被害者意識の罠。身近な人を避けていませんか?
罪悪感がとても強いと、心と体を虐待してしまいます。まわりのすべての人たちがあなたを攻撃しているかのように感じます。
例えばこんな経験はありませんか?
ヒソヒソ話が自分の悪口を言っているように聞こえてくる。
見つめられると非難されているように思うことがある。
知らない人の楽しそうなおしゃべりでバカにされたような気分になったりすることがある。
誰かにおいて行かれると捨てられたような気がしてくる。
ちょっとした注意がパワハラに感じられ傷ついたりする。
リスカをしても、まだまだ足りないと思う。
誰かにしてもいないことをしたと非難されると、事実でもないのに自分がしたのかも知れないと思えてくる。
罪悪感が強いと、まわりの人の話、しぐさ、あらゆることすべてが自分への悪意ある攻撃に思えてきます。
自分への悪意ある攻撃?
これらはすべて罪悪感のなせる業です。
被害妄想だと言われても、その人にとってはリアルな現実です。どうしてわかってくれないのって言いたくなります。リアルな現実にしか感じられないので、そう思って対処すると、まわりから反撃を食らってしまいます。
「やっぱり、、、」いっそう、その人の中では現実味が増します。
身近な人を攻撃していませんか?
これは「罠」です。自虐という世界に閉じ込める罠です。
まわりの人があなたを責めているのではありません。
本当は自分で自分のことを責めてしまっているのです。
その前にそう感じている本人が自分自身を責めていることに気付いてください。
『神様、罰しないでください。もう十分、わたしは自分で自分を罰していますから』って言い回しがあります。その通りなんです。自分で自分を責めているから、まわりから責められているように感じます。逆ではありません。
被害者意識(被害妄想)というのは裏返せば、すべてが自分についてのものだという意識です。
もしかしたらそれは少々"傲慢"ではないでしょうか?
この”傲慢さ”が悪意あるすべての行為が自分自身に関係していると思わせてしまいます。
ですが、自らの”傲慢さ”に気づくことで大きく飛躍することもできます。
まわりの人が自分を責めていると感じ自分は被害者だと思います。
ですが、自分で自分を責めた後、その矛先は身近な人に向けられ、今度は反対にまわりの人を責めていませんか?
責めるとますます孤立します。
「被害者」は実は「加害者」でもあります。
誰を責めているのでしょうか?
誰を攻撃しているのでしょうか?
これからも続けていきたいのでしょうか?
それでは自分もまわりの人もうまくいきません。人も自分自身も責めることを手放してください。
責める理由なんて実はないのですから。
以下の文はカウンセリング.COMで回答させていただいたときのものに手を加えたものです。
「悪いのはわたし」は誤解です
みんなの声が悪口に聞こえてしまうとしたら、それは罪悪感のせいです。
罪悪感が強いと、何気ない周りの人の話でさえ自分のことについてしゃべっているように聞こえてきます。悪いうわさ話をしているのに違いないと思えてきます。
いつも自分のことを責めていませんか?
結局、悪いのは自分って思っていませんか?
何かしてしまったことで自分を責めていると、まわりの人が自分を責めていると感じます。
本当は自分が自分を責めてしまっているのに。
リスカも首を絞めてしまうのも、自分の何かが悪いと感じていることで、自分を罰しているのです。
もしかしたら罰した瞬間はするべきことをした「安堵感」があるかもしれません。しかし次にはもっと大きな罪悪感が襲ってきます。
これはすべて「悪いのはわたし」という誤解の上に成り立っています。でも過去にただ思い違いをしただけなのです。
誤解が始まったところに戻り、なぜそうなったか理解し、解消することができます。
罪悪感は幻想だと分かれば、安らぎと平和な気持ちを取り戻すことができます。
自分には罪がない事がわかれば、罰することもなくなります。