いい人に疲れました。人に隠している自分が本当の自分ではありません
「いい人」とは、誰にとっての「いい人」なのでしょうか?
あなた? まわりの人?
それとも別のなにかでしょうか?
「いい人」とは、いったいどんな人のことを言うのでしょうか?
なぜ「いい人」でいたいと思うのでしょうか?
本当の自分を見せれば嫌われてしまいますか?
誰でも自分を「よく見せたい」ものです。
感じのいい人、
真面目な人、
面白い人、
働き者、
尊敬される人、
周囲を明るくする人、
心遣いが細やかな人、
・・・
ところが、よく見せたい自分のイメージとは反対のイメージを自分自身に対して持っていませんか? 本当の自分はそうじゃないって。人に見せている自分は自分ではないって。
いい人を演じれば演じるほど、そうでない自分を意識してしまいます。しまいには、ごまかしている気分になります。自分は嘘つきという感覚すらするかもしれません。
「よく見せたい」のは、本当の自分を見せれば嫌われてしまうという怖れを持っているからです。
いい人でいるために"しなくてはいけないから"という動機でやっていると嫌になります
人間ですからいい所も悪いところもあります。まわりに合わせて「いい人」を演じていると本当の自分を忘れていきます。まわりに合わせるということは、そうしなければ受け入れてもらえないと思い込んでいるからです。自分の意志で決めているように見えますが、進んでそうしたいから合わせているのでしょうか?
仕方なく、そうしないといけないから、そうすることになっているからではないでしょうか? 自発的に本心から望んでいるからではなく、受動的でなんとなくまわりから強いられて演じているのではないでしょうか?
いい人でいたいために仕方なく、やむを得ずやっていると疲れます。本当はそうしたくないことを"しなくてはいけないから“という動機でやっていると、いつかは嫌になって疲れ果ててしまいます。
いい人だと思われたい。そこが間違いの始まり。あなたは自然のままのあなたでいい
つくらないでください。上手く演じてつくってもいつかはバレます。バレるのが怖くてごまかさなくてはなりません。嘘の上に嘘を塗り固めることになります。
まわりから「いい人」だと思われたい。そこが間違いの始まりです。決めるのは"まわり"ですから、あなたはそこで自分を捨ててしまったのです。あなたという存在は"まわり"が決めるのではなく、"あなた"が決める事だったのです。
誤解していませんか? 本当の自分ってどんな自分?
本当の自分ってどんな自分のことでしょうか?
本当の自分を見せれば嫌われるに違いないと思っているとしたら、本当の自分とはポジティブなイメージとは言えそうにありません。
不機嫌なわたし。
ときどき悪口を言ってしまうわたし。
ワガママなわたし。
都合の悪いことはたまにごまかすわたし。
陰気な気分の時もあるわたし。
一言で言えばネガティブなわたし。
これが本当の自分だと思うと隠したくなります。
でもそれって、普通の人間のことではありませんか?
いつもどんなときも非の打ち所のない完璧な人間なんていません。表があれば裏もあります。それが当たり前です。いいところも悪いところもあってひとりの人間です。
だから隠さなくていいのです。
隠し事をしなければいけないようなことは最初からしないことです。
人に隠している自分が本当の自分ではありません
本当の自分とはポジティブな自分でもなくネガティブな自分でもありません。いいところも悪いところも、どちらも本当の自分ではありません。人に隠している自分が本当の自分だと思っているからおかしなことになります。そのもっと奥にある自分。愛そのものが本当の自分です。
本当の自分=愛そのものでいるときは天国にいるような気分なんだろうなって思います。天国にいるような気分って味わったことありませんが、想像するだけで余計な力が抜けて、いるべきところに帰ったような安堵感を感じませんか? 今日はそんなことを感じながら眠りにつこうと思います。
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