「月」がわかれば自分がわかる(前編)

占星術に魅せられた

占星術というと、以前は血液型占いと同じようなもので結局どの星座だろうと誰にでも当てはまるんじゃないのって軽く考えていました。気を悪くする方もいらっしゃるかもしれませんが興味がわきませんでした。
ところがコロナ騒動で調べ物をしていた時、youtubeでマドモアゼル・愛という方の動画をたまたま見ました。すべては嘘、騙されているといった内容の動画でした。

もともとこの世の中はごまかしだらけだと気付いていました。だからマスコミというかメディアというものは全く信頼していませんでした。原発報道しかり、温暖化詐欺しかり、イラクやシリア、トランプ、プーチン、挙げればきりがありませんが「専門家」とか「識者」と呼ばれている方が出てきて、平気で嘘をついているのを見てあきれていました。

しかしほとんどの人は、こうした報道というものは公平で嘘をつくはずがないと信じています。多勢に無勢、説明しても分かってくれません。つくづくメディアというものは罪深い堕落の権化だなと思っていました。

とはいえ社会的な問題は陰謀系も含め世の中の見方にはいろいろな立場や見解があります。うなづけるところがある一方、なんだかなというものもあります。ただし批判一辺倒のものとか特定の国や民族を攻撃(ヘイト)するような立場を感じるものは距離を置くことにしていました。
心理学やスピリチュアルの世界も有名無名問わず、高次元の存在やどこかの星から来た情報をチャネリングしたとされる内容を発信されています。その内容は玉石混淆です。すごいなと思うものからファンタジー色満載のものまで様々です。

で、私たちはこの現実世界、物質世界に生きています。コロナ騒動を機にこの現実世界についてどういう解釈があるのか調べてみました。でも、そのほとんどが皆無とは言わないまでも、0.1%が99.9%を支配している世界の現実、矛盾、いびつさとかには触れないんですね。問題を個別の問題として関連なくバラバラにそれぞれの立場で解説しているものがほとんどです。それが普通かもしれません。スピ系でも大半が癒しましょう、祈りましょうという感じです。こういう世界に関わったはしくれとして理解はしているつもりですが、なんか消化不良のような物足りないものを以前から感じていました。

この世界の矛盾や問題は集合的無意識が作り出しているとか、内面を映し出しているのだから、内面を癒し愛を感じることで、、、解決される。そうなのかもしれません。そうでないのかも、、、
ですが、いったい何人の人がその事に気付き癒せばこの世界は変化するのでしょうか? 
支配構造の問題を個人の問題にすり替えてるんじゃないの?って思ったりもします。癒された人が愛に満ち溢れまわりの人を愛で包み込んでいけば解決するのでしょうか? 素晴らしいことだと思います。否定するつもりはありません。ですが所詮は先進国の豊かな国々の人にしか通用しないおとぎ話のようにも感じます。

僕はこの世界が嘘とごまかしの世界だというシンプルな事実を指摘しない意見はまやかしだと思っています。極端に感じられる方もおられると思いますが、いまだに続いているコロナ騒動を見ていて確信しました。わたしたちは政治、経済、科学、医療、実生活、意識の持ち方に至るまでなにもかも騙されています。そこから世界で起きていることを観察してみると謎が解けてきました。特に学校教育とメディアに騙されていたという事が。
それで早い話が、この世界を上手く説明してくれる人はいないのかなと探してみたんです。

見つかりました。僕なりにですが。それがマドモアゼル・愛さんという方でした。
そういえば昔、占いの本か雑誌か何かでお名前を見かけたような記憶があります。今は「愛先生」と呼ばれているようですね。
Youtube動画を拝見すると、専門の占星術はもちろんのこと、この世の中の見方がユニークでした。冷静で愛に溢れた方なんだなぁという印象も受けました。社会の見方もいわゆる「評論家・識者・専門家」といわれる方の難しい言い回しではありません。結局なんだかよく分からない(ごまかしているから分かりづらいだけなんですけどね)一言でいえばインチキでつまらないものとは正反対でした。スピリチュアルな話題についても、よくありがちな、外人さん(だいたい白人と決まっている)が主役の西洋中心の世界観に基づいたものでもありません。

いつも思っていたんです。なんでスピリチュアルっていつも欧米(キリスト教)が中心なんだろって。明治維新後の欧米崇拝という風潮もありますが。かといって「和」のものはもう一つ満足できないもどかしさがありました。

それはさておき、占星術に興味がなかった僕が俄然興味を引かれたのは、マドモアゼル・愛さんの「月」の解釈でした。
これにはビックリしました。こういう解釈があったのかと。とはいうものの占星術の世界ではこの解釈は主流ではありません。マドモアゼル・愛さんの独自の解釈だという事が後で分かりました。

初めて占星術というものに興味が湧いてきました。この占星術は凄い! しかも「月」の解釈で人生が解けちゃいそうです。

月と月見

あなたのこだわりはどこから?

なお動画の中でもご自分のことを「愛先生」と呼ばれているので、ここからは「愛先生」と書かせていただきます。

さて「月」の解釈ですが、
だれでもうまくいっていたとしても、どこかで自分ってこれでいいのかなとか、このままでいいのかなとか、間違っていなかったかなとか、なんとなく確信しきれない何かがあるのではないかと思います。いろんな壁にぶつかって上手くいっていなければなおさらです。

でもそれがどこから来るのか分からない、モヤモヤするけど分からないという事があると思うのです。
さらに、なんかいつも同じようなことで悩んでいる感じがする。人間関係とか、お金のこととか、住まいのこととか、家族のこととか、、、。コミュニケーション、容姿、学歴、仕事について。人それぞれですが、何か一つ中心となる問題について日頃悩んだり気にしていたりするものではないでしょうか?

一人で考えても考えても、誰かに相談しても、なにかしっくりこない。いったん解決したと思っていても、また同じような問題にぶつかったりしたことがあると思うのです。

例えば、自分では仕事ができると思っていた人がいるとします。
ですがなぜか評価されない、こんなに頑張っているのにとか、もっと仕事ができる人がいてライバル意識を抱いてしまったり、嫉妬までしてしまうこととかあるかもしれません。また上手くいっているうちはいいとしても、人生というのは浮き沈みがあります。何をやってもうまくいかない、ことごとく失敗することだってあります。

この状態でカウンセリングやセラピーを受けたり、占いに頼ったり、自力でまたは相談して解決したとしても、その時は分かった!と思っても、そのうちまた同じような問題に引っかかってしまうことがあったのではないでしょうか?

つまり、完全に腑に落ちてはいなかったという事なのかもしれません。思いきれないというか、開き直れないというか。そうなんだけど~という言葉が出てくるときは納得しきれていないという事ですね。

で、この人の場合「仕事ができる」という思いはどこから来ているのでしょうか?
実際そうなのかもしれません。ですが、そうであればあるほど今度は気が休まることがないかもしれません。

よ~く考えてみると、私たちは(根拠のない)確信をなにか一つ以上持っているものです。
例えば、
自分は頭がいいはずだとか、
仕事はそれなりにできるとか
いい人に思われるとか、
スタイルや容姿に自信があるとか、
趣味がいいとか、
整理整頓が上手とか、
人に優しいとか、
誰にでも愛されるとか
✖✖は出来ないけど〇〇は出来るとか。
そういう自分を演じようとすればするほど、ストレスを感じ、満足感を得られず、たえず自分をどこかに駆り立てないではいられないのかもしれません。
一方で、
どう思われているか気になる、
(異性の)相手がいま何をしているのか気になる、
なんかいつもお金のことを気にしてる、
家のことやカギ閉めたかどうか気になる、
自分の容姿がいつも気になる、
言いたいことがうまく言えない、
楽しいことしてるはずなのに楽しめない、
家族のこと、子どものことばかり気になる、
自分の体のことばかり気になる、
学歴のこととか職歴のことばかり気になる、
仕事のことばかり気にしてる、
まわりの人に振り回されすぎてる、
○○が気になってしかたない
正しさやこだわりが強すぎる、、、。
人それぞれでしょうが、
ある人にとって気になって気になって仕方ないことも、別の人にとっては全く気にならないことはよくあることです。
どちらの道を選んでも問題が大有りなのかもしれません。つまり、何かしらの問題を抱えてしまってるわけです。

三日月

悩みの出発点は「月」が作っている

こうした説明の出来ない確信のようなものや不安はどこから来るのでしょうか?
なぜいつも自分はある一つのことばかり気になるんだろう? 
こだわってしまうんだろう?って
考えたことありますか?
いつものことなので改まって考えてみるという事はしないかもしれませんね。
自分にとってはごく普通のことで、他人から見れば、何でそんなことを気にしているのか分からないという事でも、本人にとっては習慣になっているので、悩む対象がなぜそこなのか気が付けないかもしれません。

実際、このこだわっている事柄から問題が起きて悩みが始まっているのではないでしょうか?
気にしなくてもいいものまで、なぜかいつの間にか気にしている。それが個人の中だけでなく、対人関係にも影響して、問題が大きくなって、ますます悩ましくなる。

僕は振り返って自分のことを観察してみると、人から良く思われたい、立派だと見られたい、賢い人だと思われたいというのがありました。
どうしてそう思うのか? 
理由はありません。
なぜだかいつもそこを軸に考えている自分がいます。
思われたいという事は、そうではない自分がいるからです。それが前提にあるからよく思われたいと願うわけです。ですがそうでない自分、理想でない自分は消せません。消えないから、そこから逃れるために自分に鞭打ち頑張ろうとします。
ですがいくらやっても心からの満足感は得られません。ですが途中でやめられません。やめられれば楽かもしれませんが、やめればこんどは敗北感を感じることになります。このサイクルから逃れられなければ、一生続けることになりそうです。

このパターンを心理的に癒したとしても、さらに潜在意識の深いレベルまで癒したとしても、なんというか一つの鋳型のようなものとして残るような気がします。そしてその鋳型を元に知らぬ間に別バージョンが作られてしまっているというか。そんな気がするのです。

僕なりの理解ですが、愛先生の「月」の解釈とは、月がこの鋳型を作っているということだと思います。だから僕の例えで行くと、僕がこの鋳型を作ったわけではないのです。生まれたときの星の配置でできたものなのです。どうしてそうなるのかはわかりません。
ですが、そう条件づけられて生まれてきて、試練として与えられ、それをクリアして、そうすることで本来の自分の人生を始められると理解すると、腑に落ちるような気がします。

まだ半分ですが、長くなってしまったので、ここまでにします。後編に続きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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Posted by kiyo.I