自分をどう思うのかがまわりの世界を決める

考えすぎ(=エゴ)は疲れます

すべてが嫌に思えてくる。自分が嫌で嫌でたまらない。想像以上に疲れが溜まっているのかもしれません。疲れといっても考えすぎてしまった疲れです。

それはそうですよね。嫌だといって責めるという事は自分自身をいじめているのですから。疲れて当然です。嫌になります。リスカとか肉体を傷つけてしまうのは目に見えてリアルですが、自分が嫌だといって心を傷つけるのは目には見えません。見えないからといって相当なダメージであることには変わりありません。

人間って不思議ですね。自傷行為を平気でやってしまうのですから。自分で自分の顔を引っぱたいているようなものなのに。どこまでやれば気が済むのでしょうか? どうすれば終わりにできるのでしょうか?

していることのバカバカしさに気が付けば終わりにできるのでしょうか?

拗ねる  

考えすぎるのは結局は体にも心にも毒

あなたが人と話しているときや誰かを何気なく見ているとき、その人から何らかの印象を受け取っているはずです。
この人忙しそうだなとか、イライラしているな、楽しそうだな、悲しそうだな、何か感じているはずです。当然、相手を見てそう思います。でもそれは相手に見えるのと同様に自分のことだとしたらどうでしょうか?

自分の内面を映し出してくれていると思ってはどうでしょう? つまり相手の中に見えるのと同じように自分自身のことを見ているし、自分の中に見えるのと同じように相手のことを見ています。もしかして、相手の中に見えるイライラしているな、楽しそうだなと感じることは自分のことかもしれません。よく知られた「投影」と言われているものですが、肝心なときに忘れて応用ができないものです。嫌いな人に対しては特にそうです。

全てが嫌だと思えてしまう時は、不平不満があるという事です。気に入らない、思った通りではないといって、文句を言っているのです。
まわりの外のことについて文句を言っているように聞こえますが、まわりへの不平不満の裏に自分自身への不平不満が隠れています。自分が気に食わないのです。気になるから考えすぎてしまいます。

でも、考えすぎるのは結局は体に毒です。心にも毒です。これがエゴというものの正体です。

イヤとかキライという感覚はとても扱いにくいですが、ここにはあなたが成長できるチャンスがいっぱい詰まっています。嫌いだからといって避けるのではなくチャンスだと思ってみてください。それが解毒剤です。でも決して考えすぎないこと。

自分をどう思うのかであなたの人生の方向まで決まります。

自分への見方と同じように、まわりの世界も見ていることが分かりますか?
その意味では事態が思わしくなくても、自分の「思い通り」に人生や他のすべてのことが実現しています。今ある現状が好ましいものでなければ、「自分をどう思うのか?」を変えるときです。

自分をどう思うのか? 自分をどんな人間だと思うのか? それが世界をどのように見て受け止めるかを決めます。
自分は価値があると信じていれば平和な気持ちでいれます。逆だとしんどいです。ですから、自己概念=自分を愛することがとても大切です。この答えがすべてを決めるといってもよいくらいです。

自分を愛する

自分を愛することができれば、あらゆることがプラスの方向に流れ始めます。反対に愛することができなければ、人から愛されても受け取れません。ますます自意識過剰になり自分のことばかりが気になります。気になるからと言って何かが改善されるわけではちっともありません。ネガティブなセルフイメージがあれば絶えずイライラし機嫌が悪くなります。

さらにそのことが悩みの種となって絶えず気になり、考えてしまうことになります。いくら考えてもどうにもならないことは経験済みだと思います。でも考えざるを得ません。考えていることは自分自身を傷つけることなので考えれれば考えるほど深みにはまってしまいます。疲れます。

そこには両親への仕返しの気持ちが隠れているかもしれません。惨めな自分を見せつけることで両親に仕返しをしているのです。私がこうなったのはあなたのせいといって両親を責めているのです。そうなれば自分が惨めであればあるほど仕返しは"成功"していることになります。仕返しができたからといって心が晴れるわけではありません。

ネガティブなセルフイメージは手放してください。それは間違って思い込んでしまったのです。それについて考えることも手放してください。

自分を愛することができれば、自分もまわりの人も大切にすることができます。自己嫌悪から解放され楽しむことができます。まわりのことに目が向いて自然に関係性が育ってきます。あなたの中の創造性にも火が灯ります。

花の香りを楽しむ

以下の文はカウンセリング.COMで回答させていただいたときのものに手を加えたものです。

あなたがあなたを愛せなければ、誰もあなたを大切にすることはできません

自分が嫌な理由はいくらでもあるのかもしれませんが、心のどこかで自分にかまってほしい、注目して欲しいという気持ちがあるはずです。その気持ちをどのように表現していますか?

人は、自分をかまって欲しい時、病気になったり、怪我をしたり、あえて問題を起こします。そうすることで注目を集めようとするのです。
「わたし、こんなひどいめにあったの。なんとかしてくれる?」といってかまってほしいのです。

でもそれは、あなたもまわりの人もみんなうまくいかないやりかたです。気分は悪くなる一方ですし、両親も困り果ててしまいます。
そこには復讐の気持ちがひそんでいます。両親に仕返しをするために、あえて自分を傷つけるのです。自分さえいなければと思うかもしれませんが、手を煩わせることで仕返しをしているのです。それは決してうまくいきません。

自分をどう思うのか次第でこれから先の流れが決まります。
全てが嫌だと言ってしまうとこれまでと同じ繰り返しになってしまいます。辛い生き方を自ら選択して招いているようなものです。
自分のことを嫌っていて、いったい誰があなたのことを愛することができるのでしょうか?
あなたがあなたを愛せなければ、誰もあなたを大切にすることはできません。自分を大切にしてください。

Posted by kiyo.I