親に否定された仕返しに、同じように親を拒絶しますか?
親から言われる言葉には抵抗しがたいです。言われたことがネガティブに聞こえてしまうのは、褒められるよりも叱られることが圧倒的に多かったからかもしれません。次第にそれが心の傷になっていきます。
ポジティブな言葉は歓迎ですが、気にしてたことや劣等感を刺激されると、ネガティブに受けとってしまいます。反発して自分を守るために逃げてしまうか、あまりにも辛すぎると逆襲する人もいます。否定され続けると無視したくなります。
なぜこれほどまでに親の一言は「効く」のでしょうか?
親のネガティブな言葉が気になって仕方がない
とりわけ親からの一言はストレートに伝わってきます。その後も呪文のようにじわりじわりと効いてきます。両親には逆らえない、親の一言に翻弄されるという関係(=依存)が役割の形で出来上がっています。普通はこの依存という関係が嫌で自立していきます。ただこのような自立の仕方は反発ですから依存していた時の傷ついた思いはそのまま解決されずに残っています。
親から言われたことを無視することもできず気になってしまうのは、過去の傷ついた思いが「共鳴」するからです。むかし傷ついた嫌な気持ちが未解決のまま残っているからです。それがなければ、気になることはありません。
気になるという事は、言われる前にすでに気にしていたからではありませんか? あらかじめ自分の中にあったのです。親の一言が引き金を引きます。親以外の他の人でも同じです。親から離れて暮らしていても、たとえ親が亡くなったとしても思い出されてしまいます。
気になって仕方ないという事は、そのことが未だに解決されていないという事です。ですから何度でも「顔」を出します。そんな「顔」は見たくもないかもしれませんが、残念ながら解決されるまで繰り返し出てきます。
それはつまり解決しなさいというサインです。ではどう解決すればいいのでしょうか?
親に否定されたから、同じように親を否定しますか?
親からさんざん否定され続けたら逃げ出したくなるか、言い返したくなります。否定されたからといって、親を否定して仕返しをしますか? それでは親と全く同じことをしていることになりませんか? 子どもができたとしたら、同じように子どもにしてしまうかもしれません。そうなると世代間にわたってネガティブな連鎖が続くことになります。
許すという選択
どうしてだかわからないけれど、ついまわりの人を親と同じようにネガティブに見てしまっていますか?
それとも、あんなふうには絶対なりたくないですか? でもなぜか結局はネガティブに見てしまう自分に気が付いて戸惑いを感じ困惑していますか?
逃げても否定し返しても親の呪縛から自由にはなれません。親はなぜあのような親だったのでしょうか? あのようになりたくてそうしていたのでしょうか?
あなたの親もそのまた親から同じようにされてきたのかもしれません。あのようにしかできなかったのです。同じ苦しみを親も味わってきたのです。それを理解してください。だとしたら許すことはできませんか?
許さないという選択をし続けるとしたら、将来はどうなっていますか?
同じことの繰り返しではありませんか?
許すという選択をしたらどうでしょうか?
将来はどうなっていますか?