どちらを選べばいいのか迷ってしまう

迷ったとき、どちらも選ばないというのも一つの選択です。普通はどちらか一つ選ぼうとします。散々迷った挙句決めても後で後悔したという事は多いのではないでしょうか?

どちらも選ばないのも一つの選択肢

迷うという事は、心の中に対立する部分があるという事です。その対立を解消しないまま決めても、あとで無視された方の部分から文句が出ます。迷ったときは内面にある対立を解消することが先決です。
どちらも選ばないで対立している部分を明確にして、対立している部分を併せ持ったものが現れるのを待つこともできます。
または対立している部分を色や形、匂いなどをイメージしてそれぞれ両手において、二つの手を合わせて統合するという方法もあります。

耳をそばだてるウサギ

心の中の対立している部分の声に耳を傾ける

どちらを選んだらいいのかと迷う時はよくあります。小さいことから大きなことまで迷うのが人生かも知れません。それがいつものこととなると、悩ましいものです。
なかなか決められない時、選択できない時、もしかしたら、自分の中に、いくつもの自分がいて、それぞれ別の方向を向いていて、別々の意見を持っているのかもしれません。ある部分はAさんの意見、別の部分はBさんの意見という具合です。それぞれがぶつかり合って決められないのです。

たいていは「本当の自分」の気持ちは隅に追いやられ、さんざんまわりに振り回されたあげく、決めたことに満足できない結果に陥りやすいのではないでしょうか? そうするとよけい欲求不満がたまり、さらに決断を鈍らせます。
もしかしたら失敗が怖いのかもしれません。あきらめた方の選択にしがみついているのかもしれません。何か失った気がするのかもしれません。

「本当の自分」の気持ちをしっかり自覚していて、「本当の自分」が普段の自分の主人公である時、ここから決めたことには、後悔は生まれません。

後悔するのは選択に責任を持ってないから

もしかしたら失敗するかもしれません。間違うかもしれません。でも、間違いなら訂正すれば済むことです。失敗したならそこから学べば失敗を避けることができます。そしてより賢くなることができます。これが「責任を取る」ということです。

失敗は悔やむためにあるのではありません。間違いは罪悪感で自分を責めるためにあるのではありません。ですが、失敗や間違ったことで自分を責め、その最悪感がさらに新たな失敗を引き起こしてしまうという悪循環にはまり込んでしまう人が多いです。

「本当の自分」の心を自分の中心にすえるためにはどうすればよいのでしょうか?

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つぎの「ものがたり」はそんなお話です。

引っ張られる

迷ってしまって、なかなか決められない

Fさんはなかなか決められないことを気にしていました。

服を選ぶとき、食べたいメニューをオーダーするとき、インテリアを決めるとき、旅行の行き先を選ぶとき、、、、、、、いつも、迷ってしまいます。

お店で服を選ぶとき、これ、いいなと思って手に取り、肌触りなどをチェックします。自然に、値札に目がいきます。ちょっと、高いかな? 無意識に、今度は値札を先に見て、予算にあったものを探し始めます。
適当なのが見つかって、買おうかなと思った瞬間、最初に見たものが気になり始めます。一番気に入ったのは最初に手にとった物です。財布と相談して買ってしまうのは、値札で決めたものです。
買い物が終わったあと、やっぱり最初のにしておけば良かったと後悔してしまいます。
そうなると、せっかく買ったものまでつまらなく思えてきます。

食事をするときも同じように迷ってしまいます。ファミレスで友達と一緒にランチ。注文をするとき、あっ、これにしよう! と、思ったとたん、周りの人が気になりはじめます。友達は何を選ぶんだろう?
自分が食べたいのとは違うメニューを選んでいるようです。それも悪くないなぁ、と思い始め、そちらも食べたくなってきました。迷いに迷った末、友達と同じものを注文します。運ばれてきて、一緒に食べはじめます。失敗したぁ~。最初に決めてたのにすれば良かった。楽しいはずのランチがチョットつまらなくなります。もちろん、表情には出しません。

Fさんにとって、これが普通で、いつものことでした。
そんなある日のこと、「決めるのがいつも遅いね」と言われました。同じようなことを別の人からも言われたことがあります。そんなことが続けてあったので、さすがにFさんも気になり始めます。

たしかに、すぐに決断できる人がうらやましいと思っている自分もいます。迷っている自分を優柔不断だと思う自分もいます。そんな自分を、むしろ慎重だし、考え深いし、軽率ではないと自慢する自分もいます。
振り返ってみると、洋服を選んだとき、食べたいものを選んだとき、いろんなことを決めたときには後で後悔することが多いことに思い当ります。悩んで、迷って、結果、満足できないことが多い。どうしてだろう?

選ぶという文字の標識

普段、何気なくしていることに疑問を感じたFさんは何かを決める時、自分の中で何が起きているのか知りたくなりました。

そんな時、出会った本が『ひとりセラピー』(北村 雄二著)という本です。図書館でたまたま手に取った本でした。自分の中のもう一人の自分とのコミュニケーションを勧めています。
普通、コミュニケーションといえば、自分以外の誰かほかの人とのコミュニケーションだと思っていたFさんにとって新鮮な視点です。自分の中のもう一人とのコミュニケーションが肯定的な人は、ポジティブな未来が開けてくるといった内容は、なるほどね! とひとりうなずきながら、なにか気持ちが楽になってきました。

ひるがえって、自分は肯定的、それとも否定的、どちらのコミュニケーションに時間を多く費やしているのか?
Fさんはさっそく、自分とのコミュニケーションを意識するようになりました。

何かを決める時、決めなければならない時、買い物であったり、料理であったり、何かの予定や、約束であったり、自らの進路、やりたいこと、こんなふうになりたいという思い、大切なことを決める時は特に、いつも自分の中に対立する自分がいます。

ひとりの自分は、こうしたい。もう一人の自分は、どっちが得か損か、計算している自分がいます。そこにもう一人、常識とか、世間体とか、誰かの意見、アドバイスといった周りの目を気にする自分がいます。こうなると三つどもえの争いです。

Fさんは、自分の場合、勝つのは、「周りの目を気にする自分」と「損得勘定の自分」であったかもしれない。ごくあたりまえに、無意識に、何気なく、、、そのことにハッと気付きました。分かってはいたのに、見ないようにしてきた、、、見ると、余計ややこしくなって、決められるものも決まらない。
そういえばそうかもしれない。最初の「こうしたい」という自分をいつも無視してきました。

この自分の声が一番、大切だったはず。いつの間に、忘れてしまっていたのでしょうか?

周りの人の目、誰かのもっともらしい意見、権威のある人の声、人から好かれたいとか、周りの人とうまくやっていきたい気持ち、まわりの人たちに合わせたい気持ちを優先するあまり一番大事な本当の自分を忘れ去ってしまっていたことに、Fさんは思い至ります。
でも、Fさんにとって、周りと合わせることが「楽」だったのです。誰かが決めてくれた方が「楽」な時もありました。でもたいていは、まわりに振り回される自分にみじめな思いをしてきました。にもかかわらず、それでず~っと通してきました。

そうか~、本当の自分の声を無視して、周りの誰かの声を聞いていたから選択した結果に満足できなかったんだ。不満が付いてまわっていたんだ。それで自然と、ネガティブな自分とのコミュニケーションが始まっていたのかもしれない。よく考えてみると、自分の意見を言ったり決めることと周りの人とうまくやっていくことは別のことです。

そこに気付いてからFさんは疲れっぽかった自分がなんだか軽くなったような気がしてきました。どこからかエネルギーが湧いてきたような感覚がします。

うれしいことに、決断が早くなりました。さっと決められるのです。失敗してもいい。
失敗の方が多いのですから。これまでだって、大半は失敗してたのですから。ただ、これまでは、失敗した後、ネガティブな自分とのコミュニケーションが始まり、失敗感をよけいに強めていただけなのですから。

ネガティブで否定的な思いに何気なく浸っていた自分から脱出するチャンスかもしれません。Fさんのなかに「なりたい自分」をもっと大事にしようという気持ちが生まれました。ポジティブで肯定的な思いの積み重ねが「なりたい自分」になる近道だと今は感じています。

Fさんの「本当の自分」を思い出す旅が始まったようです。

自分の中のもう一人の自分とのコミュニケーションは、ポジティブですか? それともネガティブですか? 心の中で、どちらの思いに時間をより多く費やしているでしょうか? より多く費やしている方向に行動や性格が向いていくようです。

Posted by kiyo.I