人の目が気になりますか? 空想と思い込みが悩みを作ります
誰でも多かれ少なかれ人の目が気になります。
自分はまわりからどう思われているのだろうか?
職場で上司から学校で先生からどう評価されているのだろうか?
親は本当はわたしをどう思っているのだろう?
変に映っていないだろうか?
おかしいと思われていないだろうか?
出過ぎたマネはしていないだろうか?
人の迷惑になっていないだろうか?
あの人の言っていることと本心は違うかもしれない。
考えれば考えるほど疑心暗鬼になっていくかもしれません。
わたしたちは自分を知ろうとするときまわりの人と比較して評価、判断しようとします。まわりの人と比べて、自分はできるできない、優れている劣っている、大きい小さい、良い悪い、早い遅い、あらゆることに判断を下しています。その判断に従って自分の位置、居場所を決めています。それはそれで自分を知る一つの方法ですが、そこには思わぬ落とし穴があります。
人の目が怖い
人の目を気にし始めると思いや考えがそこで止まったことがありませんか? つまり人の目を気にし始めたとたん心が凍りついていませんでしたか? 大げさかもしれませんが、まるで突然ナイフか銃を突き付けられたような気分になりませんか?
人の目を気にしはじめたとたん、怖い感じがして、そこから先もう何も手が付かなくなります。
それは自分の中がいくつにも引き裂かれどう考えればいいのか? どっちに進めばいいのかわからなくなって方向感覚を失い怖くなっているのかもしれません。そうなると不安だけが増してきます。
つまり人の目を気にしてしまうと恐怖感もセットでついてきます。だから人の目が気になってしまうとそれを自分の中でどう処理していいのかわからなくなってしまうのです。人の目を気にすると、それはあなたから判断力を奪います。
ここで一回整理してみましょう。
人の目が気になるということは、人にどう思われているのか気になるということです。
「わたしはどう思われているのだろうか?」ですからあくまでも個々人の想像の世界の話です。思い込みと言っても良いかもしれません。もちろん日々生活する中で誰かに直接「あなたは○○よ」って言われることもあります。そうだとしても相手が下した評価ですから正しいかもしれないし間違っているかもしれません。誤解があるかもしれません。そのときどきの相手の気分で変化するかもしれません。
もしかしたら噂話で自分がどう思われているか偶然知ることもあるでしょう。そして他人の評価や評判を聞いて、今度は自分の中で考え始めます。その結果、納得できるかもしれないしできないかもしれません。内容次第で肯定できたり否定したりします。次の瞬間から内面で終わりのないドラマが始まります。
結局のところこれもまた自分の中の想像、思いの世界の続きです。そこでは自分自身の気分が大きく左右します。ポジティブで楽天的なときには気にもしないことが、ネガティブで悲観的なときには苦痛に感じてしまいます。
ですから、仮に誰かに何か直接言われたとしても、相手と自分のその時の気分次第です。人間ですから機嫌のいい時悪い時があります。
ということは、その時々の他人や自分の気分次第で「どう思われているのだろうか?」が決められてしまうことになります。そう考えるとずいぶんあやふやなことを根拠に自分という存在=自己評価を決めてしまっていると思いませんか?
空想と思い込みが悩みを作り出します
人の目が気になって「わたしはどう思われているのだろう?」と考えてしまうことは人それぞれの想像の世界であり、事実ではありません。あなたが思う”相手が思っているだろうあなたの姿”ですから、勝手に想像しているに過ぎないことに気がついてください。
Aさんはこう思っている、Bさんはこう思っている、Cさんは、、、似通っているかもしれないし違っているかもしれませんが、実はただの思い込み、思い過ごしなのです。何回も何回も同じように言われ同じように反応し考え思う間に現実かのように錯覚してしまうのです。
他人が自分のことをどう思っているのか? ごく当たり前のように思案してしまうものですが、この何気ない行為がもたらす意外な結末に気がついてください。
あなたは”あなたが思う他人の評価”に振り回されているのです。しかもそこには怖れがついてまわります。
それは自分で悩みの種をわざわざ作っているようなもの
振り回されているだけでなく実際のところあなたの悩み事の根本的な原因ではありませんか? あの人が自分のことをこう言ったから、別の人にも指摘されたから、やっぱり私はこういう人間なんだ。そうやって自分のことを評価して時には責めてさえいませんか?
「自分は他人の目にどう映っているのだろうか?」この疑問に正解はありません。相手の気分次第、自分の気持ち次第でいくらでも変わります。そのうえ、気になり始めるとたえず不安を呼び起こし、心は揺れ動き、休まる暇もなく悩み続けることになります。自分の思いで自己イメージを描き出し、自分で作った自己イメージが気分を高揚させたり落胆させたりします。傍目から見れば一人芝居をしているようなものです。
人の目を気にして「わたしは他人の目にどう映っているのだろうか?」を判断基準にしてしまうと、いつまでたってもどこまで行っても悩みから解放されません。それでも「自分は他人の目にどう映っているのだろうか?」って気にし続けますか? それはわざわざ自分で悩みを作り出しているようなものです。
ポジティブな自己イメージを持っている人は「自分は他人の目にどう映っているか?」って思い悩まないものです。むしろ反対に自己イメージを磨くことに意識を集中させているのではないでしょうか。喜びや希望が湧いて来る方向に心を投資してください。