天地創造の「光あれ」とは何だったのか?

天地創造とは、土星という惑星神の仕事だった

「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(「絵画で聖書」より引用)
旧約聖書の『創世記』は「光あれ」の言葉から始まります。そして、一日目、神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。二日目、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。神はそのおおぞらを天と名づけられた。三日目、、、と、天地創造の物語が記されています。

そこで、
「光あれ」とは何だったのか?
天地創造とは何だったのか?
また、宇宙は無から誕生したとか、無から有が生じたとか言われています。その説明はいずれも難解です。物理学から量子論、哲学、スピリチュアルな説まで様々な角度からされています。共通しているのは、ほとんどがまるで禅問答のように感じてしまうことです。

今回紹介するドワルドゥ・カルドナ氏によると、実際に世界が無から創造されたとする説は少ないのだそうです。例えば「アボリジニーによれば、天地創造とは、すでにそこにあったものを型にはめ、成形したものに過ぎない」といいます。また、 チリ南部のカウェスカルインディアンによると「創造主は星と訳されるゾラス」だったそうです。 また、カルドナ氏は「天地創造は無から生じたと信じる人もいます。エロヒムが、創世記に記載も示唆もされていない、無から創造したものは何でも創造したという誤った信念に関係しています」と指摘します。

では、神話で語られる創造主とはいったい誰? 何だったのでしょうか?

「神話学者たちを長年にわたって混乱させてきたことのひとつは、古代世界のほとんどの国で、創造主が土星の神であったということです」とカルドナ氏は指摘されています。
このような物事を捉えるうえで前提とも言える歴史的事実は初耳の方が多いかもしれません。ですが、神話で語られる創造とは、土星という惑星神の仕事だったのです。

そうすると、今日、夜空の”点”にしか見えない土星が天地創造という、事の始まりに関係する星だったのかという疑問が生まれます。現代人の普通の感覚だと、信じれない、バカバカしいという一言で却下されそうです。

ですが「土星は、かつて褐色矮星であった星の遺物であるということは、現在では天文学の主流となっている考え方です」
「学究的な世界も最終的に認めざるを得なかったのは、人類が先史時代から土星を知り、記録してきたということです」
つまり、地球は褐色矮星だった土星のまわりを回っていたのかもしれないのです。

2020年9月14日の「最初の褐色矮星発見から25周年」という記事によると、
「褐色矮星を研究する利点のひとつは、……『その性質は惑星の性質に似ているため、惑星を理解する上で重要なステップとなる』とも指摘する。そして何よりも、岩石質の惑星の表面に液体の水が存在する可能性のある領域、すなわち”居住可能ゾーン”に位置する惑星が存在する可能性を強調している。『近年、褐色矮星には居住可能な大気領域が存在する可能性が提唱されている』」

また、この動画で紹介されているスペイン国立研究評議会のマリア・ザパテロ・オソリオ教授は、この分野で国際レベルで最も権威のある専門家の1人だそうですが、2015年6月23日の記事「褐色矮星は、地球のような岩石質の惑星を居住可能ゾーンに持つ可能性がある」で 
・「では、褐色矮星は人が住めるような外惑星を持つ候補なのでしょうか?」という質問に答えて、
「居住可能性という概念は、さまざまな分野でまだ多くの研究が必要なものです。褐色矮星の周りを回る巨大惑星があることも、褐色矮星が原始惑星系円盤を持ち、そこで地球のような惑星が作られることも分かっています。褐色矮星には岩石質の惑星が存在する可能性があり、その一部は”ハビタブル(居住可能)ゾーン”にある可能性があることは疑う余地がありません。これは褐色矮星に非常に近いので、特定の意味を持ちます」

・さらに「褐色矮星はどのように進化するのでしょうか? その進化に影響を与えるプロセスとは?」という質問に、
「褐色矮星や浮遊惑星は、木星の数倍の大きさで、比較的高い温度でその一生をスタートさせます。時間が経つにつれて、褐色矮星は自身の重力のために冷えて小さくなります(内部で核反応が起きないため、熱力学的平衡に達するためのエネルギーがなく、縮小が止まらないのです)。最終的に褐色矮星は、木星と同じような温度で、木星と同じような体積の、非常に光度の低い天体となります。太陽系と同じくらい古い褐色矮星は、木星と同じくらいの大きさですが密度は数十倍もあります。これは理論的なシナリオですが、このような進化を裏付ける観測結果があります」と答えています。

つまり、電気宇宙論で予測している、地球は褐色矮星だった土星の衛星だったことの証拠が次々に見つかっているのです。

ですからカルドナ氏の次のような一見、現実離れした?結論にも納得がいきます。
「地球の原初の土星の太陽は、語られていないずいぶん長い間、空にぼんやりと示されていた後、創造の始まりとして記憶されている古代の先祖に眩しい光で燃え上がったのです。これがエロヒムが共有すると言われるフィーアト・ルクス、光あれでした」

要約
ドワルドゥ・カルドナ Dwardu Cardona は予期せぬ事態により出席できませんでした。そのためウォル・ソーンヒルがプレゼンテーションしました。
この講演では、天地創造として知られるようになったものが、無から生じたのではなく、既存の混沌とした物質から生じたものであり、とりわけ、神話史に”光を放つ radiating light ”として語り継がれる放射光を発する準褐色矮星を取り囲む天海として理解されていることが実証されます。
雑誌『クロノス』の元上級編集者、雑誌『イオン』の編集者であるドワルドゥは、100を優に超える論文を発表し、4冊の本を執筆しています。ゴッド・スター God Star, フレア・スター Flare Star, 原始の星 Primordial Star, メタモルフィック・スター Metamorphic Star(いずれも未邦訳)の4冊の著書があります。

ドワルドゥ・カルドナ:混沌からの秩序
Dwardu Cardona: Order Out of Chaos

ウォル・ソーンヒル
ウォル・ソーンヒル

ドワルドゥからプレゼンを頼まれた時は嬉しかったです。以前、ロンドンで一度だけ、彼が出席できなかったときにしたことがありました。ドワルドゥの仕事は、彼が70年代に『Pensée』に発表し、その後『Kronos』に掲載して以来、熱心に追いかけてきました。彼の仕事に魅了されていたからです。それはよく立証されていて、非常によく研究されており、私が必要とする素材、情報、データを提供してくれたからです。
何が起こったのかを解明し、それを科学の観点から説明することは必要なことです。私が発見したように、科学はドワドゥからの示唆(情報提供)に耐えられるよう、大きな修正が必要です。

つまり、惑星のシシカバブ(串焼き)はというのは、とんでもない挑戦なんです。そこで「混沌からの秩序」という彼のプレゼンテーションを紹介できることを非常に嬉しく思います。


旧約聖書の様々な翻訳によると、エロヒムという存在が天と地の創造に携わったとされています。これは、ユダヤ教・キリスト教の最も尊敬される教義の一つであるだけでなく、古今東西のあらゆる宗教の根底にあるものです。

面白いですね(マリナス・ファン・デル・スルイスの写真を出そうとしたが何も映らなかったことに対して
これは画像ファイルの互換性の問題のひとつだと思います。というのは、昨夜、私のコンピュータで見たとき、マリナス・ファン・デル・スルイスの写真がありました。彼はここにいて、後で発表する予定です。

で、とにかく、マリナス・ファン・デル・スルイス Marinus van der Sluijs は、すべての神話が創造神話であるとは言えないと公言していますが、これはまったくそのとおりです。しかし、フレッド・ブラットン Fred Bratton が正しく述べたように、創造神話はあらゆる神話の中で最も広く浸透しています。
(この画像はうまくいった)

デヴィッド・タルボット
デヴィッド・タルボット

また、デヴィッド・タルボットは「最古の天地創造の記述を見直すと、神話的なテーマでこれほど誤解されているものはないことがわかる」と書いていますが、まさにその通りです。ただ一つ付け加えるとすれば、これは最古の天地創造だけでなく、ほぼすべての天地創造に当てはまるということです。

このことが引き起こす複雑な問題のひとつは、これらの神話が地球の創造、あるいはさらに悪いことには宇宙の創造に言及していると信じられていることです。

地球が誕生した時にいなかった人間は、地球が形成されるのを見ることができなかったということは、ロケット科学者でなくともわかります。ましてや宇宙なんて!

では、なぜ、デヴィッド・タルボットが指摘したように、古代人は、あたかも自分の目で天地創造を見たかのように描写したのでしょうか?

ほとんどの人は信じられないかもしれませんが、古代の資料を見る限り、何もないところから解き放たれた天地創造の報告は、やや稀なのです。

スティーブン・ラングドン Stephen Langdon(※ギルガメシュ叙事詩の著者)が正しく指摘したように、私たちの手元にある伝統的な法律の最も古い記録を構成するシュメール神話には、考慮した証拠はありません。もし世界という言葉が、私たちの住む地球を意味するのであれば。同じような例は、同じ一般地域の最新の文明の文献にも見出すことができます。そして、さらに後から来た人たちの保証にもなっています。

紀元前1世紀の頃、シチリアの歴史家ディオドロス・シクロス Diodorus Siculus(シケリアのディオドロス)は、カルデア人は世界の実体は永遠であり、最初の始まりもなければ後の時代に破壊されることもないと言っている、と書くことができました。インドでは、ジャイナ教の教義に、世界は創造されないし、時間そのものも創造されない、どちらも始まりも終わりもない、というのがあります。ヒンズー教の入り組んだ神話には、複数の天地創造説がありますが、実際に世界が無から創造されたとする説は少ないのです。

ルクレティウス
ルクレティウス

ローマの詩人ルクレティウスは、たとえ神の力であっても、無から創られることはないと断言しています。しかし、もっと古い時代のことはどうでしょう。

原始人は、自分の住む世界が常にそこにあることを認識することができたのでしょうか?
そのような高度な概念は、果たして古代の人間の精神性を超えていたのでしょうか?

歴史的な時代には残念ながら踏み込めませんが、現存する部族集団の伝統的な法から推測することはできます。そして、結局のところ、non beginning(始まりが無い)の概念は、世界のいくつかの原始的な文化の理解を超えるものではありませんでした。

ポリネシア、ミクロネシア、メラネシア

従って、ハワイ諸島やニュージーランドを含むポリネシア、ミクロネシア、メラネシアの全域で、上界または天界と地界は永遠に存在し続けたと考えられています。

アボリジニー

オーストラリアのアボリジニーによれば、天地創造とは、すでにそこにあったものを型にはめ、成形したものに過ぎないといいます。そのため、この地はかつて存在しなかったかもしれないという考え方は、まったくもって想像を絶するものといえます。

エスキモー

また、北極圏のエスキモーほど、太平洋諸島やオーストラリアの原住民と異なる人種はないでしょう。しかし、彼らもまた同じような信念を持っていました。北極圏の人々の間では、世界の成り立ちについて意見が分かれていましたが、彼らのかなりの部分は、世界は常にそこにあったと信じ続けていました。

シベリアのトンガス

シベリアのトンガスの原始人たちも、宇宙と誤訳されるものは常に存在していると信じていました。もし、このような原始的な文化が、創世記は存在しないという哲学的な概念を理解できたなら、我々の古代の祖先は、肥沃な三日月地帯やナイル川流域、ギリシャの島々など、世界各地で興った高度な文明に先立ってその認識に至ることができたはずです。

それでも、キリスト教では今でもそうであるように、天地創造は無から生じたと信じる人もいます。しかし、これらの信念のほとんどは、一連の誤った解釈(誤訳)に基づいています。その一つは、エロヒムが、創世記に記載も示唆もされていない、無から創造したものは何でも創造したという誤った信念に関係しています。

偶然にも、古代人は、たとえ無秩序なものであっても、既存の物質が存在することを示唆しました。インドのオバディ・キム Obadi Kim は、このすべては、しばしば宇宙を意味すると誤解されているが、乱雑なカオスであると述べています。このように、当時存在したものはすべて空虚であり、形がなかったとされています。少なくとも古代人の目には、空虚で形のないものであったかもしれないが、それでも存在したのです。例えば、マヌ法典は、形がないにもかかわらず、世界、あるいは後に世界と理解されるようになったものは、すでに存在していたと考えられていることを正しく伝えています。

ベラコチャ

地球の裏側で、インカ帝国の神ベラコチャは、創造について語った方法の地域的なバリエーションに悩まされていました。とはいうものの、そのいずれにおいても、ベラコチャは、組織化されているとはいえ、すでに存在していた世界に介入した創造神であることが明らかにされています。ベラコチャの役割はカオスをコスモスに変えることであり、コスモスはもともと秩序、調和、整然とした配置を意味するので、創造とはカオスから秩序を形成することであると言えます。

これらの創造物はすべて、無からの創造物ではなく、既存の物質の単なるアレンジであったことが証明されています。天地創造の元となった主な既成のものは、マイエム May em であると言われています。通常、水と訳され、その上をいわゆるエロヒムの霊が創造の前に動いたと言われています。創世記のどこにも、エロヒムがマイエムを創造したとは書かれていないし、この概念は創世記にしかないことからも、この推論が妥当であることが分かります。エヌマ・エリシュ Enuma Elish として知られるバビロニア版の天地創造は、7枚の楔形石版で示されています。

エヌマ・エリシュ

創世記と同様に、水は原初の要素であるという名誉を与えられており、また創世記と同様に、何よりも先に存在したことが宣言されています。シュメール神話では、水は天地創造に先立つだけでなく、天地創造に関与しているとされています。このように、神々のリストを含む石版の中で、海の表意文字で名前を書かれたナンム Nammu の女神に出会うことができます。そして、このナンムこそ、天と地を生んだ母であると表現された海なのです。他の場所と同様、この原始の海の起源は説明されていません。

また、エジプトの天地創造神話では、水とカオスが既存の要素であり、そこから創造が始まったとされています。世界中の創造に関する神話を調査することで、このことをあまり重要視しないようにしてください。最も顕著な動機の一つは、事実上すべての神話において、通常宇宙と誤解されるものが原始の水からカオスから展開したという考えであることは容易に認識されます。しかし、このテーマの普遍性を説明するためには、聖書の世界での説法から離れなければなりません。

ナーラーヤナ

インドでは、ナーラーヤナが生涯にわたって原始の水に浮遊し、その後、残念ながら宇宙と誤解されているものを創造する、という多くの説話があります。後の神話では、ブラフマーが宇宙卵から孵化し、同じ原始の水に浮かんだとされています。

ブラフマー

ブラフマン(バラモン)のインド以外の部族でも、同様に「はじめは何もなく、水があった」と考えられています。アラスカのエスキモーの間で、または現在はイヌイットと呼ばれていますが、すべての存在がそこから生まれたという、水の深淵が先に存在したことを前提とした創造神話を見つけます。

さらに南下した北米では、ほとんどのアメリカン・インディアンによって、水からの創造が語られ続けています。ホピ Hopi 族は長い間、創造主が無限の空間から何かを集め、それが水として現れたと主張してきました。海もそうですが、宇宙空間を漂うものは、万物の霊 spirit of all として知られるヒーロン神 Hearon deity が創造に着手したとき、すでに存在していたと言われています。同様に、イロコイ Iroquois にも”万物の霊”と呼ばれる神がいて、波打つ穏やかな波がすでにあり、そこから創造すべきものを創造しました。しかし、ユマ(ユマインディアン)Yuma によれば「これがすべての始まりです。水だけがあり、その水から霧が立ち昇り、その水の奥底に創造主が住んでいた」

中米のナワトル Nahuatl の創世神話も同様で、原初の物質は水であったようです。マヤのポポル・ブフ Popol Vuh には、かなり複雑で難しい様式(作風)で創造が描かれていますが、それでも天の原初的な状態は空虚であり、静寂な海と訳されているものがすでに存在していたことが書かれています。

このように、創造主は、まだ暗い空の中心、まだ暗い海の中心、または彼がかすかに光るように見えた水の深さにあったとして記述されています。マヤに続いてアステカもこの点では同じで、彼らによると世界は海に囲まれた巨大な平らな空間であり、ある地点で海が湾曲して空になるのだそうです。上空は空の水 sky watersで構成されていました。
このほかにもいろいろなものがありますが、私の言いたいことはご理解いただけたと思います。

ここで疑問が生じます。なぜ古代人は水のカオスから世界が生まれたと考えたのだろうか?
なぜ水なのか、なぜカオスの水なのか?
そして、なぜこの水もまた創造される必要があると考えなかったのだろうか?

エジプトでは、天地創造は原始の水から展開されたと信じられていただけでなく、創造主自身も水から上昇したと信じられていました。しかし、より深く掘り下げてみると、エジプト人に関する限り、それは実際に創造主自身であったことがわかります。その創造主はまさに手の届かない水であり、創造は展開されたと言われています。さらに、これらの水から創造主が立ち上がることは、まさにその源から光の陰影を伴っていたのです。要するに、他の古代文明と同様に、天地創造に関するあらゆる推測の原点となるものです。

この最初の光(光がいっせいに飛び込んでくる様子)は、創世記の最初の行でエロヒムが放ったとされる光と一致しています。ラビの教義の信念では、原初の光がカオスの暗闇に差し込むことによって創造が可能になったということが、長い間、強調され続けてきました。

オシリス神

エジプトでは、オシリス神が同様に原初の光を放つ神とされていましたが、ピラミッド・テキストにある呪文は、同じオシリス神が海や大洋と同義であるとしています。この水のカオス、あるいは原初の海が天空に由来するものであることは、天空の水の淵と呼ばれることで証明されています。

最高神ラー

最高神ラーやレーも天の偉大な水の神として知られていました。ヒンドゥー教の神話でも、ヴァルナ Varuna という神は、海が水を集めて出現し、ブラフマーによって水の支配者として戴冠されたというだけでなく、彼自身が水であったと言われています。このような水が神と同一視されるとき、この特定の海や海洋が空に位置していたことは予想されることです。

しかし、この創造主は誰なのか、何なのか?

カウェスカル

チリ南部のカウェスカル Kawesqar インディアンは、原始的で、北の故郷から移ってきてからも、創造主は星と訳されるゾラス Xolas であると記憶しており、それは的を得ていました。

しかし、少し話を戻しましょう。神話学者たちを長年にわたって混乱させてきたことのひとつは、古代世界のほとんどの国で、創造主が土星の神であったということです。

土星

実際、デヴィッド・タルボットはこう述べています。
「天文学者が土星をかつての創造主の王と特定する一貫性は、並外れている」
芝生をまっすぐに刈り取って、私は西洋世界で最も有名な創造主の一人を指摘する必要があります。創世記で言及されている人物で、彼らはこう述べています。はじめに神は天と地を創造された。しかし、神と訳されているヘブライ語の単語はエロヒム Elohim であり、これはセム語族の神であるエル El の威厳ある複数形です。この名前のギリシャ語の訳はヘリオス Helios で、ビブロスのフィロ Philo of Byblos が土星のギリシャ語名であるクロノス Kronos と同一であると宣言した神です。ビブロスのフィロ以外にも、古典的な資料やギリシャ語、ラテン語の碑文から、エルがギリシャ語のクロノスと同一であることが判明しています。ラテン語のサトゥルヌス Saturnus と同じです。

クロノス

したがって、ウィリアム・オルブライトがエルをラテン語のサトゥルヌスと特定したのは、それほど大げさなことではなく、正しい判断でした。

サトゥルヌス

私は次に、ゾロアスター教の神話で、ズルワーン Zurvan(時間の神)が原初のまだ形を成さない物質を供給した、あるいは放出したと言われていることを指摘します。この古代の神は、最初の原理、最初の種、宇宙の父とみなされていました。そしてまた、さまざまな古代の文献によると、ズルワーンはギリシャの神クロノスや惑星サターンとも同一視されていました。

始皇帝

古代中国の資料では、カオスはおぼろげな古代に黄帝と呼ばれた始皇帝 Huangdi と同一視されています。
異なるバージョンの神話では、この黄帝は、創造の始まりとしてエレメンタルカオス Elemental Chaos(四大基本元素の無秩序)に秩序をもたらした責任があるとされています。しかし、始皇帝はまた、土星の惑星神の称号に由来します。始皇帝は創造主と見なされていたこともよく知られており、それは創造が土星の惑星神の仕事であったと宣言しているに等しいのです。

ギリシア人やローマ人の時代には、ましてや後世の人たちは、この観念が学者や宗教的気質のある人たちの心に染み込んでいて、はっきりとした言葉で綴ることができたのです。このように、”パリの偉大な魔法のパピルス”として一般に知られているこの神秘的な作品の中で、実際にギリシア人はクロノスを、私たちの住む世界の創始者として率直に呼んでいます。

ローマ人の間では、ヤヌス Janus 神が始まりの神とされ、創造における重要な役割を記述していました。このヤヌスはまた、創造が展開されたとされるカオスとしても知られています。アレクサンダー・ヒスロップ Alexander Hislop が指摘したように、ヤヌスは土星と容易に識別でき、それは現代に至るまで同じです。彼は神話や歴史的な内容の真実性よりも神秘的な哲学に関心があったようですが、デヴィッド・タルボットが気づいたように、土星という惑星が創造の原動力として迫ってくるという事実を、彼はよく認識していました。

地球に近接する褐色矮星

にもかかわらず、この創造は単なる惑星ではなく、問題の惑星はかつて地球に近接する褐色矮星であり、それが現在我々が知っている土星というガス状惑星に退化する前のものであったからです。

イマニュエル・ヴェリコフスキー
イマニュエル・ヴェリコフスキー

イマニュエル・ヴェリコフスキーが、土星はかつて現在よりずっと大きかったと仮定したのは1940年代初頭のことでした。彼は数々の問題で誤りがあったことが判明しましたが、この点については間違いなく彼の正当性が証明されました。土星は、かつて褐色矮星であった星の遺物であるということは、現在では天文学の主流となっている考え方です。

マリア・ザパテロ・オソリオ
マリア・ザパテロ・オソリオ

マリア・ザパテロ・オソリオ Maria Zapatero Osorio が今世紀の変わり目に報告したように、進化する褐色矮星は、やがて木星や土星のような姿になるでしょう。そして他の天文学者が同じ頃に述べたように、褐色矮星が木星や土星の若いころの姿を見る絶好の機会を与えてくれているのです。学究的な世界も最終的に認めざるを得なかったのは、人類が先史時代から土星を知り、記録してきたということです。

我々としては、地球は実はこの原始土星型矮星の衛星であり、その衛星は近くに大きく迫っていたと考えているので、これはそれほど理解が難しいことではなかったはずです。つまり、現在の太陽系の境界線の外側を自由に漂っていた太陽系における、地球の原始的な太陽だったのです。ウラジミール・ダムゴフ Vladimir Damgov らが指摘するように、褐色矮星は輝くのに十分な熱を発生しますが、赤外線でぼんやりとしか見えません。

褐色矮星

また、赤外線とともに生命の誕生と維持に必要であったはずの紫外線も放射しています。以前から存在した原始土星は、現在の惑星よりも高温であり、原始の熱をすべて除去するのに十分な時間がまだなかったのです。カッシーニ探査機が土星を間近に観察した後も、土星は高温の世界であると主張され続けています。

カッシーニ探査機

また、褐色矮星は、恒星の周りに検出される星周円盤と同じ、あるいはそれよりはるかに小さい星周円盤に囲まれていることが発見されています。

古代の祖先が子孫に伝えた水から判断すると、このような星周円盤は、原初の土星型太陽の周囲を星雲のような存在として取り囲んでいたことが記憶されているのです。言うまでもなく、古代人はこの星雲の正体を知る由もありません。

星周円盤

古代ヘブライの命名法では、この星雲は創世記の”トフ・ワ・ボフ Tohu wa- bohu”と名づけられました。エロヒムが創造したとされるものに対して、形がなく、空虚な、あるいは取り消すことのできる空っぽの入れ物 voidable empty と訳されてきたフレーズです。しかし、”トフ・ワ・ボフ” は ”カオスから” という意味もあり、古代の宇宙創生観では、創造の前に支配原理として存在していたカオスと一致しています。

中国人の間では、同じように混沌とした、あるいは間違いなく回転していると言われる星雲が、タオとして知られるようになりました。

北米のイウケ Iuke 族は、霧や泡が絶えず循環していると話していました。この霧は、インドネシアのある部族がピマ族に説明したものでもあります。フェニキア人は、風にそよぐ綿のようなものと言いました。それは、通常、泥と訳されるMôtであり、創造が展開されたとされる源と一致する水にもつながります。
(※ 以下の文は、上手く訳せませんでした)この回転する混沌とした霧や泡は、原始時代の先人たちが、太陽の周りを回っている、定義できない世界を表現するために選んだ形態の方法ではないのです。ある種の条件と活発な放出のもとで、このようなナディnadie(スペイン語で「名も無き者」?)を除外することは、渦を巻く水をグルグル回る海に見立てることでもあり、すべて理解できます。

渦を巻く水をグルグル回る海に見立てる

このことは、古代エジプトのヘリオポリテン Heliopoliten(※ヘリオポリス)というシステムで注目されています。というのも、最初に存在した巨大なカオスは、天の海であり、その中に創造の芽が埋め込まれていると信じられていたからです。

そして、天地創造は天の海から生まれたとされているので、原始土星円盤から発展してきたと言えます。さらに星に非常によく似ています。また、 褐色矮星は、少なくとも天体物理学者を驚かせるような激しい爆発をすることが知られています。

もし今、私たちが信じるのであれば、神話史的記録では、地球の原初の土星の太陽は、語られていないずいぶん長い間、空にぼんやりと示されていた後、創造の始まりとして記憶されている古代の先祖に眩しい光で燃え上がったのです。

原初の土星の太陽、眩しい光で燃え上がった

これが、エロヒムが分かち合うと言われるフィーアト・ルクス Fiat Lux(ラテン語、光が生まれますように)、光あれでした。

フィーアト・ルクス

地球上のどんな記述も、この出来事とそれに続くすべてのことを正当に評価することはできないでしょう。原始人の精神に与えた衝撃は、それを見なかった私たちには到底理解できないでしょう。もし、同じようなことが現在の空で起こり、私たちが生き延びることができたとしたら、今度は科学的な目で見るでしょう。しかし、原始時代には、その衝撃を説明する科学がありませんでした。彼らが自由に使えるのは、恐怖、尊敬、畏敬の念だけでした。

その光を受けて、先人たちは上空の太陽の姿が変わっていることに気づきました。

上空の太陽の姿が変わっている

突然明るくなっただけでなく、周囲をゆっくりと整理しているように見えたのです。原始土星はプラズマの発作的噴出により、星周円盤がコンパクトに収縮し、その内縁と恒星の軌道の間に大きな隙間ができていたのです。このことが何をもたらすのか、嫌う人もいるでしょう。しかし、タルボットは、古代の祖先が意味した創造とは何かという問いに対して、着想 idea は極めてシンプルだと表現しています。

その内縁と恒星の軌道の間に大きな隙間ができていた

創造主は自分自身の周りに天空の帯や輪を作り、その帯が彼の宇宙の住処となったのです。基本的にはそれだけです
私たちの祖先が使っていた言葉から判断すると、まさにそれを表現しようとしていたのです。

広く知られているように、エロヒムの創造のクライマックスとなる実体は、エデンの東の園(the garden East of Eden)として西洋の思想に受け継がれています。しかし、実際には、創世記には、エロヒムがエデンの東に庭を造ったと書かれており、of ではなく in という言葉(the garden eastward in the Eden)を強調したのです。

しかし、”東方”と訳されたヘブライ語の単語は、実際には”古代”を意味するので、それさえも誤訳です。そして、問題のフレーズは「エロヒムが古代のエデンに庭に植物を植えた Elohim planted a garden in ancient Eden」と読むべきで、”エデン”は”楽しい場所”と訳されています。

しかし、”園 garden ”と訳された言葉は、正しくは”囲われた場所”を意味します。この言葉はアッカド語の ”ガナ gana ” から派生したもので、”囲い an enclosure ” を意味します。
旧約聖書のギリシャ語版──セプトゥアギンタ Septuagint ──では、パラディソス paradisos という言葉が”庭 garden ”に使われており、この言葉は現在では”パラダイス Paradise ”と訳されています。この言葉はペルシャ語に由来し、”囲われた場所 enclosed area ”とも訳されています。

同じコンセプトは、ペルシャの信仰によく表れています。楽園を支配していたのはヒーマ Hima で、黄金の環で囲んだヴァーラ Vara と呼ばれる地域からそれを行っていました。

このことを強調するつもりはありませんが、現代の芸術家の中にも、この概念をよく理解していると思われる人たちがいます。例えば、ウィリアム・ブレイク William Blake は神の創造的努力に関する記述や描写を、ジョヴァンニ・ディ・パオロ Giovanni di Paolo はアダムとイブが園から追放される様子を描いていますが、彼らはいずれもエロヒムの創造的努力を円形の囲いとして想定しています。

「日の老いたる者」
ウィリアム・ブレイク
「日の老いたる者」
「天地創造と楽園からの追放」
ジョヴァンニ・ディ・パオロ
「天地創造と楽園からの追放」

それが、人間的な控えめなノスタルジーからくるものかどうかは、他の人の判断にゆだねます。このテーマについて、私は一日でも長く語り続けたいのですが、時間が許しません。

しかし、一番大事なことをはっきりさせておきます。原初の土星としての”土星” proto-Saturnian Saturn はその突然のフレアアップ(閃光)の後、光を放つプラズマ光線を生み出すのに時間はかかっておらず、人類をどこまでも魅了し続けたということです。そして、タルボットは、その結果がどうなったかについて、少なくともある程度は考えを変えたかもしれませんが、1980年当時、彼が描いていた方法を紹介します。私自身は今でもそう思っています。

土星神話

(この最後の一行、どう訳せばいいのか?)
神々が、もともと神を取り囲んでいた以前の混沌とした雲から整理を命じると、実際に降りたのはこの幻影の全体像だったのです。

そして、ドゥワルドゥからの言葉。
聴いてくれてありがとう。

──おわり

ドワルドゥ・カルドナという人

追悼:ドワルドゥ・カルドナ

これをお読みの方の中には、7月27日にドワルドゥ・カルドナが亡くなったことをすでにご存知の方もいらっしゃるでしょう。私たちの多くは、ドワルドゥの病気を知っていましたが、何となく、このまま長年続いていくことを想像していました。エレクトリック・ユニバースのコミュニティは、最も優れたパイオニアの一人を失いました。ドワルドゥ・エドワード・カルドナ(1937 – 2016年7月27日)はマルタで生まれ、育ち、教育を受け、1959年にカナダに移住しました。それから1年も経たない1960年半ばに、彼は天変地異説と太陽系の宇宙史の再構築の研究に携わるようになりました。その後、雑誌『クロノス』の寄稿編集者を務め、後に上級編集者に就任しました。さらにその後、雑誌『Aeon』の編集長を務めました。また、英国を拠点とする学際的研究協会の機関誌『年代学と天変地異のレビュー Chronology and Catastrophism Review』の顧問を務めました。一時期、コスモスとクロノス Cosmos & Chronos 社が主催するオシリス・シリーズの編集者を務めたこともあります。また『科学の最前線 Frontiers of Science』誌にも記事を寄稿しています。ドワルドゥの生涯の貢献は「土星説」を筆頭に100を超える論文と、God Star (2006), Flare Star (2007), Primordial Star (2009), Metamorphic Star (2011) という書籍に及んでいます。また、イタリアのベルガモ大学や、カナダ、アメリカ、イギリスの様々な団体で講演を行いました。サンダーボルト・プロジェクトやその前身であるクロニア・グループが主催するカンファレンスに参加した人々は、彼の洞察に満ちたプレゼンテーションや、他者との刺激的な会話から得た喜びを懐かしく思い出すことでしょう。
ドワルドゥのご遺族は、カナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバーにいる奥様のゲイリアです。
──デヴィッド・タルボット(サンダーボルト・プロジェクト)


私の親友が亡くなったことを、大きな悲しみとともにお知らせしなければなりません。癌で弱ったドワルドゥ(エドワード)・カルドナが、2016年7月27日未明、カナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバーで肺炎のため79歳で亡くなりました。ご存知のように、ドワルドゥは土星の役割と土星配置、それらが私たちの祖先に与えた影響、そして今日まで私たちが生きている間に受けている影響を発見することに生涯を捧げました。彼の5冊目となる最後の本『生まれたばかり星 Newborn Star』は、まもなく印刷される予定です。
──ケン・モス


ドワルドゥは、半世紀近くも私の仕事にインスピレーションを与えてくれています。私たちが自分自身や宇宙を理解するためには、科学的に答えを出さなければならないと私が感じていた地球の歴史について、彼は証拠を示してくれたのです。ヴェリコフスキーとともに、コペルニクス的革命を凌駕するパラダイムシフトである”電気宇宙”を提唱したのも、彼の功績です。彼は忘れ去られることはないでしょう。
──ウォル・ソーンヒル


ドワルドゥ・カルドナ。頭脳明晰な男がいた。それに、いい男でもあった。
──スティーブ・クロサーズ


私たちの様々な交流の中で、ドゥワルドゥは常に理性の声であり、完璧な紳士でした。彼がいなくなるのはとても寂しい。
──エヴ・コクラン

コメントから

James Kenyon
ウォル・ソーンヒルはいい卵で、ありがたいことに、ドワルドゥ・カルドナが入院していたとき、そばにいてあげることができたんだ。ご存知のように、私たちは昨年の夏にドワルドゥを失いました。彼はサンダーボルトチームの先輩であり、きっと寂しい思いをされることでしょう。この作品を作ってくれたウォルさん、ありがとうございました。

(「私は、彼の本をすべて読みました。素晴らしい作品です」というコメントに対して)このことを本当に理解してくれている人がいることを知るのは良いことです。ウォルも故ドワルドゥ・カルドナも、この地球上で最も賢い人たちの一人だと私は思っています。

科学や宇宙の研究だけでなく、歴史的な研究においても、この人たちの洞察力はいつか報われるという点では、私もまったく同じ考えです。私の考えでは、この情報を知らずに人類の歴史を理解することは不可能だと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

Posted by kiyo.I