人間って変わらない? いいえ、いくらでも変われます

望んでいないことが起きてしまったら、どうしていますか?
望んでいないことが起きたとしても出来事を作り出した「観念」に気付けば、選択によって変えることができます。
「観念」が世の中をどう見るか決めています。それがあなたの考え方、行動の土台になっています。もしその「観念」があなたが望んでいることの障害となっていれば手放しましょう。

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もしかして、なにげなくいつも同じような行動(反応かもしれません)を続けていませんか? 
この人には、こういう自分で。こんなときには、こういう感じで。まるで、自動反応か条件反射のように行動していることに気づくことってありませんか? 好ましい人には愛想のいい表情や動作で応え、苦手な人には身構えた表情と動作で応えます。

こんなことに慣れてしまうと、新鮮さなんてどこかに飛んで行ってしまって、なんて退屈なんだって言ってたりします。退屈にしてしまっているのは自分なのかも知れないとは、思いもしません。

人間って変わらない。それは相手が変わらないから?

冒険がないと毎日が単なる日常の繰り返しになります。人間って変わらないなと思ったことはありませんが? それは相手が変わらないからでしょうか? それとも、自分の見方が変わらないのでしょうか?
どちらにしても相手をコントロールして変えることはできません。ですが自分の見方だったら変えることができます。

ところが変えることはできますが、現実にはとても難しいかもしれません。それは、人それぞれ固定した考え方、思い込み、観念があるからです。観念は過去からの判断の積み重ねで出来ています。自分が判断したその見方で出来事を判断するので例外はあっても、「やっぱり、そうか」となって、自らの観念を強化していきます。
変化を求めていたとしても、自分の考え方そのもの感じ方そのものに手を付けようとはしません。

誤解はどこから?

例えば、幼いころ、親からぴしゃっとはねつけられたとします。
子どもが悪かったのではなく、ただ、親が仕事や家庭のことでイライラしていて、とばっちりを受けただけだったのに、子ども心に理由はわからないけど、受け入れてもらえなかったと判断したとします。

その判断は、次に同じような出来事が起きたときも生きています。親との関係だけでなく、身近な人との間でも同じようなことが起きたときも、その判断が生きています。次第にその子の中に、「わたしは人から受け入れてもらえない人間だ」という観念が出来上がっていきます。

過去の誤解を解けば見方考え方を変えることができます

それは、成長するにつれて、家族や友達、職場の同僚、上司、好きになった人からも「受け入れてもらえないのではないだろうか?」という怖れとなって行動にも表れ、怖れから、相手との間で起きた出来事を判断してしまいます。そして、観念として定着します。世の中や人間関係をどう見るのかという中心的な見方を決めているのが「観念」です。

男とは、女とは、人間とは、結婚とは、仕事とは、人生とは、この世の中とは、こういうものって決めていることがあるはずです。その決めたことを基準にして評価し判断します。
色眼鏡で見るという表現がありますが、色眼鏡しだいで世界が全く違ったものに見えてきます。観念は色眼鏡があることさえ気づかせてくれません。自分の中ではアタリマエのことだからです。人は自分の観念が真実を映し出しているかどうかなんて疑ってもみません。

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ところで、始まりは最初の小さな誤解でした。
この誤解が知らず知らずのうちに人生をコントロールします。ということは、この最初の誤解を解けば、「受け入れてもらえない怖れ」は根拠のないものとして崩れ去ります。その瞬間に考え方感じ方が変わったという事です。

これはカウンセリングの一つのやり方ですが、ひとりで出来ることがあります。

なにか事件が起きたとき、これが自分に起きたということは、自分の中にどんな観念があるのだろうか? と問うことはできます。その観念に気付き、新しい選択をすることができます。
自分にとって、望んでいないことが起きてしまったら、出来事を作り出した「観念」に気付き、選択によって変えることができます。間違ったとしても、いつでも何度でも選択し直すことができます。選択することができるのは、他でもない自分だけです。いつでも気づいたときに変えられる偉大な力を誰でも持っています。

Posted by kiyo.I