誰かのせいにするのをやめると見えてくる
誰かのせいにするのをやめると見えてくるものは何でしょうか?
いいことも悪いこともすべて自分が選択したことの結果です。自分で選択したのなら変えることもできます。被害者意識のままでいると、このことに気が付きようがありません。"人生の被害者"にとっては自らの意思と選択で陥っている状況を変えられるとは思いもよりません。
見えてくるものとは、あなた本来の生き方です。生きたかった人生です。
私がこんな目にあったのは傷ついたのは、あの人のせい。
「被害者の立場」がそう言わせます
なにかよからぬことが自分に起きてしまうと、誰かや何かのせいにしてしまいたくなります。だってそれが簡単だから。すべては身に降りかかった災難。こうとらえてしまうと自分の立場はいつもどこまでいっても「被害者」です。
そして嘆くのです。なんて自分は不幸なんだろう?って。
どうしてこんな嫌なことばかり?
なんでこんなこと人から言われなくてはならないんだろう?
なんでこんな目に合うんだろう?
起きた出来事をなんとか消化して次に進もうとしても「被害者の立場」なので、何かトラブルに出くわすたびに「あのことがあったから」「あのひとのせいで」と考えてしまい、恨みつらみの気持ちに支配されます。支配されれれば支配されるほど不幸せな気持ちが募ります。自分自身をあげつらい他人のしていることに文句をつけたくなります。こんなことやめたいと思っていても「被害者の立場」だとそうなってしまうのです。
人格の問題とか自分に問題があるとかではなく「被害者の立場」がそうさせるのです。その立場を放棄して手放し自分の生き方に責任を持たない限り同じような似たことの繰り返しを招いてしまいます。
自分を「被害者」にすると何も解決できないばかりか、退屈な日常の積み重ねになってしまいます。
私自身がそうでした。抜け出すという発想すらありませんでした。そういうものだとしか思っていませんでした。苦しかった時期がありました。
さて、ここから抜け出すにはどうすればよいのでしょうか?
誰かのせいにするのをやめて、起きたことに責任を持てばいいのでしょうか?
責任を持つという見方はいいとして、そこには落とし穴があります。誰かではなく、今度は自分が悪いのだということにしてしまうと、自分を責めてしまいます。そしてまた、「被害者意識」を強めてしまいます。
誰かのせいにしたり自分のせいにしてしまうと、知らぬ間に終わりのない「被害者意識」のループにはまります。そして、いつも無力さを味わうことになります。
考え方、思い方、行動は選択によって変えることができます
私たちは意識して選択することもありますが、なにげなく、なんとなく無意識に自動的に選択していることが多いです。その積み重ねが知らぬ間に個人の性格を形作り、自らの行動や状況を生み出しています。
もし嫌なことがあれば、意識して選択しなおすことができます。選択し直すことができるというのはいい情報ではありませんか? 考え方、思い方、行動はあなたの選択によって変えることができるのだから。
「被害者意識」から抜け出すには起きたことに責任を持ってください。いいことも悪いことも起きたことはあなたが選択した結果です。好ましくないことが起きたとしたら、どこかで選択を誤ったのです。ただそれだけのこと。自分が悪いのじゃない。ですから選択した時点に戻り選択をし直せばいいだけです。
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これから始まる「ものがたり」は、被害者意識から抜け出すお話です。
傷ついたのは、なにかのせい、誰かのせいですか?
「被害者」でいると問題に捕まります
C さんはこのところ、いいことがひとつもありません。
大切な会合に遅れてしまったり、階段でつまずいて足をねんざしたり、自転車に乗っていて人とぶつかったり、大切な友達とおしゃべりをしていて怒らせてしまったり、仕事でミスをしてしまったり、とにかく、ろくなことがありません。この前なんか、料理をしていて火傷してしまいました。なかなか治りません。
そのたんびに、何でこんな目に合わなきゃならないんだろうと、ムカついていました。
そうそう、遅刻したときは、出かける前に母に小言を言われてケンカしたのが原因。ねんざしたのは、雪のせいで階段が滑りやすくなっていたせい。人とぶつかったのは電話がかかってきて携帯を取ろうとして落としてしまったから。友達を怒らせてしまったのは別の友達がつまらないことを言ったから。ミスしたのは、変な指示を出した上司のせい。火傷したのは、別の用事を頼まれて気を取られたせい。わたしはひとつも悪くないのに。
こんなことが重なると、自分の人生っていったい何? と考えてしまいます。
「私がこんな目にあうのは、あのひとのせい。あの時、助けてくれたら、もっと自分を大切にしてくれたら、ひどい扱いをしなかったら、こんな苦しいことは起きなかったのに!」
いつもいつも自分以外の誰かか何かのせい! 被害にあうのはいつも自分。他の人はみんなうまくやっているのに、そんな文句や恨みがつい口から出てきてしまいます。時には、仕返しをしたい気持ちになることもあります。そんな自分にまた嫌気がさして…。
そういえば、子供のころ、テストで悪い点を取るとよく叱られたし、頑張っていい点を取ったのに褒めてくれなかったし、それで次第に勉強をする気がしなくなって、肝心な時、落第点を取ったっけ。あの時は、親に対して内心、仕返しをした気分がしました。
そんなことを C さんは思い出していました。
うん? 仕返しをしたいために、こんな目にあっているんだろうか?
ひどい仕打ちを受けたと思ったときは、苦しい思いが自分の中を駆け巡って、最後は仕返しをして復讐してやろうと思っている自分がいるのかな? 心の中の動きを観察すると、自分の苦しみを終わらせるためには他の誰かを傷つけることだと思っているようにさえ思えてきます。
でも、成功したためしはありませんでした。たとえうまくいったとしても、誰かを傷つけたことで自分を苦しめることになりました。誰かを責めるプロセスが一通り終わると、次は自分を責めています。
こんなことをして何になるのだろう? もっと苦しくなるのがわかっているのに!
ループのプロセスの始まりはこうです。
なにか痛い目にあう、傷つく
⇩
誰かのせい、自分のせい
⇩
心の中で葛藤がある
⇩
恨みつらみがどんどん湧いてくる
⇩
仕返ししたくなる
⇩
心の中に留めておくか、実際にやってみる
⇩
自分が苦しくなってフタをする
⇩
忘れたころに同じようなことが起きる
⇩
また、似たプロセスを繰り返す
C さんはどうも二番目の「誰かのせい」と思ったり、考えてしまうところから始まっていると見当を付けました。「誰かのせい、何かのせい、自分のせい」にするということは自分の立場は? 自分の立場とはいったい何でしょう?
被害者……?
いつも被害者でいるということは責任は取らなくていいし、あわよくば悲劇のヒーローでいることもできます。そういえば、悲劇のヒーローのストーリーがなぜか好きでした。しかし、報われないし、何も解決しません。ただ心の中で恨みつらみが積み重なっていくだけ。
・・・・・・・
そっか~、嫌な出来事を「誰かのせい」にしているとなにも解決しないんだ。そこで「被害者」になることを選択しなければ、あの堂々巡りのプロセスは始まらない。始まらなければ苦しい思いもしなくてすみます。
C さんは心に決めました。
「誰かのせい」は卒業して自分のした選択に責任を持つと。まちがったら、選択し直せば済むことです。選択し直すだけですから、誰かや自分を責める必要はありません。
誰かのせいにするのをやめると見えてくるものは自分自身が生きたかった本来の生き方でした。
C さんはこのことに気付いた後、「許す」ことについて、もっと知りたくなりました。
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最後までお読みいただきありがとうございました。