ブスでブサイクな自分が辛い。

肉体(顔)は意識に従います

顔があなただとすると、顔を変えない限り変わることができません。顔や容姿、肉体だけが人間ではありません。肉体は意識に従います。逆ではありません。

ブスだとかブサイクだと言って悩んでいる人にわたしがなにか言えるような資格はありません。百も承知です。
わたしも一時期コンプレックスで悩んでいたので痛いほどわかります。どんな勇気づける言葉も見方を変えるようなアドバイスも慰めの言葉も心に響きません。こころは鉛のように重くからだはハリネズミのように人を寄せ付けません。
ですが自分はこの肉体だけではないということを知れば光が見えてくるかもしれません。

自分の顔をブスだとかブサイクだと決めつけると、顔はもっとブス、ブサイクになることで、あなたの気持ちに応えてくれます。

容姿についての悩みは尽きない

容姿についての悩みは尽きることがありません。気にすればするほど気になってしまいます。終わりがありません。
容姿のことでコンプレックスを持っていると、そのことばかり考えてしまいます。たとえ人間の価値は容姿だけで判断されるわけではないと知っていたとしても納得できません。

容姿のことで自分を責めているので、どうしても周りの目が気になります。他人のちょっとした仕草も、すべて自分に関係しているように思えてきます。
容姿のことを気にしているので、まわりの人もそれを気にしているに違いないと思えてきます。そのうえ産んでくれた親への恨みつらみもあるかもしれません。

ですが、一生を容姿の悩みに捧げますか? それでは痛みを伴う人生になってしまいませんか? そうしたいですか?

足元の画像 一人

顔があなたでしょうか?

あなたの顔=あなた自身、でしょうか? 仮にブスでブサイクだとすると、ブスでブサイクが自分自身ですからブスでブサイク以外なりようがないことになります。一生ブスでブサイクだと責め続けなくてはなりません。

仮にブスでブサイクだとしても、ブスでブサイクだと言って顔=自分をいじめ続けますか? いじめるといじめられた相手=顔はどうなりますか?
きっと悲しいのではないでしょうか? 隠れる場所もなく、味方はどこにもいなくて寂しくって。

自分をいじめるよりも受け入れた方がいいのではないでしょうか?
顔=認めていなかった自分も仲間に入れてもらって嬉しいだろうし、なによりも救われます。いじめるよりも磨いていった方が建設的ではないですか? 味わいのある顔、癒される顔、優しい顔、美しいだけが顔ではありません。

容姿の悩みのもとは意外なことに、、、

一方、容姿のことなどまったく気にしてないように見える人もいます。何が違うのでしょうか?
その悩みは卒業したのでしょうか?
開き直っているだけなのでしょうか?
逆にそれを武器にしてうまく活かしている人もいます。
何が劣等感意識を刺激してしまうのでしょうか?
もしかしたら意外なことに、そこには注目を集めたい気持ちが隠れているのかもしれません。注目を集めるためには、この容姿では不十分だと思っているのだとしたらどうでしょうか?

容姿が気になるのは注目を集めたいからかもしれません

容姿が劣っていると思うことと、注目を集めたい気持ちとは、なんだか矛盾しているように思えます。ですが、注目を集めたい気持ちがあるからこそ容姿のことが悩みの種になるのだとしたら、辻褄が合います。だとしたら容姿に対する見方が少し変わってきませんか?

コンプレックスの奥にある本当の欲求を隠しているのです。劣等感で悩んでいるようにみえて、実は注目を集めたいという気持ちが隠れているのかもしれません。注目を集めたいという気持ちが傷ついてしまったのです。

そうなると、注目を集めたい欲求は劣等感を刺激する燃料のようなものです。
誰にでも注目を集めたい気持ちはあります。自分のことを知って欲しいのです。認めてもらいたいものです。ですが、この欲求に気づくとこれまでの容姿についての悩みが違って見えてくるのではないでしょうか?

注目を集めるためのツールは容姿だけですか?
容姿が気になる動機が注目を集めたい心にあるとしたら、容姿ではなく別のことでその気持ちを叶えられるかもしれません。きっと自分でも気づかなかった才能が眠っているはずです。
さらに、注目を集めたい、関心を引きたいという気持ちさえも手放せればいいですね。なにものにも揺らぐことなく最強です。

スピリットの目的

顔があなただとすると、顔を変えない限りあなたは変わることができません。顔や容姿、肉体だけが人間ではありません。心とか精神、魂(スピリット)と言われているもの総体が人間です。人間は動物と違って霊的な存在です。肉体は入れ物です。
スピリットがその体を選んで生まれてきたのだと思ってみてください。
そこにはどのような目的があったのでしょうか?
どんな体験をしたかったのでしょうか?

ブスでブサイクだと言って責めていると、あたかも顔だけが大切かのように思えてきます。あなたは「顔」ではありません。肉体でもありません。そんなちっちゃいところに自分を押し込めないでください。それは本当の自分を思い出す旅でもあります。

不安や恐れを手放す瞑想CDブック
ソニア・ショケット
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 420,792

以下の文はカウンセリング.COMで回答させていただいたときのものに手を加えたものです。

ブサイクだと決めつけることで得られるものは何ですか?

いいところを探してくださいといわれたとしても、考え方を変えましょうと言われたとしても、いろいろもっともらしいことを提案されても、慰めにしか感じることができません。それほど容姿についての悩みはつきることがありません。

それにコンプレックスにはまりこんでしまうと抜け出すことはとても大変です。一生そのことで悩み続けることになりかねません。

気にしていると、見られている、噂されているとつい考えてしまいます。
この「されている」というのは、半分は自意識過剰です。ですが、この思い込みを吹っ切ることは難しいです。自分で気にしている以上、どうしてもそこに戻ってしまいます。

試しに、こう思ってみてください。

まわりの視線を集めるためにブスだということを利用しているのだと思ってみてください。シミュレーションのような感覚で。

自ら、関心を引くためにブサイクだといって自分を責めているのだと思ってみてください。ありえないことかもしれませんが、試してみてください。

ブサイクだと思うことで、得たいものがあるから、そうしているのだと思ってみてください。フッと浮かんでくるものがありませんか?

「されている」のではなく、実は、自ら進んでそうしているのだと仮定してみてください。そういうふりをしてみると、何か浮かんでくるものがあるはずです。

「されている」立場でいると、無力さ、みじめさ、自信のなさを感じるだけです。嫌な気持ちを増幅させるだけです。
反対に、能動的に自分からしているのだととらえると、何かが違って見えてきませんか?

自分の中にある注目を集めたい気持ちにも気づいてください。
注目をあつめるためにはブサイクな自分だとダメだと言って責めているのかもしれません。
自信と顔はまったく別のことだと気付けるはずです。

天使イラスト


最後までお読みいただきありがとうございました。

Posted by kiyo.I