好き嫌いと鏡の法則。ネガティブな意識は引き寄せの天才
「鏡の法則」ってよく言いますが、法則って言うと難しそうな気がしますが、早い話が「出したものは返ってくる」だけのことです。鏡って言いますがエネルギーの法則です。
出したものは返ってくる
好きな人、嫌いな人。関係ある人、ない人。
誰にでも好き嫌いはあります。好きな人はいいとしても嫌いな人は自分の中でどう折り合いをつけていますか?
これから紹介するのは私の失敗談です。よろしければ付き合ってください。
エネルギー調整の練習をしていたときのことです。身近な友達や知り合いの人にお願いをして、体の不調があるところを聞いて腰痛や肩こり、背骨や内臓の不調の調整をさせていただいていました。最初の頃はとてもうまくいって快調でした。直ぐに結果が出るので面白くて楽しくて仕方ありませんでした。
そのうち、あの人(できれば避けたい人でした)にエネルギー調整を頼まれたとしても、お金をいただけたとしても嫌だろうなって気持ちがふっと湧いてきました。
というのも、僕がお願いしてエネルギー調整をさせていただいていたのは自分が親しいと思っているというか受け入れている人ばかりだったからです。普通に考えれば当然といえば当然の気持ちだろうなと思います。嫌な人や近づきたくない人にあえてお願いしませんから。
ですがお願いするといってもお願いできる人は限りがあります。次は誰にお願いしようかなって考えているうちに、残り少なくなった不安も手伝ったのか「あの人」には頼まれても嫌だという思いが強くなってきました。
自分勝手といえばこれほど自分勝手な考えもないでしょうが、段々と「あの人」がプラスされ人数が増えていきました。
そうこうしているうちに自分の中で何かが変というか変わってきたという感じがしてくるようになりました。ギクシャクした感覚というか歯車が噛み合わない感覚というか。
やりはじめた頃に感じたあの面白くて楽しくてという気持ちが次第に遠ざかっていく感覚がしてきました。
でも無視していました。
慣れてきたせいもあって最初に感じた興奮が薄れてしまうのも仕方のないことぐらいにしか思っていませんでした。そんなものだと。
ところが自分の中で、できれば避けたいと思っている人や近づきたくないと思っている人が余計に気になるようになってしまいました。気にしないようにすればするほど気にしてるのです。
何かが変だ。間違った方向に行っている。おかしいという思いが募って、立て続けに失敗してやっと気が付きました。
相手は自分を映す鏡
他人の中に見えるものは自分の中にもあります。よく言いますね。好感が持てる人には自分の中にある同じ性質のものを好ましく思っているということだし、嫌いに思える人には自分の中にある同じ性質のものを嫌って避けているということです。
嫌って避けているということは自分の中にあるなにか(嫌だと思っているところ)を認めたくなくて避けている=認めることに抵抗しているということでした。あるという事実を認めることを避けて抵抗しているのでストレスがたまります。だから逆に問題を大きくしてしまい、結果うまくいきません。
鏡の法則の基本ですが、いつの間にか自分も間違いにハマっていました。知識として知っていることと実際に気づいて成長の糧にできるかどうかは全く違います。
一人でも嫌いな人を作ってしまうと、その思いは増殖していきます。私の場合はなにげない「あの人(できれば避けたい人)にエネルギー調整を頼まれたとしても、お金がいただけたとしても嫌だろうなって気持ち」から始まりました。
それがもたらす結果にうすうす気づいていましたが無視しました。大切に育てたい苗が雑草に埋もれて枯れてしまうようなものです。いつのまにか雑草のようなガラクタな思考が優勢になってしまったのです。
嫌いな人というのは自分の中にある嫌っている部分を相手に投影しているだけのことです。その意味ではあるがままの自分を受け入れてはいません。否定しているものがあるということですから。
抵抗したり否定しているものが一つでもあると、たった一人でも批判し裁いていると、何かがおかしくなり、うまくいきません。それが分かりました。
すべてを肯定してみる
例えば、世の中にひどい出来事が起きたりすると、こんなことが許されるはずがないと憤ることがあります。出来事自体を否定します。殺人とか虐待とか犯罪は誰が見ても人間としてするべきではありません。だから否定します。否定から入ります。それはそれで正論だし当然だと思います。
ですが、先程の「否定しているものが一つでもあると、何かがおかしくなり、うまくいかない」という先ほどの「原則」からすると矛盾することになります。
ここであえて、たとえ人道に反するようなひどい出来事であったとしても肯定してみます。
なぜなら、事実だからです。
起きたのは事実だから、肯定から入ります。だからといって、起きたことがいいと言っているわけではありません。悪いことであっても容認したほういいと言いたいわけではありません。
物事を判断したり人を判断するときに、あるがまま認めて否定せず肯定したほうがいいと言いたいのです。
否定から入ると批判的になります。
批判しても、その批判がどんなに正しくても、何も変わらないし変えられません。
批判しても世の中は変わらないし、人も変わらないし、自分も変わりません。変えられません。
だからといって諦めたほうがいいと言いたいわけではありません。むしろ逆です。
なにも変わらないし変えられないのは否定して批判しているからです。否定のエネルギーは跳ね返すエネルギーです。跳ね返して抵抗すれば、否定したいところを逆に強化してしまいます。肯定して受け入れると変化させる余地が生まれます。
否定から入るのと肯定から入るのとでは大きな違いを生み出します。
すべてを肯定すると、人を批判しなくてすみます。
自分を批判しなくてすみます。
たとえどんなに欠点があろうと人を愛せます。たとえどんなにブサイクだろうと自分を愛せます。あるがまま自分も他人も受け入れられ認めることができます。
誰の価値基準でしょうか?
自分のこんなところが嫌、あの人のあんなところが嫌いって何度言ったところで、何も変わりはしません。
むしろ言えば言うほど、そこに意識を向ければ向けるほどそれが現実となって現れます。現実となってしまったものを見てますます確信します。
やっぱり変わらないんだって。
思いは実現します。ネガティブな意識がリアルな現実となります。
ネガティブな意識は引き寄せの天才です。
ですから嫌なところも嫌いなところも受け入れてみてください。いいとか悪いとか決めつけないで。
それはいったい誰が決めたのでしょうか?
誰の価値基準でしょうか?
誰の影響でそう考えるようになったのでしょうか?
そこには自分で決めた価値基準はないことに気がつくはずです。
誰かの基準、世間の、親の、教育や本で読んだ価値基準のごったまぜのはずです。
自分のここが悪いといって、否定して抵抗すればするほどそれは続きます。自分を苦しめ続けます。反対に肯定して受け入れるとそこから解放されます。
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最後までお読みいただきありがとうございました。