こんな自分は嫌という誤解①

 母を邪魔だと感じる私は性格が悪いのでしょうか?

カウンセリングをさせていただいている方から「母を邪魔だと感じる私は性格が悪いのでしょうか?」という質問を受けました。
母のことを尊敬しているし愛しているのに、母を邪魔だと思ってしまう自分がいて、そんなことを考えてしまう自分が嫌だというのです。好きだけど、嫌い。

心の中で正反対の考えが浮かんでしまうのは、意外に多いのではないでしょうか? どちらが本当の自分の考えなのか分からなくなって悩んでしまうのです。結論から先に言えば、どちらの考えも心の中に浮かんでくるものなのです。
「性格が悪い」わけでは決してありません。

夕日をバックに

どうしてなのでしょうか? お聞きした話を紹介しながら、説明しましょう。

小学生の頃、遊びに外に出かけようとすると母の許可が必要でした。
「宿題は? 勉強は終わらせた?」
どこの家庭でもよくあるはなしです。
親からすれば、宿題を先に済ませて欲しい、勉強も他のこともできるようになって欲しい、ごく普通の気持ちです。
子からすればいつもいつも親の要望通り聞き分けの良い子ではいられません。時には自分のしたいことを優先したくなります。アタリマエのことです。
そんな時はうるさく感じ、反抗したくなります。

隠されたメッセージ

どこの家庭でもありそうなごく普通の親と子の関係ですが、ここにはどのようなメッセージが隠されているでしょうか?
それは、何かしたいことがあったとしても、すぐにしたいことをはできない、してはいけない、したくなくても、まずそれを片付けてからというメッセージです。
こうした観念があると、大きくなった時に、したいことをするためには「親の許可が必要だ」という観念を知らずに身に着けてしまいます。
ストレートにやりたいことができなくなってしまうのです。いつも誰かの許可が必要だと感じてしまうのです。それがあまりに強いと、その考えに縛られて動けなくなり、無気力になってしまったり、反発し無視して自分のやりたいことを優先させようとします。しかし、何か悪いことをしてしまったという不安も同時に抱いてしまいます。
これが「性格が悪いのかも」という誤解を生みます。

親の言いつけは守っても、破っても「問題」を作ります

ところで、親は何をするにも許可が必要だと子に伝えたかったのでしょうか?
ただ子供の成長を願い、人生で成功してもらいたいという親としてのごく当たり前の希望だったのではないでしょうか。しかし、子からすれば事情が違ってきます。破ってはいけない決まり事、制約のように感じてしまうのです。
つまり守っても、破っても「問題」を作ってしまうのです。
「こんな自分は嫌!」って言いたくなります。

これは一例ですが、こうした誤解から生まれた「観念」が本人の気が付かないところで、その後の生き方をコントロールします。
男とは、こういうものだ。
女とは、こういうものだ。
親というものは、こういうものだ。
人生とは、こういうものだ。
世の中とは、こういうものだ。
仕事とは、こういうものだ。
誰しもなにかしら「決めた事=観念」を持っているものです。
この「決めた事」が生きる上でネガティブな影響を与えているとしたら一大事ですね。それが真実なのか誤解なのかチェックした方がいいです。

なぜかわからないけれども問題が起きるわけ

例えば、両親がよくケンカをしていたとします。
口喧嘩から暴力的なケンカまで様々な形がありますが、それが子供に植え付けるメッセージは夫婦とはケンカをするものだというメッセージです。こうしたイメージが潜在意識の中にあると、恋愛関係や結婚生活で再現されてしまいます。たいていの場合、本人はそのことを意識しているわけではありません。ですが、なぜだかそうなってしまう、うまくいかないという事が起きます。

夫婦とはケンカをするものだという「観念」はもちろん普遍的なものではありません。
でも、その人の中では「ケンカ」が強烈に印象に残っているのです。あんなことになるのだったら、結婚しない方がマシって思ったとしても致し方ありません。ただ両親は意見の違いを解決する仕方を知らなかっただけかもしれません。
子どももまた解決方法を学ぶ機会を与えられないまま大人になっていきます。

意図していないのにどうしても問題が起きてしまう、なぜかわからないけれども嫌なことを繰り返してしまう。そんなときは決まり事だと思っている考え方=観念を見つめ直す時かもしれません。
間違っていたなら手放してください。
そして新しい選択をしてください。

女の子 飛び跳ねる

Posted by kiyo.I