誰かに否定されたとき、あなたが否定されたのでしょうか?

ランドスケープ

わたしたちは誰かに否定されたとき自分自身が否定されたと思います。
あたりまえですね。普通はそう思います。
自分の本当にしたいこと、言いたいこと、本音、それが否定されたとき、めげます。
否定した相手が親であれば、なおさら落ち込んでしまいます。反論したり抵抗したい気持ちも失せてしまいます。それは自分自身が否定されたと思うからです。でも果たしてそうなのでしょうか?

どうしていいのか?

否定されたのはあなたではないのかもしれない

立場を入れ替えて、あなたが誰かを否定したとします。確かにその人の言った事や行動を否定したことには違いありません。ですが否定したのは、その相手でしょうか?
否定したのは、相手ではなくあなたそのもの、実はあなた自身の内面にある可能性とか能力ではありませんか? 諦めてしまったあなたの「本当の気持」だったのではありませんか?

あなたが誰かに否定された時、否定されたのはあなたではありません。否定されたのは否定した当の本人なのです。あなたの中に自分を見たのです。自分の可能性とか能力、努力、やる気、才能を否定したのです。そこにはその人が否定された過去の悲しみがあります。傷ついた辛い思い出があります。その辛い傷を見たくなくて相手つまりあなたにぶつけたのです。
わたしたちが誰かの発言や行動を否定するとき、表面的にはその相手を否定しています。しかし、その前に自分自身のことを否定していたのです。

あなたがあなた自身を否定していなければ傷つくことはありません。

もしあなたが誰かに否定されて傷ついたとしたら、その前に、あなたがあなた自身のことを否定していたのです。あなたがあなた自身のことを否定していなければ、傷つくことはありません。否定されるようなことも起きません。誰かを批判したり否定したくなることもありません。

あなたがあなた自身のことを否定していたことに気が付いてください。それは誤解です。過去に何かがあって自分はダメだって誤解してしまったのです。それは癒すことで誤解を解くことができます。

次に否定されるようなことが起きたとき、それはあなた自身のことではなくて否定した当の本人のことなのだという感覚で観察してみてください。そうだったんだって気付くことができます。それが相手を理解する鍵になります。

だとすれば、否定した相手もあなたも実は同じ痛みを感じていたことが分かります。そしてあなたを否定した相手を憎い相手だと思うのではなく、実は助けてもらいたい気持ちが隠れていることに気が付くかもしれません。さらにあなたの助けを必要としている人なのだと思えてくるかもしれません。

あなたが自己否定の痛みから解放されたいように相手も自己否定の痛みや辛さから救われたいのです。否定的な自己イメージを手放してください。

水辺の石の上を歩く

以下の文はカウンセリング.COMで回答させていただいたときのものに手を加えたものです。

否定されたとき、
相手にも否定された悲しみがあります。

立場を逆にして想像してください。
言葉が詰まって涙が出てきて何も言えない人が目の前にいたとします。
あなたは何を感じますか?

その人も言葉が出ません。あなたと同じ思いをしているのです。
あなたが感じていたことと同じ思いを親もしています。そういう経験をしているから、言えなくなって、ぶっきらぼうになったり否定したりします。

心の中で、何が起きているのでしょうか?

わたしたちは誰でも子供の頃、親に分かってもらえなかった悔しさがあります。伝えようとしても伝えられないもどかしさ、幼いので表現できない悲しさ、そんな気持ちがあわさって、受け入れてもらえなかった、否定された、そういう悲しみを、心の中に持っています。
それは、あなたの親も、またその親も例外ではありません。だから、そんな情景を思い浮かべるとなにか悲しくなってきます。

泣きながら話すと相手の中に、その悲しさを思い出させます。
相手は、その悲しさには蓋をして見ないようにしていたので、二度と見たくないし思い出したくもないのです。ところが、あなたがそれを思い出させると、その時の気持ちがよみがえって否定したくなり、無視したりさっさと片づけて次のことに目をそらしたくなるんです。

あなたが友達や親に否定されたとき、あなたを否定しているのではありません。相手の心の中にある悲しい気持ちを否定しているのです。
でも、あなたから見れば、自分が否定されたようにしか見えません。

あなたのなかには、この受け入れてもらえなかった悲しみがいっぱいあるのだと思います。だから、自分の意見を言おうとした時、このときの悲しい気持ちが一緒に出てきます。

Posted by kiyo.I