「どうして、なんで自分は?」と考えても悩みは終わらない
困ったことや大変なことがあると「なぜどうして?」って思い悩むことありませんか? わたしたちは問題があるとごく当然のように「なぜどうして?」って考えます。
「なんでこんなことに?」
「なぜこんな目に合わなくてはならないんだろう?」
「なんであの人はいつもこうなんだろう?」
「なぜいつも同じようなことが起きるのだろう?」
「なんでいつも自分ばっかり」
「なぜどうして?」って考えてしまうのは当たり前というか普通のことです。そこから先の行動パターンは人それぞれです。気にしない人もいるし、誰にも言えず一人で悩んでしまう人もいるし、誰かに相談したり気分転換を図ったりする人もいます。
ところでその疑問や問いかけがスッキリ解決したことはありましたか? 案外スッキリ解決!とはいかなかったのではないでしょうか? 解決したと思っていても不信感が出てきたり次の疑問が湧いてきて、またもや同じようなことで思い悩んでしまったということはありませんか? 深刻な問題や悩みであればなおさらではないでしょうか?
「なぜどうして?」の答えは見つからない
もしかしたら「なぜどうして?」の答えはないのかもしれません。いっとき解決したと思って納得できたとしても、なにか別のことが持ち上がると同じように考え込んでしまうとしたら解決していなかったということでしょう?
「なぜ?」という質問は次から次へと新たな「なぜ?」を引き出してしまいます。あるレベルで解決できたと思っても、もっと深いレベルで疑問が湧いてきます。その意味ではキリがありません。
なぜ?="Why"ではなくて、どのようにして="How"で考えてみてはどうでしょうか? どのようにしてその問題や悩みが生じているのか?と考えてみるのです。
“Why"ではなく"How"にすると自分を責めないでいられる
例えば、容姿のことでコンプレックスがあり、そのことで悩んでいるとします。容姿は簡単には変えられないので「なんで自分は?」と考えていても答えは簡単には出てきません。そこで、どのようにしてその悩みが自分の中で生まれてきているのかを観察してみます。するとコンプレックスだと捉えているその解釈の仕方は正しいのだろうかとか、その見方しかできないのだろうかとか、別の見方があるかもしれないとか冷静に検討することができます。
「どうして?」という疑問と自分を責める「どうして・・・」
「なぜどうして?」「なんで自分は?」という問いは心の中では自分を責める「なんで・・・」と似たイメージだと思いませんか? 言い換えると「どうして?」という疑問がいつの間にか自分を責めるときの「どうしてわたしは」に変わっていませんか?
区別がつきますか?
「なんで自分は?」はこころの中では自分を責めることや罪悪感と結びついています。心の中では同じことのようにイメージされます。
ですから「なぜどうして?」という"Why"を止めて"How"という問いかけにすることで、プロセスに関心が移り、自分を責めてしまう苦しさを味あわなくてすみます。
先ほどの例で言えば、どのようにして何があってコンプレックスと感じるようになってしまったのか? 客観的に観察できるようになります。すると、そのときはそのようにしか思えなかったけれども今だったらどうだろうって考えることができませんか? そうすると別の見方ができるようになりなせんか?
悩み事を他人事のように眺める余裕が生まれる
問題の中にはまり込まないで、その問題自体を客観的に眺めてみる余裕が生まれてくると、頑なに凝り固まったものの見方考え方が緩んできます。そうなればしめたものです。自分の枠を超えたひらめきや新しい発想を受け入れやすくなります。
もうひとつ別の視点から見てみましょう。ある問題でずっと悩んでいたとします。その問題へのアプローチの仕方は当然ですがあなたのいつものやり方です。人の意見を聞くにしても、あなたが納得したあなたなりのアプローチです。あなたのものの見方考え方から一歩も外へ出てはいないことに気がついてください。自分の枠の中で解釈しようとしているので結局堂々巡りになります。
人間関係でなにか問題があるとしたら、Whyで悩み考えるのではなくHowという視点で観察してみてください。それがどのようにして起きたのか? そのとき自分はどう捉え反応し考えたのか? 相手はどうだったのか?と振り返ることができます。
このとき判断を下したり相手や自分をジャッジしてしまうとうまくいきません。責めることが主になってしまいます。どのようにしてその問題が起きたのかただ観察するだけです。そうすればこれまで見えてこなかったものが見えてくるはずです。
“Why"をやめて"How"にするとあなたの見方が変わる
思い悩んでも考えても考えても同じことの繰り返しになっていたとしたら、アプローチの仕方、考え方の枠組みを手放してください。それはもう役に立たないのです。別のアプローチ、新しい発想に心を開いてください。ひらめきやハッとするような気付きはすぐにはやってこないかもしれません。でも慣れ親しんだ考え方思い方をまず手放すことが先決です。手放さなければ新しいものは入ってきません。
何かを手放そうとすると不安はつきものです。不安になったらその不安を感じてください。それはどんな不安でしょうか? 何に対する不安でしょうか? 感じてください。それは怖れかもしれません。その怖れも感じてみてください。それは先に進むことへの怖れ不安でしょうか? 道なき道に踏み出す不安でしょうか?
これまでしたことのないことをするのですから不安や怖れはつきものです。ですが踏み出さない限り問題から抜け出すことはできません。一歩踏み出せば別世界があなたの前に開けていたことを実感できます。