自分自身に辛く当たっていませんか?

「どうせ自分は」といって自分で自分自身を貶め責めていませんか?
辛く当たっていませんか?
それは自分への虐待ではありませんか?
虐待は心に深い傷を残します。簡単に癒せるものでもありません。
しかし相手や自分を許せないままだといつまでも恨みつらみの気持ちを持ち続けてしまいます。その気持ちがさらに虐待を受けた心を傷つけます。

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虐待は親にされただけではありません。 された方も自分に対して虐待しています

虐待する側では何が起きていたのでしょうか?

虐待をされた時は、されたその行為で意識がいっぱいです。その時の恐怖感や痛みを忘れることができません。
その時、虐待をした側では何が起きていたのでしょうか?

暴力や暴言を吐くほどの行為の裏には何があったのでしょうか?
あなたへの怒りでしょうか? 確かに怒りに駆り立てるものがあったはずです。それは虐待する人の中にもともとあったものではないでしょうか? その人は罪悪感と怒りでいっぱいだったのです。虐待する人からすれば、そうする以外なかったのです。
だからと言って、その行為が許されるものではありません。心の中がぐちゃぐちゃな時、あなただったらどうしますか?

虐待する側の人の中で何が起きていたのか想像することができれば、理不尽なことをされてしまったという気持ちからチョットだけ外れて、何が起きていたのか理解する余裕が生まれるかもしれません。理解というのは承認するという事ではありません。

虐待する親もその親から、あなたが受けてきたような虐待を受けたのかもしれません。あなたと同じように親もその親からひどい仕打ちをされたのだとしたら、また同じように育てられたのだとしたら、親がどんな気持ちでいたのか想像できます。

そうすると何が起きていたのか分かります。何が起きていたのか理解できれば、一方的にひどい仕打ちを受けたという思いから抜け出せる糸口になるかもしれません。

海に向かって手を広げる

以下の文はカウンセリング.COMで回答させていただいたときのものに手を加えたものです。

親が舌打ちをして機嫌が悪い時、どんな気持ちでいたのでしょうか 

躾に名を借りた虐待のようなことを経験すると、許せない気持ちが出てくるのは仕方ありません。あなたの中でこの時の親との関係がいまだに続いています。

人と話をする時も、その人の話の内容ではなく、この人は安全なんだろうか? 突然、豹変して暴力をふるわれたりしないだろうか? ということの方が気になると相手との話に注意を向けることができません。

たとえは悪いかもしれませんが、ちょっとでも間違ったら苦痛を感じてしまうような罠や仕掛けが張り巡らされた檻の中で飼われているペットを想像してみてください。

ご主人様の機嫌次第で、とんだとばっちりを受けてしまうような環境です。
ご主人様が親で、ペットはあなたです。
(ごめんなさい。たとえ話です)
あなたは、生きていくのに必死で、災難から身を守り、降りかかる火の粉を振り払うのにすべてのエネルギーを費やしています。
疲れます。他のことは何もできません。生存だけで精いっぱいです。ご主人様の顔色を窺うのが生存の条件です。

これまで人生はこんな感じだったのではないですか?
今は「ご主人様」はいません。でも、あなたは今でもこの「ゲーム」を続けています。しかも、檻の中に入ったままです。あなたのこころの中では「ゲーム」はいまだに「現実」です。

親からのひどい仕打ちを受け続けたあなたの中では、怯えや言葉にできないような恐怖心、無力感などあったのでしょうが、同時に復讐心、攻撃性もあったのではないでしょうか?
その部分を親があなたに見せてくれていたのかもしれません。

親が舌打ちをして機嫌が悪い時、親はどんな気持ちでいたのでしょうか?
外側に見えるものとは違って、実はビクビクして耐えきれず、その怖さをまわりにぶちまけていたのかもしれません。

あなたは「ご主人様」の気持ちも「ペット」の気持ちも知っています

自己否定の無限ループからどうやって脱け出しますか? 「どうせ自分は」はやめたいでしょう?

この辛い「ゲーム」は既に終わっています。もう、終わりにしませんか? 檻から出てきてください。そのあと、親との関係を癒すといいです。

Posted by kiyo.I