劣等感 正面から向き合うと
劣等感で苦しみ悩むことはとてもつらいです。容姿や能力が人より劣っているという思い込みのため、誰にも相談できず一人悩み、自分は孤立無援で誰も助けてはくれないという気持ちになります。
私もそうでした。
劣等感のかたまりで、劣等感の見本市みたいな存在でした。ここから抜け出せるなんて思いませんでした。
こんな私でも劣等感が気にならない程度にはなりました。
劣等感で苦しみ続けたいですか?
その目的は何でしょうか?
どんなにネガティブなことでも人間がしていることには目的があり、何かしらのメリットがあるからしています。意外に思われるかもしれませんが、何か得るものがあるから、つらいことでもあえてします。
こんな質問を自分にしてみます。
「劣等感を感じることで得ているものは何ですか?」
「劣等感で苦しむことで復讐している相手は誰ですか?」
考えてはいけません。直感で浮かぶものを信頼してください。
何が浮かんできたでしょうか?
得ているものは、例えば、何もしなくていい言い訳。責任を取らなくてよい言い訳。できないことの都合の良い言い訳になる。こんな辛い気持ちでいる自分を見て欲しい、慰めて欲しいという思いを刺激できる。わたしってこんな辛い気持ちでも耐えているのよって見せつけられる。こんな風に生んでくれて育ててくれた恨みつらみ。
復讐している相手は、父親や母親。学校のひどい先生。etc.
浮かんでくることを紙に書くといいかもしれません。
得ていることにそれだけの価値はありましたか?
浮かんできたことに対して、次の質問です。
「それをこれからもず~っと選択し続けますか?」
まさか、続けたいわけがないと思った瞬間、引っかかるものがあります。まだ気が済んだわけじゃないって声が聞こえてきます。まだ何かしたりないような気がします。やめたい、でも止められない。辛いと身に染みてわかっているのに終わらせられない。こころがふたつに分裂します。前にも行けない、後ろにも引けない、にっちもさっちもいきません。
劣等感を使って自分を責め続ける事は、自ら進んで牢屋に入るようなものです。単調な毎日の繰り返しで、自由は決してやってきません。囚われの気分です。
責めることに時間を浪費したいのでしょうか? 誰かに、お前のせいだと言って復讐したいのでしょうか? 復讐してもいい気分になることはありません。
それに、得ているものより失っているもののほうが大きいのではないでしょうか?
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これから始まる「ものがたり」は劣等感から抜け出す、ひとつのたとえ話です。
劣等感のドラマは自作自演の一人芝居。
Bさんは人には言えない劣等感がありました。
打ち明けると恥ずかしいという思いがあるせいで、親しい友人にも相談することができないでいました。
他の人から見ると何でそんなことを気にするの? というようなことかもしれません。
ても、Bさんにとってはとても深刻です。
そのことが気になって、何をするにしても、うまくいかなかったり、なぜか失敗して恥をかいたり、やる気が失せてしまうことがしょっちゅうでした。
しかし、好きなことに熱中している時は、まったく気にも留めていないこともBさんは気付いていました。
そんな時でも何かにつまずくと、あの劣等感がもたげてきて、また嫌な気持ちになってしまいます。そんな時はきまって子供の頃、兄弟姉妹や周りの知り合いと比較されて、「お前はどうして出来ないんだ」とか、「あの子はよくできていい子なのに、おまえは」と言われてきたことが浮かんできます。
本や雑誌で、自分の欠点を長所に変えて、むしろ武器にしなさいといったようなことを読んだり、聞いたりすることがありました。Bさんにもそうしたい意欲はあります。
気持ちが高揚している時ならまだ受け入れることができます。反対に沈んでいる時は、それどころではなくなって、自分の気持ちなんて誰にもわかるはずがない!と叫びたくなります。
そういう時はなおさら自分がますます小さくなって、縮こまっていく感じがしていました。そして、劣等感に思い悩めば悩むほど、ドツボにハマって何もしたくないし、誰にも会いたくなくなっていました。
こんな思いから早く逃れたいと思っていたある日、劣等感から逃げても逃げても追いかけてくるのなら、向き合ってみたらどうだろうか? という考えが浮かびました。
劣等感と向き合う?
生まれて初めての感覚のような気がします。これまではこの怪物から逃げるように避けてきました。それは自分の短所を見つめると嫌な感じがしていたからでした。その感情を感じたくなかったのです。今、こうしてその感情と向き合ってみると、何だろう?
その正体は?
不思議なことに、よくわからないのです。
確かに、自分の欠点や短所を見つけると、それがあるせいで自分はこうなっているんだという、嫌な思いにとらわれました。さらに向き合って見つめていくと、同じ嫌な思いを何度も積み重ねていくと、嫌な思いが嫌な思いを雪だるま式に大きくしているようにみえます。そうしたら、自分が劣等感という怪物に振り回されていたようにも思えます。しかも、この怪物は自分が作り育ててきたものです。
さらに気付いたことは、劣等感という意識を使って何もしなくていいという言い訳使っていることでした。自分の欠点や短所に気を取られることで、前にも未来にも意識が向かないのです。なりたい自分とか、目指したい将来に。これでは前に進めません。逆方向に走る車に乗って方向が逆だと叫んでいるようなものです。
いつもは自分を責める材料に使っていた劣等感はこのときばかりは、都合のよい言い訳になっています。
コンプレックスを都合よく使っている自分?
あるときは、欠点や短所で自分を責める。あるときは、言い訳に利用して得をする。なんだか変かも? そんな疑問が湧いてきました。
あるときは責めて、別の時には、うまく利用している。
それに、自分の気にしているその部分を責めれば責めるほどその部分はますます大きく見えてきます。まるで怪物のようです。それはわざわざそこにエネルギーを注いで強く大きくしているようなものです。
責めれば責めるほど、ネガティブな思いが大きくなってくる。そのネガティブな思いが自分を押しつぶす。自作自演です。観客は一人です。
そう気づくと、バカバカしくなってきました。なんて愚かなことをしていたんだろう?
この愚かな行為で自分を責め、時には周りの人まで責めはり文句を言ったりしている?
このことに気付いたら、こんなことはもうやめにしよう!という言葉が思わず出てきました。そう決めると、やっと牢獄から抜け出せたような気分がします。重しがはずれて、思いっきり背伸びしたくなりました。