自分が嫌い。しがみついているものは何でしょう?
無力さを感じていますか?
何もできそうにありませんか?
そう思ってしまうと自分を嫌うしかありません。
あなたの中には自分でも気づいていない力があります。その力を引き出してみませんか?
誰でも惨めさで隠れたくなるようなときがあります。負けてしまったとき、恥ずかしい思いをしたとき、コンプレックスを感じたとき、自分のダメさ加減を嫌というほど思い知ったとき・・・。
そのときあなたは自分についてなにを決めましたか?
「自分はダメだ」ですか?
「こんな自分は嫌い」ですか?
「でも頑張ろう」ですか?
決めたことがどうあなたの人生に影響を及ぼしていますか?
あのとき決めた通りの人生になっていませんか?
自分のことが好きになれませんか?
この世の中、自分のことが好きという人よりも嫌いという人の方が多いのかもしれません。でも、なぜ好きって言えないのでしょうか?
自己嫌悪は何のため?
自分のすべてが嫌いという理由はいくつもあるかもしれません。
容姿に自信がないから?
仕事で注意されたから?
ヘマばかりしてるから?
人と比べて劣って見えるから?
嫌われているから?
自分だけ幸せになれないって思うから?
自分には価値がないから?
嫌ったその先には何がありますか?
あなたには何が残されていますか?
同じ現実、代り映えのしない日常?
このままではダメだと思い勇気を振り絞って変わるためにチャレンジしたかもしれません。上手くいけばそれに越したことはありません。ですが次第に以前と変わらない現実に直面して、また自己嫌悪に戻るならば意味がありません。いったい何のために嫌っているのでしょうか? 自分を嫌うのは当然って正当化したいのでしょうか? 辛い気持ちになってしまうのが分かっていながらそれでも嫌う目的は何でしょうか?
自分のすべてが嫌いだと、まわりのすべても嫌いに思えてきます。嫌った後あなたの中には何が残っていますか? それはあなたが求めていたものですか?
自己嫌悪すれば自分の欠点がよりいっそう意識出来て改善につながると勘違いしてしまっているのでしょうか? それとも、もしかしてなにか償っているのでしょうか? あるいは間違ってしたことで「罰」を課しているのでしょうか? そうなると「罰」は大きいほど償いがいがあることになります。でも本人は意識下に埋められているので普段は気付きません。ちなみに働きすぎる人はこうした動機が意識下にあります。
どんなものにも「目的」があります。自分を嫌う本当の目的は何でしょうか?
自己嫌悪にも目的があると言ったら変な感じがするかもしれません。でも怒ったり悔しさで涙を流す代わりに「目的」を探してみてください。直感で浮かんでくるものは何ですか?
「自分のすべてが嫌い、嫌だ」と言うことで、失敗したこと、できなかったこと、足りないこと、コンプレックスなどを正当化しているのかもしれません。こうなってしまったのはアノことが原因だと済ませることができます。自分や誰かを責める理由が見つかったわけですから。でも辛い思いはそのまま残ります。
自分自身に質問をしてください。
「何にしがみついているのだろうか?」って。
それは、しがみついて手放せないほどの価値がありますか?
痛みにしがみつけばしがみつくほどネガティブな思いにエネルギーを注ぎ込んでいるようなものです。嫌な思いは手放してください。あなた自身を赦してください。痛みにしがみつくよりも赦すほうが簡単ではありませんか。嫌いな自分を受け入れてください。それはあなたがいらないって捨てたあなたの一部分です。