自分が醜く思えて仕方ない。受け入れると意外なことが
ごく当たり前のように、あの人はこういう人、自分はこういう人間って「判断」しています。
いったん判断してしまうと、つまり、こうだって決めてしまうと、なかなか変更できません。判断の「正しさ」にこだわってしまうからです。
なにもかもそのせいですか?
その「判断」がネガティブであればあるほど、その「判断」に苦しむことになります。
容姿が醜いなんて決めてしまうと、上手くいかないことがあると「醜い」せいにしてしまいます。でも、本当は関係ないのです。
『わたしは○○だから』欠点を責めると振出しに戻ってしまう
確かに容姿が悪いのは気になります。
顔が不細工、醜い、太り過ぎ、あそこがここが、、、容姿がいい人への嫉妬心も生まれます。キリがありません。評価し判断しているとネガティブな感情を次から次へと引き出してしまいます。終りがありません。
最後には『わたしは○○だから』振り出しに戻ります。
これまで何を考えても結局は振出しに戻る連続だったのではないでしょうか? またその悩みを悩む時間もかなりのものです。
「判断」を手放すと感性が生き返ります
判断してしまうと、その判断に縛られてしまいます。
判断はじわじわと蛇のように締め付けます。気付かないうちに感性を「殺して」しまいます。楽しさやみずみずしさを感じなくなってしまいます。
反対に、判断を手放すと、自由です。
判断を手放すと、感性を取り戻すことができます。まわりの世界や自分自身に新鮮さを取り戻す余地を与えてくれます。
それは知っている人の中に意外な面を発見すると、新鮮な驚きを感じることに似ています。そこには意外性と楽しさがあります。
判断で苦しむより、弱点を活用したほうがよくありませんか? コンプレックスを逆に「利点」にできる人もいます。
「判断」を守りますか? それとも捨てて「利点」にしますか?
抵抗するとそれは続きます。受け入れると別の見方ができます
自分が醜いといって抵抗するとそれは続きます。ますます傷つき悩むことになります。拒否したり避けようとすると、よりいっそう目に付き気になります。反対にあるがまま受け入れ認めると、醜いとしか思えなかったものが変化します。そして別の選択肢が見えてきます。嫌だとしか思えなかったものに別のとらえ方、解決法があることが分かります。
あるがままの姿を受け入れず抵抗すると、あなたはますます弱く傷つきやすくなります。現状をあるがまま認めると、自信を回復でき前に進む勇気が湧いてきます。
以下の文はカウンセリング.COMで回答させていただいたときのものに手を加えたものです。
あなたの顔を受け入れてください
容姿のことで悩んでいると誰かからどんなに「正解」と思われる意見を聞いたとしても受け入れたくないのではないでしょうか?
わたしたちはごく自然に「判断」を下しています。
あなたの場合は、
自分が醜く思える
⇨自分の顔が他人に不快感を与えている
⇨誰にも見られたくない
⇨顔を隠す
⇨マスクをしてもしなくても醜く写っている
こうして一連の判断を下し、その判断にはまってしまい、抜け出せなくなっています。前に進めません。
自分で下した判断が自らを苦しめているのです。自分で自分を傷つけているのです。自分のことをそれだけ苦しめているのであれば、まわりの人々をかなり攻撃しているはずです。それがまた自分に跳ね返ってきます。
もうそろそろ、ここから抜け出したくはありませんか?
あなたの「判断」を手放してください。
自分について、他の誰かについて判断しなければ、自分を醜いといって責めなくてすみます。責めないので受け入れることができます。責めることで時間を浪費しないですみます。
醜く思えたとしても、受け入れてください。受け入れなければ、やっかいなことにその悩みは受け入れるまでずっと続きます。
あなたの顔を受け入れてください。
そのとき、あなたの顔は嬉しくて涙で濡れるかもしれません。
もし仮に何か言われたとしても平気でいられるようになります。ビックリですか? 判断から自由になっているので、傷ついたり痛むことはないのです。