なぜか人を傷つけてしまうわけ。
なぜか人を傷つけてしまう
自分の中のどんなところに辛く当たっていますか?
いまだに許せていないことがありますか?
人を傷つけてしまうのはいまだに過去の自分を責めているのかもしれません。
まわりの人をどのように扱っていますか?
まわりの人からどう扱われていますか?
どんな人があなたの周りに寄ってきますか?
対等に接していますか?
それとも、まるであなたより下であるかのように見下していますか?
反対に、あなたのほうが下になっていますか?
人との接し方、扱い方、扱われ方に
あなたがあなた自身をどう扱っているのか?
本当はどう思っているのかが現れます。
自分に優しい人は人にも優しいです。自分に厳しい人は人にも厳しいです。人に批判的な人は自分にも批判的です。中には補償行為としてまったく逆の自分を演じる人もいます。
自分の中のどんなところに辛く当たっていますか?
『人の振り見て我が振り直せ』という言葉があります。
自分が何気なくしていることは、案外自分からは見えません。確かにこの言葉通りなのですが、言葉の意味を知っているからといって実際に実行できるているかどうかは別です。相手の行為をみて嫌だと感じたり、怒りすら感じてしまうならば、とても難しくなります。わたしはあんなことは絶対にしないって否定したくなります。
なぜなら、そこには痛みがあるからです。
恥ずかしかった思い、傷ついた過去、失敗、、、人の振りの中に自分のつらい気持ちを見てしまうからです。辛い気持ちを見たくないのです。
辛い気持ちは自分の中にあります。相手の中にあるわけではありません。相手はそれを見せてくれているだけです。
こんなふうに考えてみてはどうでしょうか?
恥ずかしいと思うのは、よく見られたいという思いが傷ついたのです。
傷ついたと感じるのは、よく思われたいという欲求が傷ついたのです。
あなたではなく「思い」や「欲求」=ニーズが傷ついたのです。そのように捉えることができれば、痛い傷を相対的に、ある意味突き放して見ることができるようになります。
助けて欲しいとき、反対に責めていませんか?
誰かを傷つけてしまうのは、その前に自分の中の何かを傷つけていたのです。その「なにか」を嫌っているのです。その「なにか」に辛く当たっているのです。それが対人関係に反映されます。助けて欲しいときに反対に責めていませんでしたか?
親に助けて欲しいのに逆に責められたことはありませんでしたか? 叱られたとき親にされたように、傷ついて壊れそうなときになおも責め立てられたことはありませんか? それを自分自身に対してもしますか?
自分自身を助け出してください
あなたは自分の中のどんなところに辛く当たっていますか?
どこをいまだに許せていませんか?
許せないことをしてしまった過去の自分を眼の前にイメージしてください。その子は助けてほしいのではありませんか?
あなたがその時の自分を責めると、その子はあなたには近づけません。それは今起きていることと似ていませんか?
あなたがその子を許すことができれば、自分にも人にも辛く当たることはなくなります。手を差し伸べるときではありませんか?
そして自分自身を思いっきり愛してください。愛するといっても特別なことをするわけではありません。赤ちゃんや幼い子どもペットに接した時わたしたちは誰でもかわいいなって優しい気持ちになれるときがあります。その気持をそのまま自分自身に向けるだけです。