不安はどこから? 無意識に刻まれた神話
不安の原因は何でしょうか? 不安の原因を物事の成り行きや性格に求めたりするものですが、それもまた原因ではなく結果です。物事の成り行きや性格も結果として起きたものです。結果で結果を変える事は出来ません。不安の原点=出発点とは何でしょうか?
『「月の欠損」と「勘違い」』でも書きましたが、自分の思い、信念、想念がすべてを作り出しているとスピ系の世界ではよく言われています。だから原因とは信念や想念だと思われる方が多いかもしれません。別にそれが間違っているということを言いたいわけではありませんが、その信念や想念、観念もまたその人が自ら作り出したものです。それも「結果」の世界です。
もともとはコロナで簡単にメディアに騙されている現状を見て、不安ってなんだろうという疑問が湧いたのが始まりでした。いろいろと考えていくと、電気的宇宙論と呼ばれる物理学や神話の世界まで、あることをきっかけに一本の線でつながってきました。
不安は、お友達?
安心って何でしょうか?
心から安心できたことがありましたか?
それは長続きしましたか?
安心という言葉はよく使います。どういう状態が安心だといえるのでしょうか?
実際のところ安心よりも不安と親しいのかもしれません。
私たちって、いつも、というか絶えず、不安とともに生きているのではないでしょうか?
幸せになりたいといって、そうでないことを考えていたり。
生活の心配をしたくないと思って、そうでないことを考えていたり。
人間って不安の生き物なのかなって思うことがあります。
健康に気を配るのも、
マスクをするのも、
まわりに合わせるのも、
もっといい生活にあこがれるのも、
もっといい仕事や学歴を求めるのも、
友達や恋人を欲しがるのも、
人間関係良くしたいのも、
ときには孤独になりたいのも、
自然を求めたくなるのも、
着るものや食べ物にこだわるのも、
タレントにあこがれるのも、
新しい情報や知識を得ようとするのも、
占いに頼りたくなるのも、
スピリチュアルなものが知りたくなるのも、
引き寄せや次元上昇に惹きつけられるのも、
すべて今のままでは満足できないとか安心できないといった不安や恐怖が根底にあるような気がします。
それは「全我」ではなく「自我」意識から来ていると思いますが、その前に「不安」について考えてみたいと思います。
不安になる原因とは?
不安の原因とは何でしょうか?
ウィキペディア(個人的にはあんまり信頼できませんが)では「心配に思ったり、恐怖を感じたりすること。または恐怖とも期待ともつかない、何か漠然として気味の悪い心的状態や、よくないことが起こるのではないかという感覚」と説明がされています。
不安というのも、なにかしら原因があって結果として不安があります。原因だと普通思う心配も恐怖も、何かによって引き起こされた「結果」ではないでしょうか。
もちろん、怖い体験をしたり事故に巻き込まれて不安や恐怖を感じることはあります。ここでは無意識レベルからくる不安について探ってみたいのです。
ここはまず精神分析の大御所フロイト先生に聞いてみましょう。
前提として飯島秀行さんの言う「原因」の世界「結果」の世界という基準で見ていきます。
※「原因」の世界「結果」の世界については『「月の欠損」と「勘違い」』でさわりだけ書きました。
フロイト先生は
「すべての症状形成は、不安を避けるためのものである」
「不安状態は出産時のトラウマの再生であるように見える」
「不安は一方でトラウマの予感であり、他方でトラウマの緩和された形での反復である。…ここでの不安の予感との関係は、危険な状況に属しており、他方で、漠然さと対象のなさは寄る辺なさはトラウマ的状況に属している」
「不安は対象を喪った反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる」(『フロイト不安文献』より引用)
母からの分離=出産が不安の原因だといっているようです。
ですがこれも出産という結果によって起きたことですから「結果」の世界です。
ユング先生は
調べたら、不安の根源について直接語ったものがなかなか見つかりません。
「…実際の危険ではない想像上の危険でも、人は恐れを感じるが、いずれの場合でも、対象がはっきりしている時には恐れ、対象が漠然としている時には不安とよぶのが通例である。(中略)心理学者のユングは、人間が心の深奥にある原型にふれる時に、この根源的恐れと魅惑を感じると述べている」
(『コトバンク』より)
「ユングは人間の心の中に存在するイメージの意義や、そのあり方などの研究を重視しました。イメージは日本語では心像とも訳されます。(略)ユングのいう心像とは、心の内側の活動に基づくものをいいます」
(『臨床心理学用語辞典』より)
フロイトと違い「集合的無意識」を見つけたユングはイメージの世界を探求した人です。ですから
「集合的無意識にアクセスするには、自分の潜在意識の深いところに降りていくことになります。それには、孤独や不安など心の闇の部分にも向き合わなければなりません」と説明されるのが一般的です。
(『集合的無意識とは?ユングが考えた?アクセス方法や神との関係は?』より)
集合的無意識もまた作られた「結果」です。
共通しているのは、不安がどういう症状を引き起こすのか、それに病名を付けて、どう対処するのかという情報は山のようにありますが、原因を追究したものは見当たりませんでした。
それじゃ、仏陀は
これも調べればキリがありませんが、分かりやすいかなと思い引用させていただきました。
『心が強い人は「不安は妄想」だと知っているー実体のないものに反応するのはムダ!
この分類に従うと、「不安」とはマイナスの事態を想像している状態だから……アタマで考えているだけなので、「妄想」です。だから、あれこれ考えているうちに不安を感じてきたり、うまくいかない気がしてきたときは、まず「妄想が湧いている」と客観的に理解します。不安に打ちかとうとか、ヤル気をムリに駆り立てる必要はありません。アタマの状態を冷静に「理解する」のです。』
(『東洋経済 心が強い人は「不安は妄想」だと知っている』より)
これも不安という「結果」に対する対処法です。出来る人もいるし出来ない人もいます。
最新の脳科学では
脳科学辞典によると
「不安とは、生体にとって危害的な状況に対処し自己保存を図るために生じる心身における生理的反応である。」
(『不安感』より)
ダイヤモンドオンラインの記事では
『「最近、不安を感じている人」は、7割以上に及ぶ」「脳科学的に「不安」の本質がわかれば、対処法は明快です。不安を脳科学的にザックリと言えば、ノルアドレナリンの分泌です。人間が緊張、不安、恐怖の感情を持つとき、脳内物質のノルアドレナリンが分泌されます。』
(『不安を感じるとき、脳の中で何が起こっているのか』より)
ノルアドレナリンの分泌も「結果」としての生理的な反応です。気休めにはなるかもしれません。
爬虫類脳という説明もあります。それも同様ですね。ですがこれもダーウィンの進化論がベースですから怪しいものです。
ヴェリコフスキーとユング
不安って結局どこからやってくるのでしょうか? 前回の記事「コロナと不安の社会」にも書きましたが、人は不安や恐怖に弱いです。弱いから不安や恐怖に付け込んで騙す人が後を絶ちません。ほとんどのコマーシャルが人間の不安をうまく利用しているようにさえ思えます。健康食品も除菌の類も薬もマスクも電化製品に至るまで不安があるから売れます。
だから不安の正体を知りたいのです。生存本能で済ませれば簡単かもしれませんが。
月占星術で月のことを調べていた時でした。
プラズマ宇宙論とか電気的宇宙論と呼ばれているものを知りました。これを調べていた時に、ひょんなことで、これかもという理由が見つかりました。それはイマヌエル・ヴェリコフスキーという人の『衝突する宇宙』という本です。
ヴェリコフスキーは『人類は記憶喪失の中で生きている。もしかしたら、私たちはすぐにそれについて話し、先祖が残した歴史の断片をより意味のあるものにすることができるほどに「目が覚める」ことができるかもしれません。』と「言語の混乱」の中で発言しています。
衝突する宇宙 〈新装版〉 イマヌエル ヴェリコフスキー(著), Velikovsky,Immanuel(原著), 敬信, 鈴木(翻訳)
その前に簡単に電気的宇宙論(Electric Universe)について簡単に触れておきます。
もしかしたらこの宇宙論は月の秘密も解き明かしてくれるかもしれません。近いうちに記事を書く予定です。
これはこれまでの物理の常識を覆すものです。ビッグバン宇宙論やアインシュタインの物理学では説明できない宇宙の仕組みを軽々と解いてる感じがします。ところが現在の主流科学はまるで宗教のようなところがあって、月のクレーターがなぜあのような形になっているかさえ満足に説明できないのに、それをいとも簡単に説明できるプラズマ宇宙論を認めようとしていません。物理の世界に限りませんが、科学全般、歴史学も含め医学も教育も利権と自己保身で堕落しているようです。
この動画の説明には「2006年にエレクトリック・ユニバースを世界に紹介する一助となった人気ドキュメンタリー映画『神々の雷鳴』」とあります。
※字幕の出し方はご存知ですか? スマホだと画面右下の縦になった(•••)または CC のマークから日本語字幕が選べます。パソコンだと右下にある歯車をクリックして「字幕」とか「自動翻訳」から操作してください。
電気的宇宙論は宇宙だけでなく神話の世界という人類の歴史の深層まで解き明かしてくれます。電気的宇宙論(Electric Universe)は物理学という一分野を扱ったものではありません。大宇宙も小宇宙も一本の線で理解できる鍵を与えてくれます。専門家しかわからない閉じた世界でもありません。すべての人に開かれています。
これが科学の本来の姿ではありませんか?
衝突する宇宙
話がそれてしまいました。
イマヌエル・ヴェリコフスキー博士の『衝突する宇宙』は1950年に出版された本です。この本は太陽系の歴史を驚くような角度から説明しようとしたものです。精神科医であり、膨大な資料を読み解き「人類の集団心理学の研究」(彼の言葉)をされた方です。
この本はベストセラーになった一方で激しい論争を巻き起こし主流の学界からは非難轟々の嵐でした。
まぁとにかくケチョンケチョンに貶されました。本も読まずに非難した学者も多数いました。これ事実です。その当時、カール・セーガンという有名な学者さんも非難していましたが、この人、昔テレビにも出ていました。僕も覚えています。大層もてはやされていました。この人早い話が御用学者だったんですね。
ヴェリコフスキー関連の日本語の記事も大半がトンデモ話としてかたづけています。それほど「識者」の理解を超えた仮説だったのです。だから異端の説として葬り去りたい気持ちも理解はできます。
ですが、このヴェリコフスキー博士こそ、それまでの常識的なパラダイムを打ち破り新しい宇宙論、歴史観をこじ開けた天才でした。その証拠に、彼が予測した仮説は次々に電気的宇宙論によって証明されてきました。
不安の話に戻ります。
よく知られた話ですが、ユングは人間の意識を研究する中で、フロイトが「リビドー」を全て「性」に還元することに異議を唱え袂を分かちました。ユングの患者の語るイメージに不思議な共通点があることや世界各地の神話・伝承と一致する点が多いこと、そこから人間の無意識の奧底には人類共通のイメージ(集合的無意識)が存在すると考えました。この共通するイメージを想起させる力を「元型」と名付けました。
でも、ようわからん!
ここまではいいんですが、日本にも世界のあらゆる民族の間でも神話というものは伝わっています。でも神話と言われているものを読むと、あまりに人間臭くて、これが神さまのお話なのって思ってしまうのです。殺しあり、裏切りあり、嫉妬あり、近親相姦あり、何でもありの世界。不思議この上ない世界の話です。
頭のいい方は、そこから人類共通の深い真理といったものを見つけ出せるのかもしれませんが、凡人には分かりません。そうとも言えるし、そうでないかもしれないし、、、そこからいきなり「学問」という人を寄せ付けない難しい世界に入ってしまうので、せっかくの好奇心もしぼんでしまいます。僕だけかもしれませんが、人類共通の感性のはずなのに遠い昔の世界の話に聞こえました。
興味はあるけど近づけないという感じでしょうか。
人間社会で行われていることと神話の世界で描かれていることは殺しも裏切りも人間臭いところは一緒なのに、なぜか共感できない。
神話の中にスピリチュアルな世界で好んで語られている愛の物語ってありましたっけ?
ヴェリコフスキーの描くカタストロフィーの宇宙こそ事実だった?
イマヌエル・ヴェリコフスキー博士は『衝突する宇宙』で神話で描かれた世界は実際にあったことだと主張します。
とんでもない天変地異が過去にあり、神話は天と地で繰り広げられる大災害を神の世界の戦いとして描いたものだというのです。神として見たのは惑星です。現在の「点」にしか見えない惑星ではなく、間近に迫ってきた惑星です。
わたしたちはこの宇宙がまるで時計仕掛けのように月が地球の周りを回り、太陽の周りを惑星が規則正しく太古の昔から回っているものだと信じているのが普通だと思います。永遠不変のものだと。
私は、そもそも太陽系が永遠不変だとか変化するかもしれないなどと考えたことすらありませんでした。惑星がもとで起きた禍なんて経験したことがなかったから。歴史上そんなことが起きたなんて、聞いたこともなかったし想像すらできなかったから。
でも、永遠不変のものってあるのでしょうか?
地震は? 津波は? 事前に予知出来ましたか?
地震や津波なら過去にあったことだし、知っているから、いつかは来るかもしれないと予想は出来ます。ですが、惑星がその軌道を外れ金星や火星が地球とニアミスを起こしたかもしれないなどと想像すらできません。
とんでもない大災害が昔あったのかもしれません。
桁違いの大惨事が。
焼き尽くされ、大地が割れ、暴風が何日も吹き荒れ、大洪水があり、、、。
世界各地に伝えられている伝承や神話はこの天と地で繰り広げられた恐怖を洞窟の中に描かれている絵や岩に刻み、ヒエログリフや言い伝えという形で後世に伝えたかったのではないでしょうか?
桁違いの惑星規模の雷、稲妻、プラズマによる放電や大火や暴風を、蛇や龍のような形で描き、月ぐらいに近づいた惑星を丸と十字で描き、大洪水をノアの箱舟として描き、、、
これこそが人間の普遍的無意識に深く刻み込まれた不安の記憶=原点といえるのではないかと思います。
ですがまだこれも「結果」の世界かもしれません。
神話に込められたメッセージが「知的」な人や「専門家・学者」にしかわからないような「深淵」な理屈を必要とするものだったのでしょうか? 分かりません。
世界各地に残る遺跡が天文台だったという説は、まさにこの大災害を予測したいがためのものだったのかもしれません。
古代、なぜ天文学や占星術が発達していたのか?
その動機は?
生贄は何とかしてこの大災害を鎮めたいがための儀式だったのかもしれません。
古代の人々が残酷だったと想像するのは簡単ですが、その動機は?
神話は天空と大地で繰り返し人間を襲った大スペクタクルの惨劇を、神々の戦いになぞらえたのかもしれません。
天文学や占星術は大災害をなんとしても避けたい古代の知恵だったのかもしれません。軌道をそれたといっても周期的に惑星も彗星も近づいてきますから。
神話も伝承も占星術も、それが編み出された動機が地球規模の大惨事だったとしたら。
歴史が一本の線でつながってきませんか?
イマヌエル・ヴェリコフスキー博士は天空にも永遠不変のものはないということを気付かせてくれました。
これは実は、歴史観、そこから積み上げられたあらゆる知識、学問など含め意識のとてつもない変革を迫るものではないでしょうか。
ユングは『赤の書』という本の中で
「これまで自分の魂と呼んできたものは自分の魂ではなくて、死んだ学問体系であることに気付かざるをえなかった。従って私は遠くの未知のものとして魂に話しかけねばならなったし、それは私によって存続しているのではなくて、逆に私がそれによって存続しているのである。」といいました。
しかしヴェリコフスキーの大胆さと叡智には及ばなかったようです。言い過ぎですかね。
神話に描かれた世界が実際にあったことだとすると、神話を創作された物語として解釈している従来の学問って、前提というかベースから間違っているということになりませんか?
ユングが描いた『赤の書』に収められている絵。この図柄がプラズマ宇宙論につながります。
▼次回に続きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。