負けたくない!

追い抜かれるという不安

負けたくない!
仕事や学業でライバルに追い抜かれる、追い越されてしまう、負けてしまう不安を感じたことはありませんか?

誰でも一度や二度そんな不安を覚えたことがあるのではないでしょうか?
仕事や学校に限らず仲間から外されるという不安や一人取り残されるという不安も似たようなものかもしれません。

まさに今、そんな不安のただなかにいらっしゃる方もいるかもしれませんね。または近い将来に漠然と不安をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。追い越され追い抜かれ負けるって嫌な気分になりますからね。

でも、わたしは追い抜かれ負ける方が、実はいいのではないだろうかと思い始めたのです。最後に笑うものが最もよく笑うという言葉もありますしね。

競泳

負けた!と思ったときどうしますか?

誰かに負けた!と思ったときあなたはどうしていましたか?

追い抜かれてしまいそうだと感じたとき、人は何をするでしょうか?
簡単に思い付くのは

①追い抜かれないためにもっともっと頑張る、がむしゃらに努力する。
②諦めて、何もしない。
③そのライバルを蹴落とそうと試みる。

この三択でしょうか?
あなたならどれを選びますか?

①が一番ありそうな選択肢かもしれません。そうやってご自分の能力を向上させた方もいらっしゃるかもしれません。上手くいけば結果オーライですが、いかなければ惨めな気分になって自分を責めてるかもしれませんね。

でも、うまくいったとしてもいかなかったとしても、そのプロセスはきついものになりそうです。
なかにはそういうやり方が好きだという人もいるかもしれません。ですがたえず競争に勝ち続けるというのはかなりのストレスを抱え続けることになります。

②の「諦める」は、やっても無駄、頑張っても結果は知れてる、いつかそうなってしまうというあきらめが強いのかもしれません。諦念と言えば聞こえはいいですが、自分の中に口惜しさや屈辱感、敗北感が残りそうです。相手に対する恨みつらみと自分って何をやってもダメなんだという無価値感を知らず知らずに育てることになるかもしれません。

③の「相手を蹴落とす」は、負けたくないために策略を用いたり相手の欠点や弱みを探ったりすることで横道にそれることになるかもしれません。たとえ勝ち抜いたとしても後味が悪いです。こんなことをやっていると次第に人から嫌われ自分の中には傲慢さを育ち孤立するかもしれません。

どれを取っても一長一短です。競争というのは適度であれば刺激にもなります。それにかかる時間と労力が限度を超すとストレスが増します。体も心も痛めます。

優位に立ちたいという気持ち

わたしは自分の中にいつも人よりも優位に立ちたいという思いがすごくありました。
負けたくなかったのです。
私は山羊座生まれですけれど、やぎ座ってそういう所があるんだそうですね。

皆さんはどうですか? 
その時のことを振り返ると何か一つでも人よりも優位に立てるものが欲しかったのです。そう思えるものならなんでもよかったのです。

それがないと自分には価値がないと思っていましたから。
今でも誰かに認められないと自分はダメだと、どこかで思っている自分がいます。なんて根深いんだろうって我ながら呆れます。
同じように思っている人も多いのではないでしょうか?

しかし認めないで蓋をしていると上の①~③のパターンにいつしかはまってしまいます。そうなると気が休まりません。

競争は簡単に戦いの場になります。

そもそも「いい競争相手」って存在するのでしょうか?
いつまでも続くのでしょうか?

勝ち負けの意識を超えないと無理そうな感じもします。

自分の中にある本当の気持ち

負けてしまうと価値がないという気持ちが自分の中にあることを認めると、客観的に上から俯瞰するような感覚で冷静に自分のことを見ることができるようになります。

いいとか悪いとか判断せずに、ただそう思っているという事実を認めることができると別の選択肢があることに気が付き始めます。

それが、むしろ追い抜かれる方が実はいいのではないかと思えてきたきっかけでした。
とはいえ弱肉強食という世界観を信じ込まされ、それを何気なく信じて疑問にも思わないことが勘違いの元なのですが。

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負けてもいい

負けたっていい。むしろ追い抜かれてもいいと思ってはどうでしょうか?

やっぱり嫌ですか?

仮にライバルに追い抜かれたとします。
ライバルは当然負けたくない人でしょう。意外なことに親しい友達かもしれません。
どちらにしても負けた、自分が追い抜かれたという事は、よく考えてみると、追い抜いた人の中には、それまで自分では気付いてもなかった成長できるヒントが隠されているかもしれません。自分では知らない未知の能力を開発するチャンスが潜んでいるかもしれません。
という事は、あなたが飛躍できる思いもよらないきっかけをその人がもたらしてくれるのかもしれないのです。

そう考えると追い抜かれるって、実はいいことではありませんか?

以前『人前であがってしまう。失敗はありがたいこと』の記事の最後に書いたことですが、結果を勝ち負けで判断せず、自分を責めることに使わなければ、全体を客観的に俯瞰して見る視点が新しく開かれます。窮地を乗り越えるチャンスが見えてきます。

負けた悔しさを認めることで次のステップに進める

価値がないと思っている自分も認めてください。認めたくない自分の弱さも認めてみてください。そういう気持ちが湧いてきたとしたら、それはそれで「ある」のは事実ですから認めてみてください。認めて確かにそうだと言葉にすると冷静さが戻ります。自分の気持ちに正直になれます。

価値がないと思っていたとしたら、思っているという事は事実ですからジャッジせずに事実として認めてみてください。

あなたに価値がないという意味ではありません。間違わないでくださいね。価値がないと思っているという「思っている事実」を認めるという意味です。
そうすると、こころが静まりました。冷静に考えられるようになりました。

そう思えるようになると、勝った負けたで感情が揺さぶられることが少なくなりました。他人に左右されず自分のやりたい方向に意識が自然に向くようになりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

Posted by kiyo.I