自分とはスピリット=魂

解決できる力があるからこそ、その悩みや問題を持っているものです。逆に言えば悩みや問題を持つということは、あなたの中に解決できる能力が備わっているということを意味します。

あなたはどのようにその悩みや問題を解決できるのでしょうか?
どんな素晴らしい解決法を導き出せるのでしょうか?

普段、悩んだり考えている自分が自分?

人間関係やお金の問題、体や心の悩みや問題は誰にでもあります。その問題が根深く慢性的であればあるほど、イライラしたり絶望感にかられてしまうかもしれません。
でも、悩みや問題は解決できるからこそ出てきてしまうものです。真剣に向き合えばそこには成長するためのチャンスが有りご褒美があります。

ではなぜ簡単に解決できないのでしょうか?

その壁を超えると見えてくるもの

それは頭で考えてしまうからだと思っています。

たしかに悩みや問題は解決しようとしたら頭で考えるのが普通です。
私自身もついいろいろと考えてしまいます。考えて簡単に解決できるものはいいとして、解消できそうにもない悩みは考えれば考えるほど迷路にはまり込んでしまいます。そんな経験はありませんか?
考えれば考えるほど悪循環にハマり心は重く、どんよりとしてきます。過去の深刻なトラウマや容姿や体についてのコンプレックスは簡単に変えることができないのでなおさらです。

私たちは考える自分が自分だと思っています。当たり前すぎてそんなことをあらためて考えてみることすら普通はしません。考える自分というのは言い換えればエゴのことです。エゴの自分がエゴが作り出した悩みや問題を解決できると期待するのは賢明ではありません。そのうえエゴは問題をほじくり返すのが大好きです。解決したと思ってもしばらくするとまた以前の問題を蒸し返してたりします。エゴの自分で頭でいくら考えても解決しません。それは泥棒に泥棒を捕まえてくれと言っているようなものです。

エゴの自分でいると苦しい

シンプルに言ってしまうと悩みが解決できない究極の理由は、エゴの自分が自分だと思っているからです。エゴの自分=考えている普段の自分は本当の自分ではありません。
これが自分だと思っている自分=エゴの自分=今まさに考えている自分が自分ではないとしたらどんな自分があるの?ってことになりそうです。
本当の自分って何?って。

さて、何でしょう?

スピリット=魂の自分が本当の自分だと思います。こころにある(存在する)高い次元の自分です。エゴはその道具でありパートナーです。
エゴはその道具でありパートナーだとすれば、エゴという普段の自分が抱いている悩みや問題を俯瞰してみることができます。感情も俯瞰してみることができるので、巻き込まれることもありません。

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飛躍し過ぎに聞こえるかもしれません。

振り返ればカウンセリングやセラピーのやり方をスピリチュアルな心理学を学ぶことで知った私も結局の所、エゴの自分が自分だという立ち位置で生きてきたなってつくづく感じるようになりました。60数年生きてきてやっと気づきました。間抜けといえば間抜けですね。
きっかけは前にも記事にしたことがある大高さんのソースオブライトというセッションを受けてからの自分の中の変化でした。
エゴの自分は問題を作り出すだけではなくて解決することもできなかった。つくづくそう思うのです。なぜなら解決したと思ってもすぐに別の問題を探し出すからです。そうなりたい自分ではなくて、問題の方に意識の焦点を当てているからです。

なによりも頭で考える自分=エゴの自分が自分ではなく、スピリット=魂の自分が本当の自分だという生き方をするととても居心地がいいのです。

エゴの自分が悩みや問題を作る

エゴの自分で生きていると、他人と比較したり、自分を特別だと思い込んだり、反対に惨めだと責めてみたり、あの人は好きだけれど、この人は嫌いだと判断したり、まわりの人のしていることをジャッジして裁いたり、なにげないことで気分が良くなったり落ち込んだり、忙しいだけで何も達成感を感じることができず、つい文句を言いたくなったり、うまくいかないことがあると誰かのせいにしたくなったり、心の底から湧き上がらるような喜びもなく、笑っていても噂話や人の価値を下げるようなことで人に合わせて笑っていたり、こんなことを自動的に無意識にしている自分にも気が付かず、仮にそんなことの心理的な意味を知っている自分がいたとしても、頭の中に絶えず自然に浮かんでいる雑念は結局の所、自分を正当化したり、認めてもらいたがったり、人を責めたり自分を責める「ものがたり」でした。

いま思い出したのですが20年くらい前、こんな自分を変えたいと思ったのが心理学を学びたいと思った動機の一つだったと思い出しました。いろいろ知識は増えたし自らを癒やし成長できた自分もいますが、やっていることは同じようなことの繰り返し? 元の木阿弥だった? 手の平の狭い世界から一歩も出ていたわけではなかったんだと、、、。
だからといって後悔しているわけではありません。不思議ですが後悔の念って全く浮かんできません。それが自分だったし、ただそうだったんだというだけです。

月に向かって舟をこぐ

自分とはスピリット=魂

半世紀近い習慣性があるので一夜にしてエゴの自分ではなくスピリット=魂の自分が本当の自分だという生き方にチェンジできるわけではありませんが、頭ではなくこころで生きる、スピリット=魂の自分で生きると決めて意識をこころに置くと不思議なことに安心感が自然にもたらされます。自分の中が静かになっていくのを感じます。解決法がひらめきという形でやってきます。それがとても気持ちいい。エゴが見る世界=見える世界がリアルなのではなくて、見えない世界=スピリット=魂の世界がリアルなんだと思えてきました。特別なことでもなんでもなくて。

あぁ、この人、完全にあっちの世界に行っちゃったなんて思われるかもしれません。

それでいいんです。わたしもそういう人を見てそう思っていたときがありました。
私たちは物質世界に生きているうちに本当の自分としての在り方を忘れてしまったのです。毎日忙しくしてスマホ片手に外から情報を取り入れようとしています。それが自分を安心させてくれるかのように。

なにもしていないと不安になったりしていませんか?
絶えずなにかしていないと落ち着かないと思っていませんか?
その不安や落ち着かない気持ちがますますわたしたちを追い立ててしまいます。いつしか自分を見失ってしまうのもいたし方ありません。

何もしない時間を自分自身に与えてください。忙しく頭を働かせている自分にストップをかけてください。ゆったりとした時間を過ごせば自分の心と体の声に気がつきます。自分とはスピリット=魂だと気づくと宇宙が応援してくれるのですから。

最後までお読みいただきありがとうございました。

Posted by kiyo.I