罪悪感のメリットはなんでしょう?
罪悪感にはメリットがある?
不思議なことに人は罪悪感で自分を責めたり、他人を攻撃するのが好きなのかもしれません。そう思えてしまう時があります。私にもそういうところがありました。まるで、そうすればなんとかなって問題も解決するかのように思っていました。
わたしが若い頃は罪悪感という言葉はあまり使われていませんでした。だから真剣に考えたこともなく、どうすればいいのかなんて情報もありませんでした。考え直すきっかけもなく誰からも教えられず完全に無知でした。自分のことなのにどうしていいのか分かりませんでした。
自分自身に質問をしてみてください。
なにか嫌なことがあった時のことを思い出してみて、
「これが起きたことで、どうして自分自身を責めたのでしょうか?」
「これがあったことで、なぜあの人を攻撃したのでしょうか?」
ゆっくり時間をかけてハートで感じながら問いかけてみてくださいね。
責めたり、攻撃することで何か改善されましたか?
罪悪感があると、人や自分に対して攻撃的になったり、自分を責めて引きこもり自分には価値がないと感じます。感じれば感じるほど価値が無いという「信念」を埋め合わせようとして「いい人」のフリをしてしまいます。そしてストレスを感じて疲れ果ててしまいます。
罪悪感を何のために使っているのでしょうか?
罪悪感にハマっているとしたら、そこにはなにか「メリット=得られるもの」があります。
そんなの嘘だと思いますか?
試しに「ある」ってフリをしてみてください。
何か浮かんできませんか?
嫌だと思っていても、そこから何かが得られると思っているものがあるから手放せません。それがたとえ辛い悲しい思いであったとしても。
いったい何を得ているのでしょうか?
罪悪感で罰すると、あたかも務めを果たしたような気分になれます。他の誰かに言われなくても、自分でちゃんと処理しているような気になれます。でも終わりがないところが罪悪感の怖さです。罪悪感はあなたを閉じ込める罠です。
罪悪感で自分を罰すれば罰するほど気分は悪くなります。
悪くなればなるほど自分が悪いと確信するようになります。
さらに自分に罰を与えて抜け出せなくなります。
終わりのないループです。
そろそろお終いにしませんか?
この堂々巡りからどうすれば抜け出せるのでしょうか?
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この「ものがたり」が役に立つかもしれません。
罰しても何もよくならない
また、やってしまった! Gさんの口からため息がもれます。任されていた仕事で、チョットしたミスをしてしまったようです。
そんな時、Gさんはいつも自分を責めます。人のせいにだってできるのに、責めてしまうのは自分です。
なんで? やってしまったんだろう? あの時、もっと注意しておけば。少し気を抜いたせいで。体調、悪かったし。もう少し努力していれば。次から次へと反省する材料が出てきます。その度に、落ち込んでしまいます。
まわりの人たちはどちらかというと同情的です。むしろそんな全部自分のせいにしなくていいよ、全員の責任だから。一人で背負い込まなくてもたいしたことないから。気にしないで、自分を責めすぎじゃないの? 身体に毒だよ。そんな声が聞こえてきます。
まわりがそう言ってくれても、Gさんには自分が許せません。どうしても自分の落ち度が気になって仕方ないのです。
ある日のこと、同僚のCさんが大変なヘマをやってしまいました。Gさんからすれば、誰とも顔を合わせたくなくなるような大失敗です。
ところが、Cさんあっけらかんとしています。失敗は成功のもととか、いい勉強になったとか、軽い冗談まで口にしています。
それを聞いたGさん、あきれて、開いた口が塞がりません。なぜかふつふつと怒りが湧いてきました。体の具合まで悪くなってしまいそうです。こんなときは他人を責めるだけでなく自分まで責めてしまいます。爆発しそうな憤りを抑えて、「Cさん、気楽でいいね」と皮肉を言うのが精一杯です。
こんなときには悪いことが重なるものです。
横断歩道で自転車から降りて信号待ちをしていたら、左折した車が突然、目の前で止まって車から降りたかと思うと、自分の方になにやら叫びながら向かってきます。自転車に蹴りを入れてきます。この人、あたま、おかしいのかな? 身に覚えのない、いいがかりなので気が動転してしまいます。幸いまわりにいた人たちの助けもあって大事には至りませんでした。
Gさんにとって、なんでこんなことが起きるんだろう? なにも私は悪くないのに。そんな思いで頭がいっぱいになります。そのうえ、また見知らぬ誰かに何かされるのではないかという不安と恐怖感で夜も眠れません。そのせいかもしれませんが自宅で階段から滑り落ちてしまいました。全治一か月。なんとついてない! 自分を呪いたい気分です。かたや、あのCさん、近々、結婚するという噂です。
踏んだり蹴ったりとはこのことを言うのかと、余計、惨めな思いがしてきました。
動けない毎日、Gさんにとって最悪の日々が過ぎていきます。考えることは、どうして悪いことばかり起きるのか? 何をしたっていうのか? ぜんぶ自分のなにかが悪いせいなのかも? いやいや自分だけではない、あのひとだって同じようなもの。そんなことばかり頭に浮かびます。
Gさんは堂々巡りしている自分に疲れ果ててしまいます。考えても何も出てきません。
横になって、ボーっと天井を眺めていると、ふ~っと友達の顔が浮かんできました。しばらく会っていません。けがも治りかけていたので、Gさんは久しぶりに会ってみることにしました。
そうだ、会っていろいろと話してみよう!
昔話に花が咲いて、気が付くと、Gさんは最近あったことを一気にしゃべってしまっていました。胸の中のつっかえが取れたような気分です。なんだか自分ばかり責めていた自分が馬鹿らしく思えてきました。
相手の友達も似たような経験をしていました。おしゃべりをしながら、友達の体験談がとても役に立ちました。
その友達は自分に罰を与えたり自分の何かが悪いといって自分を責めてしまうと、自分を攻撃したり他人に批判的になるといいます。
フムフムと聞きながらなんとなくわかってきたことがありました。
自分を罰すれば罰するほど気分は悪くなりました。気分が悪くなればなるほど自分が悪いと確信するようになりました。そこからさらに自分に罪悪感や惨めさを感じて抜け出せなくなっていました。困ったことにまわりの人に対して批判的になっていました。
自分を責めて罪悪感で罰するのは辛いことだらけでなにもいいことがありませんでした。なんでこんなことしていたんだろう?
悪いことを償いたかったのに、罰していても何かが良くなるわけではありませんでした。むしろ悪化するだけでした。そのことに気が付きませんでした。
間違ったらそれを正すだけでよかったのです。訂正するだけなら許すも許さないもありません。
Gさんはおかげで、罪悪感の堂々巡りから脱することができたようです。
やめると決めさえすれば終わります。