。最大の科学・学術オンラインネットワークである ResearchGateでは、彼のRGスコア(ResearchGate が研究者の科学的評価を測定するために使用する指標、研究者の研究が同僚からどのように受け止められているかを示す相対的な尺度)は33.5で、査読付き出版物の引用(言及)に基づくと、研究者の上位7.5%に入る。

しかし、彼の先駆的な研究は、硬直した唯物論的科学と衝突することになった。2013年「The Science Delusion(科学の妄想)」と題された彼のTED講演は、TEDから削除され、ウェブサイトの片隅に追いやられ、警告ラベルが貼られた! さらなる討論の場が設けられたが、この講演を非難した人々は姿を見せなかった。
形態共鳴 morphic resonance という言葉を聞いたことがない人も含め、発言した人々の大多数は憤慨していた。皮肉なことに、禁止される前のビデオの再生回数は35,000回と控えめだったが、それ以来、そのコピービデオは500万回以上視聴されている。ロシア語の吹き替え版もあり、20以上の言語の字幕がついている。

シェルドレイクは、意識の本質、超能力現象、自然界の記憶に強い関心を寄せている。彼はおそらく後者、つまり形態共鳴に関する研究で最もよく知られている。彼の研究は、宇宙を電気粒子のダンスとみなす EU(エレクトリック・ユニバース)支持者の共感を呼んでいる。

こちらがバンされたTEDトーク。

2013年1月12日、ルパートはTEDxWhitechapelで『The Science Delusion』と題した講演を行った。
この夜のテーマは「Visions for Transition(移行へのビジョン)」だった:既存のパラダイムに挑戦し、(より美しい世界のために)価値観を再定義する」というものだった。
米国の過激な唯物論ブロガー2人からの抗議を受けて、このトークは後にTEDによって削除され、ウェブサイトの特別コーナーに置かれた。削除される前の再生回数は35,000回だった。それ以来、Youtubeなどで公開されているこの講演のクローンは、600万回以上視聴されている(2022年8月現在)。

おそらくこの講演で最も面白いのは、定数、より具体的には定数の欠如に関するものだろう(11分頃)。これは明らかにコンセンサス・サイエンスの問題である。結局のところ、定数は一定であるべきなのだ。G(重力)の測定値のばらつきは、定数に到達するために、委員会によってしょっちゅう平均化されなければならないし、光速cのばらつきは、定義によって光速を固定することで回避されてきた。言い換えれば、メートルは光速によって定義され、単位は光速によって変化するのである!
驚きだ(勘弁してほしい)

言い換えれば、これらの定数は我々の知らないうちに変化する可能性があるのだ。ルパートは、このことを隠すのではなく、変動する定数を金融のような形で指数化し、おそらく毎日発表したら面白いのではないかと冗談を言っている。

エレクトリック・ユニバースから見れば、このような変動は驚くべきことではない。例えば重力は、一般的な電気的環境によって変化すると予想されている。

疑似懐疑論(偽りの懐疑主義)

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小さな

自称懐疑論者は、自分の世界観に合わない主張を否定することに誇りを持っている。これで生計を立てているのは明らかであり、不正が暴かれた場合には、おそらくそこから得られる利益もあるだろう。問題は、そのような懐疑論者の多くが行き過ぎた行動に走り、標準的でない理論や代替理論をすべて同じカゴに入れてしまう傾向があることだ。
言うまでもなく、ほとんどの新説は、証拠があろうとなかろうと、そもそも攻撃される傾向にある。このような論争の多くは、パラダイムシフトの本質に関するトーマス・クーンの著作によく記されている。彼の著書『科学革命の構造』は、学術界と大衆向けの分野の両方に大きな影響を及ぼした。

真の哲学的な意味での懐疑主義とは、確実性を疑うことを意味するため、上記のような優れたシニシズムのブランドは、一般的に似非懐疑主義と呼ばれている。新しい理論に無理な(法外な)証明責任を求める一方で、たとえ多くの点で欠けていても、慣例に基づいて一般的な理論を受け入れることは、必ずしも難しいことではない。私に言わせていただければ、世間一般の通念は通常、少なくとも分別と同じくらい慣習に負っている。

多くの似非懐疑論者は、特に神や神々への信仰を否定することに誇りを持っている。至高の存在に関する議論はこのウェブサイトの範囲外だが、神話や伝説の神々に関しては、考慮すべきもう一つの重要な切り口がある。

エレクトリック・ユニバースと密接に協力してきたデヴィッド・タルボット、エヴ・コクラン、ドワルドゥ・カルドナのような神話学者は、パターンを探す。
神話と伝説の神々について言えば、これらの神々の多くが惑星土星、火星、金星と関連していることを発見する。異なる文化は、多種多様な方法で彼らを恐れ、崇拝し、描いてきたが、一致する重要な点は、比較神話の観点から無視することは難しい。言い換えれば、関連する原型的シンボルの起源を無知と迷信の所業として片付けるのは考えが甘いということだ。人類は物語を語る種族かもしれないが、世界中の言葉による伝統は、詳細さではなく、的確さと連続性に誇りを持っている。
考慮すべき更なる大局観がある。このウェブサイトの神話と破局論のセクションを参照されたい。

似非懐疑主義や一方的懐疑主義は、実際、上述の左脳的思考の限界を示す典型的な例である。イアン・マクギルクリストは、この考え方の弱点と不足を強調している。

Skeptical about Skeptics.orgは、懐疑論者と呼ばれる人たちの疑問の余地がある動機を暴く素晴らしい仕事をしている。懐疑主義という言葉の哲学的な由来は、確実性を疑うという意味だが、これらの有名な"懐疑論者"は、自分たちの世界観に徹底的に自信を持っているようだ。皮肉なことに、このような人々の多くに象徴される敵意(悪意)に満ちた無神論は、どこかカルト的なメンタリティに似ている。

※ hubris:ギリシャ悲劇のヒュブリス:破滅へと導く、現実を無視した過剰な誇りや野心。

生命の光

生命は光を放つ。
天体物理学者であり、SAFIREの主任科学者であるマイケル・クラレージ博士は、すべての階層がコミュニケーションをとり、エネルギーを交換している、細胞、化学物質、光、電気、地球と太陽の生態系がなければ、有機生命体は存在し得なかったと説明する。

私たちの目が光を発している証拠さえある。物理学者にとっては、すべての受信機は送信機でもあり、無線アンテナは同じ信号を送受信することができるのだから、これは可能なことだ。網膜細胞のロドプシン(光感受性受容体タンパク質)分子は、同じ可視光を吸収し、放出する。

──おわり

ウィキペディアはなにか調べ物をするときには役に立ちますが、主流の見解から外れたものは意地悪な書き方をします。そのウィキペディアについてまことに的を得た指摘が「懐疑論者か、それとも疑似懐疑論者か?」にあったので資料として引用させていただきます。ちなみにこのサイトの巻頭言は以下のように記されています。

真の懐疑論者とは、偏見を持たずに探究し、批判的思考を用いて入手可能な証拠をすべて評価する人である。残念ながら、懐疑論者を自称する人の中には、実は疑似懐疑論者もいる。彼らは狭い形而上学的信念体系に固執しているが、多くの場合、自分がそうであるとは気づいていない。それどころか、彼らはしばしば、何の信念も持たず、飾り気のない科学的"真実"だけを信じていると主張し、自分の古びた見解に反する証拠を自動的に却下する。

ウィキペディア編集者:心理学的プロファイル

WIKIPEDIA EDITORS: A PSYCHOLOGICAL PROFILE
by Richard Gale and Gary Null PhD
ウィキペディア編集者:心理学的プロファイル
リチャード・ゲイルとゲイリー・ナル博士著

ブリタニカ百科事典(Encyclopedia Britannica)のような正当で評価の高い百科事典を使って代替医療に関する情報を調べると、伝統的な中国医学、ホメオパシー、鍼治療などのトピックについて、利用可能な文献の公正でバランスの取れた学術的なレビューを見つけることができる。ブリタニカや他の六つの百科事典は、編集者の名前を挙げ、その編集分野の専門知識を示す履歴書を提供している。誹謗中傷はない。攻撃もない。どの項目を読んでも、特定の情報を選んだことで心の中で役に立たないと感じるようなことはない。また、これらの百科事典には、代替医療や補完医療を支持する人々の誹謗中傷、愚弄、あざけり、見くびりは一切ない。このプロセスは透明性があり、有益である。

では、百科事典を自称するウィキペディアでの経験と比較してみよう。
編集者のほとんどは匿名で、編集している分野の専門知識があるかどうかを確認するための履歴書もない。また、"山師"、"やぶ医者"、"精神錯乱者"、"非主流派"、"疑似科学的"といった言葉も珍しくない。透明性はゼロだ。生物学者ルパート・シェルドレイクや医師ディーパック・チョプラの伝記、あるいはシャリル・アトキソンの調査活動を見ていると、にじみ出るような見下したセンス(恩に着せるような偉そうな態度)を感じる。そしてこれらは、まったく軽蔑され、正当な価値がないと判断されている多くの人物のほんの一部に過ぎない。さらに悪いことに、彼らはヤブ医者、ペテン師、日和見主義者として、まるで疑惑に反論する機会もなく非難されたスターリン主義的なショー裁判のように、インタビューも受けずに非難されている。

※ちなみに、上記の三人はウィキでは次のように紹介されています。
ディーパック・チョプラ:チョプラが推進する考え方は、医学や科学の専門家から疑似科学として定期的に批判されてきた。その批判は「否定的なものから……非難するものまで」と表現されている。哲学者のロバート・キャロルは、チョプラは自分の教えを正当化するために、アーユルヴェーダと量子力学を統合しようとしていると書いている。
アルフレッド・ルパート・シェルドレイクはイギリスの作家で超心理学研究者である。形態共鳴の概念を提唱したが、主流には受け入れられず、疑似科学として広く批判されている。ケンブリッジ大学の生化学者、ハーバード大学の学者、英国王立協会の研究員、インドのICRISATの植物生理学者などを歴任した。
シャリル・アトキソン:アトキソンは2014年、21年間在籍したCBSニュースを辞職した。彼女は後に『Stonewalled』という本を書き、その中で、CBSニュースは2012年のベンガジ攻撃など、バラク・オバマの論議を十分に報道しなかったと主張した。アトキソンは、ワクチンと自閉症との関連性を示唆する記事を掲載したことで批判を受けたが、この主張は科学界によって否定されている。

資料

Copilot
マスターとその使者」(原題:The Master and His Emissary)は、イアン・マクギルクリストによる著書で、脳の左右の半球がどのように異なる方法で世界を認識し、これが私たちの思考や文化にどのような影響を与えるかを探求している。

主な内容
左半球と右半球の違い:左半球は分析的で細部に焦点を当てるのに対し、右半球は全体的で文脈に依存した認識を行う。
歴史的・文化的影響
マクギルクリストは、歴史を通じて右半球の認識が優勢だった時代と左半球の認識が優勢だった時代を比較し、現代社会の多くの問題が左半球の過度な支配に起因すると主張している。
現代社会への影響:現代の技術や科学の進歩が左半球の認識を強化し、バランスを欠いた状態を生み出していると警告している。
この本は、心理学、哲学、文化研究に興味がある人にとって非常に興味深い内容となっている。もしさらに詳しい情報が必要であれば、具体的な章やテーマについてもお話しできます。

Brave
物事の問題:ピーターソンとマクギルクリスト

概要

『The Matter with Things』は、精神科医、思想家、元文学研究者のイアン・マクギルクリストが書いた本で、脳の二つの半球が示す根本的に異なる世界観を探求している。この本は、マクギルクリストの数十年にわたる研究と思考の集大成であり、さまざまな分野の学者や思想家から賞賛されている。

ジョーダン・ピーターソンとの議論

イアン・マクギルクリスト氏とカナダの臨床心理学者で教授のジョーダン・ピーターソン氏はピーターソン氏のポッドキャストで議論し、脳の分岐、人間が現実をどのように処理するか、マクギルクリスト氏によると西洋文化を形成してきた見解の衰退など、さまざまなトピックについて検討した。

重要な概念

この本とポッドキャストで説明されている重要な概念には次のようなものがある。

● 注意:世界が注意を通じてどのように創造されるかを探る、マクギルクリストの注意の概念。
● 二つの半球:この本では、脳の二つの半球が示す根本的に異なる世界観について論じている。
● 意識:マクギルクリストは、物質ではなく意識が存在論的に根本的であると主張している。
● 現実:この本では、対立するものの一致、一と多数、時間、流れと動き、空間と物質、そして神聖な感覚など、現実の本質を探求している。

評判

この本は、さまざまな分野の学者や思想家から広く称賛されている。作家のフィリップ・プルマンは、ニュー・ステイツマン誌で『The Matter with Things』を2021年のお気に入りの本に選んだ。哲学教授のロナン・シャーキーは、この本を「驚くべきインスピレーションと博識の本」であり、「人間としての私たちを理解する上で、静かで広範囲にわたる革命」と評した。

引用

この本とポッドキャストからの注目すべき引用をいくつか挙げると、

●「とてもシンプルです。これは今まで出版された中で最も重要な本のひとつです。そう、本当に今までで最も重要な本です。これは現実の本質についてのスリリングな解説であり、世界が驚異と神秘に満ちていると信じるのは子供じみていて不名誉なことであるという、強硬で陳腐な正統派の考えを痛烈に否定するものです……」
── ジョーダン・ピーターソン
●「この本では、彼は学際的な知識を駆使して、私たちがどれだけ多くのものを失っているかを正確に説明しています。これはまさに天才的な作品であり、私たちの悲惨な状況を完全に診断し、代わりに解決策を提示しています」
── ルパート・リード教授、イースト・アングリア大学哲学教授

結論

『The Matter with Things』は、現実、意識、そして人間の経験の本質を探求する画期的な本である。イアン・マクギルクリストとジョーダン・ピーターソンの議論は、この本の重要な概念とアイデアに対する貴重な洞察を提供する。この本は、さまざまな分野の学者や思想家から広く称賛されており、人間の脳の謎と現実の本質を探求することに関心のある人にとって必読の書である。

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形態共鳴

形態共鳴とは、生物学と意識における理論的概念であり、記憶は自然に内在しており、類似のパターンは時間と空間を超えて後続のパターンに影響を与えるというものである。この考えは、イギリスの作家であり超心理学研究者でもあるルパート・シェルドレイクによって初めて提唱された。

主要原則

① 形態共鳴:空間と時間の両方を通じて形成的な因果的影響を伝達し、過去の類似システムからの記憶とパターンの継承を可能にする。
② 形態場:生物などの自己組織化システムの活動を組織化し、集合的な本能的な記憶を伝える場。
③ 非局所的類似性強化:過去の類似パターンが現在の自己組織化システムの行動に影響を与え、それぞれの種とシステムに集合的な記憶を与える。

例と応用

① 生物システム:形態共鳴は生物の発達と行動に役割を果たし、パターンと習慣の形成に影響を与えると考えられている。
② 人間社会:集団の記憶や習慣は文化的儀式や伝統を通じて伝達され、世代を超えて知識や行動が継承される。
③ 意識:形態共鳴は、個人の経験と記憶がつながり、互いに影響し合う集合意識の概念に関連している可能性がある。

批判と論争

① 経験的証拠の欠如:批評家は、形態共鳴の存在を裏付ける科学的証拠はなく、それは疑似科学の一種であると主張している。
② 確立された理論との矛盾:形態共鳴は、遺伝学や進化論などの生物学における確立された理論に異議を唱えており、経験的データとの一貫性に欠けると批判されてきた。
③ 方法論上の懸念:一部の批評家は、シェルドレイクの研究方法には欠陥があり、彼の結論は厳密な科学的検証ではなく逸話的な証拠に基づいていると主張している。

結論

形態共鳴は、自然界における記憶と意識についての新たな理解を提案する理論的概念である。大きな関心と議論を呼んでいるが、その妥当性と意味については、現在も研究と論争が続いている。

──つづく
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(元サイトの不鮮明な画像は差し替えてあります)

Posted by kiyo.I