昼と夜の船──ディスコース no.16
太陽の船の日の出や日没との関連性は間違っていた
[古代の歴史と神話お勉強シリーズ]
驚いたのは、三日月の動きと日の出と日の入りという毎日のサイクルが古代では違っていたという指摘です。古代の文様にいわゆる"三日月"を目にしたことがあると思います。普通は月のことだと思ってしまいます。ですが、この月、たいてい寝そべった形で描かれています。今日、私たちが目にする月は右側か左側に立っています。
一般的にはこれを月だと解釈しています。でもなぜいつも寝そべっているのでしょうか?
エレクトリック・ユニバースの神話解釈では、これを原始太陽としての原始土星だといいます。
「古代の惑星配置では、神話上の天の船である三日月は、日没とともに左に傾き、暗くなった空の中でより明るくなり始めていました。そして、真夜中に三日月が真下に到達したとき、天の船は最高の輝きを放ったのです」
「私たちは、合理的な疑いを超えて、船の位置は明るさの段階では下にあり、弱さの段階では上にあったことを立証しようとしています。つまり、船が空に明るく輝き始めたときには下降し、暗くなり始めたときには上昇したということです」
逆だったのかもしれないのです。だとすると、従来の翻訳は間違っていたことになります。
今回の記事ではデイ・バーク(Day-bark)とナイト・バーク(Night-bark)という言葉が頻繁に出てきます。ネットで調べても、分かりやすい記事はほとんどありませんでした。しかも barkという単語は"樹皮"とか"吠え声"という意味もあり、機械翻訳ですと"樹皮"と翻訳されることが多いようです。これでは何のことかわかりません。barkという単語は Barque とも表記されます。Barque とは"帆船"のことです。また Day-bark と Night-bark を合わせて太陽の船(Sun Boat)、ソーラーボート、ソーラーバーク(Solar Barque)などと表記されているようです。ウィキも、何だかよく分からない内容で、このこと自体が、何かしら混乱があって定説とされるような見解が確立されてないことがうかがえます。
太陽?の船
ひとつだけ「太陽の船」という記事が見つかりました。副題は「子供のための古代エジプト─太陽の船」となっており、
「古代エジプトの神話とラーの太陽の船、ソーラーバークまたは太陽のはしけ(平底の荷船、儀式用の遊覧船、司令官艇)です」という説明が添えられています。いくつか引用すると、
[太陽の船またはソーラーバーク]
古代エジプトの伝説や神話、ラーの太陽の船についての興味深い事実や情報を発見してください。最高の太陽神であるラーは、毎日太陽の船(サン・バーク)で天空を横断し、毎晩別の太陽の船で冥界(Duat)を通過し、毎朝東に再び現れると信じられていました。ラーが天上を航行したとされるこの二つの太陽の船は、日の出から正午まで航行するアテト Atet(マテ Matet )と、正午から日没まで航行するセクテット Sektet と呼ばれていました。古代エジプトの神話によると、ラーは冥界で攻撃を受け、悪と闇を象徴する強大な、あるいは蛇、あるいは蛇神であるアペプ Apep(エジプト神話における悪の化身)と戦ったといいます。魅惑的な太陽の船の世界をご覧ください。エジプトの神秘的な神々に関するその他の興味深い事実は、以下のサイトでもご覧いただけます。
エジプトの神々の名前
宗教とエジプトのカルト
[エジプト神話の中の太陽の船]
古代エジプトの神話では、太陽神ラーを天空に運ぶために太陽の船が信じられていました。太陽の船は"古代の船"、または"100万年の船"と呼ばれる大きな船で、ラーとその仲間の神々は天空を航海して世界に光と熱を与え、夜の危険な旅をして冥界を航行していました。ラーの仲間の神々は、邪悪な大蛇アペプから太陽神を守るために協力しましたが、これは正義が悪に勝つことを象徴する行為でした。太陽の船は、神々が地上と天上の世界を行き来するための船でもありました。太陽の船に乗った太陽神ラーと他の神々は、邪悪な大蛇アペプに打ち勝つために、多くの祈りや呪文を唱えました。これらの呪文や祈りは、エジプトの神官や太陽の神殿の崇拝者たちによって唱えられました
[太陽の船と死者の書]
「死者の書」と呼ばれる「アニのパピルス」には、ラーへの賛美歌があり、その中にはマテの太陽の船とセクテットの太陽の船について、次のように書かれています。
「円盤 Disk よ、日に日に地平線に昇る光線の主よ、万歳(挨拶、呼び掛け)! 夜明けには汝に賛美の歌を歌い、夜明けには汝に賛美の言葉を捧げるために、汝はオシリス・アニの顔に光を当てよ。アニの魂が汝と共に天に昇り、マテの舟に乗って進み、セクテットの舟に乗って入港し、天の永遠の星々の間に道を切り開くことができますように」
[エジプト神話の太陽の船]
太陽神ラーが太陽の船に乗っていた仲間には、様々な神々がいましたが、主にヘリオポリスのエニアードと呼ばれる9人の神々の集合体の神話に登場する神々でした。9人の太陽神、神々は、アトゥム(ラー)、ゲブ、イシス、ネフティス、ヌート、オシリス、セト、シュウ、テフヌートと名付けられていました。ホルスとアヌビスはオシリスの息子であり、"神の家族"の一員でした。また、あまり知られていませんが、アンチ Anti という神が太陽の船に描かれることもありました。アンチは"日の出の守護者"で、三日月型の船に乗った鷹の頭の男として描かれていました。(引用終わり)
三日月を太陽だと誤認していたのだとしたら、エジプト神話の解釈は根底から塗り替えられることになります。
昼と夜の船
The Ship of Day and Night
宇宙の船の古代のイメージは、古代の空についての多くの一般的な仮定を疑う機会を与えてくれます。私たちが現在見ている空は、古代の経験の役立つガイドにはならないというのが私たちのメッセージです。初期の天空崇拝者たちの上にある途方もない天空の形成は、神話的なイメージの爆発を引き起こしました。これらのイメージを、人間の具体的な経験の反映として捉えることができれば、出来事の再構築が可能になります。
地球上の観測者にとっては、太陽の光を反射して極地の空を回る三日月が、中心となる球体や星の周りを一日ごとに明るくなったり暗くなったりしながら回転していました。人間の想像では、その回転する三日月は古代の天の船でした。さらに、先に述べたように、もう一つの特徴があります。三日月は宇宙の柱の上に現れ、多様な神話的イメージを刺激しました。
すべては同じ基本的な形を示しています。空に浮かぶひとつの形が、あきれるほど矛盾したイメージを完全に説明しています。前回は、三日月の船が天の牡牛の角と厳密に一致していることを紹介しました。
天空の王国の住人は、この角の上で三日月型の船を日々回転させながら航海していたのです。また、牡牛の二本の角が、宇宙の山のツインピークスであるという疑問の余地のない同一性にも注目しました。さらに、エジプトをはじめとする柱状の神 pillar god が船を支えている、あるいは船の中で直立しているというイメージは、船そのものと、この伸ばした腕との、基礎となる等式(同等とみなすこと)が根底にあることで理解されなければならないことを指摘しました。この等式(同等とみなすこと)は完全に詳しく説明することができます。
ピラミッドテキストによると、亡くなった王は宇宙の船の中で自分の居場所を見つけるために天に昇ったとあります。この船と天空の腕の同一性は、エジプトの資料で何度も確認されています。
「王は、アヌビスの腕の中で、デイ・バークの中で……持ち上げられる」
「ラーよ、私のために腕を用意してくれ、来て 私を向こう側に渡してくれ……」
同じように、オシリス神は「ホルスの両腕に乗って」航海します。この等式(同等とみなすこと)に対する疑問は、コフィン・テキストの船の記述によって解消されます。
「彼女の右舷側はアトゥムの右腕。彼女の左舷側はアトゥムの左腕です」
しかし、その後の天空の状況の急激な変化により、昼と夜の言葉には大きな混乱が生じています。
古代の惑星配置では、神話上の天の船である三日月は、日没とともに左に傾き、暗くなった空の中でより明るくなり始めていました。そして、真夜中に三日月が真下に到達したとき、天の船は最高の輝きを放ったのです。
その後、右上がりになるにつれて明るさが失われていきます。そして、真上で最も弱くなりました。現代の時間計算では正午となります。
しかし、エジプトの文書では、太古の太陽が明るくなっていく様子が描かれていますが、翻訳者は、私たちの身近な太陽が東から昇ってくる様子を思い浮かべるしかありません。この根本的な誤解が、すべての標準的な翻訳に矛盾を生じさせています。この問題に関しては、エジプトの資料が圧倒的に優れています。
彼らは明確な言葉で、神々の乗り物である天の船を、一日のサイクルの中で二つの段階、つまり、明るくなる段階と暗くなる段階で表現しています。これらの段階は、太陽そのものの外観とは何の関係もありません。
太陽は神々の視覚的な劇場の中にさえ存在しませんでした。
太陽は単に、照らされた極を周回する三日月と、それが毎日明るくなったり暗くなったりする段階の外部要因でしかなかったのです。
一般的に翻訳されているように、コフィン(棺桶の)テキストは、すべての王がその死後「毎日、ラーのようにナイト・バーク Night-bark とデイ・バーク Day-bark の中に」自分の居場所を見つけることを希望していることを表現しています。しかし、翻訳者はこれらの用語の自然な指示対象を提供することができません。
文字通りに意味するのは、明るくなることと暗くなること、強くなることと弱くなることの二つの対照的な段階です。強さと弱さ、生命と生命のない状態、起きている状態と眠っている状態、これらが文字通りの意味です。
明るくなっていく段階の船は、文字通り「強い、または強くなっていく」という意味のアテト(Atet)と名付けられました。
暗い段階の船はセクテット(Sektet)と名付けられ、文字通り「弱い、または弱くなる」という意味です。
文字通りの意味が明らかになれば、誤訳も明らかになります。
「あなたがナイト・バーク Night-bark(Sektet)の中で眠り、デイ・バーク Day-bark(Atet)の中で目覚めることができますように」というのが一般的な訳です。
日の出や日没との関連性は明らかに間違っており、船の地域ごとの位置や一日のサイクルにおける船の動きの方向を観察するだけで、それが明らかになります。
船は実際に、薄暗くなる段階では上に移動し、明るくなる段階では下に移動したのだろうか?
私たちは、合理的な疑いを超えて、船の位置は明るさの段階では下にあり、弱さの段階では上にあったことを立証しようとしています。つまり、船が空に明るく輝き始めたときには下降し、暗くなり始めたときには上昇したということです。
動きの方向と、それに伴う明るさと薄暗さの状態は、すべて象徴の整合性を保つために重要です。コフィンテキストでは、神々が上流に向かって航行するのはいわゆる"夜"で、文字通り薄暗くなる段階であり、太陽の解釈とは全く逆であると記述されています。別の呪文では「上の領域から下の領域に向かって下流に行くとき、太陽は輝く」と告知されています。
これも太陽の解釈とは正反対で、文字通りの意味が重要になります。
「上流に向かって、ナイト・バーク(文字通り薄暗くなる船)で上の地域に向かって航行し、下流に向かって、デイ・バーク(文字通り明るくなる、または明るくなっていく段階)で下の地域に向かって航行しますように」となっています。このようなテキストに加えて、他にも多くのテキストがありますが、いずれも天の船が確かに我々の復元の厳密なテストであることを裏付けています。
この明確な証拠については、次回にご紹介します。
──おわり
コメントから
matt wood
この現象が起こるためには、惑星の回転パターンがどのようになっているのか、私にはどうしてもわかりません。これらがどのように機能しているのか、また、太陽が近づいてきたときに、この構成をどのように照らしたのかを 3Dモデルで見ることはできますか?
そして、地球の上に立っている人間の姿(彼らの視点ではなく、遠くから)が、地球の昼と夜を経験しながら、このすべての出来事を見ているのではないでしょうか?
地球、火星、金星、土星が一直線に並んでいて、地球の南北軸に沿って配置されていることはわかりました。しかし、それ以上のことは、すべてがどのように連動しているのか、太陽がどのようにそれらすべてと相互作用しているのか理解できません。照明を使った映像で説明してもらえると、とても嬉しいですね。また、この配置は地球の南北軸に沿っており、土星や他の惑星は北の空に"固定"されているため、地球の南半球の人々はこの空の配置に全く気づかなかったと考えてもいいのでしょうか? 赤道の南側には、このような配置を描いた岩石の彫刻が目立って見当たらないのですか?
質問が多くて申し訳ありませんが、より明確なイメージを得ようとしています。この件に関してご協力いただける方は、事前に感謝いたします。
ThunderboltsProject @matt wood
今回の復元では、極軸の地理的な位置よりも、議論されている現象の軸性と極性に確信を持つことができます。しかし、軸方向に並んでいた惑星が移動すると、極地の現象は、両半球で見られる壮大でより複雑なメタモルフォーゼの形態に変わっていきました。ここでは、梯子、バックボーン、段階的なタワーなど、世界の変位、破局、再生に関連する様々なものが登場します。
“アイマスク"や"スティックマン"など、いわゆる"ペラット不安定性"が世界各地に現れ、実験室での対応を見ると、それらが梯子型の崩壊から生じていることがわかります。これまでのエピソードでは、重要なテーマは簡単にしか示唆されていませんでしたが、今後、詳細なテーマが予定されています。まず最初に必要なのは、オリジナルの極軸整列の基礎的な証拠を確立することです。課題は山積しています。
matt wood @ThunderboltsProject
ご回答ありがとうございました。これからのエピソードを楽しみにしていますし、理論の展開を楽しみにしています。
ThunderboltsProject @matt wood
集められた惑星を共通の回転軸に置き、土星と太陽の角度を135度にすると、地球から見て("北"半球)の土星に永久的な三日月が見え、この三日月は地球が自転するのに合わせて天球の極点で視覚的に回転します。この軸が太陽の周りの運動面と、どのような関係にあるのかは、古代に記録された画像からはわからないので、答えは回転する三日月の遠近感には影響しないでしょう。もちろん、力学的な問題は全く別の問題ですが。
wiseyeffect
他の宗教のように証明するのはとても難しいですよね。しかし、すべての仮定はそうではありませんか?
ThunderboltsProject @wiseyeffect
答えを推測するよりも、事実に基づく証拠から推論する方がはるかに良いです。幾重にも積み重なった証拠が、一般的な仮定では説明できない場合、より信頼性の高い答えへの道を証拠自体が示してくれるようにするのが合理的なアプローチです。そして、その新しい答えが、他の未解決の謎に対する答えにもなっているかどうかを、自分で判断するのです。このシリーズを完成させるには2,3年かかるかもしれませんが、その結果、合理的な基本ルールが有効であることが十分に証明されるはずです。
“世界中で語られているひとつの物語"と言っても、決して大げさではありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。