金星彗星の7回の破壊的な地球通過 ── 金星は彗星として現れ惑星になった
- 1. 彗星の頭は、地球と激しい放電を繰り返し……
- 1.1. 金星彗星の7回の破壊的な地球通過
The Seven Destructive Earth Passes of Comet Venus- 1.1.1. 金星マーカー Venus Markers
- 1.1.2. 日付を探す Looking for a Date
- 1.1.3. メタンの急上昇と気温低下 Methane Spike and Temperature Drop
- 1.1.4. 重水素 Deuterium
- 1.1.5. 二酸化硫黄(SO2)Sulfur Dioxide (SO2)
- 1.1.6. 二酸化炭素(CO2)Carbon Dioxide (CO2)
- 1.1.7. 湿潤度の増加 Increased Wetness
- 1.1.8. 大気中の塵の増加 Increased Atmospheric Dust
- 1.1.9. 人間集団への影響 Impact On Human Populations
- 1.1.10. 金星:彗星から惑星へ Venus: From Comet To Planet
- 1.1.11. 神話の中の金星彗星 Cometary Venus In Myth
- 1.1.12. 5200~4600BPにズームイン Zooming in 5,200 – 4,600BP
- 1.1.13. 結論 Conclusion
- 1.1. 金星彗星の7回の破壊的な地球通過
彗星の頭は、地球と激しい放電を繰り返し……
空には火の粉を滴らせるように動く星、彗星が観測された
「そもそも私たちの地球は、この時代の前の15世紀に彗星と接触しています。
彗星の頭は、地球と激しい放電を繰り返し、自分の尾とも激しい放電を繰り返しました。地球は、南から北へと極を変え、軸を変え、回転の軌道を変え、速度を変えました。その結果、それまで260日だった1年が360日になりました(現在の金星とほぼ同じ軌道になりました)。月の軌道が変わり、20日の月が36日になりました」
これは、今から80年近く前、1942年にヴェリコフスキーが書いた宣誓供述書を収めた「地球が軌道を変えたとき。ヴェリコフスキーの挑戦状」からの引用です。この中でヴェリコフスキーは驚くべき指摘をしています。
この「地球と激しい放電を繰り返し」たのが金星だというのです。電気的宇宙論やヴェリコフスキー博士を知らない方にとっては「そんなバカなことが」かもしれません。ヴェリコフスキーは歴史的資料を読み解いて上記のような大胆な推論に達しましたが、それを裏付ける科学的な根拠はあるのでしょうか?
それが今回紹介するピエール・レスコードロン氏の「金星彗星の7回の破壊的な地球通過」です。この記事の中でレスコードロン氏は彗星として現れた金星の地球への7回の接近の目印を特定しています。
金星彗星の7回の破壊的な地球通過
The Seven Destructive Earth Passes of Comet Venus
The Seven Destructive Earth Passes of Comet Venus
Pierre Lescaudron
Sott.net
Tue, 14 Apr 2020 05:53 UTC
金星彗星の7回の破壊的な地球通過
ピエール・レスコードロン
2020年4月14日
「地球は火星の水を"盗んだ"のか」と題した前回の記事で、火星と地球の接近遭遇が紀元前1万2500年頃に起こったと述べた。火星は、当時彗星だった金星によって地球に接近させられた。金星の過去の彗星的性質は、ヴェリコフスキーによって十分に理論化され、最近の観測によって実証されている。
しかし、上記の記事は金星に関して多くの疑問を残した。
火星と相互作用した後、金星はどうなったのか?
金星が現在のような円軌道を描くようになるまで、どれくらいの時間がかかったのか?
彗星の金星は地球と他の相互作用をしたのか?
金星は安定した軌道を得るまでに何回通過したのか?
その通過の日付は?
その影響は?
太陽(左)と彗星の尾を引く金星。photo © ESA
およそ12,500年前、彗星金星は太陽系内にあり、火星を地球にぶつけた。現在の金星は彗星ではなく、安定した円軌道を持つ惑星である。
金星が惑星だったことは、はるか昔のメソポタミア(約4,500BP)でも証明されており、金星が彗星から惑星になったのは、12,500BPから4,500BPの間だった可能性が高い。
※BP:before present〔考古学や地質学の〕~前、1950年を"現在"とする年代測定の単位。
この変容には軌道変化が関与しており、長期間の長楕円軌道から短期間への円軌道への移行である。彗星を安定した惑星に変えたのは、太陽による漸進的な捕獲であり、その過程にはおそらく数回の通過があり、12,500BPと4,500BPの間の時間差はどんどん短くなっている。
※高度楕円軌道(HEO)とは、低高度の近地点と高高度(35,786km以上)の遠地点を持つ楕円軌道である。地球周回軌道の一種。
小惑星の楕円軌道から円軌道への移行。photo © Tufts University
この金星の漸進的捕獲がいつ起こったかを特定するためには、まず金星マーカーを特定しなければならない。つまり、彗星金星のフライバイによって、地球上のどのようなパラメータが変更されたであろうか?
金星マーカー Venus Markers
地球上で発見された金星隕石は知られておらず、固体物質の移動があったとしても限定的であることを示唆している。これは、金星の脱出速度が速い(秒速10.4kmに対し火星は秒速6.5km)ことと、高密度の金星大気の抵抗が大きいため、脱出速度に達して金星を離れることを妨げるためである。
岩石は除外して、金星の大気中のガスや尾部など、地球よりも高濃度で存在する揮発性の物質に注目する。
そのため、金星との接近遭遇は、地上のサンプル(ピットコア、氷のコア……)に含まれる金星に多く含まれるガスの濃度が急上昇することで識別できるかもしれない。
下のグラフは、金星と地球の大気中のガス濃度を示している:
金星大気 VS. 地球大気。photo © Rakhecha et al., 2009
ご覧のように、金星では二つのガスが地球よりも顕著に濃縮されている。二酸化炭素(CO2、赤い棒で示す)と二酸化硫黄(SO2、緑の棒で示す)である。グラフの目盛りは対数になっており、一階調上がるとガス濃度は10倍になる。
金星大気の96.5%を占める二酸化炭素は、地球大気の約400ppm(0.04%)に過ぎず、その差は2,500倍である。二酸化硫黄に至っては、金星大気が186ppmであるのに対し、地球大気は約10ppb(10億分の1)と2万倍もの差がある。
これらの"一般的な"ガスのほかに、重水素がある。地球での存在量は約100ppm(0.01%)だが、金星での存在量はその約100倍である。
これら三つのガスに加えて、炭化水素化合物(最も単純な形態のひとつであるメタンを含む)が存在する。ヴェリコフスキーは、金星の大気に炭化水素が存在するという仮説を1960年代には立てており『衝突する宇宙』の第2章「ナフサ」で詳しく述べている。
彗星全般、特に金星に炭化水素が含まれているという考えは、当時カール・セーガンらによって嘲笑された。それから30年後、金星の高層大気の直接観測によって、ヴェリコフスキーが正しかったことが証明された:
「ドナヒューと彼の共同研究者たちは、金星におけるメタンの発見は非常に驚くべきものであり、発表するのをためらったと述べている……」
研究者たちは、パイオニア─金星探査機に搭載された質量分析計によって検出されたメタンの存在量と組成に基づいて、ありもしない結論(メタンは火山起源である)を出した。科学者たちは、探査機が降下している間、この質量分析計が金星表面から約14キロ上空でメタンの急激な上昇を記録したことを何年も前から知っていた。
しかし、ドナヒューと彼の共同研究者たちは、この急上昇は、金星での活動ではなく、装置の校正のために地球で分光計に入れられたメタンを反映しているだけだと10年近く信じていた……。
「サンプリングされたメタンは、金星の内部から放出されたばかりの太古のメタンであると結論づけた」とドナヒューは言う……。ドナヒューは、パイオニア─金星探査機が発見した量のメタンを噴出する火山噴火は、約1億年に一度しか起こらないだろうと推定している。
さらに、探査機は大気圏の頂上付近のメタン噴出孔を通過したようで、そこで噴出したメタンが風によって広範囲に拡散され、さらに地表近くにも拡散された……。
「探査機と希少で地理的に限定されたメタン・プルームが偶然に遭遇したなどという、ありそうもない荒唐無稽な出来事を引き合いに出すのは恥ずかしいことだが、今のところ、他のもっともらしい説明はすべて排除している」とドナヒューは付け加えた。
─ サイエンス・ニュース(1992年9月12日)172ページ
ヴェリコフスキーが正しいことが証明されたにもかかわらず「金星の大気にはメタンは存在しない」「したがって、ヴェリコフスキーは間違っており、一様主義が優勢である」という主流の科学的ドグマは、科学者たちは金星の大気中のメタンを説明するために、根拠のない、きわめてありそうもない原因を持ち出さなければならなかった。チャールズ・ジネンタールは言う:
「金星大気中に発見された大量のメタンを説明するために、科学者は、メタンは極めてまれな火山の噴火によってもたらされたものでなければならないと述べた。
ドナヒューが省略した説明は、ヴェリコフスキーが予言したように、金星の大気には大量のメタンが存在するということである。科学者たちは、ヴェリコフスキーの予言を考慮するよりも、発見されたメタンを説明するために、荒唐無稽なあり得ない概念を提案するのだ。
セーガンのような科学者たちは、ヴェリコフスキーの説を極めてあり得ないとする一方で、パイオニア─金星探査機がたまたま金星に降り立ち、1億年に一度というユニークな出来事を経験した可能性が高いと提案する」
─ チャールズ・ジネンタール、カール・セーガン、イマニュエル・ヴェリコフスキー
ヴェリコフスキーが金星周辺に炭化水素が存在することを示唆したのは、金星の200万マイルに及ぶ尾部には、1970年代後半にSOHO探査機が検出した炭素と、炭化水素を構成する二つの成分である水素イオンが含まれているからである。例えば、炭化水素の最も単純な形のひとつであるメタンは、1個の炭素原子と4個の水素原子からできている。したがってその式は:CH4。
現在までに、金星大気中に地球大気中よりもかなり多く存在する四つのガス(SO2、CO2、D、CH4)が確認されている。二つの天体が接近遭遇することで、地球の記録にはこれらのガスの濃度が急上昇しているはずだ。
1981年、ロシアの探査機ヴェネラによって撮影された金星の厚い大気と焦げた表面
photo © USSR Academy of Sciences
ガスのスパイクのほかに、金星彗星は彗星遭遇の典型的なサインを残しているはずだ:
彗星の尾を横切ることによる塵の増加、彗星の破片の衝突や頭上での爆発、そして「火山、地震、そして3600年の彗星周期」と題した私の記事で説明したように、誘発された火山活動や地震活動である。
この大気中の塵の増加は、通常、より大きな雲量を誘発する(塵は雲形成の核となる)。その結果、雲量が増加し、降雨量が増加し、気温が低下する。
合計で、金星遭遇の7回の潜在的なマーカーを特定した:
─ 二酸化硫黄(SO2)
─ 二酸化炭素(CO2)
─ 重水素(D)
─ メタン(CH4)
─ ダストの増加
─ 降水量の増加
─ 気温の低下
下図は、金星彗星の近傍通過の影響に関する仮説をまとめたものである。7回の金星マーカーは紺色のボックスで示されている:
金星彗星の接近通過による地球への影響。photo © sott.net
日付を探す Looking for a Date
それでは、12,500BPから4,500BPまでの地球上の記録のグラフを見て、上記の7回のマーカーが同時に急上昇する日付があるかどうかを見てみよう。
私たちはまだ金星のすべての通過を見ていないことに注意してもらいたい。なぜなら、ほとんどのデータは十分な解像度を提供していないからだ。実際、氷床コア分析などは通常100年単位か1000年単位で行われるが、金星は、特に最後の通過の間、数十年単位で測定される(ほぼ円形の)軌道周期を示したに違いない。
参考までに、ヴェリコフスキーによると、彗星金星の公転周期は52年、太陽系彗星(木星系彗星)の典型的な公転周期は20年以下、現在の惑星金星の公転周期はわずか255日である。
つまり、金星の通過が起こったと仮定されるのは、数世紀のスパンということになる。
メタンの急上昇と気温低下 Methane Spike and Temperature Drop
まず、二つの指標を合わせて検証する:
メタンは強力な温室効果ガス(メタンの地球温暖化係数は二酸化炭素の28倍)であるため、メタンの急上昇は冷却ではなく温暖化を誘発するはずである。12,500BPから4,500BPの間に、このありそうもない同時発生が起こった日付はあるのだろうか?
下のグラフは、過去12,000年間の気温とメタンの記録である。右側のピンク色の背景の部分は、4,500~12,000BPの期間を表している。
気温とCH4の変化(12,000BPから現在まで)
photo Age(ka) © Thomson et al., 2006
過去12,000年間で、キリマンジャロ北氷原で記録された最大の気温低下(赤矢印で示すように5度低下)とイスラエル・ソレク洞窟で記録された最大の気温低下(黄色矢印で示すように2度低下)は、どちらも同じ時期に起こった:5,200年BP(紀元前3,200年)。
同じ時期に、ピンクの矢印で示したように、過去12,000年間で最大級のメタン・スパイクがGRIP(グリーンランド・アイスコアプロジェクト)グリーンランド氷床コアで記録され、600ppbvから650ppbv(体積あたり10億分の1)に増加した。メタンの上昇は数世紀にわたって続いているようで、これはひとつの永続的な出来事か、あるいは短期間に挟まれた一連の出来事を示唆しているのかもしれない。
さて、ケニア(キリマンジャロ)とイスラエル(ソレク洞窟)は、熱帯に近い二つの場所にすぎない。5,200BPの気温低下は、局所的な異常だったのか、それとも地球規模の出来事だったのか?
グリーンランドの氷床コア(GISP2)からも、約5,200BPの温度低下が確認されている(下のグラフの紫色の矢印参照):
現在(西暦2000年)以前 © Alley et al.
グリーンランド氷床コア─過去1万年間の気温
GISP2氷床コアは、約5200BPの気温低下だけでなく、その後の数世紀(約5,200~4,600BP)にわたって、記録された気温の持続的かつ深刻な低下(緑色の矢印を参照)を明らかにしている。
5,200BPの顕著な冷却は、アイルランドで行われた年輪年代学(木の年輪の研究)によって確認されている:
樹木年輪の狭さ指数(アイルランドのオーク)© Baillie et al., 1988
上の図では、紀元前3,200年(紀元前5,200年)の日付が赤くハイライトされている。狭さ指数(リングの幅が狭いほど指数が高い)は赤い矢印で示されている。
年輪年代学者のマイク・ベイリーによると、紀元前5,200BPの冷却現象は、過去7,000年間に地球が経験した三つの最も深刻な冷却現象のうちのひとつだった:
「我々は、非常に粗い狭さ指数である10年間のウィンドウで計算された積の rs(?放射状瘢痕)をランク付けした。先史時代の三つの最高値は、紀元前1153年、紀元前3199年、紀元前4377年であることがわかった」
─ マイク・ベイリー、「アイルランドの年輪、サントリーニ島と火山塵のベール」、ネイチャー、1988年
約5,200BPに記録された冷却は、約4,600BP(紀元前2,600年)まで比較的高い狭さ指数を示す緑色の長方形が示すように、数世紀にわたって通常よりも寒い気温が続いたようであることにも注目してほしい。
ケニア、イスラエル、グリーンランド、アイルランドから得られた上記の記録は、5,200BPの出来事が、地球全体に影響を及ぼす永続的な冷却エピソードを始めたことを示唆している。
この時期はピオラ振動として知られている:
ピオラ振動は完新世(※約1万1700年前から現在に至るまでの時代)の気候史における突然の寒冷湿潤期であり、一般的には紀元前3200年頃から2900年頃とされている。一部の研究者は、ピオラ振動を完新世気候のブライト-セルナンダー系列における大西洋気候レジームの終わりと亜北方気候の始まりと関連付けている。
ピオラ振動の名前は、紀元前5,200BPの冷却現象が最初に検出されたスイスのピオラ渓谷に由来する:
この現象は、最初に検出されたスイスのヴァル・ピオラ(ピオラ渓谷)にちなんで名付けられた。ピオラ振動の最も劇的な証拠のいくつかは、アルプスの地域から得られている。
アルプス山脈では、完新世の気候最適期以来初めて氷河が前進し、アルパインの樹木限界線は100メートル低下した。
これまでのところ、メタンガスの急増と世界的な気温の低下という異常な連動を示す年代は、紀元前5,200年というひとつしか見つかっていない。次に、他の五つの金星のマーカーに注目し、それらが約5,200年BPにスパイクを示すかどうかを見てみよう。
重水素 Deuterium
重水素は水素の同位体で、重水素とも呼ばれる。下の図に示すように、原子核は陽子1個と中性子1個で構成され、その記号は 2HまたはDである:
重水素分子 © Shala Howell
重水素は、生命が誕生するために必要な要素のひとつと考えられている水の存在に関係しているため、金星で最も厳密に測定されている化学物質のひとつである。それで、金星の重水素を調べれば、金星の生命に関する疑問に答えられるかもしれない。いずれにせよ、重水素は金星の大気中に地球よりはるかに多く存在する:
「HDOとH2Oの吸収線は、金星のダークサイドの0.23波数分解能スペクトルにおいて、高度32kmから42km(8気圧から3気圧)の大気が存在する2.34ミクロンから2.43ミクロンに検出された。その結果、重水素対水素比(D/H)はテルル比の120±40倍となり、国際紫外線探査機(International Ultraviolet Explorer)のスペクトルから設定された上限値と明らかに矛盾していたパイオニア金星質量分析計のその場測定値を明確に確認することができた。したがって、金星のD/H比が地球に比べて100倍濃縮されていることは、金星の大気進化モデルに対する基本的な制約となる。
─ デ・バーグ他、「金星の重水素:地球からの観測」、サイエンス1991年
ドナヒューは1997年の論文で、金星の重水素と通常の水素の比が、地球に比べてさらに高い(150±30あるいは157±30または138倍である)ことを発見した。
金星の高層大気中に高濃度の重水素が発見されただけでなく、この重水素は金星大気圏外の太陽風によって、金星周囲の宇宙空間とイオンの尾に向かって押し出されている:
「金星のイオンテールのドレープ磁力線を横切る太陽風の運動電場は、やがて分極電場を追い越し、イオンテールが惑星間媒質に合流するにつれて、イオンを太陽風の速度まで加速する。電場プロセスによるH*とD*の脱出は、基本的にすべて軽イオン・バルジで起こる」
─ Dubininら、2017、異なるチャンネルを通した火星からの酸素イオンの脱出に対する太陽風の変動の影響 : MAVENの観測
このように金星の高層大気から周囲の空間やイオンテールへと重水素が漏れることで、二つの天体が十分に近ければ、金星から地球へのガス移動の可能性が高くなる。
「地球は火星の水を"盗んだ"のか」と題した拙稿では、金星が安定した惑星である現在でも、非常に長いイオンテールを保っていることを強調した。金星の尾の長さは4,500万km(2,900万マイル)で、太陽、金星、地球が一直線に並ぶと、イオンテールは地球に到達するほど長い。
金星のイオンテール
衛星が金星の尾を捕らえる
金星が彗星だった頃、そのイオンの尾はもっと大きく、何億kmもの長さだった可能性があり、二つの天体がかなり離れていても、尾から地球へのイオン(重水素イオンを含む)の移動が可能だった。
では、地球における重水素の記録を見てみよう。重水素濃度は変動が大きいので、スパイクを特定しやすい重水素過剰に注目する:
過去1万年間の重水素の過剰。© Masson-Delmotte et al., 2005
上の図は、グリーンランドの氷床コア(GRIP)で見つかった重水素過剰を示している。5,200BP(赤い縦線)に、過去10,000年間の三大重水素スパイクのひとつである10.4過剰の重水素が発生していることがわかる(青い横線)。
二酸化硫黄(SO2)Sulfur Dioxide (SO2)
前述のように、二酸化硫黄に関して言えば、金星の大気には186ppmの二酸化硫黄が含まれているのに対し、地球の大気には約10ppbしか含まれておらず、その差は2万倍にもなる。
比較のために、1883年のクラカトア大噴火は、近代史上最大の噴火のひとつで、GISP2グリーンランド氷床コアに40ppmのスパイクを発生させた。
過去6,000年間のGISP氷床コアのSO2濃度
上の図では、青い矢印が250ppmの二酸化硫黄のスパイクを示している。5,200BP(紀元前3,200年)。これは過去6,000年間に記録された中で5番目に強い硫黄シグナルである。
以前の記事で述べたように、二酸化硫黄のスパイクは火山の噴火と暫定的に関連している。興味深いことに、5200BPのシグナルは、下図の緑の矢印が示すように、過去5千年間で最大の未確認のスパイクである:
GISP氷床コアの過去6000年間のSO2濃度。photo © Volcano café
二酸化炭素(CO2)Carbon Dioxide (CO2)
CO2は、金星の大気中では96.5%と圧倒的に優勢であるが、地球の大気中では400ppmと微量である。もし5,200BP頃に彗星金星が地球の近くを通過していたとしたら、ガス状物質が移動し、それに伴ってCO2濃度が急上昇したことが予想される。─ EPICA(南極大陸)の氷床コアで測定されたCO2濃度は、まさにそれを示唆している:
EPICA氷床コアにおけるCO2濃度(11,000BP-現在)
気温の低下やメタンの急増と同様に、大気中のCO2の増加も数世紀続いたことに注目してほしい。上図の赤い矢印のように、CO2濃度は約5,200BPから著しく上昇した。この上昇は、緑の枠で示したように、約4,600BPまで約6世紀続いた。
湿潤度の増加 Increased Wetness
湿潤度の増加は、直接衝突や頭上爆発、および尾部交差などによる彗星イベントの影響のひとつである。これらの三つの特徴は、大気中の塵を増加させ、それが核生成剤として働き、雲を増加させ、降水を誘発する。下図はこれらの相互作用を示している:
大気中の塵が降雨を増加させる photo © Seinfeld et al., 2016
下の図は、インダス川流域の過去1万年間の降雨量を示している。赤い矢印で示すように、5,200BPの時点で、年間降水量が450mmから約800mmへと急激に増加したことがわかる。さらに、この降雨量の増加は、下の緑色の枠で示したように、5,200BP以降、数世紀にわたって続いた:
インダス川流域における過去1万年間の降雨量 © Lamb et al., 1978
約5,200BPの湿潤の増加はインダス川流域に限ったことなのか、それとも世界的な出来事だったのか?
インダス川流域から何千キロも離れた死海周辺の調査でも、この時期の湿潤の増加が確認されている。海抜300フィート(100メートル)のセルドゥム山に塩の洞窟がある。そのひとつから、数千年にわたって保存されていたオークの木(パレスチナ・オーク)の小枝と葉が発見された。海抜300フィートの無菌の塩の洞窟にオークの断片があるという奇妙さをどう説明すればいいのだろうか?
現在では、塩の中に洞窟を作ったのは古代の沖積時代だったことは地質学的に確実である;
実際、塩の溶解によって形成された洞窟の幅を注意深く測定することによって、過去の気候を推測することができる。洞窟の幅は、北ヨーロッパの氷河期(洞窟が大きい=雨が多い=氷河が多い)と相関関係があり、洞窟の標高は死海そのものの古代の海面と比較できる。
現在の海面から約300フィート高いところにある広い洞窟の水平線は、必然的に青銅器時代初期、つまり現在より約4200年から5200年前の放射性炭素年代において、極めて湿潤な時期だったことを示している。
洞窟内で発見されたオークの小枝、流木、泥灰土は、ジュディア丘陵の他の地域から洪水によって運ばれたに違いない。水位が現在より300フィートほど高かった頃、ヨルダン川は大洪水を起こし、気温が低かったため蒸発率が低かったと考えられる。
─ イグナティウス・ドネリーと世界の終わり
下の図は、約5,200BPに経験した死海地域の湿潤の増加を示している(赤い縦線で示す)。死海周辺の湿潤エピソードは、緑色の枠で示したように数世紀続き、その終わりは4,900から4,400BPの間に起こったことに注目してほしい。実際、この5世紀の間、海水面の復元は不確実であり、疑問符と破線の水準線で示されている:
過去10,000年間の死海水位© Migowski, 2006
アメリカ大陸でも同じような現象が見られ、ボリビアとペルーの国境沿いにあるチチカカ湖の主要部分であるラゴ・グランデが、5,200BP頃に隆起し始め、湖が約100メートル高くなるまで何世紀も続いた。これは死海の上昇と同じ数字である。
過去13,000年間のラゴ・グランデの水位 © Rove et al., 2004
アジア(インダス渓谷)、中東(死海)、アメリカ大陸(チチカカ湖)の水位上昇は、私たちの惑星が約5,200BPから数世紀にわたって顕著な湿潤エピソードを経験したことを強く示唆している。
しかし、多くの地域が5,200BPから4,600BPの間に湿潤の増加を経験した一方で、例えばスペインのように乾燥化を経験した地域もあることに注目してほしい:
熱地中海(暑い夏と短く穏やかな冬を特徴とする低地地中海性気候)および中地中海沿岸地域(地中海の中央部)の花粉学のデータは、約 5200 cal yr BP 以降、森林の減少を報告している(Jalut et al., 2000 ; Carrión et al., 2001, 2004 ; Carrión, 2002 ; Pantaléon-Cano et al., 2003 ; Fletcher et al., 2007)(図 8)。
この時期、おそらく乾燥した気候条件によって強化されたと思われる火災活動の増加が、硬葉植物や火災の発生しやすい生物群落の拡大に重要な役割を果たした可能性がある(Carrión and van Geel, 1999; Carrión et al., 2003; Gil-Romera et al., 2010a)。標高の高い場所でも(Carrión et al., 2007; Anderson et al., 2011; Jiménez-Moreno and Anderson, 2012; Jiménez-Moreno et al., 2013)。
さらに、いくつかの湖のシークエンスでは、およそ5100 cal yr BPに顕著な変化が起こった(Carrión et al. (Carrión et al., 2003; Anderson et al., 2011; García-Alix et al., 2012) 。ビジャルケマド(※スペインで最大の淡水湿地がある)では、浅い環境での酸化プロセスの発生を反映していると思われるMnの著しい増加を除いては、地化学的特徴(SUB-2A)に大きな変化はなく、一時的な湖の状態での堆積が続いた。
ラグーナ・デ・メディナ(※アンダルシアでフエンテデピエドラに次ぐ2番目に大きい湖)では、Reed ら(2001)が 5530 cal yr BP 以降の湖水準の明確な減少を示唆しており、シレズでは 5200 cal yr BP と 4100 cal yr BP に劇的な湖水減少の時期があることが確認されている(Carrión, 2002)。
─ ニック・ブルックス『崩壊を超えて:中期完新世の気候変遷における気候変動と因果関係』6400-5000BP
※cal yr BP=calibrated years BP 較正 年 ~前(1950年を"現在"とする年代測定の単位)
地中海の反対側、北アフリカでも同様の乾燥化が起こった:
モロッコ山地のティガルマミンにおける乾燥期間 5010-4860 (+/- 150)。オーク(ホルムオークまたはバロータオークとフェニックスカナリエンシス〈カナリア島のナツメヤシまたはパイナップルパーム〉)が減少し、イネ科の植物が増加したことは、北大西洋の海水温の低下に伴う冬の降水量の減少を示唆している。
─ Lamb, H. F. et al, Nature, 373 p 134 (1995).
以上のことから、我々の地球は、南西ヨーロッパと北アフリカが乾燥化を経験した以外は、約5,200BPから数世紀にわたる劇的な湿潤期を経験したことが示唆される。
大気中の塵の増加 Increased Atmospheric Dust
彗星金星の尾を横切るという仮説、誘発される地震や火山噴火、彗星の破片の直接衝突、頭上での彗星爆発は、すべて大気中の塵を増加させる可能性のある原因である。
テラ・デル・フエゴ(アルゼンチン)で行われたダスト分析では、約5,200BPに中程度のダストスパイクが見られた(下図の紫の矢印参照)。このダスト濃度の増加は、約4,600BPまで数世紀続いた(緑色の長方形を参照)。
また、5,200BPは、約4,600BPまで続いた氷河の前進期間の始まりであり(青い三角形を参照)、上述の冷却を裏付けている。
ダストの濃度とサイズ、氷河の前進と磁化率(8,000BP – 現在)
暦年代(ka BP) © Vanneste et al.
砂塵の粒径の中央値が約5,200BPで増加していることにも注目。このエオリアン(風成の)現象は小さな砂塵粒子を運ぶ傾向があるため、砂塵の発生源が乾燥地域を吹き渡る風ではないことを示唆している。
大気中の塵が増加したのはティエラ・デル・フエゴ(南アメリカ本土の最南端沖の群島)だけではない。フアスカラン(ペルー)の氷床コアでも同様のパターンが見られ、顕著なダストスパイクが見られた。5,200BP頃に15,000から30,000まで2倍に増加したダスト濃度は、4,600BP頃まで続いた。
ワスカラン(ペルー)のダスト濃度(10,000 BP – 現在)
© Thomson et al., 1995
ペルーとアルゼンチンから数千キロ離れたアフリカ大陸でも、砂塵の急上昇が起こった。下図に示すように、キリマンジャロ氷床コアとオマーン湾の風成堆積物から、約5,200BP(赤の縦線)から約4,600BP(緑の枠)までダストスパイクが続いていることがわかる。
キリマンジャロとオマーン湾のダスト濃度
© Thomson et al., 2002 – Cullen et al., 2000
上の図で、オマーン湾のダストスパイクが過去11,000年間で二番目に大きかったことに注目してほしい。
メタン、気温、CO2、湿度のデータと同様に、砂塵の記録からも、約5,200BPに始まり約4,600BPまで続いた混乱が明らかになっている。
まとめると、これまでのところ、温度低下、メタン、重水素、二酸化硫黄、二酸化炭素、湿潤、大気塵という7回の金星の潜在的なマーカーを同定した。私たちは、12,600BPから4,500BPの間に、これら7回のマーカーに当てはまる時期がひとつだけあることを発見した。それが5,200BPである。
人間集団への影響 Impact On Human Populations
新石器時代は5,000BP頃に終わり、青銅器時代に取って代わられた。したがって、我々が研究している期間(5,200~4,600BP)は、新石器時代後期と青銅器時代初期に相当する。
このような遠い時代の考古学的データは比較的乏しいにもかかわらず、上記のような地球の変化が人類に影響を与えたことがわかる。いくつかの文化や集落は、5,200~4,600BPの間に崩壊した。
メソポタミアでは、6世紀にわたって栄えたウルク文化が崩壊したのは、北部のウルク"居留地"が放棄された5,200BP頃とされている。メソポタミア南部のいくつかの小さな集落も放棄された。ピーター・マルティーニとウォード・チェスワースによれば、ウルク文化の崩壊は急激な冷え込みによるものだという。
イラク、ウルクの壁を覆う円錐形のモザイク画 © Benjamin Rabe
メソポタミアでのもうひとつの例は、イラクにある5ヘクタール(14エーカー)の集落マウンド、ジェムデット・ナスルである。2世紀にわたる発展の後、紀元前4,900年に急速な崩壊が起こった。この地域では灌漑文化が続いたが、メソポタミアで新しい強力な王朝が再び繁栄したのは、気温の上昇と降水量の増加の後、紀元前4,600年以降のことである。
ナイル川流域では、何世紀にもわたって人口が集積し、それと並行して社会が複雑化した後、5,200BPに北エジプトが崩壊し、南エジプトに征服された。
メソポタミアと同様、北エジプトの崩壊は"気候の悪化"によって説明される:
これは、ナイル川流域に人口が集中し、気候や環境の悪化と不確実性が増大した時期に起こったもので、資源をめぐる競争を促進する上で重要な役割を果たしたと考えられる。
ニック・ブルックス『崩壊を超えて:現在より6400~5000年前の完新世中期の気候変遷における気候変動と因果関係』2013年
ヴェルネらによると (2000)、サハラ砂漠地域も同様の崩壊を経験し、5200-5000BPの間に北緯23度以北の居住地は突然著しく減少した。下図は、約5000BP(赤の縦線)の緯度23度以北(青の列)での人口減少を示している。2千年以上にわたって比較的安定していた人類の人口が、約50%も減少したのである。
緯度23度以南でも人口は減少しているが(紫の破線)、それほど顕著ではない。この過疎化は、人口増加が1千年続いた後に起こった。
サハラ砂漠の人間の居住 © Vernet et al., 2000
スコットランドのオークニーにあるパパ・ウェストレイ島のナップ・オブ・ハワーは新石器時代の集落で、北ヨーロッパ最古の石造建築物である可能性がある。放射性炭素年代測定の結果、9世紀にわたる居住の後、約4800BPで放棄されたことがわかった。
ナップ・オブ・ハワー、最古の新石器時代の集落のひとつ、スコットランド、オークニー諸島
© Message to Eagle
ククテニ・トリピリア文化は、約5800BPに出現し、8世紀にわたって繁栄した東ヨーロッパの文化である。数百平方キロメートル、約3,000の建造物、数万人の住民を擁した。
最終的には5200BP頃に終焉を迎えた。長い間、ククテニ・トリピリア文化の崩壊はクガンの侵略によるものとされてきた。しかし、現在では別の説が有力である:
1990年代から2000年代にかけて、ククテニ=トリピリア文化の終焉に関する別の説が、彼らの文化が存在した最後の時期に起こった気候変動に基づいて浮上した。それは、ブリット・セルナンダー亜北方期と呼ばれるものである。紀元前3200年頃から、地球の気候は最後の氷河期が終わって以来、かつてないほど寒く乾燥するようになり、その結果、農耕が始まって以来ヨーロッパ史上最悪の干ばつに見舞われた。
─ デイヴィッド・W.アンソニー (2007)、『馬、車輪、そして言語』
インダス文明:『現代の視点』で、グレゴリー・L・ポセールはインダス文明の第2ステージの終焉が約5200BPだったことを示している。最終的には、ステージ3または"初期ハラッパ(パキスタン東部のハラッパの発掘された都市)“に移行した。
中国では、仰韶(ぎょうしょう、ヤンシャオ)文化が2千年にわたって存在した。Xiaoらによると(2004)、5,100BP頃に大岱海湖(ダイハイ湖地域、中国内モンゴル自治区)で冷却エピソードが発生した:
過去1万年間の大岱海湖地域の気候パターン © Xiao et al., 2004
この冷却エピソードは、大岱海湖地域における後期仰韶文化の終焉を意味した。
江寨の模型、仰韶の集落 © Prof. Gary Lee Todd
ウルク、ジェムデット・ナルス、北エジプト、北サハラ、ナップ・オブ・ハワー、ククテニ・トリピリア、インダス文明、そしてヤンシャオ文化はすべて同じようなパターンを示している:数世紀にわたる発展の後、5200BPから4800BPの間に突然崩壊した。
上に示したように、これらの崩壊のほとんどは、急激な気候変動に起因している。しかし、これらの文化や集落の崩壊は、戦争や疫病に起因するものもある。
気候変動、戦争、伝染病は、相互排他的な崩壊の原因ではない。彗星事象は、上記に詳述したように、急激な気候変動を引き起こす可能性があり、実際に引き起こしている。しかし、彗星現象は戦争(資源が減少するため)や伝染病(彗星が媒介する病原体のため)の原因になることもある。
金星:彗星から惑星へ Venus: From Comet To Planet
金星のかつての彗星的性質は、地球物理学的、天文学的、気象学的証拠に基づき『地球は火星の水を盗んだのか』と題した私の論文で実証されている。
同じ記事で、我々は約12,600BPの彗星金星がすでに太陽系に存在し、火星を地球に"押しやった"ことを示した。現在、金星は彗星ではなく、惑星として安定した円軌道を描いている。
金星が惑星だったことは、はるか昔のメソポタミア(約4,500BP)で証明されている。つまり、金星が彗星から惑星になったのは、12,500BPから4,500BPの間ということになる。上記の7回の金星マーカーは、この変容が約5,200BPに始まったことを示唆している。
この変容には軌道の変化が関係している。すなわち、長周期の高度に楕円形の彗星軌道から、短周期の円形の惑星軌道への漸進的な移行である。金星が安定した惑星になったのは、彗星のような金星が太陽に漸進的に捕獲されたからである。
我々はここで、5200BPから4600BPの間で、いくつかの間隔がますます短くなった通過を探している。
神話は彗星金星について何かヒントを与えてくれるだろうか?
その軌道の変化は?
その通過回数は?
通過による地球への影響は?
通過の時間間隔は?
神話の中の金星彗星 Cometary Venus In Myth
金星の彗星的性質は、いくつかの神話によって証明されている:
アステカの「テレリアノ・レメンシス写本」は、西暦1533年に金星を煙る星として表現し、金星を彗星のイメージと結びつけている(Aveni 1980:27)。『ジットバルチェの歌』にあるマヤのテキストは、金星を煙る星として特定しているようである(Edmonson 1982a:183)。
─ スーザン・ミルブラス『マヤの星の神々:芸術、民俗学、暦における天文学』
アステカ写本は、金星を彗星と表現する数多くの古代の資料の中のひとつにすぎない。ほとんどの伝統は同じ系統の考え方を踏襲していた:
それぞれの女神[イナンナ、ハトホル、アナト、アテナ、カリなど]は、惑星金星と同一視できる天体として明確に描写されており、それぞれの女神にまつわるイメージは、普遍的に彗星と関連付けられるものと一致している(例えば、乱れた長い髪、蛇のような形、松明との同一性、日食との関連など)。
─ エフェメラル研究財団、土星神話の探究
金星は多くの古代神話で彗星として描かれているだけでなく、イシュタルへの嘆きの祈りに描かれているように、破壊的なものだと考えられていた:
イシュタルよ、万民の女王よ……
あなたは天と地の光……
あなたの名を思うとき、天と地は震え……
大地の精霊は惑う。
人類は汝の偉大なる御名に敬意を表する、汝は偉大なり、汝は崇高なり。
全人類は、全ての人種は、汝の力の前にひれ伏す……
天と地の貴婦人よ、あなたはいつまでとどまるのか……?
全ての戦いと勝利の女神よ、あなたはいつまでとどまるのか?
汝、栄光ある者よ …… 高みに掲げられ、堅く確立された者よ、勇猛なるイシュタルよ、汝の力において偉大なる者よ!
天と地の輝ける松明、すべての住まいの光、戦いの中で恐ろしい者、逆らうことのできない者、戦いの中で強い者よ!
敵に立ち向かい、強き者を断ち切る旋風よ!
猛り狂うイシュタルよ、軍勢の召喚者よ!
─ レナード・W・キング著『エヌマ・エリシュ』:創造の七つの石版
神話は金星を破壊的な彗星として描いているが、その通過時期について何か情報を与えてくれるだろうか?
[……]先コロンブス期のメキシコの原住民は、52年の周期が終わるたびに新たな大災害が起こることを予期し、その出来事を待つために集まっていた。
「この儀式の夜が来ると、すべての人々は恐怖に襲われ、何が起こるかわからない不安の中で待っていた」
彼らは「人類が滅亡し、夜の闇が永久に続き、太陽が昇らなくなるかもしれない」と恐れていた。彼らは金星の出現を待ち望み、恐れていたその日に大災害が起こらなかったとき、マヤの人々は喜んだ。
彼らは人身御供を捧げ、火打ち石のナイフで胸を開いた囚人の心臓を捧げた。その夜、52年の期間が終わると、大きなかがり火が恐怖におののく群衆に、新しい恵みの期間が与えられ、新しい金星のサイクルが始まったことを告げた。
古代メキシコ人は、この52年の期間を二つの世界的な大災害の間とみなしていたが、彼らは金星と確実に関係しており、この金星の周期はマヤ族とアステカ族の両方で観察されていた。
モーニングスターに生贄を捧げるというメキシコの古い習慣は、モーニングスターが「特に明るく見える年」、あるいは「空に彗星がある年」に、ネブラスカのスキディ・ポーニー族が人身御供として生贄を捧げることで生き残った。
─ ヴェリコフスキー『衝突する宇宙』pp.155-156
マヤとアステカの伝承では、金星の周期は52年とされている。他の文化にも、周期的に破壊的な金星に関する同様の神話があるが、周期の期間は異なる。エトルリア(イタリア半島北部-中部に紀元前9世紀から紀元前1世紀まで住んでいた先住民族)の神話がそうである:
バチカン写本のように、52年の変化であることもある。バチカン写本では、世界年齢は52歳の倍数で計算され、これらの数字に加え、変化する年数が加えられている。A. フンボルト(Researches, II, 28)は、バチカンの写本(No.3738)の世界年代の長さと、イクストリルキソキドが残した伝承の体系におけるその長さを比較した。
センソリヌスによれば、それは105年の期間である:
エトルリア人の信仰によれば、天の前兆によって予言された世界の大災害の間に、105年の四つの時代が起こったと、センソリヌス(デ・ディ・ナタリ)は言及している。
─ ヴェリコフスキー『衝突する宇宙』p. 154
※『センソリヌス・デ・ディ・ナタリ』は、238 年生まれのセンソリヌスによって書かれた作品。この本の中で著者は誕生日について論じ、すべての月と日の名前と由来を説明している。チェンソリヌスは天文学だけでなく占星術や神話についても語り、多くの物語や寓話を語る。この本は、古代ローマ人が誕生日を祝うために使用した情報源のひとつ。
また、ユダヤ教には50年のジュビリーの伝統があり、その期間はマヤ/アステカの伝統に非常に近い:
※ジュビリー(英: Jubilee)は、『レビ記』の第25章でヨベルの年として記され、ユダヤ教で50年に一度の周期で祝賀が行われることに基づく、25または50年に一度の周期で行われる記念日・祝祭または祝年を意味する。25年周年や50年周年などの記念祭・祝祭・祝典・ヨベルの年・歓喜などを意味する
50年目はジュビリーの年であった[……]土地の所有者への返還と奴隷の解放を伴うジュビリーの祭りは、贖罪の性格を帯びており、贖罪の日に宣言されることによって、このことがさらに強調される。恐怖が50年ごとに戻ってくるのは、何か特別な理由があったのだろうか?[……]贖罪の日、イスラエルの民は砂漠の"アザゼル(罪を背負ったスケープゴートがいる荒涼とした場所を表す)“に身代わりを送る習慣があった。アザゼル、アッザ、ウッザとも呼ばれた。[……]金星のアラブ名はアル・ウッザである。
─ ヴェリコフスキー『衝突する宇宙』p.154
つまり、いくつかの伝承によれば、金星は破壊的な彗星であり、52年(マヤ/アステカの伝承)、50年(ユダヤの伝承)、105年(エトルリアの伝承)の周期を示した。
メソポタミア神話では、イナンナはヴィーナスであり、戦争と性の女神である。
「イナンナの冥界への降臨」と題された興味深い神話がある:
イナンナは全部で七つの門をくぐり、それぞれの門で、旅の始まりに身に着けていた衣服や宝石を取り外す。こうしてイナンナは力を奪われる。イナンナが妹の前に現れたとき、彼女は裸だった:
「彼女はしゃがんで服を脱がせた後、その服を運び去った。そして、妹のエレシュキガルを玉座から立たせ、代わりに自分が玉座に座った。七人の審判であるアンナは彼女に対して判決を下した。
彼らは彼女を見た。─ それは死の表情だった。
彼らは彼女に語りかけた ─ それは怒りの言葉だった。
彼らは彼女に叫んだ ─ それは重い罪の叫びだった。
苦しんでいた女は死体にされた。そして、その死体はフックに吊るされた」
この神話の象徴的な意味を理解するためには、メソポタミア神話(と芸術)において、裸の状態の象徴が非常に特殊であることを知らなければならない:
メソポタミアの文学だけでなく、芸術においても、裸は同様に無力な状態、捕らわれ、処刑されそうになることと頻繁に結びつけられている。
─ カレン・ソニック『悪い王、偽りの王、真の王:アプスーとその後継者たち』
裸が無力と捕虜を意味するのであれば、イナンナ神話は、彗星の金星が7回の峠(冥界の七つの門)を越えて円形の惑星軌道に入り、徐々に"無力"と"捕虜"にされていく様子を描いているのだろうか?
金星が次第に無力になっていくこの捕獲は、それぞれの"門"で金星の"アイテム"をひとつずつ取り除くことで反映されるかもしれない。七つのアイテムのうち五つは宝石である。これは、7回の通過のたびに、輝く彗星の破片が失われることの象徴なのだろうか?
第一の門では頭から大きな王冠が、第二の門では耳からイヤリングが、第三の門では首からネックレスが、第四の門では胸から装飾品が、第五の門では腰からガードルが、第六の門では手足からブレスレットが、そして第七の門では体を覆うマントが外される。
─ マンリー・P・ホール『フリーメーソン、ヘルメティック、カバラ、バラ十字会の象徴哲学の百科事典的概要』
※フリーメーソン、ヘルメティック、カバラ、バラ十字会の象徴哲学の百科事典的概要:あらゆる時代の儀式、寓意、神秘の中に隠された秘密の教えの解釈
偶然かどうか、アステカの象徴学は、ケツァルコアトル(金星)を蛇または龍(彗星のシンボルとして繰り返し使われる二つのシンボル)として表している。
多くの場合、ケツァルコアトルは下の写真のように自分の尾を飲み込んでいる。ウロボロスとしても知られるこの表現は、周期を象徴している。ケツァルコアトル/ウロボロス(自分の尾をかんで、輪の状態になっているヘビまたは竜)は通常、下の絵の七つの赤い矢印で示されるように、七つのセグメント/椎骨で描かれていることに注目してほしい:
ケツァルコアトル(金星)とその七つのセグメント
中東に話を戻すと、メソポタミア人はイナンナ/イシュタル(金星)に特別な注意を払っていた。イシュタルはシュメールのパンテオンの中で最も崇拝されている神々の一人であり、アッシリアのパンテオンでは最も重要で広く崇拝されている神だった。
イシュタル「力強い女王……は天と地の光明である:最も偉大な神々はイシュタルを高く持ち上げ、神々の中で彼女の権威を最も偉大なものとした……彼らはイシュタルの天の位を最も高いものとし、天と冥界はイシュタルの名を思い浮かべるだけで震え上がる……イシュタルのみが “偉大な者、高貴な者"である。
─ ジャン・ボテロ『古代メソポタミアの宗教』p.59
同じボテロによれば、イナンナは最も多くの粘土板が捧げられている神である。イナンナはシュメールのどの神よりも多くの神話に登場する。イナンナは最も多く観測された天体である。では、金星の数多くの観測と、金星に関連する粘土板の年代測定は、何か新たな手がかりを与えてくれるのだろうか?
興味深いことに、イナンナの冥界への降臨に関する神話の年代は、前述した5200~4600BPの破壊的エピソードの直後、紀元前約2500年(4500BP)とされている。
アッカド語の印章に描かれたイナンナ。彼女は7本の槍、角のある兜、7分割されたドレスを身に着けている。
© Creative Commons
上記のようなイナンナの大流行が突然起こったことに注目してほしい。前サルゴニック時代(約4,300BP)には、イナンナは9世紀も前から知られていたにもかかわらず、崇拝(アッカド語の印章に描かれたイナンナ)はほとんどなかった。実際、イナンナに関する最古の記述は、約5200BPまで遡る:
イナンナという名前に関する最古の記述は、ウルクのイアンナ地区の粘土板にあり、ウル第3王朝[紀元前約3200年または5200BP]の主要な宗教建造物の遺跡の下の深さにある。
─ ポール・コリンズ『シュメールの女神イナンナ』
要約すれば、シュメール神話、ユダヤ神話、マヤ神話、アステカ神話、エトルリア神話を、金星にまつわる実際の天文学的出来事の反映とするならば、次のようなことが予想される:
・最初の通過 約5200BP(イナンナ/金星の最初の言及)
・7回の通過(冥界の七つの環)
・破壊のレベルの減少(衣服と宝石の喪失)
・7回目の最後の通過は約4600BP(イナナ降臨/捕獲に関する最初の記述は約4500BP)
・通過の間隔は50年または100年(アステカ、マヤ、ユダヤの伝承)
地質学的、地球物理学的、気象学的データは、そのような神話的主張を裏付けるものなのか?
上で研究した千年単位のデータ記録のおかげで、5200BPから4600BPの間に何かが起こったことは分かっているが、この広いスケールでは、その6世紀の間に何が正確に起こったかを詳細に分析することはできない。
その影響は数世紀にわたって続いたひとつの出来事だったのだろうか?
それとも一連の個別の出来事だったのか?
もし後者だとしたら、いくつの出来事が起こったのだろうか?
その時期は?
時間間隔は?
それぞれの出来事の大きさは?
5200~4600BPにズームイン Zooming in 5,200 – 4,600BP
今度はズームインして、高解像度の記録を調べる番だ。
そのためには、氷床コアからの生データ(NOAAまたはNBIらのデータセット)をコンパイルする必要がある。
ここに、約5200BPから約4600BPまでの平均気温変動の10年ごとのグラフ(20年刻み)がある。この平均は、五つの地域の温度復元に基づいている: 南極、南半球、熱帯、北半球、そして北極である:
下図を見ると、約5240, 5060, 4960, 4860, 4800, 4720, 4660 BPの7回の気温低下がわかる(曲線上部の赤い日付を参照)。
氷床コアの温度復元(5,260 – 4,600 BP)© Sott.net
全体的に、各パスは、より厳しく、より長続きしない冷却期間を引き起こしていることに注目されたい(黄色の三角形で示されている)。例えば、パス1はパス7よりも約15倍厳しく、5倍長く続く温度を引き起こした。この全体的な冷却の厳しさの減少は、イナンナ神話が示唆するように、金星の破壊的な通過が徐々に少なくなることと一致する。
また、通過(パス)の間に繰り返される時間間隔(グラフ下部の緑色の数字)にも注目してほしい:パス4と5の間は60年、パス6と7の間は60年である。これは、マヤ、アステカ、ユダヤの伝統が、金星の通過の周期をそれぞれ52年と50年と定めているのに非常に近い。
同様に、パス2とパス3、パス3とパス4の間の100年の時間差は、エトルリア神話による金星の回帰の間の105年に非常に近い。
上のチャートは、彗星金星が60年ごとと100年ごとに戻ってくることを示唆している。つまり、二つの神話(マヤの52年周期とエトルリアの105年周期)はどちらも正しかったのかもしれない。彗星金星の異なる通過に言及していただけなのだ。
また、7回の通過の間隔は、1回目と2回目の通過の間の160年から、6回目と最後の通過の間の60年へと、全体的に短くなる傾向がある。この全体的な間隔の減少は、太陽系内で彗星金星が徐々に捕捉され、その軌道が徐々に短くなり、より円形になることと一致する。
各通過間の時間差は全体的に減少しているが、ひとつだけ例外がある:パス5と6の間の時間差は、以前のパス4と5の間の時間差(60年)よりも長い(80年)。
このように彗星金星の通過間隔が非線形的に減少しているのは、彗星はたとえ短周期で安定したものであっても、天体、特に大きな惑星による摂動のために、正確な周期で戻ってこないという事実に起因しているのかもしれない。
この変動は、現代で最も有名な彗星であるハレー彗星にも当てはまり、ハレー彗星の平均周期は77年だが、1回の周期は74.33年から79年である。
1986年の通過時に撮影されたハレー彗星。次の通過は2061年と予想されている
© European Southern Observatory
研究者ヨアヒム・ザイフェルトは、上のグラフと同じような温度グラフを考え出したが、彼は地球軌道振動(EOO)というひとつの変数を加えた、つまり、地球の軌道の変化によって引き起こされる気温の変化である。
このEOO変数によって引き起こされる温度変動は限定的であるため、数千年スケールの主要なイベントを扱う場合には無視されるが、高解像度の温度復元を扱う場合には重要である:
地球軌道発振線の上側と下側。大きなコズミックインパクトの影響を受けなければ、地球の気候はこの範囲内で変化する。私たちが示したように、完新世の温度進化はこの上下の水平線内に留まることはない。なぜなら、強いコズミックインパクトは常に、そして必然的に、強い温度下降スパイクを生じ、その後強い温度上昇リバウンドスパイクが起こり、その後後退するからである。これは、地球への各宇宙衝突のいわゆるZ型の温度パターンである。
─ ヨアヒム・ザイフェルト『完新世中期から後期における気候パターンの認識
これがヨアヒム・ザイフェルトの温度グラフである:
EOO温度復元(紀元前3,400年~1,600年)© Seifert et al., 2016
上のグラフでは、私たちが研究している期間(約5,200~4,600BP)がピンク色で示されている。緑色の点線は、地球軌道振動だけが原動力であった場合の理論的な地球の温度である(したがって正弦波の形をしている)。しかし、記録された温度曲線(黒い実線)は、いくつかの場所で理論的なEOO曲線から外れていることがわかる。
ザイフェルトは、これらの逸脱の原因となった四つの破局的な出来事を挙げている。
─ 通過 約5,210BP(紀元前3,210年):上のグラフの赤い矢印で示したアンダマン湾インパクトに関連していると仮定されている:
前述したように、アクセーサ湖(イタリア、トスカーナ)とボーデン湖(コンスタンツ湖とも呼ばれ、ドイツ、オーストリア、スイスの国境に位置する)の湖水充填データから、BC3200年のイベントが認められる。紀元前3200年 [……] 紀元前3200年のコズミックインパクトは、紀元前2900年まで続くZ型の温度パターンを生み出した。このコズミックインパクトは、BC3081年の通常のピークを80年ずらして、BC3000年の遅れた温度ピークの原因となっている。
この時期のインパクトの有望な候補を探していたところ、アンダマン海に衝突した宇宙流星のインパクトを発見した。パカラン岬(タイ西海岸)では、紀元前3200年に目立ったメガ津波イベントとして巨大津波が発生した(Neubauer, 2011)。通常の海震津波は、岩礁を破壊したり、巨大な岩礁のカットされた巨礫を─岩礁を離れて─内陸に移動させたりするほどの威力はない。
─ ヨアヒム・ザイフェルト、F.レムケ: 完新世中期(紀元前4800年から紀元前2800年)の気候パターン認識
過去10,000年で最も大きな火山噴火のひとつが、約5,200BP(紀元前3250±200年)頃にも起きていることにも注目してほしい。これは175ppmの硫酸降下をもたらし、米国アラスカのアクタン火山によるものとされている。
─ 通過 約4,807BP(紀元前2,807年):上のグラフの濃い緑色の矢印で示したバークルインパクト(バークル・クレーターは、インド洋南西部にある直径約29キロメートルの海底地形):
[……] バークルインパクト(Gusiakov, 2010; AbboM, 2006)。紀元前2807年という日付は、中国の天体観測記録に記載されている。この衝突は巨大な規模と影響を及ぼし、衝突クレーターの直径は20kmだった。この衝突により、地球の気温は即座に低下し、大気中の水分の莫大な降下により、広範囲に及ぶ地球規模の洪水が発生した。
─ ヨアヒム・ザイフェルト、F.レムケ: 完新世中期(紀元前4800年から紀元前2800年)における気候パターン認識
4,807BPはまた、洪水物語の分析に基づくと、5月10日の日食の頃にアフリカと南極大陸の間に小惑星か彗星が衝突し、バークル・クレーターとフェナンボシー シェブロン(マダガスカルの南西海岸、マダガスカルの先端近くにある四つの山形の地形のひとつ)を引き起こした可能性があるとしている。
─ 通過 約4,700BP(紀元前2,700年):上のグラフの赤い矢印で示したカンポ・デ・シエロ・インパクト:
紀元前2700年のカンポ・デ・シエロ・インパクト。文献(Barrientos, 2014)では、実際には紀元前2840年から2146年とされているが、残っている唯一の衝突日は紀元前2700年である。このインパクトは小規模から中規模で、Burckleイベント後の気温回復を1世紀遅らせている。
─ ヨアヒム・ザイフェルト、F.レムケ: 完新世中期(紀元前4800年から紀元前2800年)における気候パターン認識
─ 通過 約5,080BP(紀元前3,080年):ザイフェルトはEOO曲線から四つ目の逸脱を特定し、今回は巨大噴火の可能性があるとしている(上図のトルコ石の谷を参照)。
興味深いことに、5080BPの出来事は、グリーンランドで記録された255kg/km2の酸性降下物(硫酸-H2SO4)という、過去9,000年間で最大の疑わしい火山噴火と一致している。このいわゆる(そう思われている)巨大噴火は、既知のどの火山にも起因していないことに注目してほしい。
過去9,500年間の主な噴火
比較のために、1883年のクラカトアの噴火では、グリーンランドで21kg/km2の酸性降下物が発生した。これは5080BPの噴火の12分の1である。
疑わしい巨大噴火に加えて、この頃、紀元前3050年(約5000BP)にコズミック・インパクトが記録されている:ポーランドのモラスコ・クレーターフィールドである(Wojciech, 2012)。このインパクト・フィールドには八つの小さなクレーターがあり、隕石の金属小球体を含む泥炭配列が年代測定された。
ザイフェルトによって発見されたEOO曲線からの四つの逸脱に加え、5,200-4,600BP期の終わりに発生した三つの不連続がある。これらの年代は金星の軽い通過に対応している:
─ 約4,960BPの追加通過(EOO図中の紺色の矢印)
─ 約4,870BPの追加通過(EOO図の薄緑色の矢印)
─ 約4,650BPの追加通過(EOO図のターコイズブルーの矢印)
つまり、5,210BPから4,650BPの間に金星の通過が7回あったと考えられる。
ザイフェルトのEOO図はグリーンランド氷床コア(GISP2)に基づいているのに対し、私たちの12年目ごとの図(20年刻み)は五つの地域の平均気温の復元に基づいていることに注目してほしい:南極、南半球、熱帯、北半球、北極の五つの地域の平均気温の復元に基づいている。異なる情報源を使用しているにもかかわらず、両図は驚くほど類似したイメージを提供している:7回の気温がほぼ同じ時期に低下している。
※duodecenal? decenal:(有機化学)10個の炭素原子と1個の二重結合を持つ脂肪族アルデヒド。
GISP2と地域平均気温の比較 © Sott.net
上の表に示したように、先に述べた7回の事象について、GISP2の気温と地域平均の復元との年代差はわずか13.8年である。氷床コアの年代測定の誤差が通常2%であることを考えると、約5,000年前に起こった事象では100年程度ということになる。
結論 Conclusion
彗星のイベントを扱った文献のほとんどは、定期的な周期か一度きりの事象を仮定している。それは事実であることが多いが、全体像ではない。上記の金星の7回の通過は、一回きりの出来事でもなければ、一定のサイクルの一部でもない。
彗星のイベントは、継続的なものであることもあれば、過去のものであることもある。同様に、周期的、擬似周期的、あるいは一過性の出来事であることもある。
例えば、ネメシスとそれに伴う彗星群がたどった2,790万年周期(『地球の変化と人類と宇宙のつながり』の第13章から第19章を参照)や、私の記事「火山、地震、そして3,600年の彗星周期」で紹介した3,600年周期のような、現在進行中の周期的な彗星周期を知っている。
また、ハレー彗星のように、平均周期が77年で、単周期が74.33年から79年という現在進行中の擬似周期もある。
私の記事「瞬間冷凍マンモスと宇宙の大災害」で述べた紀元前12,900年の彗星のイベントのような一回限りのイベントもある。
そして最後に、5,200BPから4,600BPまでの金星彗星のような過去の擬似周期彗星があり、通過1は160年から通過7は60年と公転周期が短くなっている。
過去三回の記事で、私は主に彗星のイベントを扱った:
瞬間冷凍マンモスについて:ヤンガードリアス(更新世の終わりのヨーロッパの 気候区分、亜氷期の期間を引き起こした)彗星のイベント
地球は火星の水を盗んだのか? 彗星金星が火星を地球に近づけた
これらはすべて古代の歴史に言及している。彗星のイベントは、人間のタイムスケールから観察すると、とても遠い昔のことのように思える。しかし、2013年のチェリャビンスク頭上爆発は広島原爆の30倍のエネルギーを放出し、7,000棟以上の建物に損害を与えた。
さらに最近では、ナイジェリアのアクレで深さ8メートル、幅21メートルの衝突クレーターを作り、70棟の建物を破壊した流星衝突が、彗星のイベントが遠い過去だけに属する抽象的な概念ではないことを思い起こさせる。
ナイジェリア、アクレの隕石衝突でできたクレーター
© PMNews Nigeria
彗星のイベントは非常に現実的であり、地球上の生と死の主要な区切りのひとつかもしれない。ほとんどの大量絶滅は彗星のイベントによって引き起こされ、興味深いことに、その後にもっと複雑な形態の生命が出現している。
例えば、この現象は、始新世-漸新世(E-O)境界において、多数の始新世の種が絶滅し、より複雑な漸新世の動物相に"置き換えられた"ことを目撃することができる:
※Eocene:始新世:新生代(the Cenozoic)古第三紀(the Paleogene)の二番目の時期(約5,580万年前~3,390万年前)。大陸はほぼ分離を完了し、気候は比較的温暖で、哺乳類のほとんどの目がこの時代に出現した
Oligocene:漸新世:新生代(the Cenozoic)古第三紀(the Paleogene3,390万年前~2,303万年前)。気候の変動により、直前の始新世(the Eocene)で栄えた種が新しい種に取って代わられた。大陸の分離により、異なった進化が進んだことと、哺乳類が大型化したのがこの時代の特徴
Paleocene:暁新世:新生代(the Cenozoic)古第三紀(the Paleogene)の最初の時期(約6,550万年前~5,580万年前)。絶滅した大型爬虫類の生態的地位を埋める動物はまだ現れず、哺乳類はまだ小型で原始的なものが多かった
さらに開けた景観のおかげで、3000万年前の暁新世に比べ、動物はより大きく成長することができた。海洋動物相は、北方大陸の陸上脊椎動物相と同様に、かなり現代的なものになった。これはおそらく、より現代的な形態が進化したというよりも、より古い形態が死に絶えた結果であろう。
出典
白亜紀と古第三紀(K-Pt)の境界(チクシュルブ衝突が原因)でも同様のパターンがあり、白亜紀の多くの種が絶滅し、より複雑な古第三紀の動物相に"取って代わられた":
※Cretaceous:白亜紀:中生代(the Mesozoic)のジュラ紀(the Jurassic)に続く最後の時代区分(1億4,500万年前~6,550万年前)。翼竜やティラノサウルスなどが現れ、恐竜が最も発達した時代である。胎生の小型の哺乳類も出現する。大隕石の衝突によると考えられるK-T境界により白亜紀が終わる
Paleogene:古第三紀:新生代(the Cenozoic)の最初で、第三紀(the Tertiary)の最初の時期(約6,500万年前~2,300万年前)。中生代(the Mesozoic)の終わりに大型虫類が絶滅し、第三紀に入ると哺乳類が進化し、脊椎動物の主役となった。海へ戻る哺乳類も現れた。また鳥類も進化して多様化した。暁新世(Paleocene)、始新世(Eocene)、漸新世(Oligocene)の三つの時期に分かれる
Chicxulub:チクシュルーブ・クレーター:約6,500万年前の直径10~20kmの大隕石の衝突の跡。このいん石の衝突は、白亜紀末の恐竜絶滅の原因とされている
古第三紀は、その前の白亜紀を終わらせた白亜紀-古第三紀の絶滅イベントの後、哺乳類が比較的小さく単純な形態から多様な動物の大集団へと多様化した時期として最も注目されている。
出典
もし彗星の大衝撃が、地球上の生命の複雑さを飛躍的に増大させる引き金になるとしたら、問題はどのようにしてか?
考えられるメカニズムのひとつは、彗星が媒介するウイルスである。彗星に有機物が存在することは、現在主流となっている科学の仮説である。そして我々は、ウイルスが宿主にDNAを転送できることを知っている。
マーチソンCM2隕石中のシアノバクテリア・フィラメント。© NASA/MSFC
では、彗星のイベントは、"インテリジェント・デザイン"が時代遅れの生命体を除去し(大量絶滅)、付随するウイルスが運ぶ新しいDNAコードを介して、より精巧な生命体を導入する(生命爆発)ための好機なのだろうか?
それは今後の記事のテーマとしたい。
ピエール・レスコードロン(プロフィール)
ピエール・レスコードロン(理学修士、経営学修士)はハイテク分野で経営管理、コンサルティング、大学院教育のキャリアを積む。その後、SOTT.netの編集者兼ライターとなり、科学、技術、歴史を研究するという夢をかなえた。著書に『地球の変化と人類の宇宙的つながり』(2014年)、『彗星との遭遇』(2021年)、『大量絶滅、進化の飛躍とウイルス情報』(TBP)などがある。
──おわり
最後までお読みいただき、ありがとうございました。