本心を言おうとすると涙が出て話せないわけ
我慢をしたり犠牲したりすると自分を見失います
本当は嫌で嫌でたまらないのに、なんでもないふりをするとか、本当は悲しいのに、笑ってごまかしてしまうことってありませんか?
本当は言いたいことがあるのに、相手に配慮して我慢したり、その場に合わせて差し障りのない言葉で済ませていると、ストレスが溜まるだけでなく次第に自分を見失ってしまいます。本当の気持ちを抑えていると、いざ本心を語ろうとすると言えなくなります。訳が分からなくなって涙が出てくることがあります。
誰かを傷つけてしまうかもしれないとか、期待を裏切ってしまうかもしれないとか、まわりに遠慮して、正直な気持ちを出せないでいると、本当の気持ちが分からなくなります。
これまで「よい子」をしてきた人は本心を伝えることが苦手かもしれません。
いつも親にとっての「よい子」
学校の先生にとっての「よい子」
まわりの友達にとっての「よい子」をしていると、そのうちになにが本当の自分なのかわからなくなります。本当の気持ちを置き去りにしてきたからです。内面で思っていることと外面で表現することが違うのです。ずれているんです。
そのことに気付くと逆に何か変な違和感を感じるかもしれません。もしかしたらごまかしているという感覚がします。さらに本心を言えないまま我慢していると怒りも出てくるかもしれません。
本当の自分に気付いてくれなくて悲しくて涙が出ます。
自分の気持ちに正直でいること、
正直に伝えることはとても大切です。
「よい子」でいることは一見良いことのように見えます。よい子の自分と本当の自分が一致した時はいいです。違っているときは本当の自分がよい子の自分に裏切られることになります。そのズレが悩みを引き起こします。ひいては自分の中にも人との関係でも問題を作ってしまいます。
自分の気持ちに正直でいれば、そんなことは起きません。でも、それができないんですよね。
聞き分けのよい子をして来ませんでしたか?
自分の心の中にある本心を言おうとすると涙が出てきて話せなくなる人は多いのではないでしょうか?
コップから水があふれるように、あふれる前は気付いてもいないのに、涙が溢れだしたとたん、いろいろな気持ちでいっぱいいっぱいになっていたことに初めて気がつくことがあります。
ところが気持ちがあふれだしてきても、普段、本当の気持ちをないがしろにしてきていたので、心の中で何が起きているのかよく分かりません。
あふれる涙は何かを訴えているのですが、何を訴えているのか自覚できないのです。
子どもの時から、まわりの人にとっても親にとっても「聞き分けのよい子」をして来ませんでしたか?
聞き分けのよい子をうまく演じれば演じるほど本当の自分から離れていきます。演じるうちにどれが自分なのか分からなくなっていきます。
「いい人」でいるために、まわりに合わせているうちに知らぬ間に自分を「捨てて」しまったのかもしれません。
涙は失くした自分に気付いて!というサインです。
なぜ本当の自分でいられないのでしょうか?
本当は本心=自分の気持ちに正直に生きたいはずです。
ところが、そうすると
親や身近な人の期待を裏切ることになるかもしれない、親や大切な人を悲しませることになるかもしれないと思って、本当の自分を出せなくなってしまいます。
いざ本心を出してしまうと、まわりの人から見ればあなたが突然変わってしまった、どうしたんだろう?って思われるかもしれません。それはそれでとても怖いことです。
子供の頃は親への愛がとても深いので、言いたいことを言わずに我慢したり、大切な人の期待に答えたくて自分を犠牲にすることさえもいとわなかったのです。それが普通で自然で当たり前だと思って疑問にも思わなかったのです。
自分にOKを出す
本心を言おうとするときに出てくる涙は、大切な人への愛と我慢と犠牲の道を選んだが故の哀しさがないまぜになった涙かもしれません。
しかし、我慢をしたり犠牲になることは真実ではありません。
わたしたちは勘違いをしたのです。
本当の自分を出すと親や身近な人の期待を裏切ることになるかもしれないって。
親や大切な人を悲しませることになるかもしれないって。
親や身近な人は言う通りにしてくれることを願っていたわけではありません。あなたがあなたらしくいてくれることを願っていたのではないでしょうか?
真実はあなたがあなたのままでいいってOKを出すこと。自分を愛すること。自分はこれでいいってOKを出してください。
本当の自分を表現していくことであなたは輝き始めます。
最後までお読みいただきありがとうございました。